34.
もどかしい。
金も宿も、注がれる愛さえ無く、私たちは渇いた心を略奪で埋めていた。札付きとなった身で各地を彷徨い歩いていた頃、見知らぬ男に声を掛けられた。
「評判を聞いた」
この男も賞金目当てか、はたまた。私たちはほくそ笑む。どうやっていたぶってやろうか? 見たところ好みの顔と体だから、どろどろに隷属させて、その後で全て奪って殺してやろうか──言葉は無くとも以心伝心の私たちが、ゆっくりと男に手を伸ばそうとしたとき。
「その腕、俺の下で振るわないか?」
男は恐ろしいほど強気な瞳で、その薄い唇を歪めて見せた。不思議なことに、私たちは一瞬でその眼差しに囚われてしまったのだ。聞けば彼は私たちと同じ無法者だが、見上げた向上心を持った男だった。今は地位も名誉も無い、だからこそ全て手に入れてみせる。そのために力になりそうな者を集めている、と。馬鹿な男の戯言に違いないと分かっていたのに、私たちは知らぬ間に承諾していた。
何故かは分からない。この男は私たちに大きな夢を見せてくれる、心を潤してくれると何処かで思ってしまっていた。根拠なんて無かったけれど──今、彼は確かに全てを手に入れている。地位も名誉も金も女も、全てだ。そのために薄汚い仕事をいくつも請け負ったが、どれも避けて通れない必要な過程だった。私たちの勘は正解だったのだ。
「モナ、ルナ。仕事だ」
さあ、今回はどんな仕事だろう。彼のためなら何だってしよう。更なる高みを見せてくれる、他ならぬ彼のために。
──そう思っていたのに、言い渡された仕事は少しばかり不満な内容だった。
◇◇◇
「──待ちなさいよ、ちんちくりん!」
高さも調子も全く同じ二つの声に、マオは小さく悲鳴を上げる。崖から落ちてくるなり襲ってきた双子は、今もマオの後を追いかけてきていた。一体彼女らは何者で、何の用でマオを狙っているのだろう。もしや彼女らも公爵家の手先なのだろうか。いや、それにしては身なりが庶民的というか、雰囲気が賊のそれと似ているような。
「しつこいな。マオ、一人でドリカの町まで走れるか?」
「! 駄目だよギル、一緒に町まで行こう? また一人で引き受けるつもり?」
マオは慌てて彼の腕を掴み、首を左右に振る。ロンダムの町でも彼は一人で公爵家の私兵を引き付け、些か危険な状況に陥っていた。あの時はロザリーとドッシュが来てくれたが、今回もタイミング良く助けが入るかと言えば、可能性は極めて低いだろう。彼の身を案じてそう発言したものの、ギルは少々苦い表情を浮かべて視線を逸らした。
「……俺はまだ攻撃を凌ぐくらいしか出来ないしな」
「え?」
「いや、何でもない」
何故だかブスッとしてしまった彼の横顔を見て、マオは思わず呆ける。もしや何か気に障ることを言ってしまっただろうかと、走りながらも言葉を探した。
「ま、待ってギル、今のはギルのこと頼りにならないとか、そういう意味じゃなくて」
「分かってる。俺が勝手に自分の未熟さに不貞腐れてるだけだ」
「ええっ」
そういうところはやはり素直で、彼は正直に心情を告げる。剣を握り締める仕草からは、ほんの少しの不満が垣間見えた。そもそも彼がこうして感情を露わにすること自体が珍しく、マオは思わぬ反応にたじろいでしまう。しかし彼女に怒っているというわけでもなさそうで、それが余計にマオの対応を鈍らせていた。
「……今はそんな話してる場合じゃないな。あの双子、意外と戦い慣れてる。正面から挑んでも負けるだろうな」
「!」
「さっさとドリカの町に逃げ込むのが一番良い策だ。けど」
そのとき、ギルが突然マオの腕を引っ張る。肩を抱かれた直後、そのすぐ横を拳ほどの石が飛んで行った。ひやりとして振り返れば、モナが舌打ち交じりに腕を下ろす姿。その手には輪っか状にした布が握られている。どうやらあれを振り回して石を飛ばしてきたようだ。
「あいつらもそれを阻止しようとしてくる。俺の囮無しで一緒に逃げるなら、町まで休まずに全速力だぞ」
「だ、大丈夫……! 走ろう!」
「分かった」
疲れたなどの弱音は吐かないと約束し、マオは迷いなく頷いて見せた。いつもなら引き続いて仔猫の鳴き声があるのだが、今は残念ながら別行動中だ。ちょっとした心細さを押し殺して、彼女はギルと共に滑りやすい地面を駆けていく。ぽつりと鼻先に冷たい雫が落ちたかと思えば、遠くから地響き──いや、雷の音が聞こえてきた。
「!」
びくりと肩を震わせ、マオは恐る恐る曇天を窺う。それに併せて小雨が降り始め、視界が段々と白く濁っていく。天気が本格的に荒れる前に、ドリカの町にたどり着かなければ。と、そんなことを考えた直後、ちょうど踏みつけた落ち葉がずるりと泥を滑り、着地したはずの踵が勢いよく後ろへ飛ぶ。
「うきゃあ!?」
「マオ!」
マオが顔面から派手に転倒すれば、数歩進んだところでギルが咄嗟に立ち止まる。
「やったわモナ! あの子ドジ!」
「追い詰めるわよ!!」
その間に双子がこれ幸いと騒ぎ立て、みるみる距離を詰めてきた。マオは泥まみれになってしまった服を気に掛ける暇もなく、慌てて立ち上がろうとする。しかし思うように脚に力が入らず、今の転倒で足首を捻ってしまったことを悟った。
「いい、無理に動かすな」
「ギル……!」
マオの肩を押さえると、ギルは彼女を背後に庇うようにして立つ。そして果敢にも剣を構える姿を見て、双子が猟奇的な笑みを浮かべた。
「うふふ、さっきのお礼よ、坊や!」
「邪魔するならギッタギタにしてあげる!」
刹那、双子は走りながら瞬時に立ち位置を反転させると、先制してモナが跳躍し飛び掛かる。ギルが咄嗟に剣で攻撃を受け止めたのも束の間、僅かに遅れて他方からルナの剣が振られた。既に捉えられている剣はそのままに、ギルは腰にある鞘を片手で引き抜く。甲高い音が耳を劈き、あと少しで腹を引き裂かれるというところで双子の攻撃を防いだ。
「残念、隙あり!」
「っ!」
「ギル!!」
しかし二人の攻撃を一挙に受けるのは無理がある。双子の鋭い蹴りが同時に腹部へ放たれ、ギルは坂道の脇へと飛ばされた。そのまま岩壁に肩を強打した彼が崩れ落ちれば、非情にもそこへ駄目押しの蹴りが叩き込まれる。側頭部に強烈な一撃を食らった彼は、朦朧とした表情で倒れてしまった。
「うーん、ナイトにしちゃあまだまだね、坊や」
「でもあたしたち、ちょっとイライラしてるの。もうちょっと遊ばせてくれる?」
「やめて!!」
彼の意識が薄れてもなお、双子は武器を振り翳す。その光景を見たマオは、捻った足に鞭打ち、ギルの元に駆け寄った。無理やり双子との間に割り込んでは、ぐったりとしたギルを抱き締める。彼女らに背を向ける形で蹲り、マオは「もうやめて」と涙声で懇願した。
「あ、忘れてた」
「そうよ。この子を連れて行くんだった」
「……ねえ、モナ? あたし嫌よ、この子を首領のところに連れて行くの」
「分かるわルナ。あたしたちの首領の周りに、女が増えるのは飽き飽きしてる」
双子は顔を見合わせ、にたりと嗤う。そして足元で震えている少女を見下ろし、その項にゆっくりと剣先を突き付けた。
「“あの子があまりに抵抗するから”」
「“押さえ付けたらひ弱すぎて”」
「“コロッと死んじゃいました”──とか」
冷たい刃の感触と、背後から聞こえてきた会話に、マオはぞくりと背筋を震わせる。この双子はどうやらマオをどこかに連れて行く手筈だったようだが、今しがた予定が変更されたらしい。二人が過激な性格をしていることは既に把握済みだ。きっとこのままマオの首を刎ねることに、ひとつも躊躇などしないことだろう。
「首領に怒られちゃうだろうけどぉ」
「それもまたご褒美よねぇ!」
満面の笑みを浮かべた双子が、マオの首を両側から裂こうとした瞬間だった。
「──え?」
頭上から聞こえたのは、素早く剣を引き抜く音。双子が顔を上げた先には、崖の上から飛び降りてきた一つの人影。雨粒を弾く大剣が振り上げられ、容赦なく双子に向けて打ち下ろされた。
「ぎゃあ!?」
「何!?」
間一髪のところで避けたものの、大剣が下ろされた場所には亀裂が入っている。反応できずに突っ立っていれば、骨ごと粉々にされていたことだろう。尋常ではない力を目にした双子は、警戒と恐怖を露わに武器を構えた。
その一方で、マオは涙と雨に濡れた顔で後ろを振り返る。そこにあったのは大きな背中と──ちょこんと乗っている黒い仔猫。
「ノット……?」
「みゃあ」
仔猫がマオの肩へ飛び移ったところで、不気味なほど静かだった“彼”が動いた。
「──さて。息子が世話になったようだな」
気絶した息子を一瞥し、フェルグスは大剣を再び構える。たったそれだけ、剣を構えただけだと言うのに、彼は周囲の雨音を掻き消すほどの気迫を放った。引き絞った弓矢のごとく鋭い眼光が煌めけば、双子の足がほんの僅かに怯む。一瞬の恐怖を見逃さなかったフェルグスが足を踏み出したときには、既に大剣が彼女らを捉えていた。
「ッぐう!?」
「モナ!! こ……ンのオヤジ!!」
咄嗟に剣で受け止めようとしたものの、モナは容易く弾き飛ばされる。激高したルナが死角から攻撃を仕掛けると、フェルグスは至って落ち着いた様子でそれを回避した。空振りした彼女の腕を大剣の柄で打ち、続けざまに足を払う。ものの数秒で地に転がされた双子は、怒りに満ちた表情でフェルグスを睨んだ。
「ふざけんじゃねぇぞ、舐めた戦いしやがって……!」
「今すぐブッ殺して」
「──下品な言葉遣いね。見た目とお似合いだけれど」
立ち上がった双子の爪先すれすれに突き立てられたのは、長柄のハンマーだった。アドリエンヌはにこりと優雅に微笑んでから、ハンマーを素早く引き抜いてはルナの腹部を打ち、その流れでモナの剣を叩き折って見せた。フェルグスとアドリエンヌは武装解除した双子に近づき、それぞれに武器を突き付けた。
「お前たちは何者だ? 賊か、それとも……」
「マオを狙う刺客かしら。答えなさい」
崖に追い詰められた双子は、忌々しげに二人を睨み、ちらりと視線を合わせる。目配せに気付いたフェルグスが大剣を薙ぐ寸前、双子はあろうことか崖を飛び降りたのだ。
「言うもんですか!」
「覚えてなさいよ、ババア!!」
「ば……ッ」
アドリエンヌの額に青筋が走ったが、追うことが叶わなくなったことを悟っては、溜息交じりに武器を下ろす。振り返れば、既に大剣を収めたフェルグスがマオたちの元へ向かっていた。
「マオ、すまなかったな。そいつはまだ寝てるか?」
「え、あ……!」
ギルを抱き締めたまま放心状態だったマオは、フェルグスに話しかけられことでようやく我に返る。と同時に軽く手を掴まれ、慌てて腕を緩めて確認すると、ギルが目を覚ましていた。まだ意識がはっきりとしていないようだが、彼は側頭部を摩りながらもマオを見上げる。
「マ」
「ギル! ごめんなさい、私が転んだから、ひどい怪我させちゃった……!!」
言い終えるより先に嗚咽が混じってしまい、マオは肩を震わせながら涙を拭った。しゃくり上げながら泣く彼女を、ギルはぼーっと見詰めてから口を開く。
「……マオが謝ることじゃない」
「でも……っ」
「マオ」
そっと肩を叩かれて振り返れば、そこには優しい笑みを携えたアドリエンヌがいた。
「アドリエンヌさん……」
「話は後にして、今はドリカの町に急ぎましょう。雨も激しくなってきたし、ね?」
興奮状態のマオを見かねてか、副長は宥めるように告げた。段々と呼吸が落ち着いてきたマオは、少しの間を置いて頷く。すると坂道から大きな声が飛んできた。見れば予想通り、ドッシュが手を振りながらこちらへ駆けてくる姿。その後ろにはロザリーとハルヴァンもいる。
「おおーい、団長ー!」
「ドッシュ! 岩はどうなった」
「思ってたよりデカかったが、取り敢えず人が通れるくらいにはなったぜ!」
「そうか、ご苦労だった」
ギルに肩を貸しつつ、フェルグスは近くまでやって来たハルヴァンを見遣った。
「ハルヴァン殿、息子らの危機を知らせてくれたこと、感謝する」
「ああ、いえ! 俺は何も……間に合って良かった」
傭兵団と無事に合流を果たしたところで、会話もそこそこに彼らはドリカの町へと急いだ。足首を捻ったと知るや否や悲壮な顔をしたドッシュに抱えられ、マオは人知れず表情を曇らせる。その視線の先には、団長の肩を借りて歩くギルの横顔。
「みー」
頬へ擦り寄る仔猫に視線を移し、マオは無言でその小さな体を抱き締めたのだった。