プラムゾの架け橋

第七章

 77.






 反乱軍の集うスキールの町へ来て、一夜明けた朝。昨夜はどうにも騎士たちの興奮が収まらず、外は遅くまで騒々しかった。少しは静かにしてくれと耳を塞ぎ眠ったものの、やはり十分な睡眠は取れずに終わる。何せ早朝になると騒音ではなく、今度は鍛錬の声や剣戟の音が聞こえてきたのだ。これはもう寝るなという意思表示に思えてならなかった。

 ホーネルが仏頂面で館を出て行くと、広場では少人数ながら精力的に鍛錬に打ち込む騎士の姿がある。それらを素通りし、彼は静かな場所を求めて彷徨い歩く。途中でマクガルドの「あらホーネルぅ!」という暑苦しい声が聞こえたような気がしたが、特に構うこともなく歩を進めた。

 スキールの町には、ロドリゲス王や宰相ヴェルモンドを慕う貴族は基本的に出入りしない。というのも、傭兵に扮した反乱軍の者たちがそこらじゅうを歩いているため、住み分けを強く主張するような貴族はここを嫌っている。エルビオの掲げる「分け隔てのない町づくり」という文言は、見事に作用しているようだ。

「……あ、オング置いてきた。まあ良いか」

 ふと、人見知りなオングのことを思い出したが、後でまた様子を見に行けば良いだろう。彼はヴェルモンドに無遠慮に肩を刺され、その傷は未だ完治していない。

 ……元から刻まれていた傷跡は見せないようにしていたのに、マオはきっとその場面を見てしまったのだろう。貴族が奴隷だった彼を甚振る、地獄のような絵面を。

 ──お前はスキールの町で留守番だよ。

 隠れ里を発つ前、ホーネルは彼に対して素っ気なく言い放った。これ以上、あの子が泣く要因を作るなと言外に告げた。コンラートの血を継いだ、愚かしいほどに純朴な少女の心を傷付けないために。

 ──それにもう、あの子は僕らの手を離れている。

 橋脚へ足を踏み入れたとき、マオは世界の美しさに魅了されたことだろう。初めて出会った人間と旅路を共にし、大勢の友人を得て、突き付けられた己の使命に正面から向き合った。隠れ里で再会したとき、ホーネルはそこで初めて気付いたものだ。自分がいかに、彼女のことを子ども扱いしてきたのかを。とっくの昔に、手が放されていたことを。

 ──これからは僕も力を貸せる。柄じゃないことは言わないでほしい。

 これは驚くべきことかもしれないが、ホーネルは知らぬ間にあの少年のことまでマオと同じように考えていた。幼いマオにすら怖気づいていた臆病な仔猫が、今や逞しい……とは言い難いが、まあまあ頼れるようにはなっていた。聞けば、オングが怪我を負ったときにマオを連れて逃げたのは少年だという。今まで一度たりとも見せなかった、獅子の姿を解放して。

「……あの猫も、帰ってきたらいろいろと聞かなくちゃねぇ」

 ホーネルは溜息をつき、木製の階段をゆっくりと下りていく。三層特有の湿った空気は、曇りがちな胸中をすっきりとさせてくれる。出来ることなら、もっと早くにここへ来たかった。少女のせがむままに、オングと仔猫を連れて──こんなことを考えるくらいには、自分は老いてしまったらしい。少女が成長するのはとても早かったが、やはり十六年という歳月は大きいものだ。

 加えて、彼に月日を感じさせるのは、何もマオだけではなかった。

「──あら別嬪さん! 反乱軍の中には女性もいたのねぇ! これ、うちで取り扱ってる装飾品なんだけど興味あるかしら?」
「え? ええと……そうね、とても素敵だわ」
「でしょう? この職人さん、良い仕事するんだけど最近は入荷してなくて。レア物よぉ」

 露店で引き止められていたのは、桃色の長い髪に、暗い赤色の騎士服を身に纏った女性。鎧は着けておらず、どうやら朝の散歩をしていた様子だ。装飾品を眺める横顔は少しばかり輝いており、勧められたネックレスを手に取っては魅入る。だがすぐに我に返っては、慌ててそれを中年女性に返した。

「ごめんなさい、今は手持ちがなくて……」
「あら、そうなの? これすぐに売れちゃうわよ、最後の一つだし」
「ええ。でも私より若い女の子に買ってもらった方がいい──」

 会話の途中で、彼女──アドリエンヌは硬直した。いつの間にか傍へ来ていたホーネルは、小ぶりなネックレスを摘まみ上げては暫し見詰める。

「……悪いね、これ数か月前に出荷したやつだ。今は休業中なんだよ」
「へ」
「おや、ホーネルじゃないか!」

 中年女性がパッと明るく声を挙げれば、アドリエンヌが困惑気味に視線をそちらへ向ける。

「あんたが初めて売りに来てからもう三年は経つかしら。相変わらず薄情そうな顔してるわねぇ」
「ここの住人は僕を悪く言うように教育でもされてるのかい」
「あっはっは! 挨拶みたいなもんさ! 気にしてるわけでもないんだろう?」

 鼻で笑いつつ、ホーネルは中年女性に銀貨を手渡した。そして手にしていたネックレスを、近くで固まっているアドリエンヌの手に握らせる。驚く二人を置いて、ホーネルはそのまま通りを真っ直ぐに歩き始めた。

「あらあら」
「は!? ちょ、待っ」
「僕は若者限定販売なんてしてないんでねぇ」

 自らが手掛けた装飾品を若い娘に、など考えたこともない。ホーネルは貴族などから依頼されない限り、気が赴くままにデザインをしてきた。それが運よく幅広い年齢の者に売れただけの話であり、勝手に顧客層を絞られては堪ったものではない。そんな微かな職人気質を覗かせつつ、彼は自分のほぼ衝動的な行動に首を傾げた。

「──待ってください!」

 手首を掴まれて振り返れば、そこには少しだけ息を切らしたアドリエンヌの姿があった。恐らく何度か呼ばれていたのだろうが、ホーネルは全く気付かずに町外れまで来てしまっていた。

「何?」
「お金、お支払いします」
「手持ちがなかったんじゃないのかい」
「あ、あれは、断る理由が思い付かなかっただけで」
「ふうん」

 生返事をしただけで銀貨を受け取らずにいれば、彼女が頬を引き攣らせる。掴んでいた手をぎこちなく放しては、首を振って再度そこに銀貨を握らせようとした。ホーネルはそれを容易く避けると、彼女の手を逆に押し返してしまう。

「やれやれ、頑固さは変わらないね。君その性格じゃ苦労したでしょ」
「んな……っ、あなたには関係ありません! 第一、この首飾りは私には……」
「おや、要らなかったかい? 絵本を眺めてるマオとそっくりな顔してたから、欲しいのかと思ったよ」
「……!!」

 絶句した彼女は次第に頬を紅潮させ、意味もなく口を開閉させる。とにかく銀貨を受け取るつもりはないという態度を貫き、ホーネルはすぐそこを流れている小川に近付いた。大瀑布の落ち口から延々と枝分かれしたうちの一つであろうその川辺に、彼は眠そうな欠伸をかましつつ腰を下ろす。

「マオに言われてねぇ。君は文句だけ言いに来るような人じゃないから、ちゃんと話せって…………よく考えたらそれ僕のこと言ってたのかもしれないな」
「……」
「言い訳にしかならないだろうけど。聞いてくれるかい、アドリエンヌ」

 広大な湿原を眺めながら、静かに問う。紅く染まった木々が風に揺られたのち、背後から震えた声が返ってきた。

「……それは、私の台詞です」
「……」
「聞いてくれなかったのは、置いて行ったのはあなたです、ホーネルさま」

 彼に後ろを振り返る勇気はなかった。ただ、彼女が話を聞いてくれることに安堵し、遠い昔になってしまった記憶を呼び起こす。ずっと見ないようにしていた、彼の苦手な過去のことだ。



 

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