プラムゾの架け橋

第六章

 69.



 双子の妹エリシャを救うべく、ハイデリヒは自ら最上層へ向かうことをマオに申し出た。それと併せて現れたのは、第二層のロンダムにいた手紙屋の青年。彼はハイデリヒや反乱軍が動く間、マオに“大地の塔”へ行くことを提案する。向こうの王へ謁見し、願わくば反乱軍の側に付いてくれることを目標に、マオはその提案を受け入れたのだった。

 手紙屋の話では、“大地の塔”へ向かうにはある場所へ行かなければならない。隠れ里を出て雪原を北上し、人の寄り付かぬ渓谷を西に抜けた先──から更に“歪み”を超えたところだ。

「北に行って、渓谷を西に抜けて、“歪み”を通ったら……」
「そこに案内人がいる。大丈夫だ、“術師”なら雪原でも迷子になんねーよ」

 簡易の地図を描き終えた手紙屋は、小さく折り畳んだそれをマオに渡す。彼の言葉に首を傾げ、少しの間を置いてから彼女は「あの」と口を開いた。

「手紙屋さん、私まだ“術師”の力とか、そういうの全然分かってなくて……」
「んあ? そうだなー……俺もざっくりとしか教えられてないんだけど」

 マオは分厚い外套を羽織り、臙脂色のマフラーをぐるぐると巻いていく。エクトルに買ってもらったミトンの手袋を装着したところで、手紙屋がすぐそこにある“歪み”の出入口を振り返った。

「“術師”ってのは“天空の塔”のミグスを操ることが出来る。これは知ってるな?」
「はい」
「“階段”や“歪み”はそのミグスがぎっちぎちに充満してて、それをちょいと整理してやることで速く移動することが可能なんだよ」

 それが“術師”の特権だ、と彼は語る。またそういった空間を移動するだけでなく、プラムゾに漂うミグスを操作することで、まるで“奇跡”のような芸当を生み出すこともできると告げた。

「絵本に出てくる魔法みたいな……?」
「そうそう。例えば……」

 手紙屋はおもむろに片手を持ち上げ、マオの額にかざす。すると、不思議なことに前髪だけがふよふよと浮き始めた。特に強い風も吹いていないのに、とマオは寄り目になりながらその光景を見上げていた。

「浮いてる……」
「風にも水にもミグスは溶け込んでる。“階段”を通るときと一緒さ、何をしたいか明確に念じれば応えてくれるぞ」
「……! そ、空を飛んだり?」
「ああー、それ俺も真っ先に考えたんだけど、着地が上手く出来ないと怪我するからやめときな」

 マオと手紙屋の思考回路は同じだったようだ。冷静なノインはそんなこと考えなかったのだろうなと、マオはちょっとだけ恥ずかしそうに笑う。

「ま、ミグスの操作は出来ても出来なくても良いって。今はとにかく迷わず渓谷を目指してくれや」
「はい、分かりました。手紙屋さんも気を付けてくださいね」

 地図を鞄の中に入れたところで、後方から足音が近づく。二人が振り返ると、そこにはハイデリヒとセレスティナ、それからグレンデルの姿があった。その後ろには反乱軍の一員と見られる数人の騎士もいる。どうやらエリシャ救出部隊は彼らで決まったようだ。

「ハイデリヒさん。ティナも連れて行くんですね」
「連れて行けと騒ぐものでして」
「そんなに騒いでいませんわ」

 セレスティナはツンとそっぽを向いてから、すぐに心配そうな顔でこちらに駆け寄る。マオの手を両手で救い上げては、ずいと顔を近付けた。

「マオ、どうか気を付けてくださいまし。雪原と言えど“お付き”が潜んでいるかもしれませんわ」
「うん、ティナも気を付けてね。最上層は王宮側の人達ばっかりだし……あ、あと」

 マオはちらりとハイデリヒを一瞥し、セレスティナの耳許でそっと囁く。

「ハイデリヒさんのこと、その……ちゃんと見てて欲しいの」
「……え?」
「えっと、無茶しないように」

 彼のことに関しては、自分よりもセレスティナの方がよく分かっていることだろう。けれど改めて、マオは忠告しておいた。彼は基本的に穏やかな性格で、柔和な笑みを浮かべてはいるが──その内側には得体の知れない感情が蠢いている。


 ──これ以上、私の家族や友人を、好きにさせるわけにはいかない。


 元からの狡猾さや賢さとはまた違う、あれは……──十年間、傷跡と共に刻み込まれた復讐心なのではないだろうか。あの瞳を見たマオには、そう思えてならなかった。

 言い知れぬ不安を言葉に乗せて伝えると、いくらかその思考を汲み取ったセレスティナが神妙に頷く。

「……分かりましたわ。それがわたくしの役目ですのね」
「うん、お願いね」
「任せてくださいまし」

 きゅっと手を握り締め、二人は笑顔で頷き合った。手が離れるや否や、セレスティナはくるりと後ろを振り返り、勇ましく仁王立ちをして見せる。

「さあ行きますわよ! ハイデリヒ、“歪み”の先導はわたくしにお任せなさいな」
「いや、手紙屋でいいよ」

 ばっさりと申し出を切り捨てたハイデリヒは、憤慨する彼女を片手で引き寄せる。背中から腰に回した腕で軽々と抱きしめては、まだ何かを言おうとしていたセレスティナをあっという間に沈黙させてしまった。彼にとっては猫を宥めるようなものだろうかと、マオは些か失礼なことを考えた。

「さて、それでは王女殿下。我々は一足先に最上層へ向かいます。“大地の塔”への道中、くれぐれもお気を付けて」
「あ、はい。ハイデリヒさんも……」
「ええ。先ほどお伝えしましたが、帰還された際には四層の南……シーズの町を目指してください。そこに反乱軍の者を待機させておきます。もしも合流が困難であれば」
「大瀑布の隠れ家に、ですよねっ?」

 片手を挙げて確認すれば、ハイデリヒは苦笑をこぼして肯く。

「上出来です、心配は無用でしたね」
「いや、ハイデリヒさんが三回ぐらい強めに言ったので……」
「そうでしたかね? とにかく、無事に合流できることを祈っておりますよ」

 マオは深く頷き、再び騒がしく話し始めたハイデリヒとセレスティナの背を見送った。そのあとを手紙屋が陽気に手を振りながら続き、数人の騎士も“歪み”の中へと入っていく。そして。

「あ……グレンデルさん!」
「……マオ様」

 最後にマオの前に現れたのは、エリシャの騎士グレンデルだ。彼とは第一層でぶつかったり旅路を共にしたりしたが、如何せん無口なので十分な会話を設けたことはない。しかし、それでも赤の他人などでは決してない。マオは彼の手当てを施された傷を見てから、明るく言葉を掛けた。

「……あの。エリシャさん、きっとグレンデルさんのこと待ってると思います」
「……!」
「だからその……」

 視線を一旦下ろし、改めて持ち上げると同時に両手も握り締める。

「今度エリシャさんとオングさんも入れて、一緒にお茶会しましょう!」
「お茶会……でございますか」
「はいっ」

 第一層からリンバール城まで、距離は短くとも当時のマオからすれば人生で初めての遠出。エリシャとグレンデルはそこで知り合った貴重な二人なのだ。どこか余所余所しかったグレンデルとオングも、今ならば……否、エリシャを救出できた暁には打ち解けられるのではなかろうか。マオのそんな希望が透けて見えたのか、彼はその仏頂面をわずかに崩した。

「……承りました。殿下……いえ、主のご友人の願いとあらば」
「!」

 その返答にマオは思わず呆けてしまったものの、すぐに満面の笑顔を咲かせる。「よろしくお願いします」と深く頭を下げれば、グレンデルまでもが慌てて頭を下げたので、彼女はおかしげに笑ったのだった。

 生真面目で少しだけ気弱な騎士を見送ったところで、後方がにわかに賑やかになる。そろそろマクガルドとフェルグス傭兵団が発つ時間だったと考えつつ振り返ると、眼前にとても引き攣った表情を浮かべたギルがそこにいた。誰かに背を押されたのか、彼はマオにぶつかる寸前で剣を地に突き立て、ぎりぎりのところで踏ん張った。

「わぁっびっくりしたぁ、どうしたの?」
「……いや、悪い。ドッシュに押された」

 ギルが恨みがましく見遣った先には、両手を前に突き出した状態のドッシュと、何故かロザリーまでもが無表情に手を下ろす姿。あの二人に力一杯突き飛ばされたようだ。さぞ勢いよく押されたことだろうと、マオは不思議そうに視線を戻す。

「そ、そう……ギルたちはスキールの町に行くんだよね?」
「ああ。……ホーネルとオングも、ちゃんと送り届ける」
「うん、よろしくね。フェルグス傭兵団の皆なら安心できるや」

 数刻前、マオとノットが“大地の塔”へ向かうという旨を聞くと、心配性なオングはすぐに同行を申し出た。しかし彼はまだ怪我が完治していないため、「行っても足手まとい」とホーネルに申し出を一蹴される。ちなみにホーネルは「心配だけど僕は歳だから無理」と何とも簡潔な理由を述べていた。こんなときでも対照的な二人だとマオは笑ってしまったものだ。結局ホーネルとオングは反乱軍の保護下に身を置くことで話は収まり、フェルグス傭兵団と共にスキールに向かうことになった次第だ。

「マオも気を付けろよ。雪原を抜けるだけでも、かなりの距離を歩くことになる」
「そうだね……ふふ、懐かしい」
「?」
「歩くと遠いからって、二層で暴れ馬に乗ったでしょ。楽しかったなぁと思って」

 くすくすと笑っていたマオは、ギルの複雑そうな表情に気付いて首を傾げる。彼は前髪をくしゃりと掴み、そのまま額を覆い隠すように手をずらした。

「……あの頃は正直、こんなことになるとか一つも思ってなかったな」
「うん。私も」
「マオのことものんびりとした奴だなとしか、思ってなかったし」
「ご、ごめんなさい……」

 確かにその通りだとマオは苦笑する。今思い返してみても、あの時ギルがいなければロンダムに辿り着くことは出来なかっただろう。一人で東の村まで向かい、王宮の手先に見付かってしまっていたかもしれない。その他にもマオだけでは切り抜けられなかったことが沢山ある。前にも彼から「マイペースそうだ」と言われたこともあるが、本当にぐうの音も出ない。マオが申し訳なさそうに頬を掻いた、そのとき。

「ぅわっ?」

 片手がマオの後頭部に添えられ、そのまま引き寄せられる。外套やマフラーを身に着けてはいるものの、突然近くなった距離にマオは驚いて縮こまった。目の前にあるギルの肩を凝視していると、すぐ頭上から息を吸う気配。

「……今はそんなこと思ってない。マオは自分の役目から逃げずに、王女なんて大役を背負ってる。……前よりも、何というか……立派になったというか」
「そうかな……?」
「ああ。だから俺もしっかりしようって気になる」

 背中を励ますように軽く叩くと、ギルはゆっくりと体を離した。そのまま“歪み”の方へ歩き出してしまったので、マオが慌てて声を掛けようとすると。


「──今度は一人でもマオを守れるくらい、強くなっておく。だから無事に帰ってこい」


 静かにそう告げて、彼は外套のフードを目深に被る。暗闇に呑まれていく背中は、以前よりも遥かに大きく感じられた。彼は自分が変わっていないかのように話していたが……それは間違いだろう。旅路を共にしたマオだからこそ、空白の二か月間に起きた変化をひしひしと感じ取ることが出来た。マオもギルも、この一連の騒動を経て成長せざるを得なかったのだ。“天空の塔”を蝕む悪意を、“大地の塔”を脅かす危険を知った今、もはや「守られるだけの子ども」ではいられなくなった。ただ、それだけだ。

「……私も、私も頑張るからね、ギル!」

 両手を添えて大声で叫べば、消えかかった人影が片手を挙げる。彼の背中が完全に見えなくなった頃に、マオの肩にそれぞれ大きさの異なる手が乗せられた。見上げればそこには、何故か感涙に咽ぶドッシュといつも通りのロザリーがいる。

「いやあ、ギルのあんな熱い態度が見れるなんて、俺は感動した……ッ!! ロザリー、俺たちも頑張らなきゃな!!」
「ああ、あなた特に何も分からずに背中押したのね……。じゃ、マオ、気を付けてくださいね」
「え? あ、はい! ロザリーさんたちも!」

 ロザリーがずるずるとドッシュを引き摺っていくと、その後ろをくつくつと笑いながらフェルグスとアドリエンヌが追う。どうやら四人共、今の会話を離れたところから見ていたようだ。

「マオ、こちらのことは心配せずに役目を果たしてくれ。ホーネル殿とオング殿は傭兵団が責任を持って守ろう」
「フェルグスさんっ、ありがとうございます」
「ちょっとの間、またお別れね。元気でね、マオ」
「はい、アドリエンヌさんも……!」

 颯爽と歩く団長と副長を見送り、マオはおもむろに後ろを振り返る。不思議なもので、声を掛けられずとも足音だけでその存在を察知できてしまうのだ。幼い頃からずっと一緒に暮らしてきた、大切な人たちがそこにいた。

「ホーネルさん、オングさん!」

 手を大きく振り、マオは二人の元へ駆け寄る。応じようとした二人にまとめて抱き着けば、主にホーネルの方から呻き声が上がった。

「うッ……マオ、どうしたんだい」
「しばらく会えないから、元気を貰っておくの」

 顔を上げて堂々と答えたマオに、二人は顔を見合わせては一様に渋い顔を浮かべる。

「僕オングと抱擁はしたくないなぁ」
「それは俺もだよ……」
「あらぁ、じゃあアタシが代わりに熱い抱擁をかましてあげようかしら」
「うわ来るな!!」
「マリーさん!」

 そこへ乱入してきたマクガルドは、ホーネルとオングを抱き締める素振りを見せつつ、さりげなくマオの方へと二人を押す。彼の濃厚なウィンクが飛ばされたところで、マオはお礼代わりに笑顔を返した。

 両手を広げて二人を引き寄せれば、やがて苦笑と共に抱擁が返される。温かな腕に包まれることで、ここ最近はどうしても弾みがちな動悸が抑えられていく。隠れ里に至るまでは、この温もりを二度と感じることはないのかと不安になることもあった。だからこそ、マオは我儘だと思われようとも二人の抱擁を求めたのだ。約束された平穏などないことを、この旅で知ったのだから。

「……マオ、君は強い子だ。赤ん坊の時点で雪原を生き抜くほどだからね」
「え、そういう話……?」
「強運の持ち主ってことさ。良い友人にも……たくさん恵まれたようだし」

 はっとして顔を上げる。ホーネルは彼女の背を撫でながら、雲に隠れた橋脚の壁を見上げていた。


「……初めての遠出、楽しかったかい?」


 どこか自嘲するような笑みと共に、その問いは投げ掛けられた。マオは家族を見詰め、抱き締める腕を強める。大好きな温もりに顔を埋めて、何度も頷いた。

「楽しかったよ。怖いことも沢山あったけど、でも……来て良かった。あと少しだけ頑張ったら、お土産話いっぱい聞かせるね。ホーネルさんが嫌になるくらい、オングさんがつい寝ちゃうくらい、マリーさんはお茶しながら話そうねっ。それと……」

 マオは彼らの間から見えた人影に笑顔を浮かべる。ホーネルとオングがその視線を追えば、そこには外套や旅に必要な支度を済ませたノットの姿があった。エクトルやノイン、それから伯爵家のアルノーという不思議な面子と話している彼を指し、マオは静かに告げる。

「私ね、“大地の塔”に……ノットの故郷に行けるんだって思うと、楽しみなの。ずっと眺めるだけだった霧の向こうに行けるんだって」
「……大物だねぇ。さすが陛下の娘だよ」

 しみじみと笑ったのち、四人は自然と抱擁を解く。しっかり元気を貰ったマオは、快活な笑みで家族へ挨拶をしたのだった。


「じゃあ……──行ってきます」


 帰る場所はここにあるのだと、確認をして。

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