プラムゾの架け橋

第四章

 40.





 尋常ではない勢いの血飛沫に、ギルは目を見開く。自身に痛みはない。大量の赤は、今まさに彼を殺そうとしていた賊の肩から溢れ出していた。ギルが思わず後ずさるのと同時に、一瞬で腕を斬り飛ばされた賊が悲鳴を上げる。地面に落ちた彼らの腕は、武器を手放して血だまりに沈んでいく。


「──喚くな。さっさと死ね、愚物め」

 
 蹲った一人の首へ、止めと言わんばかりに剣が突き立てられる。一突きで悲鳴を遮断し、絶命した賊を道の脇へと蹴る。容赦のない一方的な行いに、ほんの数秒前まで調子に乗っていた賊はすっかり青褪めてしまっていた。……正直なところ、あと一歩でも前に立っていたなら、あの恐ろしいまでの切れ味を誇る剣に、ギルの首も吹っ飛ばされていたであろう。そう直感していたからこそ、彼はすぐさまマオの近くまで駆け寄る。

「マ──」
「ギル!」

 彼の言葉を遮り、それまで放心状態だったマオが勢いよく抱き着く。彼に突き飛ばされたときは生きた心地がしなかったが、抱き締めて温もりを感じたことで、ようやくマオは安堵を得た。それでもなお震える彼女の腕を見てか、ギルは若干の戸惑いを見せつつも無理に引き剥がすことが出来ないようだった。しかし、背後から断続的に続く悲鳴を聞いては、悠長に抱擁をしている場合でもない。

「……マオ?」
「うぅ……っ死んじゃうと思ったあ……!」
「大丈夫だ、生きてるから。それより早く逃げるぞ」

 半分泣いていたマオは、彼から静かに宥められて立ち上がる。そして今更ながら気付いたのは、現在すぐそこで賊を甚振っているのが見覚えのある人間ということ。白金の癖気味な髪、冷たい瞳、無慈悲に振られるサーベル──公爵家のミカエルその人だったのだ。何故彼がここにいるのかと、マオは驚いて目を丸くした。そうこうしているうちにミカエルは賊を一掃してしまうと、サーベルに付着した血を払う。

「うぁあッ……てめぇ、何しやがる……!!」
「何とも羽虫はしぶといな。まだ息があるのか」
「んだと……ぎゃあああ!?」

 サーベルの先で傷口を深く抉り、またもや上がった悲鳴に彼は溜息をついた。そしてすかさずサーベルを引き抜き、今度は口に突っ込んでしまう。仔猫が視界を塞いでくれたものの、苦しげな呻き声がぷつりと途切れたことで、マオでもミカエルが何をしたのかは予想がついた。

「さて。ロンダム以来だな」

 ミカエルは何事もなかったかのようにサーベルを納めると、マオたちの方へと歩み寄ってきた。彼女の珊瑚珠色の瞳を確認しては、鬱陶しそうに手前のギルを見遣る。

「そこを退くが良い。私はその娘に用がある」
「……でもその内容は言わないんだろ?」
「口答えをするな傭兵風情が。貴様も斬り捨てるぞ」

 まるで会話が成り立たない。ギルを間に挟むのは危ないような気がしたマオは、自分でミカエルと話をしようとしたのだが。

「じゃあ何で助けたんだ? あのとき俺が殺されてから賊を追い払えばよかったのに」

 ギルが投げ掛けた疑問に、そういえばと彼女もまばたきを繰り返す。賊に襲われかけたギルを見殺しにして、その後でマオを連れ去ってしまえば良かったものを。ミカエルは何故かギルを助け、恐らく大嫌いなのであろう平民との会話をする羽目になっている。不自然な行動にマオが首を傾げれば、貴族の青年は深い溜息をついた。

「……私は美しいものが好きでな」
「……は?」

 唐突な切り出しに、ニュアンスは違えど二人は同じ反応をしてしまった。

「この羽虫共のような汚らわしいものは、我が王の治める素晴らしきプラムゾに不要だ。貴様ら平民は羽虫よりも僅かにマシであっただけのこと。しかし……」

 何とも理解しがたい発言に二人が固まっていると、お構いなしのミカエルは薄く笑う。そしてギルの顎をぞんざいに掴むと、指を食い込ませながら語った。

「さすがはフェルグスの倅。貴様には美しき精神が宿っていたようだ」
「放せ……って親父を知ってるのか?」
「喋るな。その娘を差し出さなかった貴様の心性を称えたのだよ。騎士の志というものには感銘を受けているのでな」
「ッ!」

 話し終えるや否や、ミカエルは顎を掴んだ手を勢いよく振り払う。ギルが容易く脇に転がされてしまい、マオは慌てて助け起こそうとしたのだが、彼女の腕はすぐさまミカエルに掴み寄せられた。

「ひッ、あ、あの」

 腕を掴まれたまま、マオは暫し冷ややかな視線に晒されることとなった。蛇に睨まれた蛙同然に、彼女は気まずさ全開の表情を浮かべながらも、視線を外すことが叶わない。外すと何となく怒られそうな気がしたからだ。恐らくほんの数秒だったのだろうが、マオにとっては永遠にも思える時間は、ミカエルが口を開いたことで唐突に終わる。

「……ふん、ヴェルモンドの読みは正解らしいな」
「え……」

 彼はおもむろにサーベルを引き抜くと、その刃をマオの眼前に翳した。斬られるのかと身を強張らせたのも束の間、幾分か優しい手付きで頬を撫でられる。反射的に閉じていた目を、促されるままに恐る恐る開けてみると。

「……ひ、光って……?」

 サーベルの刃と柄の境界、そこに嵌め込まれた真紅の石が輝いていた。宝石が陽光を反射しているのかと思ったが、曇り空の下これほど強く輝くことはないだろう。ミカエルとサーベルをおろおろと交互に見ていると、彼はゆったりとした口調で語り出す。

「これは王宮に保管されている中でも、一際大きいミグスでな」
「!」
「単なる装飾品として技師は組み込んだそうだが……ごく稀に、こうして不思議な輝きを放つことがある。何故か分かるか?」

 ミグスの石を見詰め、マオは少しの間を置いてから首を横に振った。少しは考えてみたいが、あいにく剣を突き付けられたままのんびり思考する余裕は持ち合わせていない。ミカエルはそんな彼女の気持ちを察したのか、サーベルを下ろす。その代わりに、腕を掴んでいた手でマオの顎を掬い上げ、──囁いた。



「──ミグスは“術師”に反応する。貴様のような恐ろしく強い力を持った者には、特にな」



 言われたことが全くもって理解できず、マオは唖然とする。アホ面と言われても仕方のない驚き様に、逆にミカエルの方が動揺してしまっていた。

「何だその顔は……貴様、まさか自分が“術師”だと知らなかったのか」
「え……はい……? 私、“術師”なんですか……?」
「ミグスの輝きは嘘をつかん! 心当たりぐらいあるだろう!!」
「ひえっ」

 至近距離で怒鳴られたマオは、頬を引き攣らせながら記憶を遡る。今までに会った“術師”と言えば、リンバール城のセレスティナや幻夢の庭のノイン、明言はしていないが恐らくそうであろう手紙屋。しかしセレスティナについては力が失われているという話を耳にしていたので、マオとの比較は無理だろう。他二名と自身の共通点を必死に考え、辿り着くものといえば──“階段”内での現象だろうか。ノインは“階段”と類似した空間である幻夢の庭を自在に操作し、手紙屋に関しても“階段”を利用して通常の倍の速度でプラムゾを移動している。そしてマオもまた──。

 段々と戸惑いを露わにし始めたマオは、自分がミカエルに狙われる理由を朧げに理解した。それはマオが“術師”であり、その体内にミグスの石を保有する存在だからなのではなかろうか。断定は出来ないものの、ハイデリヒが「ミグスを好む貴族は多い」と言っていたこともある。

 ──ミグスの採れる苗床。

 サーベルに嵌め込まれた真紅の輝きが、ひどく恐ろしく映った。

「わ……私、殺されて装飾品にされちゃうんですか……!?」
「!?」

 混乱を極めたマオは、恐怖やら焦りやらで涙を溢れさせる。一粒落ちれば堰を切ったように次々と頬に筋が走り、しまいには嗚咽を漏らして泣き始めた。立ち尽くしたまましくしくと泣く彼女の前では、ミカエルが何とも言えない表情で固まっている。ギルの刺すような視線を背後から受けてか、彼は僅かに居心地が悪そうに身じろいだ。

「……誰もそのようなことは言ってな……ええい、煩わしい! 私が話す前でぴーぴー泣くんじゃない! 貴様をヴェルモンドの元へ連れて行けば、私の仕事は終わるのだ!」

 そう言ってミカエルが再び手を伸ばした瞬間のことだった。マオの外套のフードから仔猫が飛び出し、その手に噛み付いたのだ。彼は痛みに声を上げ、勢いよく手を振り払う。仔猫はすぐさま離れると、マオの肩に飛び乗った。

「くっ……その汚らわしい獣は先に処分してしまわねばな……!」
「!」

 それまでは比較的温厚だったのかと錯覚させるほど、ミカエルの表情は怒りと憎悪に満ちたものになっていた。マオはあまりの変貌ぶりに驚き、慌てて仔猫を抱き締めて後ずさる。ギルが咄嗟に彼女の元へ駆け寄るのと、ミカエルが仔猫に狙いを定めたのは、殆ど同時だったと言えよう。

 しかし、二人よりも一足先に動いた人物がいた。

「ひゃあ!?」
「う!?」

 茂みから飛び出した人影は、マオとギルをそれぞれ両脇に抱え、あっという間にミカエルから遠ざかる。思わぬ救世主は参道の門から東へと駆け抜け、再び森の中へ。軽々と抱えられた二人は暫しの沈黙の後、顔を見合わせる。首を捻じる形で見上げれば、そこにはマオにとって懐かしい顔があったのだ。灰色の髪、褐色の肌、どこか情けない顔立ちの──。


「──お……オングさん!?」


 マオの声と視線を受け、オングはちらりと彼女を見遣る。彼は少しばかりの焦りを宿しつつも、安心させるような笑みを浮かべた。

「どうしてここにっ?」
「ええと、久しぶり、マオ。後でゆっくり話そうか」
「オングっていうのか。ありがとう。俺なら走れるぞ」
「そ、そうかい? じゃあ森を抜けたら降ろすよ」
「みー」
「うおぁッッ」

 いつの間にか背中に貼り付いていた仔猫に気付き、オングは心底ビビった様子で声を上げる。けれど仔猫は特に反応もせずに、マオの元まで滑り落ちていった。何はともあれミカエルの手から逃れることに成功した三人は、そのままフェルグスに指定された南東方面へと向かったのだった。



 ▽▽▽



 ほんの僅かな油断のせいで、目的だった娘を取り逃がした。ミカエルにとって、その事実は屈辱以外の何物でもない。痛む右手を押さえ付け、未だに止まらない血を見ては舌を打つ。

「忌々しい獣が……」
「ミカエル様。……その傷は」

 そこへ一つの影がやって来た。今しがた西方から追い付いて来たのだろう。遅いと怒鳴りつけたいところだが、あの娘が遠ざかる前にと、彼は険しい口調で告げた。

「標的が東に逃げた。今すぐ追え」
「……。周りの者は如何いたしますか」

 振り返れば、そこには跪く黒衣の男がいる。腹で何を考えているかは知らないが、ここまで従順な部下は滅多にいない。聞けば、この者が得意とするのは諜報ではなく暗殺らしい。ならばと、ミカエルは煮え滾る怒りを露わに指示を出したのだった。


「殺せ。貴様の本懐を見せてもらおうか、ジャレオ」

inserted by FC2 system