プラムゾの架け橋

第二章

16.

「──ねえ貴女、ハイデリヒ様とはどういう関係なの?」

 不躾な質問に、マオは縮こまったまま視線を彷徨わせた。彼女の周りには数人の侍女が集っており、皆が前のめりになって答えを待っている。先程まで静かな木陰で涼んでいたマオは、突如として現れた同年代の少女らに辟易した。


「え……えっと、ついこの間、商品の配達途中で知り合ったばかりで……」
「まあ! 羨ましい!! それで!?」
「そ、それで……? 行き先も同じだったから、その、ここまで一緒に行きましょうってことに」
「幸運すぎるわ、あなた!! あのハイデリヒ様と旅路をご一緒できるなんて!」

 「きゃー!」と黄色い悲鳴をあげる侍女らは、戸惑いっぱなしのマオなどお構いなしに、長椅子の両脇に腰掛ける。マオは慌てて外套を退けると、その中に包んだ仔猫ごと下に置いておいた。

「あの……」
「あ、ごめんなさいね。あたしたち、伯爵様の下で働いてる給仕なの。準備も一通り終わって、ちょっと暇してるのよ」
「ねね、ハイデリヒ様のこともっと聞かせて!」

 マオと同じくらいの年頃であろう侍女たちは、声を弾ませながら話をせがむ。取り敢えずハイデリヒの話が聞きたい様子だったので、マオはしどろもどろになりつつ、彼とのやり取りを思い出していった。まず第一層で正面衝突したときの対応、次にリンバール城までの道案内を申し出てくれたこと、道中で色々とプラムゾについて説明してくれたことなど、大雑把に伝えてみる。すると侍女はどんどん色めき立ち、頬まで染めてはしゃぐではないか。

「やっぱりハイデリヒ様は素敵よね……! うちの坊ちゃんもあれぐらい爽やかだったら良かったのに」
「ちょっと、披露宴当日によしなさいよ」
「でもあなたもそう思うでしょー?」
「えぇ? あたしは……」
「あんたはエクトル様が良いんだもんねぇ?」

 流れるように会話が進む中で、マオは聞いたことのない名前に首を傾げた。「エクトル様」というのも、ハイデリヒと同じような貴族の青年なのだろうか。……それにしても、とマオは侍女たちを改めて見遣る。マオの住む第一層は男社会的な面が強いため、年頃の少女と見目麗しい男性の話で盛り上がるという経験はしてこなかった。確かにハイデリヒは優しくて紳士的で、絵に描いたような“王子様”だが……。

「ねえ貴女、ハイデリヒ様とエクトル様、どっちが好み?」
「はぇっ!?」

 ぼんやりと考えていたら、唐突に話を振られた。会話にまるで追いつけていなかったマオがあたふたしていると、それを見抜いた侍女がおもむろに立ち上がる。無視したことを咎めるのかと思いきや、彼女らはマオの両手を掴んで引っ張り上げた。

「ああ、知らないのね? だったら実際に見た方が早いわ! エクトル様は既にご到着されていたわよね?」
「ええ! でも私はやっぱりハイデリヒ様が良いわ。優しくて格好良くて……」
「エクトル様の色気が分からないなんて、お子ちゃま」
「なによ!」

 ヒートアップしていく侍女に連行される最中、マオは木陰の長椅子を振り返る。ぽつんと置かれた外套から、ひょっこりと黒い頭がこちらを見た。すぐに戻ってこれるとは思うのだが、置いて行って大丈夫だろうかとマオは心配の眼差しを送る。すると仔猫は堂々と欠伸をかまし、再び外套の中に潜り込んだ。……何故だかこちらが見放されたような気分になったので、後で嫌がるまで撫でまわしてやろうと彼女は決めたのだった。





 そうして連れてこられたのは、中庭とはまた別の、更に大きな庭園だった。披露宴用の豪奢な装飾が施され、薔薇のアーチがいくつも連なる様は非常に幻想的だ。侍女たちはこそこそと生垣の陰を進み、ある場所でそっと顔を覗かせ、庭の中を窺う。マオも一応、それに倣って膝立ちになる。

「見つけた?」
「ハイデリヒ様……」
「ちょっと、どこよ! ひとりで恍惚としないでちょうだい」

 うっとりとする侍女の視線を追えば、貴族と談笑するハイデリヒの姿を捉えた。青年の後ろには、防護壁のように立つグレンデルも見える。侍女はこぞって青年の笑顔を見ては、小声で悲鳴を漏らしていた。一方のマオはよく分からず、いつも通りの優しい笑顔を眺めるに留まった。

「ほら、次はエクトル様よ、みんな探してっ」
「……あの、エクトル様ってどういう人なんですか?」

 皆がエクトルを探す傍ら、マオはそっと隣の侍女に尋ねてみる。するとその娘はエクトルを推している人間だったのか、嬉々として説明してくれた。

「あのね、エクトル様は貴族じゃないの。数年前から力を付け始めた商人さんなのよ」
「あ……てっきり貴族の人かと」
「でも侮っちゃいけないわ。商人だけど貴族にも負けないくらい財力があるし、おまけに腕っぷしも強いらしいわ」

 人差し指を眼前に立てられ、寄り目になりつつマオは相槌を打つ。エクトルという男はこれといった特定の商売で儲けたわけではなく、幅広い事業に着手して成功した例だそうだ。彼の下には数多くの商人ギルドが集っており、今やひとつの大きな組織として認識されている。エクトルの名を使って店を出し、売り上げを確保できた者はそれなりに裕福な生活を約束されるとか。勿論、失敗した場合や不正を働いた者には相応のけじめを付けさせるらしいが。

「け、けじめ?」
「使い物にならないと判断された商人は、エクトル様がどんどん捌いちゃうらしいわ。その……これはあくまで噂よ? 未開拓地の危険な調査に家族ごと編入させたり、人間の剥製を欲しがる貴族に使えない商人を回したり……そうやって無理やりお金を稼がせるの。失敗した分は自分で取り戻させるっていうのが、エクトル様のやり方よ」
「え……」

 なんておぞましい話だと、マオは顔を青褪めさせる。未開拓地の調査云々に関してもそうだが、何よりも人間を剥製にするとは何なのか。世界にはそのような趣向を持つ者がいるのかと、そしてそれを叶えてしまう商人がいることにマオは思わず恐怖した。そんな彼女の反応を見て、侍女は慌てて肩を揺する。

「噂よ、噂! でもそういう後ろ暗いところに惹かれるというか……!」
「え、ええ……っ? 何で……?」
「見たら分かるわ。あの艶やかな赤毛、逞しい御体……野性的な眼差し……! 貴族にはない危険な香りが──」


「──何だ、俺の陰口か?」


 侍女たちが凄まじい速度で後ろを振り返ったので、マオも一拍遅れて振り返ろうとした。するとそのとき、それまで話していた侍女がくらりと額を押さえる。マオが慌てて支えるよりも先に、視界に入った逞しい腕が娘の腰をぐいと抱き寄せた。跪いた片膝で体を支え、空いていた左手は侍女の片手へ。まるで口付けるかのような距離で、その男は囁いた。

「おい、人の顔を見て眩暈起こしてんのか?」
「あっ、ああ、あの、申し訳ございませ、そういうわけでは……」
「じゃあどういうわけだ? 説明してくれ」

 男の色気に当てられ、侍女はまともに言葉を紡げていない。マオの後ろに隠れてしまっている他の侍女は、顔を真っ赤にして男を凝視していた。彼女らの視線が釘付けになっていることを自覚しながら、男は支えている手にそっと唇を寄せる。

「言えないことか? 伯爵家の侍女には悪い子がいたもんだな」
「お、お許しくださいませ……! け、決して陰口なども叩いておりませんゆえ」
「ふうん?」

 腰を抱かれている侍女は、許しを乞いながらも完全に蕩けた表情を浮かべていた。生唾を飲み込む他の侍女らを背に、マオは一人、この異様な雰囲気に戸惑うばかりだ。なんせ、目の前で甘ったるく侍女を口説いている男には、相当な見覚えがあったから。

「……あ?」

 すると、男がようやくマオの方に気付く。反射的に視線を逸らしたが、侍女の短い悲鳴が聞こえた後、すぐさま頭を引っ掴まれ、向きを戻された。

「うえっ」
「お前、あのときの小娘か」
「お……お久しぶり……です。エクトル……さん?」

 赤毛の美丈夫──エクトルは、興が失せたように溜息をつく。侍女に向けて片手を払ったかと思えば、彼女らは「失礼いたします!」と忙しなく立ち去ってしまった。ぜひとも一緒に逃げたかったマオだが、目の前の彼がそれを許すはずもなく。

「暇潰しだ。付き合え小娘」
「え…………はい」

 渋々、承諾。同じ年頃のはずの侍女たちよりも、扱いが些か雑であることに不満はないものの、今しがた行われた公開リップサービスには引かざるを得ない。先程聞かされた後ろ暗い話も強烈だったので、この美丈夫とはあまり関わらない方が良いのではなかろうか。そんな気持ちを抱えたのも束の間、マオはハッとして前を行くエクトルに声を掛けた。

「あ! あの、エクトルさん!」
「うるせぇな、もうちょっと淑やかに喋れねぇのか」
「す、すみません……怪我とかしてないかなって……」

 即行でダメだしを食らった彼女は、不貞腐れながらも言いたいことを告げた。するとエクトルは庭園から視線を外し、頭一つ分は小さいマオを見下ろす。

「お前、連れとは合流できたのか」
「へっ? はい、プスコスで無事に……あの」
「配達は」
「えっと、私じゃ粗相をしちゃうかもしれないので、別の人が行ってくれてます」

 律儀に答えたものの、返ってきたのは沈黙。会話をしようという気配があまり感じ取れなかったマオは、なにか理由を付けてでも退散した方がよい気がしてきた。本当は怪我の有無はどうとか、有名な商人だったのかとか、人間の剥製についてどう思うかとか……最後の質問は確実に聞いてはいけない事柄だが、色々と尋ねたいことはある。だが当のエクトルは、マオよりも女性らしい娘でないと、まともに相手をしてくれないようだ。自分が先程の侍女のように甘い言葉を囁かれたいかとなると、「ちょっとそれは」と顔を顰めるところではあるが。

「……小娘」
「はいっ?」

 彼の傍からどうやって立ち去ろうかと考えを巡らせているうちに、人気のないところに来ていた。そこは城の外郭と内郭に挟まれ、ちょうど日陰になっている通路だ。披露宴が行われる庭園はしっかり見える位置なので、迷子になる心配はないなとマオが視線を戻すと、そこにはじっと彼女を見下ろすエクトルの姿があった。頭から爪先まで無遠慮に観察され、マオは居心地の悪さと少しの羞恥を覚える。

「な、何ですか」
「あのとき、お前の後をこそこそと追っていた輩について聞きたくてな」

 あのとき、とは間違いなく“階段”を出た直後のことだろう。第二層へ着くなりエクトルの背中に激突し、知らぬ間に誰かから尾行されていたことが分かり、マオは慌ただしく林を抜けざるを得なかった。ゆえに、姿すら捉えられなかった人物についてなど、マオには答えられるはずもない。

「え……私、何も分からないんですが」
「ああ、だろうな。奴が何者なのかは、俺の方がよく知ってる」
「!? 知り合いだったんですか!?」
「そういう意味じゃねえ」

 サッと顔を青褪めさせ、マオは勢いよく後ずさる。何とも露骨な態度に溜息をつき、エクトルは容易く彼女の背中を引き戻してしまった。異性に触れることに躊躇がない彼は、やはりマオにとって少々刺激が強い。距離を取る前よりも更に近くなってしまった胸板を見詰め、彼女は何とか隙間を空けたいと身をよじる。そんな密かな抵抗もお構いなしに、彼はマオの顎を掬い上げた。

「奴は上層の貴族お抱えの、謂わば殺し屋みてぇなもんでな。どうしてそんな物騒な人間が、標的になりえそうにもない下級市民の小娘を狙ってたのか……ちょいと気になってね」
「こ、殺しっ!? も、もも物盗りじゃなかったんですか!?」
「残念ながらな」

 衝撃的な事実を知り、マオの顔色はより蒼くなってしまう。彼女はてっきり、男爵に届ける指輪が目当てで追われているのだと思い込んでいたのだが、どうやら標的はマオ自身だったらしい。第一層でのんびりと暮らしてきた十代半ばの娘を、何の関わりもないはずの殺し屋が付け狙っていた理由とは如何なるものなのか。

「前にも聞いたが……心当たりは? お嬢さん」

 エクトルは改めて、ゆっくりと落ち着かせるように問う。その野性的かつ挑発的な眼差しは変わらずとも、返答を急かすような雰囲気は特に感じられない。明確な真実を求めてはいるものの、マオの「心当たり」にさほど期待はしていないように見えた。

「……な……ないです」
「今しっかり考えたか?」
「かっ考えましたよ、でもやっぱり、命を狙われるほど悪いこと、した覚えないですし」
「随分とゆるく育てられたみてぇだが……まあいい。あの連中は確かに、善良な人間を片っ端から手にかけるような真似はせんからな」

 彼女の返答に少しの呆れを表しながらも、エクトルは軽く突き飛ばすような動作でマオを解放した。たたらを踏みつつも離れたマオは、そのまま庭園の方にじりじりと後退する。

「だがどうする、小娘。アレは何も、一人でお前を観察してたわけじゃねえ。これから先も狙われる可能性は捨てきれんぞ」
「! そんなこと言われても……」

 正直、どうしようもない。その殺し屋というのは、言うまでもなく暗殺や隠密行動に長けた人間で構成されているのだろう。マオは尾行されていることにすら気付けなかったのだから、すぐ近くに危険が迫るまでは対処のしようがない。尤も、すぐそこまで近づかれてしまったなら、抵抗する暇など与えられはしないだろうが。

 黙り込んだマオを見かねたのか、エクトルは不意に唇の端を釣り上げる。そして、彼女の困り果てた顔をそっと覗き込んだ。

「……まあ、同じ商人として助けぐらいは出してやるぞ?」
「へ?」
「お前んとこの装身具店──ホーネル殿が経営する店だろう? 噂はよく耳にする。娘がいたのは知らなかったが」

 残念ながら娘ではないのだが、マオは彼がホーネルの名を知っていることに驚いた。素直に目を丸くしている彼女に笑い、エクトルは話を続ける。

「俺の傘下に入るってんなら、店主も従業員も身の安全を保障してやる」
「え……と、それはつまり……」
「エクトルの名を使って商売するってことだ。今よりも更に顧客は増えるだろうな。悪い話じゃねえだろう?」

 そこでマオは彼の言わんとしていることを悟る。恐らく彼は、腕が良いと評判のホーネルを傘下に入れることで、彼自身の利益をも手に入れたいのだろう。利益を見込めない無名の職人を取り込むよりも、既にある程度の知名度を持つ者を引き入れることは理に適っている。加えて、何故だか狙われているマオのことも、傘下の商人を守るという名目で安全を確保すると。エクトルは今や貴族と対等な立場で発言できるほどの有力な商人……または富豪とも言えるかもしれない。マオやホーネルに護衛を付けることだって容易だろう。

 一見、とてもありがたい話のように思える。数分前のマオなら、「相談してみる」と言っていたかもしれない。そう、数分前なら。

「……剥製……」
「ん?」

 脳裏を過るのは、エクトルの下で失敗した商人は剥製にして売られるという話。厳密には、人間の剥製を欲しがる貴族に売られるということだが、それほど変わりはないと思う。マオは気付けば、震えながら首を左右に振っていた。

「す、すみません、ごっ、ごごごご厚意は大変ありがたいのですが」
「おい、どうした。腹でも下したか」
「そういえばお腹も痛い気がします!! このお話はなかったことに!!」

 早口にそう告げて、急いでその場を走り去る。いくら凄い商人だからと言って、怪しい噂を纏う人物を易々と信用してはならない。それに勝手に承諾したことで、ホーネルに迷惑を掛けてしまうかもしれない。「下手をすれば剥製になります」なんて口が裂けても言えなかった。しかしながら、エクトルの誘いを断ったからには、自分の身は自分で守らなければならない。どうしようかと唸りつつ、マオは中庭へと向かったのだった。

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