プラムゾの架け橋

第五章

 48.






 ──扉を開けた先には、目が眩むほどの輝きがあった。

 天井には豪奢なシャンデリアが連なり、きらびやかな装身具を身に着けた男女がその下で談笑する。それらの景色を反射するほどまでに磨かれた床には、深みのある臙脂色の絨毯が敷かれている。ひとつ、深呼吸をしてから足を踏み出す。年若い令嬢が頬を染めて駆け寄ってくるが、彼は控えめにそれを躱した。目的の人物を探して人混みの中を歩いても、憎たらしいことになかなか見付からない。段々と息苦しくなってきたところで、一度外へ出るかと考えたときだった。

「!!」

 するりと腰に手を回され、ハイデリヒは勢いよくそれを振り払う。引き攣った顔で後ろを見れば、そこには薄ら笑いを浮かべた青年──ミカエルが立っていた。

「な……っ何のつもりだ、ミカエル」
「私の友人がつらそうな顔をしていたのでな。心配しただけのこと。……そんなに慌てて誰を探している?」
「……君を探していた」

 溜息混じりに告げれば、ミカエルは少々驚いたように目を見開いて、恍惚とした笑みを滲ませた。

 人混みから逃れ、バルコニーへと出たハイデリヒは、疲れた様子で襟元を正す。こういった社交場には何度も出席している彼だが、嫌味を含ませた言葉にも常に笑顔で応じなければならないため、いくら温厚な性格であっても相当な労力を要する。加えて──毎回この青年と顔を合わせることになるのだから。

「それで? 私に何か用か?」

 ミカエル=ヴァイスリッター。腹の読めない冷酷な公子として知られる一方で、美しいものなら何でも好む変わった人物であるとも言われている。逆に言えば、彼は許容範囲外の人間や物に対しては恐ろしいほど興味が無く、時には残酷な行為も厭わない。無論、その獣嫌いの度合いも群を抜いていると言っていい。昔からハイデリヒは少しの苦手意識を持っているのだが、不思議なことに彼がその嫌悪を感じ取ることは、今日に至るまで一度もなかった。

「──……生還された王女殿下についてだ」
「ああ……君、一時は行動を共にしていたそうだな? 心配か?」

 十六年前、何者かに誘拐されたという先王コンラートの一人娘。話には聞いていたが、それがまさかマオだったなど俄かには信じがたい。と言うのも、ハイデリヒは先王の顔を見たことがないのだ。当然、その娘の名前も知らない。しかし宰相ヴェルモンドはマオこそが消えた王女であると主張し、ミカエルを始めとした他の公爵家も同意している。その事実が、ハイデリヒには納得できないのだ。

「ミカエル、君はいつ王女殿下の話を聞いた? 僕は王女の捜索どころか、存命であることすら知らされていなかった。……混乱を起こさぬよう、君たちが水面下で捜索を進めていたことは重々分かっているが……」
「ふむ。差し詰め、仲間外れにされて不満だったということか。何ということだ、私の大切な友人に嫌な思いをさせてしまうとは」
「……いや……そういう子どもっぽい話ではないが……」

 大袈裟に、しかしごく真面目にミカエルは後悔を露わにする。少々冷めた目でその反応を眺めていれば、彼はバルコニーの下に広がる薄暗い庭を見下ろした。

「まあ失礼な話だが、如何せん君の評判は良くない。君は獣狩りもしなければ、売買の誘いにも不審な点があれば一切乗らないだろう。……要は、お偉い方の言う通りにならないから嫌われているということだ」
「……それは昔から知っている」
「どうだか。何度も執拗に刺客を送られているそうではないか。それでも懲りずに我々と線引きをすると?」
「ミカエル。その問いにはもう何百回と答えたはずだ。僕は獣狩りも人身売買もしない。領民と、下層に暮らす人々の為にこの身を捧ぐと決めている」
「さすが優等生、見事な模範解答だ。亡くなった“君の片割れ”もさぞ喜ぶ」

 ハイデリヒは目を見開き、発言を咎めるように鋭く睨む。その視線を受け止めたミカエルは、弧を描いた唇を更に吊り上げた。

「……もうあの噂を聞いたのだろう? だから私に探りを入れに来た」
「……」
「すまないが、君がどうやっても陛下や宰相の意見に従わない限り、この計画に口を挟むことは許されない。いや、もしかしたら実行の前に君の爵位を剥奪するかもな」
「なっ……!」
「そしてその後、口封じの為に暗殺されてしまう……かもしれない」

 揶揄うように、嘲笑うようにミカエルは告げる。けれど既に立場を危ぶめているハイデリヒにとって、その言葉を一蹴することは叶わない。

 穏健派として知られていた元当主の父は病に倒れ、母も間もなく逝去した。急遽その後継ぎとして立てられた若き当主に対し、周囲からの視線は冷たかった。公爵となって初めて知ったことと言えば、品行方正かつ潔白な行いを心掛けていた父も、ハイデリヒと同様に一部の貴族から煙たがられていたこと。


 ──彼らは“あの日”、ハイデリヒの家を完全に潰すつもりだったのだろう。


「……ミカエル」

 過去の記憶を遠くへ押しやり、ハイデリヒは深い溜息をつく。そしてミカエルの瞳を見返しては、静かな声で告げた。

「爵位など失ってもいい。僕は君たちの理解者にはなれない」
「……命を失っても?」
「そうだな」

 迷いなく言い切り、踵を返す。

 彼らの思惑は分かった。それに王女を血眼になって捜す理由にも、まだ伏せている事柄があるのは確実だろう。爵位を剥奪される前に、出来ることはしておかなければならない。領民のために──そしてマオのためにも。


「──そうか。命をも捨てる覚悟か」


「……?」

 ふと呟かれた言葉に、ハイデリヒは眉を顰めて振り返る。そこにはバルコニーの手すりに凭れ、愉快げに嗤うミカエルの姿。月光を背にした彼の瞳は、微かに光っているように思えた。ゆっくりと、されど大股に、彼はこちらへ歩み寄る。

「君はやはり素晴らしいな。さっさと王女を見付けた甲斐があったものだ」
「……何を言っている?」
「約束をしてもらったのさ。この七面倒な仕事を終わらせたら、私の望む褒美をくれと。いやはや流石は宰相殿、私の無理難題も快く承諾してくれた」

 カツンと踵の音が響く。間近でこちらを見下ろしたミカエルは、怪訝な表情をするハイデリヒの顎を掴み寄せ、そっと囁いた。


「──頼んだのだよ。君を……“エリシャ”を私にくれ、と」




 ▽▽▽




 橋脚第四層、雪原北東部にある宿場町にて。人気を感じられないこの地域にも、旅人の為にこういった施設は備えられている。静寂に包まれた雪深い町の片隅で、一人の少女は寒さを忘れて跳びはねた。

「──わあ! これ、あったかい!」

 両手に嵌めた赤いミトンの手袋を、マオは感動した様子で見つめる。手のひらを広げたり握ったり、ついでに仔猫を持ち上げてみたり。問題なく手を使えることを確認しては、これを買ってくれたエクトルにお礼を述べた。

「エクトルさん、ありがとうございますっ」
「寒々しい格好で凍死されるのは御免なんでな」

 しれっと礼を受け流した彼に、マオは頬を膨らませる。しかし手袋の他にも新しい外套や長袖のベスト、裏地のある温かいブーツまで買ってくれた彼は、やはり面倒見が良いというか世話焼きというか。マオは自分で買うと主張したのだが、「顔を見られたら不味いだろうが」と一蹴され、購入後に再度お金を払うと言ってみても無視される始末。

「……後で倍にして請求されるのかな」
「みゃー」
「早く来い、置いてくぞ」

 ぼそりと呟きつつ、マオは白い外套のフードを被り、エクトルの後を追う。建物の屋根にずらりと連なる氷柱、ところどころ凍ってしまっている石畳。鏡のような氷の表面に自分の顔が映ったところで、マオは抱き締めた仔猫に小さく声を掛けた。

「見てノット、どこも凍っちゃってる」
「みー」
「あ、寒くない?」

 彼女はミトンで身体を包み込むようにして抱き締め、仔猫に微笑みかける。その拍子につるりと足が滑り、前を行くエクトルの背中に顔をぶつけた。

「うぇ」
「……お前、ぶつかるのこれで何度目だ?」
「ごめんなさい……」

 三度目かな……と馬鹿正直に回数を考えつつ、マオはふと気になって彼を見上げる。

「そういえばエクトルさん、どこに向かってるんですか?」

 ホーネルの元へ行くのを手伝ってほしい、とマオは言ったものの、エクトルにも済まさなければならない用事がある。ということでまず彼の用事を優先することになったのだが、まだ詳しい行き先や内容は聞いていなかった。商売関係の話ならばあまり首を突っ込まない方が良いと分かっているが、こんな寒い場所に暮らしている人間など少数だろう。況してやエクトルの主な客である貴族は、もっと暮らしやすい環境の層で屋敷を構えているだろうし……と、マオがいろいろと考えていると。

「今は手が空いてるからな。弟分に会いに行くところだ」
「……? お仕事、ないんですか?」
「誰かさんのおかげでな」

 紅蓮の瞳を寄越され、マオはまばたきを繰り返す。

 エクトル曰く、二か月前は新規の客──ハイデリヒ公爵からの依頼があったという。それは他でもない、拉致されてしまったマオの行方を捜してほしいという内容だ。しかしながらマオが王女であるという知らせが届くと、ハイデリヒは即座に依頼を取り消し、成功報酬の半分ほどを支払って最上層へ帰ってしまったという。

「え……っは、ハイデリヒさま、私のこと捜してくれてたんですか!?」
「ああ。友人を助けてほしい、だとさ。ま、お前が王女だと知るや否や血相変えて帰ったがな」
「……じゃあエクトルさんも、一応捜してくれてたんですよね?」

 マオが俄かに笑顔を浮かべて尋ねると、エクトルはさっと視線を逸らす。何故だか気まずさを滲ませた彼は、追及される前に自ら口を開いた。

「あー、そうだな。捜したぞ、うん」
「凄く怪しいです、どうして目を合わさないんですか」
「それで、どこに向かってるかって話だったな?」

 ずいと迫るマオの頭を掴んで引き離し、彼は白々しく話を戻す。何か後ろめたいことがあるのだなと確信しつつ、マオは再び深くなった積雪を踏み固めていく。エクトルが指差したのは見通しの悪い白い視界の先、中央階段から北東へと真っ直ぐ進んだ場所だ。うっすらとだが黒い影が佇んでおり、恐らくあそこも針葉樹の森が広がっているのだろう。

「あの先だ」
「ふわ……遠いですね。その、弟分さんはあんなところに暮らしてるんですか?」
「いや? 一時的に身を隠してるだけだ」
「へ?」

 身を隠す、という穏やかでない言い方に、マオは首を傾げる。


「──人を寄せ付けないどころか地図にも載ってねぇ“隠れ里”さ。あのじゃじゃ馬のおかげで、運良く逃げ込めたってだけの話だがな」


 

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