プラムゾの架け橋

第五章

 49.





 橋脚第四層はその寒冷な気候から、北半分の雪原には殆ど人が暮らしていない。その代わり、吹雪も積雪も比較的少ない南半分には町がいくつかあるという。南側には大瀑布もあるため、全く生活が困難であるといった事態は少ないそうだ。強いて言うならば、食料調達のために雪原へ赴き、狐や鹿などの獣を狩ることだろうか。文字通り命懸けの調達となるのは当然で、南側の若者は狩りから生還できてこそ一人前と認められる。

 そしてもう一つ。第四層の人間が生活する上で、非常に迷惑しているものがある。それは雪原の何処かに拠点を置く、賞金稼ぎの一団だ。

「し、賞金稼ぎっ?」
「この雪原は広いからな、よく札付きの奴が逃げ込むんだよ。そういうのを捕縛したり殺したりして、小遣い稼ぎしてる奴らがいてな」
「は、はあ!?」
「まあ札付きとはちょっと違うが、お前も捕まえりゃ賞金が手に入るしな。狙われるのは当然か」
「それ、もっと早くに言うべきじゃ──ひゃあ?!」

 肩を押されて雪に飛び込めば、頭上を矢が飛んでいく。サッと顔を青褪めさせ、マオはしつこく追いかけてくる集団を振り返った。賞金稼ぎというから少数精鋭と思いきや、軽く十人以上はいるではないか。それぞれが剣や弓を携えており、マオの脚や肩を狙ってくる。恐らく彼女を動けなくしてから、エクトルや仔猫を始末するつもりなのだろう。

「みゃあ」
「うぁ、の、ノット」

 もぞもぞと肩までよじ登ってきた仔猫は、エクトルの横まで軽やかに跳ぶ。ずぼっと脚が埋まっていたが、気にせず彼に声を掛けていた。

「みー」
「あ? 何だ、追い払う気か?」
「みゃ」

 そのとき、エクトルに向けて矢が放たれる。即座に反応した仔猫は跳躍すると、尻尾で矢を叩き落とした。その俊敏な動きに賞金稼ぎたちはどよめいたが、すぐにそれが「王女と共に消えた獣」であることを悟ったようだった。

「気ぃ抜くなよ、暴れる前に仕留めろ!」

 さすがは雪原に住まう者と言ったところか、積雪に足を取られる様子もなく彼らは仔猫に向かって駆けていく。マオが慌てて戻るよう呼びかけたが、エクトルに抱き上げられたことで言葉は潰れてしまった。

「ふげっ、エクトルさんっ」
「お前はさっさと森まで行っとけ。邪魔だ」
「うわあ!?」

 そしてそのまま勢いよく放り投げられ、マオは森の手前で積雪に埋まる。これが硬い地面だったら怪我をしていたところだと、冷たい雪を払いながらマオは身体を起こした。と同時に赤く光った視界と、鳴り響いた鋭い剣戟の音。ハッとして見遣れば、獅子の姿となったノットが剣を牙で受け止め、賞金稼ぎの一人を弾き飛ばす。突如として現れた大型の獣に怯んだ剣士へ、すかさずエクトルが駆け寄る。腹部に蹴りを打ち込んでは、身体が折り曲がったところで後頭部にも肘鉄を食らわせた。

 危なげない戦い方をする二人を呆けた表情で見ていたマオだったが、段々とそこに不安の色を濃くしていく。いくらノットとエクトルが戦い慣れていると言っても、賞金稼ぎの者たちにはまだまだ数の有利がある。連携して二人を袋叩きにすることだって出来るだろう。今のうちに逃げられそうな道を探しておかなければと、彼女が森を振り返ったときだった。

 そこに、今にもマオを捕まえんとする数人の男がいたのだ。咄嗟に逃げようとしたものの、素早く肩や腕を掴まれてしまう。焦ったマオは、まだ自由だった右手で鞄を掴み、勢いよく男の横っ面を殴った。

「うぐっ、この、大人しくしろ」
「やだ! 放してください!」

 鞄で殴ったり足で蹴ったりと、出来る限りの抵抗をしていたマオの声を捉え、ノットが振り返る。彼女が捕まりかけていることを知っては、怒りの表情でエクトルを睨んだ。

「どこに投げてんだ、馬鹿商人!!」

 そしてわざわざ人型になってエクトルに暴言を吐き、再び獅子の姿でマオの元へと向かう。一方、理不尽な罵倒を受けたエクトルは戦いながらも「はあ!?」と苛立ちの声を上げていた。

 がむしゃらに暴れていたマオが段々と疲れてきた頃、男は本格的に彼女を拘束し、地面に押さえ込んでしまった。痛みに顔を歪めてもなお、彼女は両足をばたつかせて「嫌だ」と叫ぶ。

「私はっ、お城になんか行ってる場合じゃないんです!」
「ああくそっ、どんだけ暴れるんだよ、本当に王女か!?」
「さっさと運んじまえ、獣が来る前に──ぐあ!?」

 その時、マオを抱え上げようとした一人が忽然と姿を消す。一体何が、と他の二人が振り返れば、それぞれの顔面に靴が埋まった。


「やれやれ、可憐な少女を複数で襲うとは」
「感心しないな!!」


 同時に男を蹴り飛ばしたのは、小柄な女性と大柄な男性。対照的な二人を見上げたマオは、次第にその表情を明るくさせる。

「ロザリーさん、ドッシュさん!?」

 ロザリーとドッシュが笑いかけたのも束の間、残っていた二人の賞金稼ぎがすぐさま襲い掛かる。しかし森の奥から走ってきた一つの影により、その急襲は失敗に終わった。

「え……うう!?」

 影が一人の腹部を斬り付けたかと思えば、走る勢いはそのままにもう一人の脚を斬る。そして二人の後頭部を剣の柄で殴っては、見事に気絶させてしまった。鮮やかな手際に思わず見とれてしまい、マオは目の前に片膝をついた人物を凝視し──唇を震わせる。



「……大丈夫か、マオ」



 少しだけ伸びたこげ茶の髪、前よりも更に鍛えられた腕、落ち着いた紫色の瞳。若き剣士──ギルは、呆けているマオに対して苦笑をこぼしたのだった。

「ぎ、ギル……!」
「おう。久しぶりだな」
「久しぶり!? ああそっか久しぶりだった……! ううん、そうじゃなくて、あの」

 マオにとってはつい先日別れたばかりなのだが、ギルからすると二か月ほどの時間が経過している。多少の感覚のズレはあるものの、彼が無事に生きていたことに大きな安堵を覚えたのは確かだ。いろいろと言いたいことはあるのだが、如何せん気持ちが混乱して言葉が出てこない。

「ええと、そう、無事で」
「マオっ」
「のわッ!?」

 ようやく思い浮かんだ言葉を言い終える前に、後ろから抱きすくめられたマオは乙女にあるまじき悲鳴を上げる。慌てて後ろを振り向けば、心配そうな薄氷色に迎えられた。

「大丈夫? 怪我は?」
「ノット! 大丈夫だよ、ギルたちが助けてくれたから」
「!」

 そこでノットはようやくギルやロザリーたちに気付き、目を丸くする。どうしてここにいるのかという意味合いなのだろうが、一方のロザリーとドッシュは違う理由で固まっていた。

「……ノット? それは……」
「おお!! あの猫か!?」
「え、あ」

 とても驚いた二人に詰め寄られ、ノットは視線を泳がせる。そしてマオの後ろに隠れては、すぐに仔猫の姿になってしまった。顔を前脚で隠し、どうしてか耳までしゅんと垂れている。その過剰ともいえる怯えた反応を不思議に思いつつ、マオはよしよしと仔猫を抱き締めておいた。

「あら、怖がらせるつもりはなかったのですが……」
「あッ、い、いえ、多分人と話すのに慣れてなくて……!」

 マオと初めて顔を合わせたときもそうだったが、ノットは人型になるとどうにも臆病さが目立つ。人見知りをする性格なのかもしれない、と気遣う体で仔猫を撫でると同時に、マオは急に寒さを感じてくしゃみをした。

「!! 大丈夫かマオ! 風邪引いたか!?」
「ふぇっ、えっと、そういうわけじゃああ!?」
「大変だ!! ロザリー、ギル! 早く戻るぞ!」

 またもや早とちりをしたドッシュの肩に担がれると、ちょうどその視線の先にエクトルがいた。彼は何とも面倒臭そうな顔でロザリーたちを一瞥し、最後にギルを見て小さくぼやく。

「……フェルグスの息子か。何でここにいる?」
「それは俺の方が聞きたい…………いや、あんた誰だ?」
「知らねぇのかよ」

 いかにも知っていそうな口ぶりだったので、エクトルは不覚にもずっこける。するとその会話を聞いていたロザリーが、両者の肩を叩いて森の奥へ行くよう促した。

「立ち話も何ですし、まずは奥へ。兎にも角にもマオを連れて来てくれたのですから、敵ではないでしょう」



 ▽▽▽



 すっかり元気がなくなってしまった仔猫を気にしながら、マオは白い森を突き進む。葉だけでなく木の幹すら真っ白に染まった森は、気を付けなければすぐに躓いたり衝突してしまう。おまけに今までよりも格段に気温は低く、彼女は何度もぶるりと体を震わせていた。

「本当に大丈夫か? つらかったら俺が担ぐぞ?」
「ありがとうございます、ドッシュさん。でも歩いてた方が体も温まるかなって」
「それにドッシュに担がれていたら、マオが木の枝にぶつかりまくるわ」
「は!! そうか!!」

 ロザリーは冷静に指摘しては、不意にマオの抱えている仔猫を見遣る。

「マオ、両手は空けておいた方が良いですよ。転ぶと危険ですし」
「あ……そ、そうですね」

 第四層の寒さを紛らわせるため、マオはここ数日ずっと仔猫を両手で抱えていた。よくよく考えたら、頻繁に躓く彼女にとって致命的な行為と言える。今更ながらそのことに気付いたマオは、鞄の中に仔猫を入れてみた。ちょっと窮屈そうだが、ここなら温かいだろう。

「えっと……それで、ギルたちは何処から来たの? この奥、エクトルさんが目指してるところと同じだよ」
「そうなのか?」
「何しれっと他人の事情を話してんだ?」

 後ろからエクトルに窘められ、マオは「ごめんなさい」と小さく謝る。そんなやり取りを眺めていたギルは、その流れで白い森に視線を移した。

「この先にある隠れ里に呼ばれたんだ。そこでマオが戻るのを待て、と」
「え……」
「ついでに、あんたのことも待つって言ってたぞ。エクトル」
「あ? ……まさか」
「俺たちが呼ばれたのは、あんたが会いに来た奴と同じ人物だよ」

 ギルは頷くと、やがて見えてきた明るい光を指差す。漂ってきたのは仄かな花の香り。極寒の地にそぐわない、暖かな匂いにマオが困惑したのも束の間のこと。光の中に佇む人影が、こちらに気付いて駆け寄ってきた。

「それと、マオ」
「え? な、何? あの人──」

 不安定な足取りを心配しつつ、マオは隣のギルに応える。ギルは彼女の背をそっと押しながら、珊瑚珠色の瞳に微笑みかけた。



「──約束、守ったからな」



 その言葉に目を見開けば、次の瞬間には正面から強く抱き締められていた。幼い頃から幾度となく受けてきた抱擁を、忘れることなど有り得ない。次第に瞳に涙が浮き、マオは震えた手で大きな背中に手を回した。


「オング、さん」


 体の至る所に包帯を巻いた大男──オングはぼろぼろと涙を零しながら、少女を抱きすくめたのだった。

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