プラムゾの架け橋

第七章

 75.




「──案内人? そりゃ多分、わしのことじゃのう」

 ヒャルマンはころころと笑って、歩廊に続く扉をくぐった。外は雪が降っておらず、強い風も吹いていない。薄暗い雪原を見下ろしながら、マオはひたすらに冷たい空気に体を震わせる。

「おじいさん、手紙屋さんと知り合いなの?」
「知っておるよ。あやつが赤ん坊の頃からの付き合いじゃ」
「ほぇ……そうなんだ……」

 さぞかしわんぱくな少年だったのだろうなとマオが考えていると、隣でじっと老人を見詰めていたノットが口を開いた。

「“大地の塔”に行くように提案したのも、おじいさん?」
「ちょいと戯れに話してみたんじゃが、本当にこの城まで送ってくるとは思っておらんかったのう。おかげで慌ててここまで来る羽目になったわい」
「!」

 その返答に二人は驚き、同時にようやく理解した。

 神出鬼没の陽気な老人という印象はあったものの、今までに得た経験や知識を顧みればその正体は容易に想像できる。いや、もしかしたらマオが知るもの以上の存在であるかもしれないが──。

「……おじいさんは、“術師”なの?」

 マオが率直に尋ねてみれば、老人はふと後ろを振り返り、穏やかに微笑んだ。

「そうじゃよ、マオ。おぬしと同じじゃ」
「! 知って……」
「マオは二層で迷子になったと言ったじゃろ? わしも経験があるからのう」

 老人はふと指先を立て、その先に広がる明るい空を指し示す。紺碧に散りばめられた無数の星々、それらを優しく包み込む暖色はゆらめく炎を彷彿とさせた。“階段”内にある遺跡とよく似た美しい星空を仰ぎ、老人は静かに語る。

「わしはあの遺跡に迷い込み、プラムゾの御声を聞いたのじゃ」
「プラムゾの……声?」
「そう。己と同じ姿をした不思議な存在……マオも見ているはずじゃよ」
「!!」


 ──おいで、マオ。あの地へ、プラムゾへ。


 マオは零れ落ちそうなほど目を開くと、戸惑い気味にノットと顔を見合わせた。自身と同じ姿をした存在、あれがプラムゾの声を届ける者だとヒャルマンは言う。遺跡に迷い込んだ“術師”が強い力を有していると、あのような形で語りかけてくるのだそうだ。

「おじいさん、私もそれっぽいものは見たよ。でも、言ってることはよく分からなくて……」
「プラムゾへ来い──そういう旨ではなかったかの?」
「うん……けどプラムゾって、この世界のことでしょ?」

 自身が立っているのは、プラムゾの橋脚である“天空の塔”だ。既にその中に足を踏み入れているというのに、どうして「プラムゾへ来い」と言われるのか。具体的な場所を示してくれなければ、マオを始めとした“術師”は声に応えることなどできない。──そこまで考えたところで、隣から訝しげな声が洩れる。

「……ここがそもそもプラムゾじゃない、とか?」
「へ……っ?」
「“天空の塔”も“大地の塔”も、プラムゾの名を借りているだけ……っていうことも有り得るんじゃないかな」

 ノットの推測に、老人はおもむろに扇子を振った。それは嬉しそうに、楽しげに。

「そうじゃ。わしも同じことを考え、術を使いながらプラムゾの地を探し回ったよ」
「見付かった?」
「いんや、残念ながら。気付けばこの歳じゃ」

 プラムゾの声を聞いた当時は、ヒャルマンもまだ十代半ばの若者だったという。好奇心旺盛の、さわやかな青年だったと自ら称賛しながら老人は笑った。城の歩廊を渡り終え、再び屋内へと思われたが、堂々と壁と天井を突き破る塔の中へと彼らは入る。

「何度も遺跡へ足を運び、声に尋ねたよ。プラムゾとはどこにあるのか、そもそも何を指すのか……まあ、良い答えは返ってこんかった。あれは意思疎通が出来るようで出来ん」

 横倒しになった塔の壁を歩き、その外へ出たときだ。マオは漠然とした違和感を覚えて城を見回す。煩雑な経路は言わずもがな、それとは別の妙な圧迫感を肌で感じ取った。

「ここから先は“歪み”の領域じゃ。しっかり付いて来るんじゃぞ」
「!」

 老人の忠告に頷き、ノットの手を握る。その様を後目に、ヒャルマンは慣れた足取りで城の最上階を目指した。瓦礫の隙間に入れば広い空間に出たり、扉を開けるとまた扉があったり、時には廊下の手摺を足場に歩いたり。それまでの道のりは割と整然としていたのかと思うほど、“歪み”らしい道がいくつも立ちふさがる。

「わしはプラムゾを求めて、“大地の塔”へ行く術を探したのじゃ。最上層の橋なんぞ王家しか使えんからのう……別の抜け道はないかと、云十年かけて見つけたのがここじゃ」
「……ここから“大地の塔”に……?」
「ほれ、着いたぞ」

 気付けば城の最も高い塔まで辿り着いていたようだ。ヒャルマンが指差した木製の扉を、マオとノットは一緒に押し開ける。そこに現れたのは狭い物見台などではなく、光沢のある石で統一された“船着き場”だった。見覚えのある四角いゴンドラ、それを吊っている頑丈そうな縄は青みがかった雲の向こうへと続いている。

「あれ、隠れ里にあったゴンドラと一緒……」
「あそこのゴンドラも、昔は動いていたようじゃ。今はレールが死んでしもうたからのう……使えるのはこの一台だけじゃ」

 老人はゴンドラ付近まで歩み寄り、そこに繋がれた鎖に手を掛けた。大きく開かれたゴンドラの出入口の向こうは、星の見える寒空ではなく夜の雲海が広がっている。あの景色はプラムゾが見せる幻覚か、それとも外に広がる本当の景色なのだろうか。先の見えない雲の壁を見詰め、マオはついつい呆けてしまう。

「向こうへ渡るには濃霧を抜けねばならん。あれは強力なミグスの塊、生身だと帰ってこれんのじゃよ」

「え」
「ほほ。聞いたことがあるじゃろう、第一層の海を渡ろうとして死んだ奴が沢山おると」

 愉快に笑いながら告げることではない。しかしその話はマオもよく知っている。“大地の塔”へ行くために船を出し、大渦と濃霧の中に散っていった冒険家たちの話。老人曰く、あれは“階段”よりもミグスの密度が高いがために、いくら目的地を強く念じても肉体を運ぶことが出来ず、濃霧の中を彷徨い続けて飢え死にしてしまうとのことだった。加えて激しい大渦は船を容易く破壊していくため、実際は飢え死によりも溺死の方が多いかもしれない、とも。

「あの濃霧は、ある程度ミグスを操れる“術師”でさえも飲み込んでしまう。そうして大昔の人間が考えたのが、このゴンドラじゃよ。ほれ」
「……?」

 ヒャルマンが指差したのは、ゴンドラ内部に取り付けられた真紅の石。それは一つだけではなく、床や壁、天井にも点々と敷き詰められている。隠れ里のものには嵌め込まれていなかったミグス石に、マオとノットは驚きを露わにする。

「これは……」
「“術師”が“階段”をさっさと抜けられるのは、その体内にミグスを持つからじゃ。つまり何というか……空間と体に流れるミグスの濃度に差がない、とでも言おうかの」
「えっと……私が、“階段”のミグスに馴染みやすいってこと?」
「そんな感じじゃな。馴染むことでその空間を動き回れたり、早く抜けられたりするんじゃよ」

 “術師”以外──“天空の塔”と“大地の塔”に住まう二種族は、彼らと比較してミグスの所有量が少ない。ノットらはその肉体を獣へと変化させるためのミグスを持っていはいるものの、やはり“天空の塔”や濃霧を構築するミグスとは少しばかり質が異なるがゆえ、自由に動き回ることが難しいと考えれているそうだ。

「まぁ例外もあるようじゃがのう」
「!」

 ヒャルマンはちらりと、薄氷色の瞳を見遣る。ノットは軽く目を見開いてから、さっと視線を逸らした。

「ほほ、プラムゾはまだ分からんことだらけじゃ。そこら辺はおぬしらで調べてみてくれ、わしはもう腰が弱くてのう」
「おじいさん、さっき元気に階段駆け上ってたから大丈夫だよ」
「気持ちの問題じゃ」

 マオの言葉に笑い、老人は「つまりはな」と白い髭を撫でつける。

「このゴンドラに乗れば、おぬしらを濃霧のミグスと同様の密度まで高めてやれるということじゃ。快適に、とは行かんが、途中で死ぬことはないじゃろ」
「そっか……じゃあ、大昔はちょっとだけ向こうとも交流があったんだ。このゴンドラ、使われてたんだもんね」
「うむ。本当にちょっとだけだがのう……」

 どこか物悲しそうな相槌に、マオは小さく首を傾げた。だがヒャルマンは無言で髭を撫で続け、やがてゴンドラの扉を引き開ける。

「さて、話はこれくらいにしておこうかの。行っておいで、若者よ」

 老人は二人の背に手を添えると、ゴンドラの中へとひょいと押し込む。そのまま扉を閉められてしまい、マオはどうやって動かすのかと尋ねようとして、思い出した。

「あ!! ちょ、ちょっと待っておじいさん!」
「ん~?」

 鎖を外しながら、老人は呑気な返事を寄越す。マオは急いで鞄を開き、その中から小さなカメオを引っ張り出した。格子の隙間から腕を伸ばし、彼女はそれを差し出して告げる。

「これ、おじいさんに返さなきゃって思ってたの! リンバール城の裏庭に落ちてたんだ」

 金で縁取られた鮮やかな朱色、白く浮き彫りにされた女性の横顔。それを目を細めて確認した老人は、参ったように笑い声を上げる。

「ほっほっほ! それはマオにあげたつもりじゃったな」
「へ?」
「わしが持っていても仕方ないしのう」

 そのとき、ゴンドラが俄かに揺れ、老人の姿が左へと流れていく。ゴンドラが動き出したのだと気付いた頃には、既に視界が霧に包まれ始めていた。ヒャルマンは鎖を床に放り、にこやかにマオとノットを見送る。



「──そこに彫られておるのは、おぬしの母親じゃよ。大切に持っておきなさい」



 優しく明かされたカメオの所有者に、マオは大きく目を見開く。老人の姿が霧に消えてしまう前に、彼女は形見を握り締めて頷いたのだった。

「……っうん! ありがとう、おじいさん! 行ってきます!」





 ──風の音だけが響く船着き場、ゴンドラが消えた方向をしばらく見詰めていた老人は、やがて緩慢な動きで振り返る。閉じた扇子を懐に挿しては、そこに立つ人物に笑った。

「……一足遅かったようじゃのう」

 物陰から出てきたのは、切り揃えられた前髪で目元を隠した少年。鋭い眼光にヒャルマンは怯むことなく歩み寄り、その傍を通り過ぎた。

「追いたければ上から行くことじゃ。わしを腹いせに殺すのもよいが、時間の無駄じゃろうて」

 隠し持っていた短剣を持ち上げ、少年は静かな溜息と共にそれを鞘に納める。雲海を一瞥して踵を返せば、既に老人の姿はない。少年は再び、“歪み”の中へと消えたのだった。

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