プラムゾの架け橋

第四章

 39.





 中央階段──それはプラムゾの“聖域”と称され、安易に足を踏み入れてはならない場所として知られている。周囲を険しい山脈と森が守るその地は、人に有害な植物や危険な生物も棲息していると言われている。獣嫌いな貴族はもちろん、商人や傭兵も軽い気持ちで足を踏み入れる者は滅多にいない。

 だが、かつて第三層には“聖域”を拝むための参道が設けられていた。今では数百年前に造られた過去の遺物として見なされているものの、当時は多くの人間が中央階段へ赴いていたという。彼らが向かった先に何があったのか、それは不思議なことにどの書物にも記されていない。参道の崩壊後、数多の学者が中央階段へ辿り着ける他の道を捜したが、遭難者や死者を生み出すだけで成果は得られなかった。

「……参道を造り直すことは出来なかったのかな」
「許可のない大規模な建築は王が禁止してるからな。何故か参道の再建だけは、何百回と申請しても許可が下りないらしい」
「そうなんだ……?」

 マオとギルはつと視線を動かし、段々と近付いてきた山を見上げる。遠くから眺めたことはよくあったが、近くに来るとより一層そのとんでもない規模が窺えた。規模というのは山々のことではなく、それらを嘲るように空を貫く巨塔──中央階段のことだ。雲をうっすらと纏う姿は神々しさすら感じさせ、見詰めるだけで吸い込まれてしまいそうなほど、美しい円を描いていた。

「すごいね、ノット……ここからでも中央階段が見えるよ」
「みー」

 もぞもぞと外套のフードから顔を出した仔猫は、マオの指し示す先を辿って鳴き声を上げる。そのまま中央階段の頂を見上げていったものの、あまりの高さに後ろへひっくり返っていた。くすくすと笑いつつ、マオは山々と反対側を見下ろす。崖の下には湿原が広がり、大瀑布の流身が正面に見えた。その真下には滝壺と、いくつも枝分かれした川が流れている。第三層の南半分には、あのような川が満遍なく通っており、大半は落ち口に向かって絶え間なく流れていく。対する北半分は切り立った渓谷が多いため、第三層は標高も景色も全く異なった二つの地形が共存しているのだ。

 この数日間、傭兵団の砦からひたすらに東へ歩いてきたマオとギルは、無事に目的地である参道の手前付近まで来ることが出来ていた。頻繁に砦の方角には注意を払っていたが、赤い狼煙が上がることもなく。冷静かつ腕も立つフェルグスのこと、恐らく公爵家の使いを追い払うことができたのだろう。

「あとは参道の手前で合流すればいいんだよね」
「ああ、この付近に使われてない小屋があったと思う。そこで……」

 急に腕を掴まれ、マオは茂みの中へと引っ張られる。まばたきを繰り返しつつ、一緒に茂みに身を隠したギルを見遣った。彼はちらりとマオを一瞥しては、そっと進行方向を指差す。木々の隙間から恐る恐る覗いてみると、寂れた一軒の小屋が見えた。

「……あれが使われてない小屋?」
「……そうなんだが、中に誰かいる」
「えっ」

 そう言われてから初めて、マオは小屋の中から物音がしていることに気が付いた。それもなかなか騒がしい。どうやら複数の男がいるようで、笑い声や口笛まで聞こえてきていた。

「な、何かうるさいね」
「賊かもしれない。そうでなくとも面倒臭そうだ」

 それは確かにと、マオは思わず頷いた瞬間。小屋の木製の戸が開け放たれ、酒瓶が放り投げられる。男の笑い声が鮮明になったと同時に、マオはちらりとその中を見てしまい、青褪めた表情でギルにしがみついた。

「ぎ、ギル、ギルっ」
「!」

 扉の向こうには血まみれの人間が倒れていたのだ。ぐったりとした手足は動く気配がなく、既に事切れてしまっているようだ。マオは猛烈な吐き気と悪寒を覚え、自身の身体を強く抱きしめる。

「……賊だな。あの小屋にいた旅人を襲ったんだろう」
「そんな……」
「離れよう。見つかったら不味い」

 ギルは彼女の肩を宥めるように摩りつつ、ゆっくりと立ち上がった。しかし残酷な遺体を目にしたせいか、マオの脚は震えっぱなしだ。それでも怖がっている暇はないと言い聞かせ、彼女が木を支えに腰を上げたときだった。

「みッ」

 仔猫が耳と尻尾を立て、二人の背後を見上げる。その仕草を目にした直後、ギルは咄嗟に剣を引き抜いて振り返った。

「──ガキ一人、獣一匹、それとぉ……?」

 そこには眼帯をした大柄な男が、値踏みをするような眼差しでこちらを見下ろしていたのだ。剣を向けられていても怯む様子はなく、否、初めから視界に入れていないような感じさえした。そして男はマオが振り返ると、にたりと頬を釣り上げる。

「女一人。良い土産ができたな。おらガキ、そこどけ」
「ふざける、なッ」

 ギルが剣を振り抜けば、男は咄嗟に攻撃を後ろへと避ける。距離が空いた隙を狙い、ギルは硬直しているマオの手を引いて走り出した。そこでようやく彼女は危機感に襲われ、あの男が賊であることを理解する。第二層のプスコスの町で暴漢に襲われかけたことまで思い出してしまい、マオは大きく息を吐くことで込み上げる恐怖を必死に抑え込んだ。

「おい、お前ら! 狩りの時間だァ!!」

 そのとき、後方から男が大声でそんなことを叫ぶ。声色は至極愉しげで、まるで今から遊びに興じるような雰囲気を纏っていた。あの小屋にいた者たちを呼んで、マオたちを袋叩きにでもする気だろうか。次々と湧いてくる嫌な予感に背筋が冷え、マオは前を行く彼の手を強く握った。

「……。ちゃんと前見て走れ、もう転ばないって決めたんだろ?」
「……!」

 ハッとして顔を上げれば、振り返ったギルと目が合う。マオは怖気づきながらも頷き、走る速度を上げた。

 茂みの中を突っ切る形で進むうちに、辺りが妙に静かになった。てっきり後ろから追ってくると思っていたマオは、安堵よりも不安を色濃くして周囲を見回す。小屋にいた賊は複数、最低でも三人以上はいた。先程鉢合わせた男を合わせれば四人以上だ。マオたちを包囲して一網打尽にすることも可能だろう。ゆえに気を抜けばすぐに捕まる可能性もあるわけで、常に周りには注意を払わねばならなかった。

「マオ」

 ギルの呼び掛けで一旦立ち止まると、二人はその場にサッと身を屈める。遠くに人影が見えたのだ。武器を無造作に振り回していることから、あれも賊の一人だろう。

「……俺が走ったら、後ろから付いて来てくれ。いいな?」
「う、うん」
「行くぞ」

 賊がはっきりと視認できる距離まで近づくのを待ってから、彼は剣を構えて駆け出した。マオもすぐにその後を追えば、足音に気付いた賊がこちらを振り向く。

「何だ、男の方かよ」

 ギルを確認するなり嫌そうに顔を歪めた賊は、すかさず持っていた斧を振りかぶる。その緩慢にも思える動きに明らかな油断を見たギルは、斧が打ち下ろされるより先に懐へ踏み込み、腹部に剣を叩きこんだ。

「うぐッ!」

 短期間とはいえ、真面目に鍛錬に取り組んだギルの斬撃は、賊の腹を深く刻む。フェルグス相手に比べれば、賊の動きは遅すぎるくらいだったのだ。それでも致命傷には至らず、賊は怒りの形相で距離を取り、再び斧で襲い掛かってきた。

「みゃっ」
「ぎゃあ!? 何だ!?」

 そこへ、全く想定していなかったであろう伏兵──仔猫が賊の顔面に貼り付く。前が見えなくなった賊は、慌てて仔猫を引き剥がそうとしたが、それはギルの体当たりによって阻まれた。勢いよく弾き飛ばされた賊は、視界が塞がったまま木に後頭部をぶつけ、うめき声を漏らして倒れ込む。

「さすがだな。助かった」
「みー」

 身軽にマオの元へ帰ってきた仔猫は、ギルに対してひと鳴き。一連の出来事を見ていたマオは、仔猫が勝手に飛び出していった辺りから息を止めてしまっていた。たまに悪戯のように敵を翻弄する仔猫には、何度「危ないから駄目だよ」と伝えても無駄なようだ。取り敢えずギルも仔猫も無事だったので、マオは小さく息をつく。

「マオ、まだ走れるか?」
「あっ、う、うん」

 一人を伸すことが出来たからと言って、安心するにはまだ早い。残りの賊が今の騒ぎを聞き付けて、こちらに向かってくるだろう。それよりも先にこの場を離れ、身を隠せそうな場所を探さなければならない。二人は人影や足音に気付き次第、慎重に道を選んでいった。マオは息を切らしながらも何とかギルに付いていっていたのだが、唐突に視界が開けたことで逃亡は終わりを告げる。

「!? え」

 目の前に現れたのは石造りの門。そして至るところが崩壊した橋。そこは参道の入り口だったのだ。話によれば参道は道が絶たれており、この先へ進んでも逃げ場がなくなる。

 ──誘い込まれた。

 マオとギルは急いで森の中へ戻ろうとしたが、行く手を阻む大きな影にたたらを踏む。

「追いかけっこは終わりだ。観念しな?」
「ッ!」
「ギル!」

 賊に突き飛ばされたギルを、マオは咄嗟に支えては後ずさる。気付けば周囲には数人の男が姿を現し、各自が逃げ道を塞いでしまっている。唯一空いているのは、参道へ続く門のみ。どうすると焦っている間にも、賊はじりじりと距離を詰めてきていた。

「なあボウズ、その嬢ちゃん置いて行けば助けてやるぜ?」
「穏便に交渉と行こうや」

 にやにやと下品な笑みを浮かべ、賊はギルに語り掛ける。無論それに耳を貸すはずもなく、彼はマオを背に庇いつつ首を横に振った。

「誰が応じるか、そんなくだらない交渉」
「くだらねえか? お前の命はその足手まといの女を差し出せば助かるんだぜ? 応じなければ、お前はここで肉塊になっちまう」

 賊は武器をちらつかせ、更に脅しをかけていく。「足手まとい」と指差されたマオが肩を震わせれば、戸惑いを打ち消すように手を握られる。ギルは眼前に突き付けられた刃を見てもなお、恐怖など一切露わにせず言い切った。


「……命惜しさにマオを引き渡すくらいなら、死んだ方がマシだ」


 その返答に一瞬の沈黙が流れ、次いで笑いが起きる。一頻り笑った後、賊は哀れむような目でギルを見下ろした。

「可哀想にな。そんな青臭ぇ騎士道精神に縛られちまって」
「時には潔さも大事って学んだ方が良いぜ?」
「でもまあ、お前はよっぽど死にてぇらしいから……望み通りにしてやるよ!!」

 数本の剣や斧が一斉に振り上げられた瞬間、マオは強く突き飛ばされる。彼女の視界には、今にも武器を振り下ろされそうになっているギルの背中が映った。

「や……やめて!!」

 マオの悲鳴にも似た声が木霊したのち、血飛沫が地面を汚したのだった。

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