プラムゾの架け橋

第五章

 54.





 輝く白いスキンヘッド、頭頂部には赤いリボンでちょこんと結ばれた黒髪、獲物を狩る獰猛な獣を彷彿とさせる瞳。ぎらつく眼差しと逞しすぎる肉体を前に、兵士たちは声なき悲鳴を上げていた。

「んもう、アナタたちも往生際が悪いわねぇ。まだアタシに立ち向かうのかしら? 仲良く“歪み”を抜けましょうって何度も言ったのにぃ」
「ばッ……化物め!! 覚悟し」

 果敢にも武器を振り上げた兵士は、目にも止まらぬ速さで地に沈められる。甲冑を被った兵士の後頭部をぶん殴った巨漢は、拳をひらひらとさせながら溜息をつく。

「もう、しょうがないわねぇ。一旦全員仕留めた方が早いかしら」
「!!」

 巨漢は頬に人差し指を当て、可愛くウインクをした。恐ろしいことに、それだけで何人かの兵士や賞金稼ぎが気を失う。流れ弾を食らったノットまでもが顔を青褪めさせた直後、辺りには悲鳴が響き渡った。逃げ惑う兵士を拳だけで沈黙させていく巨漢を、ノットとアドリエンヌは唖然とした面持ちで眺める。

「……いやぁ……衰えないな」

 その傍らで、フェルグスは笑いながらぼそりと呟いた。まさかアレと知り合いだったのかと、ノットが恐怖に満ちた表情で団長を見遣ったとき、後方から驚いたような声が飛んでくる。


「──マリーさん!? マリーさんだ!!」


 振り返れば、そこには珊瑚珠色の瞳を目一杯に見開いたマオがいた。彼女がパッと笑顔を咲かせるや否や、巨漢──花屋のマリーが感極まった様子で涙ぐむ。

「マオちゃん!! ああ、無事だったのね!?」

 「さぁおいで!!」と言わんばかりに両手を広げるマリーに、彼女の傍にいたギルやセレスティナがさり気なく後退する。一方のマオは特に怖がることもなく花屋の元へと駆け寄り、その大きな胸に飛び込んだ。抱き締められると同時に軽々と身体が持ち上がり、マオは驚いて悲鳴を漏らす。

「わあっ」
「久し振りねぇ、元気そうで安心し……は!? ちょっと痩せちゃったんじゃない? ちゃんと食べてるの?」
「ふふ、大丈夫ですよっ。痩せたのはよく走ったからだと思います」
「そう? それならいいんだけど……」

 頼もしすぎる腕に抱かれていたマオは、思わぬ再会についつい喜んでしまったが、はたと気付いて顔を上げる。

「あれ? でもマリーさん、どうしてこんなところに……?」
「俺が呼んだんだよ」
「へ」

 そこへ別段怯えた様子もなく近付いてきたのは、傷跡の青年だった。彼は呆けているマオを見遣ると、にこりと微笑む。



「──元王宮騎士団長、マクガルド将軍と……そちらの方もね」



 聞き慣れない肩書に思わず思考停止したマオは、促されるままに“歪み”の出入り口を見遣る。ゆっくりとした、少しだらしのない歩き方。外の光に眩しそうに目を細めたのも束の間、彼はその場に立ち止まる。以前よりも少しだけ伸びた白髪混じりの髪、何となく老け込んだような気がする目元。誰よりも長い時間を共に過ごしてきたその人を見詰め、マオは無意識のうちに歩き始める。

「……あー……」

 彼は視線を彷徨わせ、後頭部を掻く。

「まさか本当にいるとは思わなかったな……何も考えて来なかったよ」

 ぶつぶつと独り言を漏らす彼を、目の前までやって来たマオは穴が開くほど見詰めていた。数か月前、第二層で拉致されて以降、何度も何度も帰りたいと願った場所。会いたいと願い──疑った人。隠し事ばかりの態度に不信感を募らせ、己の過去にまつわる全てを聞き出すためにも会わねばならなかった人。

 ──けれど今は、そんなことを思い出す暇もなかった。

「……マオ」

 立ち尽くしたまま、マオは涙を溢れさせていた。唇を噛みしめ、嗚咽に肩を震わせる。何を言いたかったか、何を聞きたかったか、言葉は全て飛んでしまった。顔を見るだけでこれほどまでに安堵を覚える人など、彼以外にはいないのだと改めて知ったのだ。


「──ホーネルさん……っ!!」


 マオはぐしゃぐしゃに顔を歪めて、ホーネルに抱き着く。反射的にその背中を支えた彼は、少しの間を置いてから、そっとマオを抱き締め返した。

「……悪かったね、マオ。僕のせいで、たくさん怖い思いをさせて」
「……!」
「君から手紙が送られてきたとき、後悔したよ。これは僕の甘さが招いた事態なんだと」

 きつく腕に力を込め、マオは首を左右に振る。橋脚に入ったのは自分の意思なのだ。それを許可したのがホーネルだったとしても、彼女にはこの状況を作ったのが彼だと責めるつもりは毛頭ない。しかしながら、ホーネルは彼女の頭を撫でながら、苦笑混じりに否定を口にする。

「いいや、僕のせいさ。もう十六年も経ったんだから、マオに世界を見せても良いんじゃないかと……そんな権利も無いのに、僕は父親面をして、結果──君を危険に晒したんだ」

 その言葉に、マオは涙に濡れた顔を上げる。珊瑚珠色の瞳が大きく揺れれば、そこから溢れ出す涙を大きな手が拭う。

「許してくれとは言わないよ。僕は赤の他人でなければならなかった。“何も知らせずに”君を育てなければならなかった。……その約束を破ったのは僕なんだよ」

 ホーネルはゆっくりと、絵本を読み聞かせるときのような声で語る。微かに頬を震わせて。いつもの柔和な笑みを必死に保ち、ちっとも平静を装えないまま、彼は告げた。



「──君を、コンラート陛下の娘である君を……家族だと思ってしまった、僕の、過失だ」



 それこそが過ちであると、彼は言っているようだった。けれどマオにとって、その言葉は過ちでも何でもない。彼女がずっと求めて止まなかった、ずっと憧れていた“見えない繋がり”だった。ずっと一緒に暮らしていながら初めて見た彼の涙に、嘘偽りを感じることなどマオには出来なかった。

「……っ私の家族はホーネルさんとオングさんだよ」
「!」
「今までも、これからも家族でいたい! だから」

 マオは彼にしがみつき、掠れた声を絞り出した。


「……だから全部話して、ホーネルさん。十六年前、何があったのか。私に、真実を教えて欲しい」


 強い光を湛えた珊瑚珠色の双眸に、ホーネルは少しの驚きを見せる。次第にその表情は弱弱しいものとなり、やがてどこか遠くを見詰めるような瞳で笑った。

「…………血は争えない、か」
「え……」

 彼はマオの肩をそっと掴んで離すと、視線の高さを合わせるようにして背を屈める。

「マオ、今から君に話すのは……この場に集められた人間に関わりのある話だ。僕やマクガルド、オング、フェルグス殿、それから……」

 ちらり、ホーネルはマオの後方を見遣る。振り返れば、そこには二人の再会を離れたところで見守る、傷跡の青年。にこりと笑った謎の青年を見据え、ホーネルは静かにその素性を明かしたのだった。



「……彼はハイデリヒ=ランクセン。十年前に“暗殺された”公爵家の嫡男だよ」



「──え!?」

 涙が止まるほどの衝撃を受け、マオは混乱を極めたまま驚きの声を上げる。傷跡の青年──ハイデリヒは眉を下げて笑うと、外套のフードを外してこちらに近付いてきた。柔らかな金髪、透き通った青い瞳、色彩は違えど、以前から感じていた既視感はやはり──。

「申し訳ありません、王女殿下。名を明かさずにいたこと、どうかお許し頂きたい」
「え、あ……っ? ま、待ってください、ハイデリヒさまって、わ、私」

 恭しくお辞儀をした彼を見て、マオは慌てて頭を上げるようお願いする。何故この青年が「ハイデリヒ」なのだろうか。第一層の商業区で出会った、あの駱駝色の髪の青年は……と、彼女が困惑して自身の頬を手で覆うと、礼を解いた彼が苦笑する。

「貴女が言葉を交わしたハイデリヒは……私の双子の片割れですよ。名をエリシャと言います」
「!? え、じょ、女性……ですか!?」
「ええ」

 名前どころではなかった。性別さえも異なっていたことにマオは驚愕し──思い出す。声は少し低めで、身長も平均的な女性よりも少しばかり高かったがゆえに、彼──否、エリシャが女性であることなどマオは全く気付かなかった。だが一方で、差し出される手は白く、指先もほっそりとしていて、思わず何度か見とれてしまうこともあったではないか。

「う、わあ……」
「それも含めてお話しましょう。……と、その前に」

 放心状態のマオに微笑みかけ、ハイデリヒはおもむろに踵を返す。向かう先は“歪み”の手前で小さく蹲っている、茶髪の若者。あろうことかハイデリヒは彼を足蹴にすると、にこやかに声を掛けた。

「やあ、アルノー。十年振りだね。失踪した花嫁でも遥々捜しに来たのかな」
「……!? じゅ……?」
「今の話聞いてなかったか? まあ良いや。ここまで来ちゃったなら協力してもらうよ」
「な、ど、どういうことだ! 放せこのっ引き摺るな! 誰だ貴様!!」

 容赦なくアルノーを引き摺って行く彼を、セレスティナが何とも複雑そうな表情で見送る。そして帽子を目深に被っては、ムスッとした様子で彼の後を追っていった。



 ──かくして、ランクセン公ハイデリヒによって、隠れ里には以下の者が集められた。まず十六年前に行方不明となった、先王コンラートの娘であるマオ。彼女を城から連れ去り、第一層で育てたホーネル。二百年に渡って貴族の奴隷とされていた、“大地の塔”の民オング。王宮騎士団の団長を務めた後、第一層で花屋を営んでいたマクガルド。同じく王宮騎士団に所属していたというフェルグス、アドリエンヌとその傭兵団員数名。図らずもそこに居合わせる形となったのは、第二層で忽然と姿を消したセレスティナ、大商人エクトルと──マオの友人、ノットである。

 隠されていた過去が、思惑が、ようやく語られる時が来たのだった。

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