プラムゾの架け橋

第六章

 64.

 

「──ご英断、感謝致します。王女殿下」

 

 反乱軍の旗印、つまりは総大将の役を引き受けることを告げると、ハイデリヒは深々と頭を下げた。恭しいお辞儀にマオが戸惑っていれば、やがて姿勢を正した彼が苦笑をこぼす。

「……お願いした私が言うのも変な話ですが、本当によろしいのですか?」

「は、はい。王女の自覚というか、そういうのはまだ全然……でも、ノットやオングさんの故郷が侵略されるのを、黙って見ていることは出来ません」

「十分すぎる動機ですよ。それに王族の器云々は後から付いてくるものです」

 多分ですがね、とハイデリヒは悪戯に笑う。昨晩と同じ広間にて、反乱軍の結成はここに成った。ノットやオングのため、それから亡き父の意志を継ぐため、と思うがままに決断を下したマオは、不意に強ばっていた表情を崩していく。

「……それであの、ハイデリヒさん」

「はい」

「これから何をすれば……?」

「一応、既に手は回していますよ。ざっくりとお話しておきましょうか」

 こくこくと頷き、マオはテーブルに広げられた大きな地図に目を落とした。北部には“コルスタ”の文字、南部には大瀑布が描かれていることから、どうやらこれは第三層の地図のようだ。ハイデリヒは南半分に広がる湿原を指差し、そのまま大きな町を指先で囲った。

「このスキールの町に、十六年前に城を去った諸侯や騎士を集めております。ここを治めている領主も、我々と志を同じくした人間ですので」

「……あ、もしかしてフェルグスさんの知り合いの……?」

「ええ、よくご存知ですね。マクガルド将軍同様、些か曲者ではありますが信用に足る人物です」

 曲者と評されたマクガルドを思い浮かべては、苦笑いをすることしかできない。

「まだ反乱に踏み切れていない者も中にはいますが……王女殿下の名を掲げることで、その意思を固めてくれるのではないかと」

「そう……だといいんですけど」

「大丈夫ですよ。貴女を一目見れば、誰もがコンラート陛下の面影をそこに見る。マクガルド将軍、フェルグス殿、それからホーネル殿も……皆、貴女は陛下とそっくりだと仰いますから」

 加えてその集まった者達には、十年前に起きたハイデリヒの暗殺未遂事件についても話してあるという。先王コンラートを殺害した上、反乱因子となりうるランクセン公爵家をも無力化し、宰相ヴェルモンドが“大地の塔”侵略計画を強引に推し進めたことを告げたのだ。既に彼らの王宮に対する不信感や反発心は十分に煽られ、そこにマオやマクガルド、フェルグス、ホーネルなどの名を連ねることで士気は更に高まることだろうと彼は言う。

「それに、王女殿下は猫の彼とご友人ですからね。“大地の塔”侵略を食い止める平和の象徴としても、貴女はヴェルモンドと対極に位置する存在だ」

「!」

「ご自分が考えているよりも、貴女は非常に強い輝きを放っている。反乱といえば聞こえは悪いかもしれませんが……これは我々の大義のための戦い、自信をお持ちください」

 ぱちぱちとまばたきを繰り返し、マオは向かいに座っているハイデリヒを見詰めた。にこりと笑う傷跡を凝視しては、気まずそうに頬をかく。

「……えと、頑張ります」

「…………うーん」

 ちょっとばかし気の抜けた返事をすれば、ハイデリヒが顔を覆い、難しげに唸った。

「……手強いですね、これがちょろい貴族ならコロッと調子に乗ってくれるんですが」

「は、ハイデリヒさん……妙におだてるなぁと思ったら……」

 やはりマオをその気にさせるために、「平和の象徴」だの「大義」だのと大層な言葉を用いたらしい。大抵の貴族はそのままお世辞を受け取って舞い上がるらしいのだが、残念ながらマオに関しては逆効果だった。

「いやあの、私そんなに凄い人じゃないし、騎士さんみたいに戦えるわけでもないから……」

「……なるほど。失礼ながら少しばかり侮っていました。貴女は自分のことを冷静に見詰められるようだ」

「……? それもお世辞ですか?」

「もしかして俺が信頼されてないだけかな」

 途端にハイデリヒが口調を崩して嘆いたので、マオはおかしげに肩を揺らす。彼はエクトルと共にいたせいか、どうにも本心を隠して話す傾向があるのだ。聞こえのよい言葉を真に受けてはならない、とマオは自然と学習していたらしい。

「ふふ、ハイデリヒさんのこと信頼してないわけじゃないですよ。違うのに、って思っただけです」

「……」

「でも、ちゃんと胸に刻んでおきます。私がどういう目で見られるのか、これからどういう立場になるのか……理解していくつもりです」

 笑顔でそう語ったマオに、ハイデリヒは毒気を抜かれた様子で頷いた。次いで脱力して椅子に凭れては、眩しそうに窓の外を見遣る。

「……しばらくは貴女が表舞台に立つことはありません。“お付き”に居場所を知られると危険ですからね」

「“お付き”の人達は、ヴェルモンドさんの側に全員……?」

「ええ、恐らくは。あれは他でもないヴェルモンドが提案した精鋭部隊です。形式上は王家の護衛、ということですが……まあ、奴に私物化されているのが現状です」

「そうですか……」

 ハイデリヒによれば、彼らの実力は近衛騎士団にも劣らぬことから“影の騎士団”とも呼ばれているそうだ。近衛騎士が王宮での任務に就くのに対し、“お付き”は専ら城外や他層での諜報活動に務める点でも、そういった対比が為される。

 マオが今までに出会った“お付き”といえば、ミカエルに付き従っていたジャレオという男。それから、幻夢の庭で対峙したメドという少年も、彼らの一員なのだろう。マオが彼らと一言二言、言葉を交わしてみた感覚としては、ただただ任務に忠実な人間といった印象だ。ヴェルモンドやミカエルから与えられた任務を黙々と実行しているだけで、そこに彼らの意思などはそれほど感じることが出来なかった。

「“お付き”、それから複数の公爵家を筆頭にした現王宮騎士団は、ヴェルモンドの息が掛かった者ばかりです。こちらも頭数はそれなりに揃えられるとは思いますが、武器や防具に関しては厳しいものがあります。とりあえず首領殿に助けてもらえないか頼んで……」

「あっ、エクトルさん武器でも何でも売るって言ってました」

「何だ、もう懐柔してましたか」

 きっとハイデリヒが援助を頼んでも、エクトルは武器提供を引き受けてくれたに違いない、とマオは密かに思う。否、相棒として長年やってきたハイデリヒがいるからこそ、彼はマオへの協力を承諾してくれたのだろうと。……それが契約内容に含まれているから、とエクトルは意地でも言い張るだろうが。

「……そうだ、ハイデリヒさん。エリシャさんはどうするんですか?」

「ああ、妹は侵略作戦に加わっていないはずです。ランクセン公爵家の反発を恐れた宰相が、その計画を知らせていないことも考えられます」

「じゃあ……!」

 上手く行けば、彼女もこちらに引き込むことが可能だろう。問題は最上層にいるエリシャに、どうやって接触するかだが──。

 

「──ハイデリヒ!! 入りますわよ!!」

 

 けたたましく扉が叩かれ、返事をする間もなく開かれる。マオとハイデリヒが驚いて振り返れば、そこには息を切らしたセレスティナがいたのだ。

「ティナ?」

「大変ですわっ、今すぐ雪原に向かってちょうだい!!」

「は……? 雪原?」

 ハイデリヒが腰を上げると、セレスティナはもたつく手で彼の腕を引っ掴む。焦りを露わにした彼女は、必死の形相で訴えかけたのだ。

「グレンデルが賊に襲われていますの……!!」

「……!」

「先ほど行商人の方が慌てて隠れ里に来て……! 雪原で賊に襲われそうになったところを、グレンデルという名の騎士が助けてくれたと!」

 グレンデル──それは今しがた話題に上っていたエリシャの護衛騎士の名前だった。何故彼がこの雪原にいるのか、何故エリシャの元を離れているのか……様々な疑問と不安が渦巻き、マオも慌てて椅子から立ち上がる。

「グレンデルさんは今も戦って……?」

「分かりませんわ、それを確かめたいんですの。もしかしたらエリシャの身に何か起きて……っお願いですわ、ハイデリヒ! 彼を捜しに……!」

 途中から殆ど泣きそうな声で懇願され、ハイデリヒは少々苦い面持ちで視線を逸らす。やがて溜め息混じりにセレスティナを引き寄せては、落ち着かせるように背中を摩った。

「……そんなに言われなくても助けるよ。俺もそこまで非道になった覚えはないし」

「! ハイデリヒ」

「でもティナは王女殿下とお留守番ね」

 ぐいっとセレスティナを突き放し、マオの方へと預けた彼は、すぐに部屋の外へと向かってしまう。取り残された二人は顔を見合わせたのだが、段々とセレスティナの表情が膨れっ面になっていく。

「…………やっぱり冷たいと思いませんこと、マオ」

「ええ……っ」

inserted by FC2 system