プラムゾの架け橋

第四章

 38.




「あ、アドリエンヌさん、大丈夫ですか……?」
「え……っああ、ごめんなさいね。ちょっと椅子の脚が脆かったみたい、ふふふ、取り替えてくるわね」

 アドリエンヌは不自然極まりない笑いを漏らしながら、そそくさと作戦室を出ていってしまう。あまりの動揺っぷりにマオが困惑していると、副長を見送ったフェルグスが呆れ気味に告げた。

「……何だ。まだ引き摺っているのか」
「アドリエンヌさん、何であんなに慌てて……? いや、というか、お二人ともホーネルさんとお知り合いなんですか?」
「だいぶ昔の知り合いだ。アドリエンヌは……まあ、本人に聞いてくれ。あまり詳しくは知らん」

 マオは驚きを隠せぬまま、呆けた顔でまばたきを繰り返す。リンバール城から拉致され、幻夢の庭でサイラムに助けられ、その彼が示した人物が──よもやホーネルと知り合いだったとは。回りまわって、というわけでもないが、マオは不思議な感覚を抱く。

「もう二十年ほど会ってないが、その間に人知れず君を拾ったようだな。おまけに第一層まで下りているとは」
「! あ、あの、フェルグスさん。ホーネルさんはやっぱり上層で暮らしていたんですかっ?」

「ああ。──最上層にな」

 ホーネルが“天空の塔”を治める王と同じ、最上層で暮らしていたという事実に、マオは思わず言葉を失った。何故ならそれは、彼がその生活に相応しい地位や身分を所持していたことを示すのだ。確かに彼は何となく横暴な態度だし、マオ以外には上から目線かつ人を揶揄うような物言いが目立つし、力仕事や面倒事には見向きもしない節がある。てっきり個人の性格かと思っていた部分が、今になって──「一般的な貴族の特徴」によく似ていることにマオは気付いてしまった。

「うわっ……」
「……何を思ったかは聞かないでおくが、まあ……それなりの身分を持つ人間だったことは確かだ」

 小さく声を漏らしたマオに、フェルグスは静かにそう告げた。ホーネルの残念な性格に思いを馳せたところで、マオはようやく首を傾げる。何故ホーネルはそのような優れた身分を持っていたにも関わらず、今は平民同然の暮らしをしているのだろうかと。彼女の疑問が顔に現れたことを知ってか、団長は懐かしむように語った。

「ホーネル殿は伯爵家の次男でな。社交場に全く出てこないことで有名だった」
「え……それ、いいんですか?」
「いや。ご両親からよく叱責されてたそうだぞ」

 当時から周囲に対する態度は酷かったようで、ホーネルは伯爵家の問題児とまで言われていたそうな。武術はいまいちながら、学問には人一倍秀でていたことから期待はされていたが、やはり彼は貴族の云々には興味が薄かったという。それとは対照的に、彼の兄は大変優秀かつ周囲からの評判も良く、現在も伯爵家当主として領地を治めているらしい。

「……じゃあホーネルさんは、お兄さんに家を任せて出ていった……ということですか?」
「ああ。ある日突然、置き手紙一枚残してな」

 フェルグスがそのことを知ったのは、ホーネルが家を出て数年経った後だった。そしてフェルグスもまた、その時既に王宮騎士団を辞し、傭兵団として活動を開始していたそうだ。それ以降ホーネルの行方は分からず仕舞いだったわけだが、やがて装身具の商人に同じ名前の憎たらしい男がいると聞き、彼が完全に貴族の身分を捨てたことを悟ったという。

 初めて聞いたホーネルの経歴に、マオはしばらく黙り込んだ。彼はどうして家を出ていったのだろう。装身具の設計に関して元から興味があったのか、それとも他に何か理由があったのだろうか。今まで彼のことをよく知らないまま接してきたことを、マオは痛いほどに実感してしまう。過去のことだから話しても仕方ない、とホーネルは言うかもしれない。しかし……。

「……もう話さん方がいいか?」
「! え」

 マオは弾かれるように顔を上げた。フェルグスは真剣な眼差しで地図を見詰め、腹の上で手を組む。

「今回の件は、恐らくホーネル殿が鍵を握っている。そう思わないか?」
「そ、それは……」
「なら今ここで俺が昔話をしていても仕方がない。……彼に直接尋ねよう、マオが知りたいことも含めて」

 鋭い瞳を微かに和らげ、団長は告げる。今まで家族として生きてきたことを理解した上での提案に、マオは逡巡してから深く頷いた。思わぬところで詮索してしまったため、ホーネルはきっと複雑な顔をすることだろう。だが、このような状況になった以上、マオには彼の真意を尋ねる権利がある。十六年間はぐらかされてきた様々なことを、他の誰でもない、自らの手で明らかにするときが来たのだ。

「……自分で、聞いてみたいです。ホーネルさんの答えを」

 マオの返答に、フェルグスは満足げに笑った。椅子から立ち上がるついでに彼女の頭を撫でると、彼はほぐすように自身の首を軽く回す。

「さて。そうと決まれば、まずはミカエルを何とか退けよう。彼は残念ながら、君を連れて行くのに合意を得る気は更々無いようだからな」
「そ、そうですね」

 団長の言う通り、ミカエルは“お付き”を使ってマオを連行しようとしている。もちろん、何故連れて行くのかという説明は一切無し。マオを殴って気絶させた上、拘束して馬車に乗せたぐらいなのだから、穏便な用事でないのは確かだろう。

 ふと、ミカエルに直接理由を聞いてもいいのではと考えたりもしたが、彼女は青褪めて首を振る。あの冷たい眼差しを前にして、悠長に言葉を交わす余裕など無い。それに理由を聞いたが最後、そのままマオの意思とは関係なく連行されることが目に見えていた。やはり今は身を隠しつつ、ミカエルと距離を取っておくのが得策だ。

「ホーネル殿は第一層にいるのか?」
「えっと、多分……この前、お手紙を送っておいたんです。もう一人にも……」
「……もう一人?」


「──団長!!」


 話の途中、大きな声が作戦室に飛び込んできた。見れば、そこには慌てた様子のドッシュ、それからロザリーとギルの姿もあった。フェルグスが何用か尋ねるよりも先に、彼らは食い気味に口を開く。

「大変だ、渓谷にあのー、あれだ! あれが来てる!!」
「公爵家の旗章を掲げた集団がいます」
「!」

 ドッシュの曖昧な報告をロザリーが補完して伝えれば、団長の表情がにわかに険しくなった。不安を露わにしたマオが仔猫を抱き締めると、遅れて作戦室に入ってきたギルと目が合った。彼は今朝よりも幾らか真面目な表情でマオを一瞥し、団長の方に向き直る。

「親父、正面から交渉に来たのかもしれないぞ」
「ああ。だろうな。……ちなみにマオ、応じる予定は?」

 フェルグスは悪戯にそう尋ねてきた。とんでもないと言わんばかりにマオが首を振れば、その場の空気が一転して強気なものとなる。

「御覧の通り、回答は拒否だ。ドッシュ、ロザリーは他の団員に伝達した後、引き続き奴らの行動を見ておくように。何かあれば報告を」
「了解!」
「ああ、それとアドリエンヌを見かけたら声を掛けておいてくれ」

 ドッシュとロザリーが作戦室を出ていった後、フェルグスは残った二人を見遣った。 

「ギル、お前はマオを先に避難させろ。渓谷の北側から……」
「参道に続く抜け道だな?」
「そうだ。参道手前の分かれ道で落ち合おう。もしも合流が難しいようなら、ここから赤色の狼煙を上げる。その場合は二人で東に向かえ」

 団長は地図を引っ張り出すと、中央階段の南側を指差す。参道の入り口から湿地帯を迂回する形で、指先を南東方面へと滑らせた。そうして辿り着くのは、険しい山々が連なる山岳地帯。この付近は森林が多い上に、廃屋や古びた遺跡が点在しており、身を隠すには打ってつけだという。

「それほど時間は掛からないと思うが……食料は多めに持っていくこと。準備が出来たら出発するように」
「分かった。……ここ、手放すのか?」
「向こうの機嫌次第だな。最悪、焼き払われる可能性も考えている」

 マオとギルがぎょっとする一方で、団長は涼しい顔のままだ。貴族──とりわけ、見るからにプライドの高そうな公爵家などの人間は、格下に歯向かわれると逆上することが多いのだとか。マオを匿っていることをひたすらに否定し続ければ、恐らく怒って火矢でも放つだろう、と。

「ええ!? じゃ、じゃあフェルグスさんたちも一緒に」
「交渉が終わっても奴らがこの砦を見張り続けるようなら、マオが逃げるための時間稼ぎになるだろう。そして暫くしたら俺たちは依頼を装って砦を出て、奴らに誰もいなくなった砦を調べさせれば良い。それで疑いの目が逸れれば良し、陽動に気付かれても既にマオは遠くへ行っているため追跡は容易ではない。……という筋書だが、どうだ?」
「うぁ……」

 フェルグスから淡々と作戦の内容を説明され、マオは呆けた顔で頷く。「危険だから」という理由のみで発言したことを恥じるほど、団長はしっかりと今後の流れを考えていた。軽率だったと小さく謝れば、フェルグスは宥めるように彼女の肩を叩く。

「一番にそういう発言が出来るのは良いことだ。……だが今話したことは、事が上手く運んだ場合に限る。慎重に行動してくれ」
「は、はいっ! 準備してきます!」

 元気よく挙手したマオは、仔猫と共に作戦室を飛び出したのだった。



 ▽▽▽



 物々しい様子で行進する一団を、付近の村人が珍しげに見物する。しかし空に揺れる公爵家の旗章を目にしては、近付かぬが吉と言わんばかりに爪先を反転させた。彼らが目指す先は、丘の上にある砦。この辺りで有名なフェルグス傭兵団の拠点として知られている場所だ。公爵が直々に依頼をするのか、はたまた別の要件か。面倒な貴族とはなるべく関わりたくない村人にとって、その行く末を予想することなど到底できやしなかった。

 ──そんなざわつく村とは逆方向、砦から北東へ向かった渓谷にて。想像以上に長い行列を、マオとギルは遠くからそっと窺った。

「あ、あんなに沢山来てたんだ……」
「……肝心のミカエルはいないみたいだけどな……」

 公爵家の使いが到着するまでに何とか準備を終えたマオは、フェルグスに挨拶をする間もなく砦を出発した。ギルに連れて来られたのは、本来使用されるべき渓谷の道とは別の抜け道だ。マオはてっきり渓谷ごと迂回してしまうのかと思っていたのだが、岩陰の向こうに見えた景色に思わず跳び上がる。

「ギル、ここ通るの!?」

 そこにあったのは、渓谷の中腹辺りに掛けられた一本の吊り橋。石などの頑丈な素材ではなく、木材を組み立てた簡素な造りで、ちょっとでも衝撃を加えたら崩壊してしまいそうなほど頼りない。しかも頻繁に降る雨のせいか、縄や板がところどころ痛んでしまっている。マオが怯む傍ら、下に流れる川を一瞥し、ギルは堂々言い放った。

「大丈夫だ。意外と壊れない」
「……通ったことある?」
「……数年前に、一回だけ」

 二人は暫し無言で見つめ合うと、ゆっくりと脆い橋を見遣った。あまりにも心許ないが、ここでぐずぐずしていては公爵家の者に見付かってしまう。マオは腹を決め、一歩踏み出そうとして、咄嗟にギルの手を掴んだ。

「やっぱり駄目、お、落ちそう……!」
「一気に走った方が良い気がしてきたな」
「え!? 待って待っ、ひゃああ!?」

 ギルに手を引かれるがままに、マオは橋の上を駆ける。ぎしぎしと大きく軋む音が鳴り、二人は同時に足元を確認する。しかし立ち止まると二度と走れなくなりそうだと悟り、全速力で向こう岸を目指した。

「──おい、そこの二人! 傭兵団の人間か!」

 その時、後方から男が声を張り上げる。見れば、鎧を身に纏った公爵家の私兵が、橋に向かって走って来たではないか。

「まずい、急ぐぞ! 三人も乗ったら多分壊れる!」
「ええ!?」

 ギルのとんでもない発言に目を剥き、マオは必死に足を動かす。短いようで長い吊り橋の終わりが近付き、彼女が一先ずホッとしたときだった。

「──みゃあ」

 ぶち、と嫌な音が聞こえ、二人は頬を引き攣らせる。マオが咄嗟に肩を見ると、身を乗り出した仔猫が吊り縄に鋭い爪を食い込ませていた。止めさせようと手を伸ばすも、一歩間に合わず。仔猫は吊り橋の縄をひと掻きで引き千切ってしまった。

「の、ノット!! わわわ!?」
「マオ!」

 ぐらりと足元が揺れ、体勢を崩したマオは悲鳴を上げる。連鎖的に他の吊り縄が千切れていく中で、素早く反応したギルが彼女の背中ごと引き寄せ、半ば転がるようにして橋を駆け抜けた。それと同時に、吊り橋の足場が下へと消える。ついでに二人を追ってきた私兵までもが落下し、恐怖に満ちた悲鳴が渓谷に響いた。マオとギルは顔を見合せ、慌てて谷底を覗き込む。私兵は幸か不幸か、崖から生えている大きな木に引っ掛かっていた。

「……よし、生きてるな。問題ない」
「う、うーん……それより、ノット! いきなり何てことするの!」
「みー」

 しれっと外套のフードに舞い戻っていた仔猫は、呑気に鳴いては前脚で顔を擦る。全く反省の色が見えなかったので、マオは仔猫の頬を両手で軽く摘まんでおいた。

「まあ、橋を落としておけば後ろから追われる心配もない。あの兵士も見つけてもらえるまで時間が掛かるだろ」
「そうだけど……」
「……大丈夫だ、あの高さなら落ちても死ぬことはないだろうし。急ごう」

 マオは気絶した私兵をちらりと一瞥し、ギルの手を握って頷く。

 彼曰く、あってないような獣道をここから下りていけば、人の手によって整備された開けた道に出られるという。そこからは大瀑布を右手にひたすら東へと向かい、中央階段方面へ向かう。参道に近づいていくと岐路と案内看板があるらしいので、まずはそこに辿り着くことが最初の目標だ。

「参道まで結構長いから、疲れたら言ってくれ」
「うん、分かった」

 一通りの道順を確認し、二人は改めて歩き始める。その傍ら、マオの肩から仔猫がひょこっと顔を覗かせ、後方をじっと見つめた。薄氷色の双眸はゆっくりと細められた後、マオの呼び声によって静かに逸らされたのだった。

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