68.
突如として隠れ里に現れたのは手紙屋の青年だった。マオにとっては第二層のロンダムで手紙を預けて以来、初めての再会である。相変わらず軽い調子でギルの背中を叩く彼に、マオは少しばかり弾んだ声で呼びかける。
「手紙屋さんっ! どうしてここに?」
「おう、久し振りだな! 俺はそこの美男子に扱き使われてんの。臨時雇用みたいな感じ」
美男子、と手紙屋が指差したのは、他でもないハイデリヒだった。彼は苦笑をこぼしつつも否定はせず、未だに地面に転がったままの手紙屋に歩み寄る。
「手紙屋、君がここに来たということは……」
「ちゃーんと文は届けたから安心しな。スキールの領主も準備を殆ど終えてるってよ」
「! そうか」
手紙屋は上体を起こし、ぽかんとしているマオに向き直った。
「えーと、マオだったか。今は姫さんって呼んだ方がいいか?」
「えっ、いや名前で……」
「そ。じゃあマオ、俺から一つ提案がある」
大袈裟な動きで両手を広げ、茶目っ気たっぷりに片目を閉じる。手紙屋の仕草にちょっとばかし可笑しさを感じつつ、マオはその提案とやらを促したのだが──。
「──あんた、一足先に“大地の塔”に行ってこい」
にこやかに告げられた言葉に、ハイデリヒやギルを始めとした周囲の者達が目を剥く。無論、真正面に構えているマオはそれ以上に惚けており、思わず傍らのノットと顔を見合わせてしまった。
「あ、そいつがもしかして獣人の……って、ああー! なるほど! あの時の黒猫かお前!」
「……それは後でいいよ。“大地の塔”に行く方法、知ってるの?」
「うわ冷た……さてはギルよりも冷たいな、お前……」
「あ、いや……そんなつもりは……」
しくしくと泣き真似をする手紙屋に、ノットは頬を引き攣らせ、やりづらそうな表情でマオに助けを求める。
「あの、手紙屋さん。“大地の塔”に行けってどういうことですか? まず行き方が分からないし……」
「いやまぁ、これ実は俺の提案じゃないんだけどさ。反乱軍の準備も大半は終わってるし、スキールに行ってもマオがやることとかないだろ?」
「……はい、なさそうです」
「なら、“大地の塔”と敵対する意思がないことを、あちらさんに示しに行くのはどうだ? って話さ」
王宮は今も行方不明のマオを探し回っており、何処へ行くにしても“お付き”の目を警戒しなければならない。かと言って隠れ里にずっと身を置いておけば、万が一ここを嗅ぎ付けられた際に逃げることが叶わない。それどころか、“術師”の集落など王宮にとって格好の餌場だ。マオは反乱軍の決起まで、二次被害を防ぐためにも別の場所を転々と移動しなければならないのだ。
「で、面倒臭いから“お付き”の守備範囲外に逃げちまえってことだ。一時的にな」
「……“大地の塔”に行って、向こうの人たちを味方につけておくってことですか?」
「んー、まぁそれが理想的だけどなぁ。そこまでは望まないんじゃねーの?」
手紙屋は後頭部で両手を組み、確認するようにハイデリヒを振り返る。いつの間にか眉間に皺を刻んでいた彼は、険しい表情のまま手紙屋を見遣った。
「……確かに良い手だとは思う。だが肝心の移動方法は? 行きはもちろん、王女殿下がこちらへ戻ってこれない事態になると困るよ」
「それはジジイが知ってる」
「じ……?」
「けどマオにしか教えないってさ。この場にいる誰が情報漏洩するか分からないだろ?」
そこまでの会話をぼんやりと聞いていたマオは、ようやく手紙屋の言葉の意味を理解した。“大地の塔”へ向かい、前もって“天空の塔”の事情……すなわち侵略を是とするヴェルモンド派と、それを阻止しようとするハイデリヒ派とに二分していることを伝えるのだ。そうすれば万が一侵略が始まっても、向こうの迎撃準備を整えられるほか、争う対象をヴェルモンド派に絞ることが可能かもしれない。共に手を組んでヴェルモンド派を打倒する形になれば吉、といったところだろう。
そのために、王女であるマオが自ら大使となり、事の詳細を伝えに行く。なかなかの大役だが、これから起こり得る戦を有利に賢く進めるためには、多少の危険を冒してでもやるべき価値がある。
「ああそうだ、それとエリシャ殿の救出に関しては俺が手を貸そう。少人数なら“階段”ですぐに運んでやれるぜ」
「……。それは、王女殿下が“大地の塔”へ向かうことを前提としてか?」
「いんや? 向こうに渡る方法はそうだけど、俺はあんたの味方だから。今すぐにでも」
芝居がかった動きで手を胸に当て、手紙屋はくつくつと笑う。次いで視線をマオに寄越しては、一連の話の結論を求めた。逡巡した後、マオは背筋を伸ばし、表情も引き締めつつ頷く。
「……私、行きますっ! 反乱軍のこともエリシャさんのことも、任せっきりになっちゃうけど……私は私の役目を、ちゃんと果たしてきます」
「よーし、よく言った! そしたら、ちょっとお前に聞いておきたい」
彼女の返答に手紙屋は笑顔で応じ、そのまま隣のノットを指差した。じっと会話を聞いていたノットは、心なしか驚いたように手紙屋を見返す。
「“大地の塔”に王族みたいなものはいるか? いればマオの向かう先が明確になるんだけど」
「……」
そういえば、“大地の塔”の体制がどのようなものなのか、マオはまだ尋ねたことがなかった。こちらと同様に塔全体を治める者がいるのか、はたまたいろんな種族が自由に暮らしているのか。向こうで暮らしていた期間が短いオングと違って、ノットはその辺りに関しても知っていることだろう。
不意に、薄氷色の瞳がちらりとマオを窺う。どうしたのかとまばたきを繰り返せば、すぐに彼が口を開いた。
「……一応、王はいる。でも、あんまり機能していない……気がする」
「……どういうことだい?」
そんな苦々しい返答に、ハイデリヒが怪訝そうな表情を浮かべる。ノットは頬を掻きつつ、少しだけ申し訳なさそうな雰囲気を放った。
「僕は十四年前、王を狙う一派に目を付けられて……ちょっと揉めて、海に落とされた」
「そんな騒ぎに巻き込まれてたの……?」
「うん。前から部族間の仲は良くも悪くもない感じで……小競り合いは頻繁に起きる」
“大地の塔”には複数の部族──つまりノットのような獅子や、オングならば熊、その他にも異なる力を有する種がいるという。それら全てが同等として扱われているからこそ、支配者である王の存在を認めないという輩が出てくるのは当然だ。ノット曰く、実のところ“天空の塔”より危険な場所である、と。
「でも……」
ノットは言葉を途切れさせ、やがて頭を振る。
「それでも王に力があるのは確かだ。その証拠に、王の家系は何百年と覆されてない」
「なるほどねぇ……何百、いや何千回と命を狙われても返り討ちにして、今も王位を維持してるってことだな? その王様は」
「そうだと聞いた」
手紙屋は「物騒だな」と他人事のように笑い、ハイデリヒから鋭い視線を向けられてそっぽを向いた。
「……しかし危険だな。それでは向こうに渡れたとしても、王女殿下の身が危ぶまれる」
「でも尚更、“大地の塔”には団結してもらわねーと困るな? 侵略に乗じてその一派がヴェルモンドに手を貸しちまうかもしれない」
手紙屋の言うことはもっともだ。下手をすれば十六年前の“天空の塔”と同様に、“大地の塔”でも王位簒奪が起きてしまう。選択を誤ればどこかの歯車が順に狂っていくような状況下、やはり今採るべき策は──。
「──手紙屋さん、“大地の塔”へ行く方法、教えてください」
ノットの故郷を救うと決めたのだ。例え現状として“大地の塔”が常に争い続きであったとしても、それは彼らの中での問題。今は赤の他人である“天空の塔”の人間が、おいそれと介入してはならない領域のはずだ。侵略によってその情勢に歪みが生じるようなことは、あってはならないはずだ。だからこそマオは行かねばならない。
「いいんだな? 今から俺たちは別々に行動する。ハイデリヒはエリシャ殿救出へ、マリー殿とフェルグス殿は反乱軍の準備へ。マオを助けてやれるのは……精々そいつくらいかな」
手紙屋はノットを指差し、確認するようにマオを窺う。
「それでも行くんだな」
「はい……って、ノットは大丈夫? 一緒に行くの嫌なら……」
はっとしてマオは隣を振り向いたのだが、それよりも先に手を強く握られる。ノットは苦笑混じりに彼女を見返してから、手紙屋やハイデリヒに向けて告げたのだった。
「向こうに着いたら、マオを必ず王の元まで連れて行く。……約束しよう」