プラムゾの架け橋

第七章

 76.






 ──“天空の塔”第三層、南部にあるスキールの町にて。厳戒態勢の敷かれた町の奥、領主の館には大勢の人間が集っていた。彼らは十六年前、先王コンラートの死をきっかけに城を離れた元王宮騎士団の者たちである。傭兵に扮した姿でありながらも、その手に握られているのは在りし日の王宮を思わせる紋章入りの武器。決意を宿した眼差しで広場にやって来た彼らは、そこに現れた一行を見て歓喜の声を上げた。

「ま……マクガルド将軍だ!!」
「フェルグス殿もおられるぞ!!」
「いや、あれマクガルド将軍か……? リボン着けてんぞ」

 一部からはざわめきが聞こえてきたが、概ね元王宮騎士団長の帰還に彼らは沸いていた。ギルはこの熱気に少しばかり気圧されつつ、隣にいたホーネルを見遣る。彼はとてもうるさそうに耳を塞いで、ちらりと視線を寄越した。

「こういう暑苦しい空間、嫌いでねぇ」
「見れば分かる」
「ああ、そういえば。君はこれから覚悟しておいた方がいいよ」
「何でだ?」
「そりゃあほら、勇猛果敢で知られるフェルグス殿の息子なんてこいつらが聞いたら……」

 ホーネルは言葉を途切れさせ、顎で前方を見るよう促す。すると館の扉が開かれ、そこから中年の男性が勢いよく飛び出してきた。かと思えば両手を挙げ、全身で喜びを表現しながらマクガルドとフェルグスの元へと駆けてくる。

「おおおお!! 我が旧友たちよ、よく来てくれ……何だこの化け物は!?」
「あらやだ、化け物なんて失礼ね! マクガルドよ、エルビオ」
「ひえ……!! ふぇ、フェルグス!」

 スキール領主──エルビオ伯爵は目を剥き、助けを乞うかのようにフェルグスの方へと寄った。フェルグスは苦笑をこぼしつつ、領主の肩を叩いて適当に宥める。

「本物だ。将軍は王宮の目を掻い潜り、十六年の間……姫を守ってくださっていた」
「!! ひ、姫はご無事なのか!?」
「ああ、そちらのホーネル殿のおかげで、それはもう元気で明るい……」

 ホーネルは大袈裟に長ったらしく咳払いをして、その言葉を遮った。するとエルビオはようやくホーネルの存在に気付き、それまで以上の輝きを瞳に宿す。

「ホーネル!! 久しぶりじゃないか、相変わらず憎たらしさやら捻くれた感じが顔から抜けんな! 遠い地で商人になったと聞いていたが、まさかお前が姫を避難させてくれていたとはなぁ……!」
「なりゆきだよ。それより何さらっと僕の悪口言ってんだ、お前」
「痛いッ」

 容赦なくスキールの脛を蹴り、彼は溜息交じりに館へと向かう。

「あー疲れた。僕は避難民だから休むよ。部屋借りるね」
「勝手すぎるところも変わらんな……!!」

 二人の横暴なやり取りを間近で見ていたギルは、はたと気付いて後ろを振り返る。そこにはとても居心地の悪そうなオングの姿があった。彼は“天空の塔”の民にそれほど良い印象がなく、こんなにも大勢の──貴族も混ざった集団の中にいては落ち着かないだろう。

「オング、ホーネルと一緒に行ってくれて良いぞ」
「! え、あ……わ、悪い」

 そっと小声で告げると、彼は大きな図体を縮めてお礼を述べる。怪我も治りきっていない状態で、隠れ里から三層まで来させたのだ。早く休ませてやった方が良いだろうとの判断で、ギルは彼を館へと送り込む。マクガルドとフェルグスは元同僚たちともう少し話すことがあるだろうし、傭兵団は別の場所で待機しておこう──と考えたときだった。

「……む!? 君、もしやフェルグス殿のご子息では?」
「え?」

 一人の騎士に肩を叩かれ、ギルは呆けた表情で頷く。すると近くにいた数名も反応し、「本当か!?」と駆け寄って来たではないか。あっという間に囲まれてしまったギルは、戸惑い気味に彼らを見遣る。

「連絡係から聞いたぞ。数か月前、旅路で一人はぐれた姫を助けたのは君だそうだな!」
「……連絡係?」
「不安がる姫を一人でロンダムまで送り届けたのだろう? はあ……っこれぞ騎士道精神というものではないか! さすがはフェルグス殿の血筋!」
「いや、あのときもわりと元気だった……それより連絡係って」
「ん? ほら、ハイデリヒ様が雇っている帽子の……」

 ──手紙屋か。

 ギルは頬を引き攣らせながら、盛りに盛られたマオとの旅の話を聞かせられる羽目となった。何とも体が痒くなるような美談が付け加えられており、否定しようにも内容が完全に嘘でもないから反応に困ってしまう。ホーネルが言っていた「覚悟しておいた方が良い」というのは、このことだったのかもしれない。

「代々の姫君も、騎士と恋に落ちて結婚したということが多くてなぁ」
「姫とは歳もそれほど変わらんのだろう? もしかしたら君は未来の──」
「おっと、すみませんね。そういった軽はずみな発言は控えて頂かないと」

 ずいと間に割り込んできたのはロザリーだった。冷静な彼女のこと、困惑しているギルを助けてくれたのかと思いきや。

「それに姫と彼のことなら私の方が詳しくお話しできますよ」
「おお、ぜひ詳しく!」
「ロザリー!」

 すぐに彼女の襟首を掴み、ギルはその場を離れる。人混みから外れたところまで退避しては、疲労を露わに彼は溜息をついた。ロザリーはそんな彼の様子を窺いつつ、適当にその肩を摩る。

「元気を出しなさい、ギル。あなたならきっとマオの隣を勝ち取れますよ」
「あんた自分でからかうために割り込んできたのか……?」
「滅相もない。近くで見ていて思ったことを言ったまで」

 彼女は平然と答えてから、不意に声を抑えて囁いた。

「……まんざらでもなかったのでは?」
「あー……俺はもうロザリーと話さない」
「それはひどい! もうからかわないので機嫌を直してください」

 全く反省していない様子のロザリーに、ギルは再び溜息をつく。とにかく変な話を反乱軍に広めた手紙屋には、一発蹴りを入れておかなければならないだろう。手紙屋のとても楽しそうにホラ話をする姿が容易に思い浮かぶことが、ギルにとっては何より腹立たしい。

「まあ、今はこういった雰囲気を楽しむのも大事ですよ。これからは王を相手に戦うのですからね」
「……」
「あなたも気負いすぎると良くないですよ、ギル」
「……ああ」

 ロザリーの言葉は尤もだった。大部分はからかい目的だっただろうが、彼女なりに気を遣ってくれていたのだろう。決戦前にこれから共に戦う同志との親睦を深めておくことは、戦において重要なことだとフェルグスからも教わったことがある。ましてや相手取るのは“天空の塔”を治める王と、彼を慕う現王宮騎士団だ。反乱が失敗に終われば、もはやこのプラムゾで生きていくことも難しくなるのは想像するに易い。それに──。


 ──私も頑張るからね! ギル!


 あの明るくて素直な少女の笑顔も、潰えてしまう。正直なところ王宮がどうとか、“大地の塔”との関係云々など、ギルにはそれほど重要ではなかった。彼女の命が奪われるような、そんな最悪の未来を見たくないがために、その思いだけに突き動かされて今この地に立っていた。それが王に刃を向ける理由として相応しいものかどうかなど、彼には分からない。だが──顔も見たことがない治世者よりも、身近な誰かを守りたいと思うのは人間として当然の心理とも言えよう。

「……ロザリー」
「はい?」
「ロザリーは何のために反乱軍に参加するんだ?」

 静かに尋ねれば、ロザリーは「ふむ」と顎を摩る。互いに言葉を交わし、来たる決戦のために武器を掲げる騎士たちを眺めてゆき、その涼しげな瞳が一点に留まった。

「私は争いごとは好みませんが……こうして傭兵として生きています。それはひとえに、あの馬鹿を放っておけなかったからです」

 彼女の視線の先には、既に反乱軍の者たちと打ち解けているドッシュの姿がある。彼の豪快な笑い声がここまで聞こえてきたところで、彼女は続けて述べた。

「……彼はあの大きな体を生かして、力なき人々を救うために剣を取り、村を飛び出した。彼の両親はいたく心配しましてね、すぐに私が後を追いかけたんですよ」
「……あんたのことだ。言いくるめて連れ戻す気だったんじゃないのか」
「ええ、その通りです」

 ロザリー曰く、彼女が追い付いたときには既に、ドッシュは人助けの最中だったという。道端で行き倒れていた旅人に手を貸し、近隣の村まで背負っていったそうだ。しかしどうにも不審に思ったロザリーはその旅人をこっそりと観察し、ドッシュの荷物が奪われかけたところを慌てて取り押さえ、盗人として駐屯兵に突き出して事なきを得た。

「あのとき、すぐに連れ戻すべきだと確信しましたね。彼には畑を耕している方が安全だし、何より……」
「何より?」
「……彼の、他人を信じる心を失わせたくなかったのです。この世は団長や副長のような、心優しい方ばかりで構成されてはいないでしょう」
「!」

 初めて聞くロザリーの本心に、ギルは思わず目を丸くする。もしかして、普段からちょっとばかし辛辣な言葉を用いているのも、ドッシュの騙されやすい性格を考慮してのことだったのだろうかと。彼女は苦笑をこぼし、広場を囲う柵に凭れ掛かった。

「まあ、言わずもがなドッシュは旅を諦めてくれませんでした。だから私は、彼を守るために自らも武器の扱いを学び、その無謀な旅に付き添ったのですよ」
「……」
「あなたがたに拾われたのは幸運だった。だからドッシュも私も、団長の意向には従います。……私に関しては、そこにドッシュを守る役目を己に課しているだけです」

 彼女は最後に穏やかな微笑みを落とし、ギルの頭をそっと撫でた。


「戦う理由は人それぞれで良いのです。それを馬鹿にする権利など他の誰にも──いいえ、自分にもないでしょうからね」


 ロザリーの戦う理由は、ギルとよく似たものだった。誰かを守るために戦うこと、それは“天空の塔”と比べれば規模の小さいものかもしれない。けれど、とても難しいものだとも彼は思う。だからこそ彼女は、己の戦う理由を卑下してはならないと告げたのだろう。

「……ありがとう、ロザリー。あんたは……何て言うか、やっぱ大人だな」
「ふむ、これでも君より五つは上ですしね」
「そういう意味じゃなかったんだが」

 二人はどちらともなく歩き出し、領主の館へと向かった。己の信念を胸に集った、同志たちの元へ。



inserted by FC2 system