プラムゾの架け橋

第五章

 45.





 プラムゾの橋脚第三層、中央階段南東部にて。宰相ヴェルモンド及び公爵家の嫡男ミカエルが発見したのは、十六年前に誘拐されて以降行方知れずになっていたという、先王コンラートの娘だった。既に死亡した説が濃厚だったため、王女存命の知らせは全ての貴族を震撼させた。水面下で捜索を続けていたヴェルモンドは、それに加えてこのような声明を出したという。

 ──王女は“大地の塔”の獣に心を惑わされてしまっている、と。

 対の橋脚に暮らす人間と異なる種族の存在は、今まで貴族以外には知らされていなかった。にも関わらず、ヴェルモンドは身分の区別なく“大地の塔”について語ったのだ。かの塔には言葉を解す獣が棲息しており、彼らは“天空の塔”を侵略すべく赤子だった王女を勾引かしたと。

 ──そしてその獣に手を貸したのは、元伯爵家の次男ホーネルである、とも。

 衝撃的な知らせは瞬く間に各層へ広がり、再び獣と共に姿を晦ませてしまった王女の大捜索が開始されることとなる。無論、そこには獣の討伐とホーネルの捕縛も含まれていた。皆が哀れな王女を救い出すため、必死に各地を捜し回った。商人、傭兵、貴族が身分を抜きに団結して行動する日が来るなど、一体誰が予想していたであろうか。夢のような光景を見て、あまりの感動に涙する者も出たそうだ。

「まあ、面白いのはここからでな」

 ホーネルが暮らしていた第一層の商業区には、真っ先に捜索の手が伸びた。しかしながら屋敷は既にもぬけの殻。同業者の人間に行き先を尋ねても、知らぬ存ぜぬの一点張り。“天空の塔”の民は一致団結したかのように見えたが、生憎それは橋脚内部のみに限る話だったらしい。商業区の者たちは「あの男が誘拐なんて」「花屋と駆け落ちしたんじゃないのか」と一笑に付すと、普段通り仕事に戻った。

 さらに、大規模な捜索を行ったにも関わらず、王女の行方は全く掴むことができなかったのだ。次第に「本当に王女は生きているのか?」と疑う者も出始め、傭兵を始めとした離脱者が続出。世間は王女の帰還に一度は急激に沸いたものの、その冷め方も相応に早かった。

「……そして、俺はわりと混乱している」

 一通りの流れを説明した美丈夫は、大人しく話を聞いていたマオを指差した。


「騒動から二か月も経ったってのに、何だって俺の元に件の王女様がのこのこ現れたんだ?」


 赤毛の美丈夫──エクトルの言葉に、彼女はまばたきを繰り返しつつ仔猫と顔を見合わせる。のこのこというよりは、猛スピードで背中に激突したのだが……と、そんな話ではなくて。

「に……二か月?」

 もこもことした厚手の外套に顔を埋め、マオは首を傾げた。耳や鼻先が赤くなっていることに気付いては、些か乱暴にフードを被せられる。ついでにマフラーまで巻いてもらったので、ようやく温かくなったマオは頭を下げた。

「す、すみません。ここ、寒いですね」
「当たり前だろうが。極寒の第四層だぞ」

 返事の代わりにくしゃみをしてから、マオは洞窟の外を見遣る。視界を塗りつぶすが如く、横から叩き付ける白いゴミ──ではなく、あれは「雪」らしい。絵本で見たことはあったが、ここまで激しく降るものなのかとマオは身体を震わせた。

 中央階段を無事に抜けることが出来たマオは、確かにホーネルの元へと願ったはずなのに、何故だかエクトルの元に向かってしまった。マオの苦手な人物ということもあり、即座に謝って退散しようとしたのだが、それは美丈夫によって阻まれる。

 ──待て、死ぬぞ。

 直球にも程がある言い方だった。しかし強引に連れて来られた洞窟で、第四層の気候と地形について教えられ、マオはようやくその言葉の意味を知る。第四層は他の層と比べて気温がとても低く、北半分を占める雪原はほぼ毎日と言っていいほど吹雪いているそうだ。マオが落ちた場所は中央階段に近い北東部で、例に漏れず雪深い景色が広がっていた。目的の人物には会えなかったものの、このような厳しい環境に一人ぼっちで放り込まれなかっただけ幸運だろう。

「おい、小娘」
「ひゃい」

 黙り込んでいると、赤くなった鼻を摘まれる。

「質問に答えろ。この二か月、何処に身を隠していた?」
「えっと……それは私が聞きたいくらいで……」
「あ?」
「その、私は少し前にあの人たちから逃げてきて、それこそ半日も経ってないというか」

 外套の中で抱き締めている仔猫が、僅かに身じろぎをする。寒かろうと思って閉じ込めているのだが、そうでもないのだろうか。そっと外套の前を開けてやると、ひょこっと顔を出しては頭を振る。その際、薄氷色の瞳が鋭くエクトルを睨んだことには気付かずに、マオは洞窟の外を見遣った。

「外に出たら二か月も経ってるって聞いて、今もびっくりしてて」
「……外に出たら? お前、“階段”を通ったのか」
「あ、はい」
「門はもっと東だぞ、何だってこんな中途半端な場所に出る?」

 エクトルの言葉に、マオはきょとんとしてしまう。話によると、第三層と第四層を繋ぐ“階段”はここから更に東へ向かったティレスの町にある。てっきり近くに門があるのかと思っていたマオは、「もしかして」と眉を下げた。

「……中央階段って、出口とか関係ないのかな」
「中央階段!? あの塔に行ったのか!?」
「ひえっ、い、行きました。そしたら、ちょっと中と外で時間がおかしなことに……!」
「はあ?」
「みゃっ」

 思わずエクトルが身を乗り出すと、それを咎めるように仔猫が彼の脚を叩いた。かなり強めだったのか、彼は痛みを必死に隠しつつも舌打ちをする。ゆらゆらと尻尾を揺らす様を見ては、忌々しげに仔猫を指差した。

「……おい、この猫は本当に……」
「え、ええと……“大地の塔”にいる種族……らしくて。ノットに協力してもらって、中央階段に行けたんです」

 マオは正直にこれまでの経緯を話しながら、またもやくしゃみをした。すぐさま仔猫が振り返り、彼女の膝によじ登る。暖を分け与えるようにしがみついてきたので、マオは笑みを零しつつ仔猫を抱き締めた。

「あの……エクトルさん。私、ホーネルさんを目的地にして中央階段を抜けたんです。そしたら何でかエクトルさんのところに落とされたんですけど……」
「嫌そうに言うんじゃねぇ。にしても……誘拐犯に自ら会いに行くのか?」
「ま、まだそうと決まってません!」
「みゃー」

 慌てて彼女が否定すると、エクトルは向かいの岩壁に凭れ掛かる。厚手の外套を身に纏っていながら、やはり彼から滲み出る色気は抑えきれないようだ。呆れたような溜息すら様になる彼から、マオはさりげなく視線を逸らしておいた。

「誘拐犯って言われようが、私を育ててくれた人に違いは無いんです。だから……ホーネルさんの言葉で、十六年前のことを話してもらいたくて」
「……それで本当だったらどうするんだ?」
「え」

 暫しの沈黙の後、「どうしましょう」と苦笑いを浮かべる。真実を確かめた後、マオはどうすべきなのだろうか。ヴェルモンドは彼女を王宮に戻したい様子だったが、その理由もマオにはいまいち分からない。

「私って、先王……ってことだから、前の王様の子どもなんですよね? それでも戻らないと駄目なんですか……?」
「おやおや、王女様はお家に帰りたくねぇってか。いけない子だねぇ」
「茶化さないでくださいっ、私が暮らしたお家は第一層のお屋敷です!」

 なにかと舐められているような気がして落ち着かないマオは、分かりやすく頬を膨らませる。真面目に話しているのだという意思表示のつもりだったが、エクトルはやはり嘲笑うように鼻を鳴らした。

「このちんちくりんが王女ねぇ……ま、アイツがお前を贔屓した理由が分かってすっきりしたよ」
「……?」
「それはそうと城に戻りたくねぇってんなら、それらしい“理由”を与えてやろうか? 誘拐犯の元に帰りたいなんて言ってたら、世間から哀れまれる一方だからな」

 彼の提案の意図が読めず、マオは困り顔のまま首を傾げる。何故エクトルから城に戻らない理由を与えてもらうのだろうか。最上層には何の思い入れも無ければ、王族にならねばならない義務を受け入れるつもりも無い。そのようなマオ個人の意思だけでは、ヴェルモンドの手を跳ね除けるには不十分であるということは、よく分かっていはいるが──。


「──現王ロドリゲスには、既に次期王位継承者である一人娘エトワールがいる。お前が戻ることで、王位継承問題がややこしくなることは必至だろうな」


 いくつかまばたきを繰り返し、呆けた表情でエクトルを見返す。王位継承権の話など初めて聞いたもので、マオは少しばかり理解が追い付かなかった。噛み砕いて言えば、今“天空の塔”を治めているのはロドリゲスという人物で、彼の娘エトワールが次の王になる権利を持っているということだ。そこへ先王コンラートの娘であるマオが加わることで、どちらに王位を継がせるかという問題が必ず浮上するだろう、という話らしい。

「……私にもそんな話が振られるんですか……? 貴族のことなんて何も知らないのに」
「その方が裏で糸を引きやすい。政治の舵を取りたい貴族連中は、挙ってお前のことを次期王に推薦すると思うぞ」
「ええ……って、あっ!? それじゃあ、あの宰相さんは」
「お前を城に戻し、エトワール王女と競わせようと考えているかもしれんな?」

 何とはた迷惑な話だろうか。マオが露骨に嫌そうな顔をすれば、洞窟に静かな笑い声が木霊した。

「これは俺個人の憶測に過ぎん。だが、誰もが真っ先に懸念する事柄でもある。ちゃんと覚えとけよ王女様」
「お……その呼び方やめてください。何か馬鹿にされてるみたいです」
「小娘の方が好きか?」
「それも嫌です!」
「我儘だな」

 真面目に取り合おうとしないエクトルは、戯れに笑っては気だるげに腕を組む。彼にとってみれば、年端もいかぬ娘をからかうことなど造作もないのだろう。言葉で転がされているような感覚に陥ったマオは、剥れることしか出来ず膝を抱えた。

「お前と話してると、話題があちこち飛ぶな。ともかく、だ。お前はヴェルモンドの言うことは一先ず置いといて、ホーネル殿に会いに行くんだな?」
「……はい。絶対に会いに行きます」
「そりゃ結構。強気な女は俺の好みだ」
「はぇ? そ、そんなこと聞いてませんっ」

 がばりと顔を上げると、すぐそこに整った笑顔があった。こちらを弄ぶような紅蓮の眼差しと、いい加減なことばかり紡ぐ薄い唇。微かな熱を孕んだ色香に惑わされる前に、マオは慌てて後ずさった。──のだが、逞しい腕が容易く腰に回り、ぐいと引き寄せてしまう。

「うわ!? なななな何ですか!?」
「んん? 世間知らずな王女様が凍えちまわねぇように、俺が温めてやろうかと思ってな」
「け、結構です!! この前と態度、違いすぎません!?」
「前? ああ、雑に扱って悪かったな」

 面白いほどに狼狽えるマオに嗤い、彼は戯れに唇を寄せる。頬に近付く吐息と強められる拘束に、マオが思い切り首を逸らした時だった。

「みー」
「った!?」

 ずっと間に挟まれていた仔猫が、低い鳴き声と共にエクトルの頬を殴る。それはマオにやるような可愛らしいパンチなどではなく、彼女よりも体格の良いエクトルが地面に転がるほどの威力であった。

「うわッ、ノット」

 そしてマオは仔猫を宥めつつ、「駄目だよ」と言うつもりが「ありがとう」とついついお礼を零す。しまったと頬を引き攣らせながらも、彼女はちょっと不機嫌さを露わにしてエクトルを見遣った。

「……何か前より友好的だなって思ったら、私が王女だと知ったから態度変えたんですね」
「っ……次、手ぇ出したら首が飛ぶみてぇだな」
「あの! 私はまだ王女だって認めてないんです。商人のあなたから見たら、大変良い“コネ”になるんでしょうけど……」

 そこまで告げたところで、マオは不意に動きを止める。──そうだ。エクトルは根っからの商人で、貴族とりわけ王族との繋がりは商売において重要となるのだろう。彼は今のうちに王女疑惑のあるマオを手込めにして、後々のパイプを作ろうとしたのだ。幸運にも今の破廉恥な行為で彼の目論見に気付いたマオは、再び彼に向かって告げたのだった。

「……私に協力してくれたら、商売のお手伝いもするのになぁ」
「……あ?」
「もし私が本当に王女だと分かったら、エクトルさんのことを優遇することも出来ますよねっ? エクトルさん、それが目当てなんですよね?」

 ずいっと詰め寄れば、エクトルはちらりと仔猫を見つつ仰け反る。マオはお構いなしに距離を詰めては、力強く言葉を紡いだ。


「だったら約束します。もしもお城側とホーネルさんの言葉が一致して、私が王女になったら……ちゃんとお城に戻った上で、エクトルさんが望むものをあげます」


「……お前が王女でなかった場合は?」
「……は、剥製以外のことで、お詫びをします」
「ちなみに、お前は俺が望むものなんざ分かるのか?」
「う……っわ、分かりませんけど。でもそれを用意できなくても、私に出来るお手伝いをするつもりです」

 発言はちょっとずつ弱気になっていったものの、マオが提示できる条件はこれぐらいだろう。さあどう答える、と緊張感たっぷりに身構える彼女に、エクトルは暫しの間を置いてから溜息をつく。そして痛む頬を摩りつつ、マオとは反対側の壁に再び背を預けた。

「……なるほどね。この俺の後ろ盾になるってか。この前とは立場がまるで逆になってやがる」
「そ、そうですね」

 紅蓮の瞳は真剣な光を宿し、真っ直ぐにマオを射抜く。気圧されながらも逸らすことなく見返せば、やがて彼は口許を歪めた。芝居じみた動きで肩を竦め、「分かった」と告げる。

「事の真偽が分かるまで、お前に協力してやろう。そして本当に王女だったなら、お前は俺を優遇すること。まあ、ないとは思うが……王女でなかった場合は覚悟しておけよ」
「はい。大商人のエクトルさんをこき使うんだし、相応の対価は必要だと思ってます」
「そりゃ光栄。なら、これで商談成立だ、お嬢さん」

 何気ないエクトルの言葉に、マオは思わず笑顔になってしまった。彼女は自身を商人の端くれと宣いながら、そういった売買をしたことがない。「商談成立」という単語にちょっとした感動を覚え、マオは見るからに上機嫌になっては、エクトルに引かれた目で見られたのだった。

inserted by FC2 system