プラムゾの架け橋

第二章

15.



 貴族制度は、“天空の塔”に住む人間に秩序と文明を与えた。それまでは深い森と山しかなかった橋脚内部の開拓作業が行われ、居住区域が確保されたことによって、豊かな生活を送ることが可能となった。また、争いが減ったことでプラムゾの研究も捗るようになったという。代表的な例を挙げるならば、橋脚特有の現象である“修復”だ。外部からの衝撃を受けると、橋脚は自らその患部を塞ぐ。この現象は大昔の書物にも記載されていたものの、争いの絶えない時代では確かめる暇がなかったのだ。ある程度の平和が約束されて以降、学者はこぞって第二層へ赴いたそうだ。

「第二層……って、もしかしてプスコスの近くにある、南側の……」

 リンバール城の中庭にて。そこは大きな白い噴水を中心に、いくつもの水路が庭園を巡っていた。涼やかな音と風を聞きながら、マオは木陰の長椅子に座り直す。足元に広がる小さな花から、隣に座るハイデリヒに視線を移していった。せせらぎを見詰める横顔は穏やかで、美しい庭によく馴染む。

「うん、あの歪んだ樹海のこと。見たのかい?」
「はい。その……プスコスまで一緒に行ってくれた人から、教えてもらいました」

 ゆらゆらと扇子を動かす老人の姿が、マオの脳裏を過る。オングたちと合流してから、あの老人は忽然と姿を消してしまった。明くる日、宿屋のエイナに尋ねてみたところ、捜しても見付からないだろうとのことだった。老人はいつも一人でふらふらと旅をしており、忘れた頃にプスコスに立ち寄っては宿泊していくらしい。どこで何をしているのかはエイナにも分からないようで、「余生を謳歌してるんでしょうね」と適当にまとめられた。要するに、心配は無用、と。マオはろくなお礼もできずに悶々としたが、行方が分からないのであればどうしようもない。しかしながら、根拠は全くないが、どこかでまた会えるような気はする。お礼はそのときにしよう、とマオはしっかりと胸に刻んだ。

「それで、歪んだ樹海に何か関係が?」
「ああ、そうそう。歪んだ樹海付近には遺跡がゴロゴロあってね、それは見れたかい?」
「遺跡? いえ、そこまでは……」

 遺跡と聞いて思い出すのは、“階段”の中にあった朽ちた巨大な石柱群と、恐ろしいほどに美しい星空。マオがこれまでに見た遺跡はそれぐらいで、歪んだ樹海付近にそれらしいものを見付けることは叶わなかった。

「もう何百年も前のものだから、殆どが崩壊してしまってるかもしれないな……そこで暮らしていたのが、セレスティナの一族だったんだよ」
「えっ」

 唐突に出てきたセレスティナという名に、マオは驚きつつ城を振り返った。開放された廊下では、侍女が慌ただしく行き来する姿が見える。彼女らはほかでもない、本日の主役であるセレスティナの身支度に追われているのだろう。

「歪んだ樹海の観察に向かった学者たちが、彼女の一族が住む集落を発見してね。……その一族はどうにも、不思議な力を操っていたらしい」

 ハイデリヒは噴水の波紋を見詰めたまま、静かにそう語った。不思議な力──プラムゾには理解しがたい現象がいくつか存在するが、その中でも人々の興味を一際集めるものがある。御伽噺のような奇跡を生むプラムゾの隠れ人、すなわち“術師”だ。彼らは本来ならば人間が持ち得ない特殊な力を有し、その命が尽きるときには真紅の石となり地に還ると言われている。セレスティナの一族は、そんな“術師”の血を受け継いでいた。

「じ、じゃあセレスティナさんも、“術師”なんですか?」
「そうだよ。でも、先祖のような力はもう使えなくなったらしい。ずっと集落で暮らしていれば、今も使えたのかもしれないけど」
「……? えっと……」

 理解が追い付かず、首を傾げたマオに、ハイデリヒは柔和に微笑んでから説明した。当時、セレスティナの先祖が住まう集落を発見したのは、有力貴族に仕える学者だった。彼らは“術師”の里と知るなり大喜びし、何度も説得を重ねて一族の存在を公に発表したという。以降、一族はプラムゾの神秘を象徴するものとして認識され、次第に扱いも厚くなっていった。数年と経たずに、貴族への敬いとはまた異なった、信仰にも似た囲いが一族の周りには出来上がっていたようだ。

 一族は否応なしに俗世と交わっていくこととなり、集落から次第に離れていった。それからは貴族との婚姻もしばしばあったそうだ。そうしていくうちに、“術師”としての力は人知れず失われていったと、セレスティナは言う。

「……樹海の集落じゃないと、力は使えないんでしょうか」
「さあ……そこはよく分かっていないらしいね。でも彼女のお爺様は、逝去された際にミグスの涙をこぼしたそうだよ」

 ミグス、とマオは一旦思考が止まる。瞳を逡巡させ、“術師”の肉体から生成される真紅の石をそう呼ぶのだということを思い出しては、再びハイデリヒの方へと視線を戻した。しかし不思議である。“術師”の血を引きながら、セレスティナの一族は奇跡を起こすことができなくなった。それでも彼らは死を迎える際、ミグスの石となってこの世を去る。貴族にとって、そこはどうでもいいのだろうか? ただ長い歴史を持つ一族と繋がることが、最も重要なのだろうか。マオが釈然としない様子で虚空を見詰めていると、それを見かねたハイデリヒが苦笑した。

「だからセレスティナはいつも不満げだよ。物珍しいミグス目当てに近寄ってくる貴族が嫌いだ、って」
「!」
「現に彼女のお爺様のミグスは、プラムゾの遺産として王城に保管されているらしいからね」
「え……保管って、そんな」

 マオは思わず、漠然とした嫌悪感を覚えてしまう。ミグスの石はいわば、“術師”の遺品とも言えるものであるはずだ。だというのに、セレスティナら遺族に渡されて然るべきものが、何故か貴族に取り上げられてしまっているという。聞けば、その祖父以外にもミグスの石は王城に保管されている場合が多く、最近では嫌な噂も蔓延っているのだとか。

「……私たち一族は、貴族の装飾品をつくるために連れてこられたんじゃないか。彼女が前に、そう話してくれてね」

 ハイデリヒは腹の前でゆるく絡めていた両手を、不意に強く握り締めた。ちらりと表情を窺うも、穏やかな色は維持したまま。なれど静かな怒りが、そこには宿っているようだ。

 ミグスはその純度の高さから、真紅の宝石の中でも非常に高値で取引されることがあるという。死者の石ということで忌避する者もいるが、貴族の間で根強い人気があるのも確からしい。表立った売買は行われていないものの、そういった話は嫌でも耳に入ってくるとハイデリヒは言う。

「彼女に結婚を申し込んだのは、伯爵家の嫡男でね。普段から派手な生活をしているらしい」
「……」
「ほら、あの子は何というか……強気な性格だろう? よく言い寄られては尽く断って来たみたいなんだが……今回ばかりは、分が悪かったんだろうね」
「ハイデリヒさまっ!」
「え?」

 話をじっと聞いていたマオは、勢い任せに立ち上がった。少しくらりとしたものの、構わずに両の拳を握り締め、呆けいている彼に向けて言い放つ。

「な、何とも思わないんですかっ? セレスティナさんって、ハイデリヒさまのお友達ですよね!?」
「え……う、うん、友達だけど……」
「嫌じゃないんですか? そんなの、お嫁さんじゃなくて、まるで売り物です」

 口を突いて出た言葉に、マオはハッと我に返る。呆気にとられた彼の顔を見て、慌てて長椅子に腰を下ろした。

「ご、ごめんなさい。好き勝手に言って」
「……いや」
「……結婚とか、よく分からないけど、でも……貴族の間ではそういうの、当たり前、なんですか」

 失礼なことを聞いていると思いながらも、止められなかった。マオは実の両親と接したことはないし、夫婦の在り方についてもはっきりとは分からない。だがセレスティナの身上を考えると、とてもじゃないがこれが幸せな結婚であるとは言い難かった。彼女の一族は人としてではなく、「ミグスが採れる苗床」として見られているように思えてしまったのだ。

「そうだね。貴族の結婚なんて、そんなものだよ」
「!」
「そこにあるのは利益だけさ。自分が得をできるならば、あらゆる手段を使って実現させようとする」

 ハイデリヒは淡々と告げると、どこか申し訳なさそうに笑う。いじけた幼子を宥めるように、彼はマオの頭を優しく撫でた。

「……今日は、そんな貴族の“当たり前”が為される日だ」

 ──どうしようもない。

 彼は暗にそう告げている気がした。友人が望まぬ結婚をする日であっても、彼は笑顔で祝わなければならない。何故なら彼自身も列記とした貴族であり、その中で生きていかなければならない定めを負っているのだから。況してや彼のような身分も持たない部外者であるマオが、差し出口をきいてよいはずもなく。すっかり気分が落ち込んでしまったマオは、小さく頭を下げた。

「……ごめんなさい、ハイデリヒさま。色々、嫌なこと……言わせてしまって」
「いいよ、マオ。僕が素直に話せるのは、相手が貴族じゃない君だからだ」

 ハイデリヒはいつも通りの声色で告げ、ふと視線を他所へと飛ばす。マオが釣られてそちらを見遣れば、中庭の入り口にグレンデルの姿があった。彼は一礼したのち、主人へ用件を伝える。

「失礼いたします、ハイデリヒ様。伯爵がお会いしたいと……」
「ああ、式の準備は終わったのかい?」
「殆ど終了したとのことです」
「そうか。それなら僕の方からお伺いしよう。……そういえば、オング殿がまだ戻ってこないな」

 披露宴が始まる前に、オングは男爵に指輪を届けに行くと言っていた。その間、マオは休憩がてらこの中庭で待機していたのだが、些か時間が掛かっているように思う。貴族への苦手意識が強い彼のこと、どこかで腹痛を起こしているのではないかとマオは不安になる。

「大丈夫かな……」
「マオ、ここで待っていて構わないよ。セレスティナから友人として紹介されたしね」

 これから挨拶へ向かうハイデリヒについて行くわけにもいかず、マオは素直に頷いておく。城内へと消える二人を見送り、彼女はゆっくりと木の幹に凭れ掛かった。ちらちらと輝く木洩れ日を仰ぎ見ていれば、肩の辺りがむわっと熱気を帯びた。

「みー……」
「あっ、ご、ごめん、ノット」

 ずっと外套のフードに隠れていた仔猫が、不満げに顔を覗かせたのだ。マオは周囲に誰もいないことを確認してから、そっと仔猫を長椅子の上に降ろしてやった。暑さと閉塞感から解放されたノットは、薄氷色の瞳を細めて丸まる。黒い毛並みのせいか、いつもより数倍の熱を溜め込んでいるような気がしたマオは、外套の裾でぱたぱたと煽る。

「……ここは変なところだね」

 彼女の小さな呟きに、仔猫は暫しの間を置いてひと鳴きした。




 ──その頃、城内のある一室にて。

「いやあ、素晴らしい! ホーネル殿の手掛ける品はどれも美しいな!」

 上機嫌な男爵を前に、オングは苦笑いを浮かべる。本人としては精一杯の笑顔なのだろうが、残念ながら頬だけでなく全身が強張ってしまっていた。

「ええと、何だったかな。オウル君だったかな? ご苦労だったね」
「あ、ああ、いえ……気に入っていただけたようで何よりです……」
「金額は急がせた分も割増しておくよ、受け取ってくれ」

 普通に名前を間違えられているが、オングは特に修正することもなく代金を受け取る。これで一応の目的は果たせたので、彼が心の中で安堵の溜息をついたときだった。


「見覚えのある顔だな」


 オングは瞬時に背筋を凍らせ、咄嗟に男爵の後ろに立つ人影に気付く。ゆったりとした歩調で近付いてきたのは、初老を迎えた辺りの男。身なりの整った金髪の男を認めては、男爵が慌ただしく姿勢と表情を引き締める。

「ヴェルモンド様! い、いつご到着なさったので……」
「オウルというのか? そこの褐色の」

 男爵の問いを無視し、ヴェルモンドは背中で両手を組んだまま、興味深そうにオングの方へと歩み寄って来た。その見開かれた双眸でじろじろとオングを観察し、再び顔を見上げる。威圧感さえ覚える視線に怯みながら、オングは何度か頷いた。

「ふむ、そうか。ならば勘違いだな」
「……」
「ああ、男爵。すまない。貴殿らの会話を中断してしまった」

 ヴェルモンドはあっさりと引き下がり、その場から立ち去る。男爵を含めた下級貴族らは、緊張の糸が解れたように息をつく。その傍ら、オングだけは呼吸すら儘ならなかった。


 ──褐色の。


 オングは男爵の声もまともに聞くことができず、逃げるようにしてその場を後にしたのだった。

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