プラムゾの架け橋

第四章

 37.






 痛む左足を引き摺り、先程から返事をしない彼女の肩を抱え直す。体の至るところに刻まれた傷は致命傷には届かないものの、確実にこちらの体力を見抜いた上での手加減が加えられていた。それは血に塗れた彼女らにとって狂おしいほど腹立たしく屈辱的で、何にも代えがたい怒りとなって滲み出す。

「あの、クソ野郎……ッ何であんな奴がここに……!!」

 悪態をつこうにも、苦しい呼吸がそれを阻む。自らが歩いた跡は赤く彩られており、すぐに奴らが嗅ぎ付けてくるだろう。追い付かれる前に、森を抜けてしまわなければ。

 妙だと思ったのだ。どうして首領から言い渡された任務の内容が、どこにでもいそうな小娘の捕獲なのかと。そして何故、それを配下の商人や傭兵ではなく、殺しを専門とするこちらに回したのかと。理由はきっと、“これ”だ。あの娘は至極厄介な連中にも目を付けられていたのだ。

「あーあ……! ちゃんと注意事項、聞いてりゃ良かったかしら……!」

 少しだけ大きく独り言を漏らし、過去の自分を忌々しく思う。首領は言っていたではないか。捕獲対象の娘は“お付き”に連れ去られた可能性があると。彼女らはそれを大袈裟だと一蹴し、第三層へ向かった。そして見つけた先で、娘と共にいたのは若い剣士と軟弱そうな男だけ。やはり首領の早とちりだったのだと思った。後に二人の男女に任務を邪魔されたものの、あれも“お付き”ではない。ただの戦い慣れた傭兵だろう。あの二人を退けることが出来れば、娘の捕獲も可能だろうと、態勢を立て直していた時だった。


 ──記憶力は良い方でな。


 彼女らの前に現れたのは、白金の髪を持つ青年だった。

 何者も寄せ付けぬ冷たい微笑を浮かべ、後ろに“お付き”を従えた奴はサーベルを引き抜いた。相手はたった二人。だと言うのに、彼女らの剣は切っ先すら掠めることが叶わなかった。妹の足が裂かれたところで、命からがら逃げ出し、今に至る。

「……っルナ、いい加減起きなさいよ。もう外に……!」

 うっすらと光が射し込んだ瞬間、そこに佇む人影に息を呑む。黒一色で固めた姿は、死を呼ぶ者に相応しい。影が何も言わずに武器を構えれば、背後から悠然と近づく足音が聞こえる。

「さて、紅茶は用意していないが、少し話をしようではないか」

 険しい表情で振り向いた先に、サーベルを持った青年がいた。彼は口許を歪め、不気味な笑みを浮かべて見せた。


「札付きの双子。今は大商人の元で殺しをやっているのだったな。──今回は誰を狙っていたのか、教えてはくれまいか?」


 全てを嘲る声、全てを見下す瞳。何もかも、いけ好かない。誰を狙っていたかなど、どうせ予想が付いている癖に。

「……教えるわけない、でしょ。アンタは雇い主でも何でもないじゃない」
「薄汚い虫けら如きが、一端の飼い犬にでもなったつもりか?」

 青年は全く笑っていない瞳を細めると、再度、静かに尋ねたのだった。

「このミカエルが二度も機会を与えているのだ、さっさと答えろ。……マオとやらは、どこにいる?」



 ▽▽▽



「──ノット! もういいよーっ」

 からりと晴れた空の下、木の幹に洗濯紐を結び終えたマオは、反対側を噛んで押さえてくれていた仔猫を呼んだ。紐がしっかりと張っていることを確認しつつ、今しがた干したものと先程洗ったばかりの大量の衣類を見遣る。籠は両手でやっと抱えられる大きさなのだが、それでも全ての洗濯物は入りきらなかった。一体どれだけの汚れた衣服を溜めていたのだろうかと、マオは少々気が遠くなりかけたものだ。

 ドリカの町で二日の休息を経た後、マオは傭兵団と共に第三層を南下し、一週間ほどで拠点である砦に到着することが出来た。切り立った崖や渓谷を抜けた先、小高い丘の上に建てられた砦は、リンバール城ほどではないが大きなものだった。元々は貴族が所有していた建物だそうだが、維持費の関係で放棄されたものをフェルグスが貰い受けたのだとか。標高の低い湿地帯と比べ、周囲から頭一つ飛び出ている砦からは、大瀑布の流身を間近に望むことが可能だ。マオは洗濯物を干しながら、圧巻の景色を見上げた。

「おっ、マオ! 洗濯してくれたのか!?」
「ドッシュさん、おはようございます。まだ途中だけど……今日はこれだけ洗いました」

 するとそこへ、寝起きでも元気なドッシュがやって来た。彼は大量の洗濯物を見るなり、感激したような、それでいて申し訳なさそうな顔で唸る。

「ろくに家事も出来ない奴が大半だからなあ。いやあ、マオが来てくれて助かった! 俺も干すの手伝うぞ!」
「ほんとですか? じゃあ……これ、一番高い紐に干してくれますか?」
「おう、任せろ!」

 快諾してくれたドッシュにお礼を述べ、マオは服の袖や裾に紐を通していく。仔猫は紐を括るときのために木の上で待機しているのだが、どうやらあの場所が気に入った様子だ。気持ちよさそうにまどろんでいる姿を見上げ、マオは密かに笑みを零した。

 ──最後の洗濯物を干し、マオとドッシュは思わず無言で顔を見合わせた。砦のすぐ横にある林に、二人でせっせと洗濯物を干してみたが、予想以上の量だったので辺り一面が服だらけになってしまったのだ。

「こ、こんなにあるとは」
「はっはっは! 今日は天気も良いし乾くだろ!」
「みー」

 木の上から飛び降りてきた仔猫を抱き止め、マオは苦笑いを浮かべる。これは取り込む際にも誰かに手伝ってもらう必要がありそうだ。ドッシュ曰く、天候の崩れやすい三層で雲一つない日は、幸い半日ほど晴れ間が続くらしい。

「じゃあ大丈夫……ですよね」
「マオ、ドッシュ!」

 振り返ると、砦の正面入り口にアドリエンヌが立っている。桃色の髪を緩くまとめた彼女は鎧を身に着けておらず、いつもより生活感のある装いとなっていた。今日も綺麗だなとマオが見とれていれば、副長がにこりと微笑んだ。

「洗濯、助かったわ。ありがとうね」
「あっ、いえ!」
「そろそろ朝食にしましょうか」
「え」

 するとドッシュの動揺した声が聞こえ、マオは不思議そうに隣を見上げた。彼は珍しく頬を引き攣らせており、何故だか冷や汗までかいている。

「ドッシュさん?」
「……今日、副長が当番だったの忘れてた……マオ、覚悟しておいた方がいいぞ……!」

 小声で忠告をしたつもりだったのだろうが、ドッシュは元々の声が大きい。ゆえにその言葉はアドリエンヌにも丸聞こえだったらしく、彼女は額に青筋を浮かべて笑みを深くした。

「ドッシュ。さっさと食べないと素振りの回数増やすわよ」
「ひえ……」

 ──その後、マオは砦の共同食堂にて朝食を取ったのだが、まあ何とも不思議な料理が揃っていた。スープは何故か砂糖をそのまま舐めたような甘さがあり、焼いた鶏肉は味がしない……いや、微かに酸味が利いているような、いないような。ドッシュやロザリーは非常にゆっくり咀嚼をしつつ、アドリエンヌとは視線を合わせないまま食事を進めていた。一方のギルやフェルグスは食べられれば何でも良いのか、黙々とそれを平らげる。と思いきや。

「今日も見事なまでに取っ散らかった味だな、アドリエンヌ」
「うっ……!!」

 フェルグスが遠慮なく料理の感想を述べてしまい、隣席のアドリエンヌは思わず噎せる。

「す、すみません。どうしても勝手が分からず……」
「騎士団にいた頃は当番制じゃなかったのか?」
「ええ、宿舎に専属の料理人がおりまして」

 その会話を聞いて、マオは食事の手を止めた。騎士団とは……と一人で副長を見詰めていると、その答えが隣からもたらされる。

「副長、王宮騎士団に所属してたらしいぞ」
「王宮……? 最上層の、お城のこと?」

 既に料理を平らげたギルは、平然と頷いた。

「親父もそうらしい」
「ら、らしい?」
「詳しく聞いたことないんだよ」

 ギル曰く、フェルグスとアドリエンヌは部隊こそ違えど同じ組織に属していたという。何を契機としたのかは分からないが二人は顔見知りとなり、現在は騎士団を辞めて傭兵団を営んでいる。その際、爵位とやらも全て返上してしまったそうだ。

「騎士……へー……! 格好良いね、フェルグスさんもアドリエンヌさんも」
「まあ……副長はそのせいで料理とか片付けとか、致命的に出来ないんだけどな」

 なるほど、とマオはアドリエンヌが作った料理を見下ろす。皆の反応を見るに、この傭兵団でずば抜けて料理が下手なのは副長なのだろう。格好良い女性という印象が強かっただけに意外だが、マオは逆に親近感を覚えた。アドリエンヌのような人でも、苦手なことや失敗することがあるのだと。きっと頑張っているのだろうし、とマオはちゃんと料理を完食すべく手を動かしたのだった。



 ▽▽▽



 その日の昼下がり。洗濯物を何とか全て取り込んだマオは、団長に呼ばれて砦の作戦室に足を踏み入れた。開け放されていた扉からひょこっと頭を覗かせてみると、既にフェルグスとアドリエンヌの姿がそこにある。

「ああ、マオ。どうぞ入って」

 副長に促され、マオは小走りに彼らの元へ向かった。部屋の中央には頑丈そうな木製の机が置かれ、周囲には何枚もの地図が丸めて置いてある。ごちゃごちゃと散らかった室内を慎重に進み、勧められた椅子に腰かけた。

「えっと……お話って?」
「君を狙う集団についてだ」
「!」 

 先日、フェルグスにはドリカの町で詳しい事情を伝達済みだ。アドリエンヌやギルの証言もまとめた上で、マオを狙っている集団の正体は、公爵家のミカエルが最も可能性の高い候補として挙げられた。団長は傭兵団の砦にマオを匿いつつ、公爵家についての情報収集を行うことを決めたのだ。

 そして今日、フェルグスは外に行っている団員から新しい情報が入ったと告げた。

「この砦から渓谷を抜け、更に東へ向かったところに大きな町がある。そこに視察と称して、ミカエルが滞在しているらしい」

 地図の該当する地域が指先で示され、マオはそれほど離れていない距離に慄く。もしや向こうは既に、この砦の位置を把握しているのだろうか。人里から離れた場所に立地しているため、フェルグス傭兵団の拠点は広く知られていないはずだが……。

「……公爵家は“お付き”と呼ばれる、隠密行動に長けた部隊を動かせる。恐らく奴らの情報網だろうな」
「“お付き”……? あっ」

 マオはそこでふと、エクトルの言葉を思い出す。第二層でマオが尾行されていることを知らされたとき、確か彼も「貴族お抱えの殺し屋」といった表現を用いていたからだ。フェルグスによれば偵察や暗殺を得意とする精鋭が集っており、原則として王と公爵家の人間のみに付き従うという。

「でも、単なる人捜し程度では“お付き”は使わないはずなのよ。彼らは治安維持の一端も担っているから、普段から各層で情報収集や民の観察に務めていて、それなりに忙しいらしいわ」
「つまり、君一人を捜して連れて行くには、随分と大袈裟な人数と金が掛かっているということだ」
「ええっ……?」
「そこで気になったんだが」

 戸惑うマオに対し、椅子にゆったりと腰掛けたフェルグスは、至って冷静な態度で尋ねた。

「君はどうして今まで何も被害がなかった?」
「……? どういうことですか……?」
「アドリエンヌが言ったように、“お付き”は常に各層で網を張ってる。隈なくとは行かないだろうが、君の特徴を伝えて探らせればすぐにでも見つかっただろう。だが、君が第一層……いや、橋脚外の商業区にいる間は誰一人として手出しができなかった。俺にはそう見えてな」

 その言葉には、マオだけでなくアドリエンヌまでもが怪訝な表情を浮かべていた。一体どういうことだろうか。フェルグスの言い方からは、マオが橋脚に初めて足を踏み入れたことで、ほぼ完璧であるはずの“お付き”の情報網にようやく引っ掛かった、という雰囲気が感じられる。まるで、それまではずっと“誰か”に守られていたような──。

「……あ……あの」

 マオは殆ど反射的に口を開いていた。それはほんの僅かな心当たりで、確固たる証拠は無い。けれど今思えばあまりに不自然で、違和感のある──自身の過去。

「私、橋脚に入っちゃ駄目って、言われてたんです」
「!」
「周りの女の子はどんどん上層に出稼ぎに行くのに、私だけ……ずっと」


 ──いつも留守番で悪いねぇ、マオ。


 少しばかり不満はあったものの、幼い少女は“彼ら”から与えられるお土産で十分だった。それは「本当は連れて行ってあげたい」という気持ちが、しっかりと伝わっていたからだろう。だから少女は「何故橋脚に入ってはいけないのか」という問いを、真正面からぶつけられなかったように思う。それとなく不満を露わにしてみたときは、横行する賊や迷子になる危険性を示されたこともあったが……それとは別に、あの屋敷に少女を留まらせておかなければならない理由が、彼らにはあったのではなかろうか。


「プラムゾに入ったら、私が狙われること……みんな知ってたのかな……」


 思い浮かぶのは曖昧な笑み。家族として接してきた、大切な二人の姿。彼らは何を隠しているのだろう。今までの暮らしを疑うわけではない。けれど、マオと彼らの間にある「見えない秘密」に、漠然とした不信感が芽生えたのも事実だった。たとえそれが、マオを守るために生まれた秘密だったとしても、何故だかモヤモヤとしてしまう。

「……ふむ。これは先に保護者を問い詰めなければならんな」
「え……」

 前を向けば、思案げに顎を摩るフェルグスの姿がある。団長はマオと視線を交わしては、微かに笑って見せた。


「──……息子から聞いたぞ。君を育てたのは“あの”ホーネル殿らしいな」


 ガシャン。

 唐突に響いたけたたましい音に、団長とマオはぎょっとして振り返る。そこには椅子から転げ落ち、目に見えて動揺しているアドリエンヌがいたのだった。

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