プラムゾの架け橋

第五章

 50.






「──早く追いかけなさい!! 王女を連れ戻すのです!!」

 漆黒の獣が中央階段へと走り去った後、ヴェルモンドは怒りと焦りの混ざった声で怒鳴る。兵士らが慌ただしく動き出す中、ギルは一呼吸置いてからオングの元へと駆け寄った。

「おい、オング。聞こえるかっ?」
「……っ」
「逃げるぞ、立ってくれ」

 ミカエルとジャレオは獅子の追跡に向かった。この丘に残っているのは腰を抜かした兵士とヴェルモンドだけだ。混乱に乗じて山中へと逃げ込み、ある程度離れたところでオングの傷を手当てをするのが得策だろう。と言ってもガタイの良いオングを担ぐことは無理だ。ギルは彼の片腕を自身の肩に回させると、気合いでその場に立ち上がる。

「……無茶だ、一人で逃げ」
「うるさいッ、あんたを助けるってマオに約束した!」

 叱咤を受けたオングは、微かな動揺と共に目を見開いていた。彼女のことはあの獅子が──ノットがきっと、いや必ず助けてくれる。だから彼女の大切な家族は自分が助けるのだと、ギルは震えそうになった足に力を込めた。ちらりと周囲を確認し、思い切って森へと駆け出す。

「! その者を逃がすな!!」

 宰相が声を張り上げた時には既に、ギルとオングは急勾配へ飛び降りようとしていた。何とか転がらずに両足を着けば紅葉が舞い、坂を滑り落ちるにつれて視界が赤く染め上げられる。

 そのときギルは、不思議な感覚に陥った。周囲には沢山の木が生えているにも関わらず、ギルたちの進路には一切の障害物が来ないのだ。まるで木々が意図的に道を開けているような、そのような錯覚を抱いてしまう。しかし、と彼はオングの腕を強く掴み直す。この一帯は紅葉を付ける木しか見えないため、中央階段の干渉領域であることは確かだ。何らかの弾みで空間に歪みが生じている可能性は十分に考えられる。これが幸運か、はたまた──第三者による干渉かは分からない。

「……っオング、絶対に生き延びて、マオに会うぞ」
「!」
「話してやってくれ、あんたたちが隠してきたこと、全部……!」

 紅葉が一面に舞った瞬間、強い光が視界を塞ぐ。そこで急に勾配が終わり、ギルとオングは前方へと投げ出された。地面に倒れたギルは、オングを気遣いつつ身体を起こす。頭上からは紅葉がはらはらと降り注ぎ、すぐそこに小さな池が見えている。草木の揺れる音とせせらぎばかりしか聞こえぬ空間で、ギルは怪訝な表情を浮かべた。

「……何だ、ここ……」

 山の中であることは確かだが、こんな場所は初めて来た。スキールの町に向かおうと考えていたのに、もしや違う方向へ来てしまったのかと危惧したときだ。池の傍らに人影を見付けたのは。


「──ほほ、ひどい目に遭ったようじゃのう」


 人影──小柄な老人は、扇子をゆったりと動かしながら告げる。池に映る景色を見詰めたままの背に、やがてオングが声を掛けた。

「……あんたがやったのか、今の……」
「若者の先導くらいはしてやらねばな。マオには会えたんか?」
「ああ……」

 どうやらオングは老人と知り合いのようだった。一体何の繋がりが……とギルは二人の会話を聞きながら、「それどころじゃない」と我に返る。

「じいさん、ここは何処だ? すぐに山を下りたいんだ。オングの手当てもしてやりたい」
「む?」

 そこで初めて老人は振り返り、ギルの顔をまじまじと凝視する。扇子を動かす手が止まり、合点が行ったと言わんばかりに笑った。

「ほお、何処かで見た顔じゃと思うたら、フェルグスの息子かの?」
「……え」
「勇気ある少年、マオとの縁もまた運命。導かれて今に至る、か」

 老人はひょこひょこと近付いてくると、ギルとオングの額にそれぞれ手を翳す。そして、柔和な口調や雰囲気とは打って変わり、鋭い眼差しで二人を見据えた。


「──よいか、既に時代は動き出しておる。マオを……“暁光”を決して失うでないぞ」


 その意味を問おうとしたとき、再び視界が紅葉に埋め尽くされる。巨大な渦を巻いて舞い上がる赤を仰ぎ、丸く切り取られた晴天の空に目を細めた。芸術などてんで興味のないギルであっても、この景色は美しく感じた。次はどこへ飛ばされるのかと、目を閉じることなく前を見据えたとき、そこに現れたのは見慣れた面子だった。

「……ギル!?」

 非常に驚いた様子で二人を見下ろす、フェルグスとアドリエンヌ。勿論ロザリーとドッシュの姿もある。周囲を見渡せば、そこはスキールの町へ向かう山麓の道だった。よく分からないが逃げきれたのだと、ギルは安堵を露わに項垂れる。次いで慌ててオングの容態を確認しては、傭兵団に応急手当を手伝ってほしいと頼んだのだった。



 ◇◇◇



 老人に助けられ、無事にフェルグス傭兵団と合流を果たしたギルは、急いでスキールの町へ向かったという。そこでフェルグスの顔馴染みである領主に匿ってもらい、オングにちゃんとした治療を受けさせた。彼は後頭部と肩の傷が深く、少し体を動かすだけでも痛みが走るほどだったそうだ。ひと月ほど掛けてオングが傷を癒している間、ギルは行方を晦ませたマオのことを捜してみた。しかしながらエクトルの話通り、誰も彼女の姿を見付けることは叶わず。一体どこへ消えてしまったのかと途方に暮れかけたとき、“ある人物”から知らせが届き──今に至る。

「──あ、ありがとう、ギル。オングさんを助けて、くれて」
「おう。まあ、いろんな助けがあったから出来たことだけどな」
「ううん、それでも、ありがとう」

 ギルからざっくりと二か月前の経緯を聞いたマオは、半分ほど泣きながらお礼を繰り返していた。その隣では既に涙を引っ込ませたオングが、あわあわと彼女の背を摩る。ロザリーとドッシュにも見守られながら歩く後方、間違いなく居心地の悪そうなエクトルがそっぽを向いた。

「あー……感動の再会の途中で申し訳ないんだが、さっさと隠れ里に入れてくれねぇか? あの賞金稼ぎ共に追いつかれるぞ」
「そろそろ入れると思う。向こうから迎えが来るはずだ」

 第四層の北東部、白い森の最奥までやって来た一行。そこは何故だか暖かな光が溢れ、花の香りを漂わせていた。ギル曰く、隠れ里には住人の導きがなければ出入りすることが出来ない。と言うのも、隠れ里は“歪み”を抜けた先にある。それも非常に強力な“歪み”だそうで、不用意に足を踏み入れれば間違いなく追い返されるか迷子になるとのことだ。

「……歪み……。!」

 マオがぽつりと呟けば、右手を大きな手に握られる。隣を見上げれば、ちょっとだけ頼りない笑顔がそこにあった。

「……ええと、怖いかな」
「……。ううん、オングさんがいるから平気。あっ、それに私、“階段”とかで迷子にならない方法も知ってるんだから!」

 オングの手を握り返し、マオはそれが「他人を巻き添えにする方法」であることを失念しつつ元気に答える。その笑顔を見て安堵したのか、彼は「そうか」と表情を和らげた。一方のマオは、未だ痛々しい傷痕の残る彼の肩や腕に視線を巡らせてから、控えめに口を開く。

「あの、オングさん。隠れ里に着いたら、その……昔のこと話してくれる?」

 彼女の問いに、オングは少しばかり困ったように眉を下げる。しかし手を放すことはせず、しっかりと彼女の視線を見返して頷いた。

「うん。……もう後悔しないように、全部話そう」
「!」
「でも、その前に」

 やがて聞こえてきた軽快な足音に、彼は苦笑する。意味が分からずにマオがまばたきを繰り返せば、背中に手を添えられて前を見るよう促される。すると光の中から、オングと同じように誰かが駆けてくる。地味な色合いのオーバーオールに、草臥れた帽子、短く切り揃えられた髪。そのシルエットに全く見覚えがないマオは、誰だろうと呆けていたのだが。

「ぅわぶ!?」

 正面からがばっと抱き着かれ、マオは後ろに倒れかける。


「──マオ!! やっと会えたわ!! あなたの噂を聞くたびに不安で不安で……! とっても心配していましたのよ!」


「へ!?」

 そしてもたらされた鈴の音のような声。細い手足と瑞々しい肌を間近に見たマオは、まさかと顔を逸らしつつ、その銀髪の少女を確認した。

「せ……セレスティナさん!?」

 ぱっちりとした白緑の瞳を持つ美少女──セレスティナはとびきりの笑顔で頷く。第二層のリンバール城で話して以来、初めての再会にマオはすぐさま笑顔を浮かべて喜んだ。のだが、ここはかの城から遠く離れた第四層。しかも雪原を超えた先にある隠れ里手前だ。伯爵の嫡男と結婚したはずのセレスティナが、何故ここにいるのだろうか。マオが全く理解できずに再び思考停止してしまうと、セレスティナはお構いなしに彼女の腕を抱いて歩き出した。

「あ、あの、セレスティナさん。どうしてこんなところに……?」
「え? ああ、わたくし披露宴の日に誘拐されてしまって」
「え!?」
「あれよあれよという間に気付けば第四層! 髪は切られるわ日焼けはするわ、大変でしたわ」

 彼女は頬に手を当て、大袈裟に溜息をつく。確かに髪は短くなっているし、肌も心なしか健康的になっている。服装も第一層の子どもが着ているような動きやすいものになっており、儚い雰囲気が薄まり全体的に逞しくなっていた。いや、それより「誘拐」とは何だ。大変だったという割には全く被害者ぶる様子が見られない上に、どちらかというと楽しんでいたような気配すら感じる。マオは頭に疑問符を浮かべ、更なる追及をしようとしたのだが。

「さっ、積もる話は後にして、隠れ里へ参りますわよ! えーと、そこのあなたたち、マオと愉快な仲間たちもいらっしゃいな! あ、後ろの悪そうな顔をした御仁は来なくても結構ですけれど」
「……俺は何か恨みでも買っちまったか? セレスティナ嬢」
「いいえ? 何も」

 語気を強めて否定したセレスティナは、ずるずるとマオを引き摺って光の方へ向かう。彼女の天真爛漫な様に苦笑しつつ、ギルやオングもその後に続き、一行は隠れ里へ続く“歪み”へと足を踏み入れたのだった。

 

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