プラムゾの架け橋

第七章

 74.





「──……お城……かな?」

 渓谷を抜け、ひたすら影を目指して歩いた二人の前に、それは現れた。複数の主役級の大塔、空いた隙間に無理やり捻じ込んだような小塔の数々、それを囲む城郭には何やら大きな旗が無造作に突き立てられている。雪で見えなかった分、その異様な城の姿に圧倒されたマオは唾を飲み込んだ。

「何か……ぐちゃぐちゃだね。こういう城もあるの?」
「え? うーん……私もお城は詳しくないけど、さすがにこれは……」

 ノットの問いかけに、マオは改めて奇妙な城を仰ぐ。城や要塞は建築当初の姿から何年もかけて増築していく場合がある、と聞いたことはある。それは城主の権威を示すためだったり、より使いやすい構造にするためでもあるそうだ。しかしこの城は、どう見てもその例には当てはまらないような気がしてならない。

「わ……見て、塔が斜めになっちゃってる。あれじゃ増築じゃなくて適当に突き刺したみたい」
「やっぱり変なんだ、あれ」

 杜撰という言葉では足りぬほど奇怪な造りをした城は、もはや芸術の域に達しているのではないだろうか。上の方なんて吹雪で崩れてしまいそうだが、不思議なことにその均衡は保たれたままだ。見れば見るほど首を傾げてしまう城に近付いていくと、ぼんやりと城郭の中央に門が見えてくる。それは開け放たれている、のではなく降ろし格子ごと取り外された門だ。付近にはひん曲がった鉄格子がいくつも打ち捨てられ、うち数本は城郭にめり込んでいた。

「あ、荒っぽい……」
「……寒いし、とりあえず入ってみよう。人の気配もなさそうだ」

 ひとつも機能していない楼門をくぐり、二人は前庭に足を踏み入れる。靴裏が久々に硬質な石畳を捉え、マオはようやく雪原の歩きづらさから解放された。かと思えば今度は凍った地面によって摩擦が減ってしまい、つるりと滑った彼女はノットの肩にぶつかる。何度か滑りながらも二人は城の入口へ辿り着き、その大きなホールをゆっくりと見上げた。

「わぁー……広いね……」

 煤けた深紅の絨毯が奥へと伸び、その先には二階へと続く裾広がりの階段が鎮座する。踊り場の天井まで届く窓硝子には細やかな紋様が刻まれており、外から光が射し込んでいれば美しい影を落としたことだろう。マオは薄暗いホールを見渡しながら、外套のフードを外した。

「ここ、“歪み”なのかな。中は普通のお城だけど……」
「手紙屋は、渓谷の先に“歪み”があるって言ってたんだよね」
「うん、そこを抜ければ案内人がいるって」
「……。本当にいるのかな、ここまで来るだけでも大変だったのに」

 ノットの言うことは尤もだ。あまり深く考えていなかったが、そもそも案内人とは誰なのだろう。手紙屋はかの人物を知っている前提で、“大地の塔”へ渡る話を進めていた様子だった。ちゃんと詳しく聞き出しておけば良かったとマオは頬を掻き、ゆっくりとホールの奥へと歩き出す。

「とにかく……うーん、上ってみよ! もし何もなくても、高いところから外の様子が見れるかも」
「そうだね」
「お城が崩れませんように!」

 縁起でもないことを大声で祈れば、ノットもくすくすと笑いながら後を付いてきた。ところどころ崩落した階段を上り、踊り場の両脇から伸びる二つの通路を見遣る。右の通路に関しては煉瓦で埋め立てられて──いや、恐らく外から異なる別の塔が突き刺さっているようで、見事に塞がれてしまっていた。仕方なく左の通路へと入り、妙に天井の高いアーチ状の廊下を進む。

 継ぎ接ぎの廊下を彷徨い、ようやく階段室を見つけたと思えば上の階まで繋がっていなかったり、無駄に広い部屋を何本もの小塔が貫いていたりと、やはり外見通りめちゃくちゃな城だ。隠れ里に続く“歪み”の方が、まだ秩序のある宮殿を模していただろう。なかなか三階以上へ上がれずに右往左往していたとき、部屋を貫く小塔の鎧戸をノットが戯れに持ち上げてみた。

「あ。……ここから上れそう」
「ほんとっ?」

 鎧戸の更に奥、塔内部に階段がある。少し斜めになっているが上れないこともないだろう。ノットが鎧戸を開けてくれている間に、マオは狭い歩廊によじ登った。今度は彼が登れるように鎧戸を交代で押さえながら、マオはそっと塔内部を覗き込む。円柱形の壁にいくつか四角い穴が開いているため、そこから三階に出られそうだ。

「……このお城、ぐちゃぐちゃだけどやっぱり見た目通りだね。“歪み”みたいに変なところに繋がらないし」
「人が造ったとしたら、それはそれで凄いけど……」

 ノットの呟きに、マオは思わず苦笑いをして頷く。元の城に複数の別の城を運んで来ては、悪戯に解体して乱暴に突き刺したような、ここはそんな異常な印象を持たせる。確かに人が造ったとすれば……よほど独創的な芸術家が建設に立ち会ったと考えるのが妥当に思えた。

 しかし、ここは手紙屋が言う“歪み”でもなければ、隠れ里の子どもが話していた神殿でもないのだろうか。マオとしては歪な城の探検をちょっと楽しんでしまっているが、目的地が別の場所にあるということならそうも言っていられない。この城の最上階で何か収穫が得られれば良いのだが。

「…………?」

 そんなことを考えながら三階の部屋に降り立ったマオは、そこに広がった随分すっきりとした景色に暫し呆ける。整然と並んだ長椅子、その中央に敷かれた長絨毯、最奥に佇む祭壇。そして──。

「……マオ、ここ……ヒェルフ?」
「似てる、けど……」

 一見して神聖な雰囲気を纏うその部屋で、ひときわ異彩を放つもの。それは祭壇を囲む、「神」を象った三つの石像にある。左右の二つが両手を高々を掲げる一方、中央の石像だけが頭部と両手を?がれていた。人為的な力で落とされたであろう部位は、この部屋のどこにも見当たらない。

「……。ひとつだけ壊されてるね」
「うん……。ノット、ちょっとだけ見てきてもいい?」
「? いいよ」

 マオは古びた絨毯の上を歩き、微かな光に照らされた石像へ近付いていく。祭壇の手前で立ち止まり、三つの荘厳な姿を仰ぎ見た。彼女には以前から──この橋脚に入る時から、気がかりだったことがある。プラムゾの架け橋が巨大であることは言わずもがな、そもそもかの橋はマオやノットに合わせて造られていないのではなかろうか、と。この歪な城も、“階段”の中にあった朽ちた遺跡も……まるでマオの体が小さくなってしまったかのような錯覚を抱かせるのだ。

 そう、それは言うなれば──。

「!」

 はっと、マオは息を呑む。何故、彼女がそこに視線を留めることが出来たのかは分からない。それまで進めていた思考を放棄して、彼女は左右の彫像を交互に確認する。

「あ、あれ……!」

 慌ててその場に腰を下ろし、肩掛け鞄の口を開く。奥底から取り出したのは、布に包んだままの錆びた腕輪。表面に彫られた紋様を指で触りながら観察しつつ、マオは石像の真下へ行ってソレを見上げる。


 ──これは一体、どういうことだろうか。


 その錆びた腕輪と、二柱の「神」が身に着ける腕輪は瓜二つであった。曲がりなりにも装身具屋で手伝いをしていた身、紋様の刻み方や宝石を埋め込む場所であろう窪みの形も、同じかそうでないかは見分けがつく。ただマオが持つ腕輪は錆びつきが酷いため、完全に一致しているという保証はない。しかしそれでも、ホーネルから預かった腕輪とよく似たものを、雪原の果てにある城の中で見つけてしまった彼女は混乱と興奮を覚える。

「ノット! み、見てっ、この腕輪……! うわわっ」

 興奮するあまり、平たい階段を危うく躓きそうになりながら駆け下りる。鞄が置いてあるところまで来ていたノットは、そんな彼女を咄嗟に支えては首を傾げた。

「腕輪?」
「そうっ、ホーネルさんが私に持たせた腕輪っ! あの石像が着けてるものとそっくりなの!」

 ノットは軽く目を丸くしつつ、石像の手首を見上げる。じっと腕輪を見詰めること数秒、何とも微妙な顔つきでマオに視線を戻した。

「……僕、全部同じに見えるや」
「ええっ! そんなぁ……」
「でも」

 大袈裟に落胆するマオに苦笑し、彼はその錆びた腕輪ごと彼女の手に触れる。

「同じだったら良いな。その方がわくわくする」
「! だよね……!」

 気分はすっかり探検家、いや考古学者だろうか。マオは小さく飛び跳ねつつ、再び石像を振り返った。天を崇めているのか、それとも抱き止めているのか、二柱の「神」を象った石像は厳かな沈黙をそこに据える。中央の損壊した石像も気になるが、あれが今の状態になった経緯は残念ながら知り得ない。だがプラムゾにはまだ、マオが知らないことが無数にある──それを知れただけでも彼女は満足していた。

「ノット、もっと上に行ってみよ!」
「うん。あっちに螺旋階段があったから──」

 と、そこまで柔和な笑みを浮かべていたノットは、急に目を見開いてマオを引き寄せる。驚いたマオは声を出すことも儘ならず、動揺を露わに彼を窺う。薄氷色の瞳は祭壇とは反対方向を見据えており、鋭い光をそこに宿していた。

「誰だ、出てこい」
「え、えっ……だ、誰かいるの……?」

 マオが小さな声で慌てていると、やがて螺旋階段の方から物音が聞こえてくる。二人は注意深く薄闇を凝視していたが、段々とその表情は崩れていった。緊張から一転、それは間の抜けたものへと変化する。



「──ほほ、そう物騒な顔をするでない。ただの老いぼれじゃ」



 何とそこに現れたのは、真っ白な髪と髭が特徴的な、画家の老人──ヒャルマンだったのだ。

 呑気に笑っている老人を指差し、マオとノットはしばらく固まる。ようやく我に返った二人は慌ててヒャルマンの元へと駆け寄り、混乱しっぱなしの口調で詰め寄った。

「な、何でおじいさんがここにっ!?」
「一人でここまで?」
「おーおー寒くても元気じゃのう。どれ、じじいと一緒に来るか? 話は歩きながらでも出来るからのう」

 よっこらせ、と螺旋階段を上がり始めた老人を見上げ、二人は釈然としない面持ちで後を追いかけたのだった。

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