プラムゾの架け橋

第四章

 32.





「──……リンファ殿?」

 フェルグスの口から発せられたのは、知らない名前。マオがなかなか反応できずにいると、彼女の戸惑いを感じ取ったフェルグスが片手を挙げた。

「……いや、人違いだな。すまん。アドリエンヌ、彼女は?」
「依頼人のマオです。少しばかり厄介な連中に目を付けられていまして……とりあえず、安全確保のためにも同行をしています」
「そうか。事情は後で詳しく聞こう。今はこれを届けなければな」

 彼が取り出したのは、色とりどりの石があしらわれた首飾り。石の大きさはまちまちで、紐も少しだけ毛羽立っていることから、それが少女の手作りであることを明らかにしている。フェルグスは少女の父親を追って“階段”までやって来たが、残念ながらあと一歩のところで間に合わなかったようだ。

「彼が“階段”に入ったのはついさっきだ。すぐに追いつけるだろう」
「全く……団長、何でもかんでも安請負いしていたら、キリがありませんよ」

 アドリエンヌは呆れ気味に告げつつも、恐らく言っても無駄であろうことは分かっているらしく、“階段”の門へと歩を進めた。ロザリーとドッシュも副長の後に続き、のんびりと付いて行こうとしたギルの腕を、マオは咄嗟に掴み寄せる。

「ちょ、ちょっと待ってギル」
「何だ?」
「あの、ここ通るの初めてで……」
「ああ、そうか。出口はドリカの町だぞ」

 ギルはすぐに彼女の言わんとしていることを汲み取り、目的地の名前を告げてくれた。そのおかげでマオの心配はひとつ払拭されたが、問題は“階段”に入った後だ。オルトアの門と同様、妙な景色の中を走り、一人だけさっさと“階段”を抜けてしまうことが考えられる。そして──。



 ──おいで、マオ。



 何よりも不安なのは、“階段”の中にいた珊瑚珠色の瞳を持つ少女。マオとよく似た容姿と声で、眼前に立ちふさがった謎の存在だ。どうにかしてギルたちと歩みを揃えることが出来れば……と、彼女が少々焦り始めた頃、その様子を見ていたギルが口を開く。

「“階段”苦手なのか?」
「えっと……う、うん」
「ふうん…………迷子になりそうだからか?」
「え!?」

 ぎくりとしたマオは、思わず大きな声で驚く。対するギルはまばたきを繰り返しつつ、「いや」と彼女を宥めた。

「たまに小さい子どもが、そう言って怖がるから」
「小さい子どもが」

 何気ない言葉は胸に刺さるものがあったが、マオは気にしないことにして話の続きを促す。

「そういや、“階段”で迷子にならない方法があるらしいぞ」
「え、そ、そんな方法あるの!? 教えてっ」
「あんた本当に迷子になったのか?」

 マオの異常な食いつきぶりに、彼は心底驚いた表情を浮かべた。ハッとした彼女は「なってないよ」と慌てて首を振り、“階段”で迷子にならない方法とやらを尋ねてみる。

「一緒に歩いてる奴を“目的地”に設定すればいい。そうすれば誰かとはぐれることはなくなる」
「……えっと、じゃあギルのところに行きたいって考えてればいいの?」
「そうなるな。俺でも親父でも副長でもいいけど」

 目から鱗が落ちるような思いだった。“階段”は目的地を強く思い描くことで道を形成する。マオの場合、何故かそれが著しく速く機能してしまうようだが、目的地を隣にいる人間に設定してしまえば、他の道が形成されることはなくなる。つまり「ドリカの町へ向かうギルの元へ行く」のような間接的な表現であれば、同行人からマオが一人で弾かれることがなくなる、ということだ。

「なるほど……! ギル、賢い……!」
「手紙屋から聞いたことだから、嘘かもしれないけどな」
「手紙屋さんが?」
「ああ。得意げに話してた」

 マオは相槌を打ちながら、ひとつ引っ掛かりを覚える。手紙屋がこのような方法を知っているということは、彼も“階段”で迷子になったことがあるのだろうか。その話を手紙屋から聞いたギルに関しては、どうやら“階段”で迷子になること自体、あまり信じていない様子だ。これはオングやエクトルと同様なので、一般的な反応と言えるだろう。

 ──手紙屋はあの朽ちた遺跡を、見たのだろうか。

「マオ、親父たちに追いつけなくなるぞ」
「あっ、うん」

 とにかく今は、“階段”を何事もなく抜けられるように願おう。マオが真っ黒な穴の手前まで来ると、そこで待っていたギルが片手を差し出した。

「別に怖い場所じゃないさ。ただの通路だと思えばいい」
「みゃー」

 すると彼の言葉に同調するように、仔猫が鳴き声をあげる。フードからもぞもぞと這い出てきた仔猫は、いつの間にか強張っていたマオの頬にすり寄った。励ましてくれる黒い毛並みを指先で撫で、マオは差し出された手をぎゅっと握る。

「うん。ありがとう、ギル」
「……。適当に話してれば着くだろ。行こう」

 繋いだ手をじっと見詰めてから、彼は心なしか小さな声で告げて歩き出した。その様子に首を傾げつつ、マオは少しでも不安を紛らわせるべく話題を振る。

「そうだ、ねえギル。この門は何ていう名前なの? 第一層の門はオルトアだったけど」

 門をくぐればふわりと視界が暗くなり、次第に白い霧が出てくる。ここまではマオも普通に見たことがある景色だ。マオは頭の中で目的地をギルに固定したまま、しっかりと足を踏み出していく。隣を見れば、ちゃんと彼の姿もある。迷子回避の方法は正解なのだと、彼女が密かに感動した時だった。

「ああ、確かコル……スタ……──あ?」
「え?」

 ギルが目を見開き、足を止めてしまう。彼の視線を追った瞬間、マオは硬直した。白い霧の中、佇む人影がある。遠くにも関わらず、その形は不思議と鮮明に捉えることができた。背中ほどまでの長い髪、淡く輝く珊瑚珠色の瞳。間違いなく“アレ”だ。

「……!! 嘘、また……!」
「みぃー」

 マオと仔猫が警戒を露わにしたことで、暫し混乱していたギルが我に返る。すぐに彼女の手を引き寄せては、遠くからじっとこちらを窺う人影を指差した。

「おい、あれ……マオか?」
「そ、そうだけど、そうじゃないと思う……!」
「! マオ!? 手が」
「へ……っ?」

 恐怖に襲われたせいで、マオはつい「外に出たい」と願ってしまっていた。すると何ということか、彼女の手がみるみる透けていくではないか。このままではギルと離れてしまうと焦っても、意思とは関係なしに体が霧と同化していく。繋いだ手すら質感を失っていることに気付き、マオがとうとう泣き出しそうになったときだった。

「マオっ、落ち着け! あいつは無視だ!」

 人影の視線を遮るように、ギルが目の前に立つ。彼の言葉でようやく目的地の再設定に思い至り、マオは慌てて「外」ではなく「ギル」の元へ行きたいと強く念じた。視界が完全に白む寸前、ようやく手足にしっかりとした色が戻る。マオが恐る恐る指先を持ち上げて確認すれば、手首を頼もしい手に掴まれた。

「……よし、大丈夫そうだな」

 ちゃんと触れることに彼も安堵したのか、彼は短い溜め息をつく。それに併せて二人は進行方向を見遣ったのだが、あの人影がどこにも見当たらない。前回のように話しかけるような真似はせずに、姿を消してしまったようだった。

「何だったんだ、今の……大丈夫か? マオ」
「う……うん、だいじょうぶ……」

 ギルの手を握りながら、マオはまだ落ち着かない胸を押さえた。動悸は激しいまま、彼女に次々と嫌な汗を流させる。マオは自身と同じ姿をした“アレ”にすっかり恐怖心を植え付けられてしまっていた。危害を加えられたわけでもないが、“階段”の中でマオを待ち構えていると思うと、不気味極まりない。

「……さっさと抜けよう。ここにいるとまた遭遇しそうだ」

 さすがのギルもあの人影には不穏な雰囲気を感じ取ったらしく、すぐにマオの手を引いて歩き出した──のだが。



「──え?」



 二人は同時に、間の抜けた声をあげた。いつの間にか霧は晴れ、そこには薄暗い森が広がっていたのだ。過去にもこのような経験をしていたマオは、もしやとギルの横顔を窺う。彼はとても驚いた表情で周囲を見渡しており、やがて背後を振り返った。釣られてマオも後ろを見遣れば、真っ黒な穴──コルスタの門が口を開けている。

「…………外だ」
「……三層、かな?」
「ああ……こんなに早く抜けたのは初めてだ」

 状況を鑑みるに、マオはギルと足並みを揃えて“階段”を進むことが出来たというよりも、どういうわけかギルを一緒に連れて行ってしまったようだ。呆けたまま戸惑う様子から、彼が今までにない速さで“階段”を抜けたことは察しがつく。……すなわち手紙屋が考案した迷子回避方法は、「同行者と同じ速度で歩く方法」ではなく「同行者を一緒に引っ張る方法」だったらしい。


「……ご、ごめん、ギル。私その……“階段”をあっという間に抜けて、迷子になったことが前にもあって」
「そう、なのか?」
「うん。あの人影も、遭うのは二回目で……」

 ギルはにわかには信じがたいのか、マオと門を交互に見遣る。やがて参ったと言わんばかりに後頭部を掻き、彼女の肩を軽く叩いた。

「……難しいことはあんまり分からん。けど、だからあんなに食い付いたんだな? 迷子にならない方法に」
「うっ……ど、どっちかと言うと、一緒にいる人を巻き込む方法だった気がする……」
「手紙屋が考えた方法だしな……ん? ということは、俺たちは親父を追い抜かしてるのか」

 確信はないが、恐らくフェルグスたちのことは追い抜かしていることだろう。マオが「多分」と頷いたところで、門の方から足音が聞こえてきた。もしや傭兵団の者たちだろうかと二人は黒い穴を凝視していたのだが、闇の向こうから現れたのは見知らぬ男性だった。

「……おや? こんにちは」

 二十代半ばであろう男性は、“階段”を出るなり見知らぬ二人に迎えられ、戸惑いながらも笑顔を浮かべる。彼の行く道を塞いでいたことに気付いたマオは、挨拶を返すと同時にその場から退こうとしたのだが。

「あんた、ネルスの町から来た人か?」
「え、ああ、そうだが……」
「娘はいるか?」
「ちょ、ちょっとギル?」

 矢継ぎ早に質問する彼を慌てて止めれば、紫色の瞳がマオを捉えた。ほんの数秒だけ視線が交わったところで、マオもはたと男性を振り返る。もしや、この男性は──。

「娘かい? 五歳の娘が一人だけいるよ」
「そうか。ネルスの町で、父親にお守りを渡せなくて泣いてる子どもがいたらしくてな」
「え!?」

 ギルの言葉にハッとしたような表情を浮かべ、男性は背負っていた荷物を漁り出した。マオはその反応を見て、この男性が城に徴兵されたとい父親なのだと確信する。どうやらマオとギルは、フェルグスよりも先に“階段”へ入ったであろう彼さえも追い越していたようだ。

「ああ、多分……俺の娘だ。昨日そういえばお守りを渡すと言われていたよ……しまったな」
「今、俺の親父があんたを追いかけてる。……しばらく掛かるが、ここで待っていれば渡せるぞ」
「ほ、本当かい? でも何で君がそんなことを……俺よりも先にここを通ったんじゃ……?」

 男性の尤もな疑問を受け、ギルがちらりとマオを見遣る。

「……“階段”を全力で走ってきた」
「えッ」
「あんたに追いつこうと思って。いつの間にか追い抜いてたみたいだな」

 説明をするのが邪魔臭かったのか、ギルは何とも力任せな嘘をついた。すると男性が「君も?」と信じられないような面持ちでマオを見る。マオは咄嗟に笑顔を浮かべて頷く。

「そ、そう……すまなかったね。じゃあここで待っておこうかな」
「ああ。悪いな、俺たちがお守りを持ってくれば良かった」
「いや、構わないよ。急いで知らせに来てくれたんだろう? それだけで嬉しいよ」

 一児の父ということもあってか、男性はとても寛容な人物だった。にこりと優しい笑みを向けられ、マオも釣られて微笑んだのだった。


 その後、少女の父親──ハルヴァンと共にフェルグスを待つこととなったのだが、如何せん空の様子が怪しい。その上、第三層は第二層よりもグッと気温が低く感じられ、マオが思わずくしゃみをしたことで場所を移動することが決定した。ドリカの町は森を抜けて、更に急勾配を下ったところにあるとのことだった。この森は高い場所にあるのだろうか、とマオが不思議そうにギルとハルヴァンの会話を聞いていると、やがて視界が開けてきた。

「……!!」

 二人に置いて行かれることも厭わずに、マオは足を止める。崖の下に広がったのは、切り立った岩肌とそれをヴェールの如く覆う靄。紫がかった曇り空と中央階段を背景に舞うのは、朱や橙に染まる無数の葉だったのだ。不思議なことに、その景色はぼんやりと光を帯びている。

「紅い葉っぱ……」

 ギルが以前言っていた赤い木というのは、あれのことだったのだ。想像していたよりもずっと美しい色を目の当たりにしたマオは、珊瑚珠色の双眸をゆっくりと巡らせる。紫と橙、それから大瀑布が近いのか、空に走る大きな銀色の流身は、さながら星の集まりだ。幻想的かつ魅惑的な光景は、第一層や第二層では見られないものだった。

「マオ?」

 思わず呆けてしまっていたマオは、すでに坂を下り始めていた二人を見遣る。空から微かな雷鳴が響いたことで、あまりのんびりしていると雨に降られてしまうことを思い出した。マオは眼下に広がる景色を一瞥してから、駆け足に坂道を下ったのだった。

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