プラムゾの架け橋

第六章

 56.





「はぅあ……ッ王女殿下、よくぞご無事で!!」
「ぁー」
「陛下がお亡くなりになってから早二か月……! もうお会いすることは叶わぬかと思いましたが……っこんっなに元気な姿を、ううッ」

 号泣だ。暑苦しさ全開の巨漢が、マオを見るなり感涙に咽ぶ。とにかく見ているだけで暑い。マオを抱えたまま暫し呆けていた僕は、「ちょっと待て」と巨漢から一歩後退する。

「落ち着け、お前確か……王宮騎士団長のマクガルド将軍だったね? 何だって一人でこんなところに」
「それは私の台詞だ、ホーネル殿! 何故コンラート陛下のご息女を貴殿が連れておられる!?」
「ああーっうるさい、うるさい、少し黙れ」

 興奮状態のマクガルドを黙らせるべく、僕は両手で抱えたマオを眼前に突き出す。きゃっきゃと笑う赤子を見てか、マクガルドは途端に破顔した。その威厳も何もない顔にちょっとした恐怖を覚えつつ、僕は至って冷静な態度を貫いた。

「将軍、もう一度聞くよ。どうして一人でここに?」
「う、うむ……」

 将軍が語った話は、どうにもきな臭いものだった。

 マクガルド曰く、この赤子──マオはコンラート陛下の恋人が産み落とした子どもでありながら、その存在を公表することが許されなかったという。言わずもがな原因はその恋人で、彼女が貴族の出身ではないために文官たちから猛批判を受けたとのこと。陛下と親しい間柄だったマクガルドは、何故そこまで二人が非難されなければならないのか分からなかった。歴代の王でも、平民の娘を見初めて結婚に至ったという事例はあったからだ。

「……けど、文官は許さなかったんだね?」
「深く愛し合っておられたお二人を、奴らは汚らわしいとまで言ったのだぞ! 何たる不敬、本来なら極刑に処すところだ!」
「分かった、落ち着け」

 続きを促しながら、僕はちらりと後方を見遣る。そこにはじっと俯いているオングの姿。彼は恐らく陛下とその女性の仲を知っているはずだ。何か食い違いがあれば反応を示すだろう。今のところマクガルドの話に間違いなどは無さそうなので、僕はそのまま話に耳を傾ける。

 陛下は、今は結婚できずとも、いずれ必ず夫婦になることをマクガルドに告げていたという。非難は多かったものの、二人は順調に愛を育んでいった。そしてある日、陛下からこっそりと離宮へ呼び出されたマクガルドは、そこで初めてマオと出会ったのだ。

「それが、陛下が崩御される数週間前だ」
「!」
「私はその後すぐに遠征を命じられてしまってな……思いのほか任務が長引いた後、ようやく城に戻ったら今回の騒動が起きていた」

 マオが生まれ、マクガルドが城を離れた後、陛下は崩御された。病の気など一切無かった陛下の“病死”に、将軍は混乱を極めたという。加えて恋人と幼い娘の姿も忽然と消えており、マクガルドはすぐにこの事態を異常であると捉えたそうだ。前々から過激な言動が目立っていた文官たちを問い詰めても、「陛下は病死した」の一点張り。果てには陛下の恋人をいないものとしておきながら、行方不明となった娘のことだけは民たちに知らせる徹底ぶりだ。そこに明確な意図を感じた将軍は、人知れず騎士団を辞し、幼い姫の手がかりを求めて下層へ下りたのだ。


「教えてくれ、ホーネル殿。陛下に……陛下にあの日、何があったのだ?」


 マオを見詰め、マクガルドは懇願するような瞳で問う。僕は将軍の話を聞いて、少しばかり苦い表情を浮かべた。オングの話を照らし合わせれば、僕らは今、非常に危険な立場にあるのだから。

「……今の話で確信したよ。陛下は暗殺された。オングにこの子を預けた後にね」
「!!」
「詳しい理由は知らないけど……文官はどうしても陛下の結婚を認めるわけにいかなかったんだろう。だから暗殺という凶行に走った。マオの母親も既に亡くなっていると考えた方がいい」
「な……そんな、そんな馬鹿なことが」
「彼らはこの子を捜すよ。見付けて連れ戻したら、何も知らせずに次期の王として仕立てるか──人知れず殺すか」

 大きく地面が揺れた気がした。視線を横にずらせば、そこにはマクガルドが傍らの木を勢いよく殴り付ける姿。怒りに満ちた瞳を向けられ、僕は静かに溜息をついた。

「……そして、僕は図らずもその暗殺計画に首を突っ込み、王女を助けてしまった……いわば邪魔者。オングは王女を連れて脱走した主犯だし、将軍はコンラート陛下に忠誠を誓う、文官にとって最も排除しておきたい人物といったところかな」
「……」
「つまり僕らはこれから、王城に狙われることになる。まあ、僕はまだ家出した貴族の馬鹿息子としか思われてないだろうけど、いずれね」

 うとうとと微睡むマオを見下ろし、僕はどうしたものかと天を仰ぐ。オングの望みで第一層を目指してみたものの、近いうちに王城からの追手が来る。“お付き”でも使われたら一発で居場所は割れ、陛下の暗殺を知った僕やオングも始末されることだろう。そして……幼すぎる王女がどうなることか、あまり考えたくはない。

「ホーネル殿」

 視線を前に戻せば、いくらか怒りを鎮めたマクガルドがいる。将軍は苦しげな息を吐き出し、決意の眼差しで僕を見据えた。

「私は王女殿下を、何が何でもお守りする。奴らの手が届かぬ場所を創り、そしてそこで──王女ではなく、一人の娘として育ってほしいのだ。そのための盾となることが、私の陛下に対する償いだ」
「……本気かい?」
「決まっている。……だが貴殿はまだ引き返すことが可能だ。家を出たのは何か理由があってのことでしょう」

 確かに僕は、こんな危険なことに首を突っ込むために家を出たわけじゃない。マクガルドは気を遣ってくれたのだろうが……さすがに、ここで「はい頑張って」とマオを手放せるほど、僕も軽薄ではなかった。ひょいと将軍の横を通り過ぎ、呆気にとられている彼に告げる。

「将軍なら盾になれるだろうさ。僕はそこでやりたいことでもやろうかな。ああ勿論、マオの世話もちゃんとやるよ」
「!」
「この二人を助けたのは僕の意思だ。最後まで面倒は見るつもり」

 マクガルドとオングを振り返り、これから共に生きていくにしてはまあ何とも暑苦しい面子だと笑う。王城の目を掻い潜ることは容易ではないが、事の真相がはっきりするまではマオを隠し続けよう。身分も血も関係ない、ただの女の子として。

「さて、さっさと一層に下りるかな。ここで見付かるのも嫌だし。ねえ、マオ」
「ぁうー」
「ところでそこのオッサン怖いよねぇ、もう少し優しい顔にならないもんかねぇ」
「ぅー」
「何!? ま、待たれよホーネル殿、私は怖くな」
「あっ、マオが泣きそうだ」
「何だって!!!!」 



 ▽▽▽



 それから数年が経ち、僕らは何とか王城の目を盗んで第一層で生活をしていた。マクガルドは信頼の置ける騎士団の同僚や部下に声を掛け、王女の存命を明かした。彼らは一様に驚いたものの、陛下の崩御を不審に思っていた者ばかりだったため、王女の存命自体が暗殺計画の末に為された「陛下の抵抗」なのだと涙したという。やがて騎士団の者たちは王女を守るべく、第一層の商業区に居を構えることとなった。

 ただ、どうして彼らはそう簡単に騎士団を辞めて第一層に来てくれたのだろうかと、僕は少しだけ気になった。ある日の夜、元気なマオを寝かしつけた後で、マクガルドと落ち合った僕はようやくその理由を知る。


「──“王弟即位”か。なるほどねぇ……」


 コンラート陛下の崩御から三年。体制を整えた王城が、陛下の弟であるロドリゲス王太子を新王として即位させたのだ。そして更に、先王を慕っていた文官や武将は一斉に失脚し、新たな宰相として元文官のヴェルモンドが立てられたという。思い切ったことをしたものだ。これでは──陛下の暗殺を肯定しているも同然ではないか。

「んもう、図々しいことこの上ないと思わなぁい? 人を蹴落としておいて自分はちゃっかり地位を手に入れるなんてぇ」
「初めからコレが狙いだったんだろうさ。宰相なんて殆ど王と同じようなもんだし…………ところで」
「なぁに?」
「気にする暇がなかったんだけど、お前は何がどうしてこうなった?」

 輝くスキンヘッドに少女趣味なリボン、真っ赤な口紅にふりふりのエプロン。以前よりも化物感が増したマクガルドの変貌っぷりに、僕は不思議なことに二年ほど触れていなかった。触れてはいけないような、本能的なものを感じていたのかもしれないけど。

「ここ、野郎ばっかりでマオちゃんが可哀想でしょう? それに強面のアタシがマオちゃんを怖がらせちゃ駄目だし、この格好ならアタシが元将軍だなんて誰も思わないじゃなぁい」
「だろうな」
「んふ、大丈夫よ。腕は鈍ってないんだから」

 何というか、騎士は忠誠心を拗らせると大変なことになるようだ。幸い、マオは誰にでも懐く性格ゆえ、相手がこの化物でも嬉々として駆け寄っていく。まあ、王城の目を欺くには非常に有効的だろう。

「──ぅわ」
「!」

 そのとき、部屋の扉が大きく開かれる。振り返ると、そこに枕を下敷きにして倒れるマオの姿があった。……眠れなかったのだろうか。僕が歩み寄ると同時に、マオが恐る恐る顔を上げる。珍しいこともあるもので、それはどこか申し訳なさそうな表情だった。しかしそれでも、マクガルドの存在に気付いては控えめに手を振る。

「どうしたんだい、マオ」

 両脇を抱えて起こしてやると、マオが私室から持ってきた枕を引っ張る。多分、ここで寝させて欲しいのだろう。まだ言葉は上手く話せないけれど、表情で言いたいことは伝わる。じっと枕を抱き締めいているマオの頭を撫で、仕事場に置いてある小さなソファまで連れて行く。

「はい、ここで寝ていいよ。僕はそこで花屋と話してるから」
「!」

 マオは嬉しそうに笑うと、すぐにソファによじ登った。背が小さいおかげで、膝掛けを広げればマオの身体はすっぽりと収まる。

「おやすみ!」
「うん、おやすみ」

 しばらく細い髪をゆっくりと撫でていたら、やがてマオはすとんと眠りに落ちた。僕が静かに溜息をついて振り返れば、そこでマクガルドが何ともにやついた顔でこちらを眺めていた。

「何だい、その顔……気色悪い」
「んまっ、アタシにも少しは優しくして欲しいわぁ」
「うるさいな。ほら、今日はもう帰れ。今のところ怪しい動きは無いんだろう?」

「まぁねぇ……でも油断しちゃ駄目よ? “お付き”は商業区にもちらほら彷徨いているみたいだから」

「分かってるよ」

 マクガルドが立ち去った後、僕は熟睡しているマオを抱えて屋敷の二階へと向かう。マオの部屋の扉を開けると、一瞬だけ視界が光る。そこで僕はようやくマオが眠れなかった理由を知った。外では雨が降り、音はしないものの雷も発生しているようだ。だから、この子は一人で怯えていたのだろう。

 ──自らが知り得ない恐怖に。

 ちかちかと外が光るたびに、マオが泣きそうな声を漏らす。小さな背中を擦りながら、僕は再び階段を下りたのだった。

 

 

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