プラムゾの架け橋

第六章

 67.

 

 隠れ里の出入口付近にて、セレスティナはじっと“歪み”を見詰めていた。ハイデリヒからは屋敷の中で留守番と言われたが、やはり気になってここまで来てしまったのだ。もちろん、彼女を一人にしないよう、マオも少し離れたところで様子を見守っていたわけだが……。

「……」

 マオは隣に座っているノットと顔を見合わせ、ゆっくりと後ろを振り返る。木々の合間から見えたのは、“歪み”の前に立つセレスティナの背中を、遠くから見守るもう一人の人物。何とも悲痛な表情を浮かべながら立ち尽くしているので、そろそろ心配になってきたのだ。

「……ノット、話し掛けても大丈夫かな」

「……話し掛けてどうするの?」

「えっと……一緒に座りますか、とか」

「断られると思う……」

 ひそひそと言葉を交わしているうちに、遠くから話し声が聞こえてきた。見れば、マオたちよりも先に話しかけた者がいたようだ。

「あんた、アルノーだったか。何やってんだ」

「うわッ、い、いきなり話し掛けるな平民!」

「ギルだ」

 堂々と名乗ったところで、ギルはこちらの視線に気が付く。ごにょごにょと何か喋っているアルノーの腕を掴み、彼はマオたちの方へ向かってきた。

「マオ、ハイデリヒはまだ帰ってきてないのか」

「あ、う、うん。マリーさんもまだ……」

「そうか。まぁ大丈夫だろ。それで」

 ギルはそのままアルノーを座らせると、自身もその場に腰を下ろす。あぐらをかいた上に頬杖をつき、胡散臭げな目でアルノーに尋ねた。

「あんたは何やってたんだ?」

「うッ……」

「セレスティナに用事なら呼ん」

「やめたまえ!!」

 自分で大声を出しておきながら、アルノーは人差し指をギルの前に立てる。「お前がうるさいんだろ」と言わんばかりに溜息を漏らしつつ、ギルは彼を指差して今度はマオに尋ねた。

「確かセレスティナの元花婿だったか?」

「うん。…………あ、えっと、元っていうか、今はその曖昧な感じに」

「……殿下、普通に頷かれましたね……」

「ご、ごめんなさい、アルノーさん、悪気はなくて……!」

 アルノーが一気に落ち込んでしまい、慌てたマオは元気づけるように彼の肩を摩った。ギルは勿論、ノットも特に興味が無さそうに眺めている中、事情を尋ねられるのは彼女しかおらず。少し気になっていたこともあるし、とマオは努めて明るく話を切り出した。

「あの、アルノーさんはティナを捜して隠れ里まで?」

「……ええ」

「じゃあ、何ヶ月も橋脚内を捜してたんですよね。大変だったでしょう?」

「…………それなりに」

「それでようやくティナを見付けることが出来て──」

「回避したと思った悪夢を見せられることになりました」

 「へ……」と頬を引き攣らせるマオの傍ら、ノットが額を押さえた。

 アルノーは更に沈んだ表情で項垂れ、ちらりと“歪み”の方を見遣る。短く切られた銀髪、一瞥もくれない白緑の眼差し。花嫁衣裳に身を包んだ可憐な乙女は何処へやら、彼女は今や少年のような姿であの男を待っている。

「……ずっと昔から、彼女に想い人がいることなど知っていたのです」

「!」

「婚約者の座を勝ち取っても、彼女の想いはきっと変わらない。ハイデリヒという存在は決して消えてくれないと、分かっていたのです」

 アルノーは自嘲気味に笑い、その柔らかな茶髪をぐしゃりと掻いた。

「……それがどうだ。私が勝手に恋敵と思っていた人物はハイデリヒではなく、妹のエリシャ殿。本物のハイデリヒとは十年ぶりに再会したと言うではありませんか」

 ──彼女の想いは、アルノーが考えているよりもずっと強かった。

 それだけではない。ハイデリヒ、エリシャ、セレスティナ。彼らの輪に付け入る隙など、小指程度もなかったのだ。行方不明の兄を演じ続ける妹。想い人の帰還を信じ、妹を支え続ける友人。そんな関係図を今更ながら知ったアルノーは、全身から力が抜けていくような気分だったと述べる。

「……アルノーさんは……ティナのこと、本当に好きなんですね」

「!」

「この前、ティナが言ってたんです。こんなの形だけの結婚だって。でも……そうでもなかったんだなって、今知りました」

 マオが素直な感想を告げると、彼はどこか驚いたような、それでいて悔やむような表情を浮かべる。思うに、彼はきっと自分の気持ちを伝えることが出来ていなかったのだろう。セレスティナを想う気持ちは確かにあるのに、家同士のしがらみのせいで上手く伝わることはなく……何一つ届かぬまま、結婚の日を迎えてしまった。

「……おうちのことを抜きにして、ティナと話してみたらどうですか? 反乱軍に参加するかどうかは、その後にでも聞きますよ」

「え……し、しかし」

「ああ、えっと……ハイデリヒさんは急かすかもしれないけど……ほらっ私これでも王女さまなんですから!」

 一応、とマオは胸を張りつつも笑ってしまう。だが個人的な事情とは言え、蟠りを抱えたまま反乱軍に身を投じて欲しくなかったのだ。彼はセレスティナとしっかり話をして、伯爵家の人間としてどう振る舞うかを決めるべきである。出来ることなら力を貸してほしいところだが、もしも協力を得られなくとも、それが彼の決断ならば致し方ない。

 そう考えて、マオは提案をしたのだが。

「──ハイデリヒ!」

 セレスティナの焦りを孕んだ声により、会話は中断された。振り返ってみると、“歪み”の中から三つの人影が現れる。ハイデリヒ、マクガルド、それから彼らの肩を借りて歩くグレンデルの姿だ。

「あれ、留守番って言ったのに外にいる」

「うるさい! そ、それよりグレンデルの傷は大丈夫ですの!? 頭から血が……」

「んもう、落ち着いてちょうだいよぉ。彼、気絶せずにここまで歩けるぐらいには頑丈よ」

 あわあわとグレンデルの身を案じる彼女を見詰め、ハイデリヒはちらりと視線を逸らす。マオやノットの姿を確認しては、ゆっくりと歩き出した。

「王女殿下。少々困ったことになりまして、相談をさせていただいても?」

「え? はい、何ですか……?」

 グレンデルの身体をマクガルドに預け、彼はその場に片膝をつく。三角座りをしていたマオも慌てて姿勢を正し、その神妙な表情をそっと窺った。彼は暫しの沈黙を経て、少しばかり参った様子でマオを見据える。

 

「……。我が妹エリシャが、ミカエルの手に落ちたとの知らせが入りました」

 

「……え……!?」

 マオが驚愕に目を見開けば、彼の背後でセレスティナも絶句してしまっていた。一体どういうことかと混乱するマオに、ハイデリヒは至って冷静な口調で続ける。

「グレンデルによれば、表向きでは病に倒れたということになっているようです。現在は“重篤な状態にある公爵”に代わり、王宮が領地を支配下に置いています」

「! 侵略作戦に……公爵領の民を加わらせるために?」

 ノットが不審な瞳でそう尋ねれば、ハイデリヒは深く頷いてみせる。ランクセン公爵領は最上層の東側に位置しており、“大地の塔”侵略作戦において非常に重要な拠点になるという。だが肝心のエリシャが侵略作戦に応じる姿勢を見せないため、業を煮やした王宮側が強硬手段に出たと見るのが正しいだろう。

「恐らく侵略作戦が終わるまで、エリシャが公爵領に帰ることはありません。最悪、そのまま秘密裏に始末されることも考えられる」

「そ、そんな……! 何か助ける方法は……」

「そこでお願いがあります、王女殿下」

 マオの言葉を遮り、彼はその青い瞳を僅かに細めた。そこに躊躇うような色を見出した直後のこと。

「エリシャを助けに行かせていただきたい」

「!」

「無謀であることは承知しております。状況として妹の安否も分からなければ、居場所も定かではありません。況してや反乱軍の体制を整えなければならない今、一個人の感情で勝手な行動をすることなど許されない。ですが……」

 負傷したグレンデルと、青ざめてしまっているセレスティナを一瞥し、彼は再びマオを真っ直ぐに見詰めて告げた。

 

「……これ以上、私の家族や友人を好きにさせるわけにはいかない」

 

 垣間見えたのは、彼がひた隠しにしていた“決意”。その笑顔と傷跡に秘められたるは、王宮を正すなどという生易しい正義感などではない。心臓を掴まれるような、微かな恐怖すら感じつつも、マオは彼の左頬に触れた。

「……私は、止めません。エリシャさんを、家族を助けるのに理由なんて要らないと思うから……」

「……」

「行ってください。それで……エリシャさんと一緒に帰ってきてください」

 努めて、明るく。マオは逸らしかけた視線を留まらせ、ハイデリヒの要望を聞き入れた。彼はほんの僅かに頬を緩めては、そこに添えられた細い手を掴む。

「お心遣い、感謝致します。妹と共に、必ず殿下の元へ戻りましょう」

「は……ほァッ」

 手の甲に軽く口付けを落とされ、マオは返事をしようとして飛び上がった。それを機にハイデリヒの雰囲気が和らぎ、彼は悪戯な笑みと共に手を放す。つい後ろに転がりそうになったマオを、白目がちな瞳を胡散臭げに細めたノットが支えた。彼はさりげなくマオの手の甲を拭いつつ尋ねる。

「それで、どうやって助けるつもりなの」

「ああ、救出に人数を割くつもりはない。私と少数の人間で最上層へ行き、ミカエルの屋敷周辺を探る。その間、王女殿下にはマリー殿とフェルグス傭兵団を率いて、第三層へ向かっていただく」

 エリシャ救出に伴い、最上層は騒がしくなることが考えられる。加え、相手は公爵家の中でも特に王宮との結び付きが強いとされるミカエルだ。エリシャを幽閉している場所には堅牢な守りが敷かれていることだろう。情報収集から救出に至るまで、一筋縄ではいかないことは明確だ。

 それゆえ救出に時間が掛かってしまう場合も勿論有り得る。その間、反乱の計画を滞らせぬよう、マオは反乱軍の拠点であるスキールの町へ向かい、同志たちと合流しなければならないということだ。

「そこで準備を整えて欲しいのです。王女殿下のお顔を見ることで、彼らの士気も高まることでしょうし……何より、ここに長く留まれば里の者にも危険が及ぶ。隠れ家としては最適ですがね」

「……つまり二つに別れるんだな。あんたは妹を助けてから、戦の準備を整えた反乱軍と合流して……そこでいよいよ開戦って感じか?」

 ギルの問いに頷き、ハイデリヒはその場に立ち上がる。今後の流れとして、エリシャ救出にはハイデリヒと他数名、マオはホーネルやマクガルド、それからフェルグス傭兵団と共に第三層を目指す。戦力については既に王宮騎士団に匹敵するほどの十分な数が揃っており、後は物資の備えを完璧にすれば当面の心配はなくなるとのことだ。

「ああ、そうだ。王女殿下、ティナとグレンデルも連れて行っていただけますか?」

「!! お待ちなさい、ハイデリヒ! わたくしもエリシャを助けに行きますわっ!」

「正気かな? 遠征に慣れてなければ、ろくに戦えもしないのに」

 にこやかな顔で遠慮なく事実を突き付けられ、セレスティナは悔しげに言葉を詰まらせる。「でも」と両の拳を握り締めては、動揺を露わにした瞳を彷徨わせた。そんな彼女を見詰めていたハイデリヒは、短く溜息をついて口を開く。

「……分かったら大人しく──」

 

「──要はアレだろ? さっさと最上層に行けりゃ良いんだろ?」

 

「!?」

 その場にいた全員が目を丸くして、声の方向を振り返る。そこにはギルの背中に堂々と体重を掛けて座る、草臥れた帽子がトレードマークの青年。彼はにっこりと唇の端を釣り上げ、その黒い瞳を自信満々に細めた。

「この仕事の出来る手紙屋さんなら、あんたらのことをヴァイスリッター公の屋敷まで連れて行けちゃうぜ? あ、料金は割増──ぶへッ」

「降りろ」

 ギルが勢いよく背中を仰け反らせ、青年──手紙屋は無様にも地面に転がったのだった。 

 

 

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