プラムゾの架け橋

第五章

 53.





 屋外へ飛び出すと、隠れ里の住人が橋脚の方へと駆けていく光景があった。外では絶え間なく鐘が鳴っており、女子供は怯えた様子で家屋の中へと逃げ込んでいく。一体何があったのかと、マオとノットが一歩踏み出した時だ。

「マオ!」
「ギル! 何があったのっ?」

 橋を駆けてきたのはギルだった。彼は少しばかりの緊張を宿しつつ、橋脚を指差す。

「“歪み”を無理やり通ろうとしてる連中がいるらしい。もしかしたらマオたちを追ってきた奴かもしれない」
「え……!」

 ギル曰く、案内人無しで“歪み”を通過しようとすると、橋脚の壁に様々な異変が見られるという。セレスティナが新しく出口を創ってしまったように、本来の出入り口とは別の扉が出現するのだ。それが彼女のような明確な“目的地”を持っているならまだしも、隠れ里の存在も道筋も知らない侵入者はがむしゃらに出口を探し回るため、外からでも空間の変容が見て取れるらしい。現状として、“歪み”は出口もどきを幾つも出現させては消しを繰り返しており、内部で何者かが隠れ里を探して歩き回っていることが推測された。マオを追ってきた賞金稼ぎか、はたまた別の誰かか。正体は分からぬものの、隠れ里の生活を脅かしかねない事態ということで、フェルグス傭兵団がすぐに対応へ向かった次第だ。

「親父と副長が様子を見に行った。マオは町長の館に避難してくれ」
「う……うん、分かっ……」

 そのとき、警鐘を掻き消す勢いの轟音が響き、マオは飛び上がる。橋脚付近の森からは、音と揺れに驚いた大量の鳥が羽ばたいていった。“歪み”の中でとんでもない暴れ方をしている様子の侵入者に、三人は思わず顔を見合わせた。

「だ……大丈夫かな、フェルグスさんたち」
「……“歪み”ごと破壊しそうな音だったな」

 マオとギルの会話を聞いていたノットは、ちらりと自身の手を見遣る。そして、橋脚の方をおろおろと見詰めるマオの後ろで、密かにその姿を仔猫に変化させた。

「! おい」
「へ? ノット!?」

 仔猫はそのまま橋を駆け上り、橋脚へと向かってしまった。慌てて後を追いかけようとしたマオだったが、すかさずその腕を引っ張られる。

「マオっ、駄目だ。あいつは俺が連れ戻すから、今は隠れてろ」
「でも、ノットはまだ体調が悪いままでっ」
「分かってる、けど今は──」

「──君たちも見に行くところ?」

 至極愉しげな声に振り返れば、そこに傷跡の青年が立っていた。勿論、傍らには彼を引き摺り戻そうとするセレスティナの姿も。

「もうっ、その野次馬根性はどうにかなりませんの!? 昔の慎ましさは何処に行ったんですの!!」
「慎ましい? 俺がぁ? それきっと思い出補正かかってるよ。俺は昔からこんな調子だし」
「絶対に違いましたわ!! それに自ら危険な場所に行って良い理由にはなりませんわよっ」
「でも客人はちゃんと出迎えなきゃ失礼でしょ」

 客人? と青年以外の三人は呆ける。もしや“歪み”の中で暴れている侵入者のことを指しているのだろうか。青年はマオとギルの背中を押すと、そのまま橋脚へと歩き出してしまう。そして戸惑うマオの肩を軽く叩いては、何とも軽い口調で尋ねてくる。

「あの猫くん心配なんだよね?」
「えっ、は、はい」
「ほら、行く理由が一つできた。これで満足だろう、ティナ」

 後ろの美少女から返ってきたのは、盛大な溜息のみ。意図の読めない行動で周りを困惑させておきながら、青年はお構いなしに笑っていた。



 □□□



 ──ノットはいくつかの橋を渡り、橋脚の目前までやって来ていた。“歪み”の出入り口は確かこの辺りにあったはず、と周囲を見回しつつ歩を進めていくと、見覚えのある複数の人影を視界に捉える。音もなく駆け寄れば、すぐに一人が振り返った。

「あら、もう大丈夫なのですか、ノット」
「みー」
「おお! 元気になったのか!」

 短剣を装備したロザリーは、一見して何処にも怪我などは負っていない。すぐ近くにいたドッシュも笑顔で近付いてきたので、この付近はどうやら安全のようだ。“歪み”の出入り口を見遣ると、その前にフェルグスとアドリエンヌの後ろ姿がある。二人は既に武器を手にしており、離れていても分かるほどに緊張感を漂わせていた。

「珍しくお二人が警戒しておりまして。君も気になって来てしまったのですか?」
「みゃあ」
「さっきの凄い音だったもんなぁ……でもマオが心配してるんじゃないか?」
「みぃ……」

 適当に相槌を打つと、ロザリーもドッシュも何故だか普通に会話を続けてくる。ノットが異種族と知っても、その態度は何ら変わらないものだった。じっと二人を見上げた後、仔猫はフェルグスの元へと向かう。残念ながら今の自分は本調子ではないので、獅子になって戦えるほどの体力はない。しかし、マオの恩人であるフェルグスたちが危険に陥るようならば、折を見て助けるべきだろう。

「みー」
「! 君は……マオの友人か。久し振りだな」
「ノットだったかしら」

 この傭兵団とは、再会するまでに二か月ほど時間の差が生まれているギルとオングよりも、更に長い期間会っていないことになる。失踪している間、いろいろとマオやノットに関する情報は出回っていただろうに、やはりこの二人も以前と変わらぬ様子で仔猫に接してくる。元より彼らは冷静かつ腕の立つ傭兵団として有名なので、情報に惑わされること自体が少ないのか──否、もしかしたら彼らも「王女を勾引かした一団」として追われる身になってしまったか。いずれにせよ、彼らに迷惑をかけてしまったこと、それでもまだ味方でいてくれていることに変わりはない。

「どうしたの? マオは置いて来てしまったの?」
「みゃ……」

 その問いにノットは視線を落とし、おもむろに真紅の光を身に纏う。フェルグスとアドリエンヌが驚いて目を丸くしたのも束の間、ノットは人間の姿となって立ち上がった。しかしやはり目は合わせられなかったので、彼はさっと“歪み”の出入り口の方へと顔を背ける。

「置いてきた。“歪み”を突破しようとしている奴に、嫌な予感がするというか……悪寒がするから」
「まあ……彼、鋭いですね、団長」
「ああ。前から随分と賢い猫だとは思っていたが」

 団長は苦笑混じりに告げると、蔦に囲まれた真っ黒な穴を見据えた。その奥から風が運んでくるのは──剣戟の音だ。最初は賞金稼ぎの一派がマオを追ってきたのかと考えていたが、どうやら侵入者はそれだけではなさそうだ。

「……“歪み”の中で死ぬとどうなる?」

 ふと、ノットはそんなことを二人に尋ねていた。アドリエンヌが返答に窮する一方、じっと出入り口を見詰めていたフェルグスがその問いに答える。

「“階段”も“歪み”も、意思あるものに呼応する空間だ。……死体には反応しない」
「……その場に、置かれたままになる?」
「そうだ。誰かが見付けない限りはそこに居続け、やがて死体も“歪み”の一部になると言われているな」

 “階段”のように決まった道筋があるならまだしも、“歪み”はいくつもの道が混在する。すなわち、誰かが“歪み”に入ったとしても死体を偶然見つけることは難しい。奇跡的に発見できたとしても、既に死体は“歪み”の一部となっている場合が多い。肉体は本来よりも早く腐り果て、何処からともなく入り込んだ種子によって植物が芽生え──凡そ人間とは思えない姿になってしまうという。幻夢の庭や歪んだ樹海にある植物には、迷い込んだ者の死体が少なからず混ざっているだろうともフェルグスは告げたのだった。

「そうか……」

 ノットは“歪み”の中から聞こえる争いの音を聞きながら、静かに相槌を打つ。次第に音は大きくなっている。そろそろ出口に近付いてきた頃だろう。


「──つまり、今この中で戦っているのは……死後の恐怖など、ものともしない怪物ということだ」


 フェルグスの言葉に、ノットは思わず顔を強張らせる。ちらりと団長の横顔を窺うも、紫の瞳はそれほど恐怖心を抱いているようには見えない。それどころか、冷静な眼差しに宿る光は……心地よさを感じているような。

「団長……?」

 フェルグスの妙な様子に、アドリエンヌもすぐに気が付いた。彼女が怪訝な表情で呼びかけても、フェルグスは口角を上げたまま。その様はまるで、侵入者がここまで来ることを待ち望んでいるかのようだった。

「構えろアドリエンヌ、来るぞ」
「!」
「ノット、君はどうする? マオの元に戻るか?」

 横目に確認され、ノットは気丈にも首を左右に振る。たとえ相手が恐れ知らずの怪物だろうと、隠れ里にいるマオを危険に晒すわけにはいかない。退く気はないという意思を瞳に宿せば、フェルグスは力強くノットの背中を叩いた。

 ──それと同時に、大勢の足音が急速に近付く。

 ハッとして前方に注意を移せば、一斉に複数の男が外へ飛び出してきた。彼らは一様に怯えた表情を浮かべており、頻りに後ろを気にしている。しかし……見覚えのない鎧だ。ミカエルやヴェルモンドの手先とはまた違う集団かと、ノットは瞳を険しくさせる。

「!? 貴様ら、何者だ!?」
「く……待ち伏せか!」

 正体不明の兵士は、進行方向に立ちふさがるノットたちを見ては、忌々しげに武器を構えた。しかしそれもごく一部の者だけで、大半の者は悲鳴を上げて森に隠れてしまう。尋常ではない様子にノットとアドリエンヌが困惑を露わにすると、また違った格好の集団が“歪み”から這い出てくる。

「! あれ、賞金稼ぎの連中だ」

 次いで出てきたのはマオを狙っていた、雪原の賞金稼ぎだった。この謎の兵士は彼らと交戦していたのかと思いきや、賞金稼ぎの者たちすらも落ち着きなく騒いでいるではないか。あの様子だと、隠れ里に到着できたことも分かっていないだろう。

「ど、どけ!!」
「!」

 突然、眼前に槍を突き出される。咄嗟に上体を逸らして攻撃を避け、ノットはそのまま兵士の腕を蹴り上げた。手放した槍を容易く奪い取り、兵士の顎を石突で打つ。そして姿勢が崩れた隙を狙い、今度は軽く跳躍しては側頭部を蹴った。勢いよく飛ばされた兵士は、離れたところにある木にぶつかり、ぐったりとその場に倒れ込む。ものの数秒で一人を吹っ飛ばしたノットの傍らで、アドリエンヌも襲ってきた兵士をハンマーで薙ぎ払う。二人を避けて隠れ里へ向かおうとした残りの者たちは、ことごとくフェルグスによって切り伏せられた。

「く、くそ、そこを退かないか!! 早くせねば、あいつが」

 すると数人の兵士を侍らせた若者が、焦りを露わに叫ぶ。全く知らない顔だが、整った身なりからして貴族だろうか……と、ノットはそこまで考えて、ふと首を傾げる。この男、やはりどこかで見たことがあるような──?

「アルノー様! 早くお逃げくださ……ぐあ!?」

 刹那、兵士がその場から掻き消える。顔面蒼白の若者──アルノーは今にも気絶しそうなほど震えながら、その場に勢いよく蹲った。

「ひいっ、お前たち、僕を守れ!!」
「……!!」

 アルノーの言葉に従うべく、兵士はがたがたと足を震えさせて“歪み”を振り返る。情けないほどに怯えているので、ノットは思わず彼らが心配になった。一体どれほど恐ろしい目にあったのかと、彼も恐る恐る“歪み”の出口を見遣る。

 そして。



「──あらぁん!! 外に出られたじゃない!! 良かったわ、うふ!!」



 現れたスキンヘッドの巨漢を見て、ノットは白目を剥いた。

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