プラムゾの架け橋

第六章

 70.



「──どうぞ、こちらを」

 ノインから渡された温かな外套とマフラーを身に着け、ノットは小さくお礼を述べる。彼女曰く、隠れ里の住人から余剰分の衣類を貰い受け、そこに少しだけ修繕も加えてくれたそうだ。

「じゃあ俺からはこれでも貸してやるか」
「?」

 そう言ってエクトルが差し出したのは、五本指に分かれた革製の手袋。内側には厚めの布が縫い付けられており、保温と機能性を兼ね備えたものだ。よくよく見ると、どうやら新品であることを悟ったノットは、本当に良いのかと彼を窺う。

「それぐらいで金を要求するほど、俺はケチじゃないんでね」
「そう……マオには請求する気満々なのに」
「うるせぇ、それは契約だ」
「いた」

 額を指で強めに弾かれ、ノットは渋い表情で手袋を受け取った。するとそこへまた一人、今度は私兵を引き連れたアルノーがやって来た。そういえば彼はこれからどうするのだろうか。当初の予定とは異なり、ハイデリヒは特に彼の監視をつけることもせず、好きにしろとまで言っていた。伯爵家を味方に引き入れることは諦めたのだろうかと、ノットが首を傾げたときだ。

「そこの男」
「え……僕?」
「そうだ。これを持っていけ」

 アルノーの傍に控えていた二人の兵士が前に出ると、それぞれが槍と短刀を差し出す。思わずまばたきをして武器とアルノーを交互に見遣れば、彼が短くため息をついた。

「万が一の備えだ。人の姿で戦うことがあれば、武器があった方が良いだろう」
「お、坊ちゃんにしては気前が良いねぇ。どういう風の吹き回しだ?」

 エクトルが茶化すように尋ね、ノインまでもが意外そうにアルノーを見詰める。彼らの反応で思い出したことといえば、伯爵家の嫡男は己のためだけに金を惜しみなく使う、随分と派手な生活をする人物だということ。他人の、ましてや毛嫌いしているはずの“大地の塔”の住人であるノットのために武器を提供するなど、確かに奇妙な行動に思えた。

「……勘違いするな、君のためではない。セレスティナが反乱軍に身を置くというなら、私はもう王宮側に戻れないのだ」
「!」
「私は……一旦、領地に戻る。そして再び、兵を率いて君たちの元へ向かおう」

 ──反乱軍の一員として。

 アルノーの言葉に、ノットらは目を丸くする。彼らの視線を一身に浴びたアルノーは、居心地が悪そうに咳払いをして顔を背けた。

「私にも譲れぬものがある。それだけ……」
「なるほど、惚れた女のためか。そういうの良いと思うぜ」
「野蛮な豪商と違い、裏切る可能性も低そうです」
「ごほッ!! え、エクトル殿、それに何故そちらの女性までもが侮蔑の目をしておられる!?」
「そいつぁ俺に対してだ、気にすんな」

 格好良く決めようとしたアルノーに、何とも遠慮のない言葉を吹っ掛けたエクトルとノインは、早々に話を切り上げてノットの方を見やる。

「そういうことらしい。反乱軍の戦力がまたひとつ増強されたんだ、小娘を死なせるんじゃねぇぞ、小僧」
「分かってる」
「お気を付けて、ノット様。旦那様と共にお帰りをお待ちしております」
「うん、ありがとう」

 ノインにはしっかり丁寧に対応しつつ、ノットは“歪み”の方を振り返った。そこには既に皆と挨拶を終えたマオの姿がある。彼女はこちらの視線に気付くなり、笑顔で手を振ってくる。

「あー。ありゃ遠足の気分だな」
「マオ様は常に明るいお方です。問題ないでしょう」

 二人の声を後ろに聞きながら、ノットはすぐにマオの元へと向かった。近くへ辿り着くなり、ほんの少しだけ伸ばした手を迷うことなく掬われる。手袋越しに感じる温もりを握り返せば、マオが嬉しそうに笑った。

「もう寒くないね」
「うん。……もう行く?」
「行こうっ、日が暮れちゃう前に」

 ──少女が憧れていた地へ。

 思えばここへ至るまで、長い道のりだった。最初は届け物のために第二層へ、次いで“お付き”から逃れるべく第三層へ、宰相ヴェルモンドの手から命からがら逃げて、第四層へ……ノットにとって、この旅は単なる偶然が重なった出来事には思えなかった。“大地の塔”から海へと落とされ、奇跡的に生き延びた先で出会った少女。それが“天空の塔”の行方知れずだった王女で、彼女は故郷への侵略を食い止める重要な存在で──かけがえのない友人だ。

 “歪み”の暗闇を眼前に据え、ノットは静かに息を吐き出した。

「……よし、行こう」

 しっかりと手を繋ぎ、二人は新たな旅路へと踏み出したのだった。



 □□□



 ──咲き乱れる花は白く散り、澄み渡る空を染め上げた。

 城下に集った大勢の騎士を見下ろし、絹のような長い白金の髪を指に巻きつける。染み一つない真珠を思わせる肌に、不機嫌さを宿した黄金の双眸が揺れた。体を預けていた手摺から離れ、明るいバルコニーから薄暗い屋内へ。深く頭を垂れる侍女には見向きもせず、廊下に待機していた一人の少年を指先で招き寄せた。

「まだ見付からないの?」
「はい。行方知れずとなってから三月が経とうとしておりますが、未だに有益な知らせはありません」

 顔の上半分を前髪で覆い隠した少年は、その切り揃えられた毛先の合間から微かな眼光を覗かせる。いつ見ても辛気臭い男だと溜息を洩らし、踵を鳴らしつつ廊下を進んだ。

「他に替えはいないのかしら。これではいつまで経ってもプラムゾが目覚めないわ」
「……」
「それにしても、下層で育った下賤な民が私の“従姉”だなんて世も末ね」

 嘲笑と共に、まだ顔も知らぬもう一人の王女とやらに思いを馳せる。あの先王の娘なのだ、少しは気品のある顔立ちをしていればいいが。何せその方が民からの見映えが良い。“行方知れずの王女”という枠は、皆が思う以上に特別なのだから。

「“王女の帰還”と皆にちやほやされて、幸せな気分を味わった後で──体中の血を抜かれて死ぬの。そのときのドレスは何色が良いかしら。瞳の色と同じ赤? ああ、それだと血の色が分からないわ。純潔の白が無難ね」

 じっと独り言を聞いている少年を振り返り、その顎を掬い上げる。青みがかった暗い髪がはらりと滑り、隠れていた鋭い瞳が露わになった。陰った藍色を見詰め、彼女は恍惚として微笑んだ。


「──とても楽しみよ、リゲル。“従姉様”に会うのが」


 その冷たい笑顔に、従者の少年はただ無言を返すのみ。それでも彼女は楽しげに肩を揺らし、再び廊下を歩き始める。向かう先は謁見の間。整列した兵士の前を通って、重くきらびやかな扉をくぐる。様々な装飾が視界をわずかに眩ませる、この瞬間にたまらなく快感を覚えると同時に──不思議と苛立ちを覚えるようになったのはいつからか。満たされているはずの胸に手を当て、頭を覗かせた不満を取り払う。

 この城で蝶よ花よと育てられ、王位継承の話題が上る時期になってすぐのこと。あの狐……宰相ヴェルモンドが予てから探していたという、行方知れずの王女を見つけたと言い出した。次いで進言したのは“大地の塔”への侵略作戦。下等な種である獣人を根絶やしにし、向こうの橋脚までも支配下に置くという大それた計画だった。“大地の塔”などもはや隔絶された世界同然で、彼女にとって侵略などそれほど優先すべき事柄ではない。しかし、彼女の父親はそうではなかった。

 ──その娘を使い、プラムゾを起動させよ。

 欲に囚われた者の目。不敬とは分かりつつ、実の父を見てそのようなことを考えてしまった。

 とは言え、その平民の娘を王位に据えるなどという話ではなかったことに、彼女は一先ず安堵した。普通に考えれば当然だ。聞けば王女とは名ばかりに、小汚い獣まで連れて呑気に下層で暮らしていたというではないか。王の器など成り得ない──そう言い聞かせて幾つかの月日が過ぎた。


「──来たか、エトワール」


 礼を解き、玉座を仰ぐ。

 王女エトワールは虚ろな笑みを浮かべ、父の呼びかけに応じたのだった。



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