96.






 大神殿を守る鉄製の堅固な門は、人ひとりが通れるような風穴が開いていた。やはり教祖もティビー・ヘミンや共鳴者と同様、凄まじい力を有しているようだ。いや、もしかしたらそれ以上なのかもしれないが……。

「起きろ、起きろニコ! まだ寝ちゃ駄目だ! 馬鹿力担当がいなくなるだろ!」
「……んー」

 エリクが神妙な面持ちで門をくぐる傍ら、カイがそう言い聞かせながらニコを引っ張っている。ようやく右腕の痛みも薄れてきたため、エリクは彼女に自分の右袖を掴むよう差し出してみた。彼女が素直にそれを掴んだところで、エリクたちは改めて大神殿の内部へと向き直る。

 言わずもがな、三人とも大神殿に足を踏み入れるのは初めてだ。とにかく最上階へ向かえとアーネストからは端的に言われたが、これは階段を探すのも一苦労だろう。何故なら──。

「……俺ら建物の中に入ったよな?」
「そのはずだけど」

 ──中は少し妙だが、とにかく真っ直ぐだ!

 門をくぐる間際、アーネストから掛けられた言葉が脳裏を過る。エリクたちの眼前に広がるのは薄暗い回廊などでなく、南イナムスでもあまり見かけない鬱蒼とした樹海だった。ミラージュが暮らしている森よりも些か秩序に欠ける自然の景色に、二人は混乱を露わに視線を彷徨わせる。

 外から見たときは確かに、立派な石造りの壁や柱が垣間見えていたはずなのだが、一歩踏み入れた途端に訳が分からなくなってしまった。もはや「ここは何処なのか」と、そこから始めなければいけないほどには。

「何が“少し妙”だよ。だいぶイかれてるぜ。外から外に入ったのか俺らは」
「……鳥もいるね」
「ん……ブルト!」

 カイの瞳が虚ろになってしまっている一方、大きな鳥の群れを見付けたニコが少しだけ元気を取り戻した。エリクも唖然とその群れを見送っていたのだが、樹冠の隙間から見える青空にふと違和感を覚えて目を眇める。

「カイ、あそこで何か光ってないかな?」
「は? ……どこに?」
「青色の」

 そこまで言って気付く。もしやこの景色は──最上階にあるミグスが見せている幻影なのではなかろうかと。古の巨人族は凄まじい腕力で地を割った、という派手な部分だけが巷では誇張されがちだが、学者の間では「彼らには空間を繋げ、操る力があった」という話もいくつか出されている。あまり現実味がないので大抵の学者はその説に無関心だが、それも当然だろう。彼らの殆どが、この奇妙な大神殿の内部に入ることが出来ないのだから。

 かく言うエリクもまた、初めて大神殿の中に入ったことでようやく思い出したというくらいには、その説に信憑性を見出していなかったのだ。

「カイ、行こう。あんまり周りは見ないようにして、真っ直ぐ……」
「おう。それニコにも言ってやれ」

 きょろきょろと興味津々に森を見回しているニコに気付き、エリクは慌てて古代語で「前だけ見て」と伝える。彼女はちょっと残念そうにしたが、「迷子になるから」と付け加えたことで納得したらしく、片手で視界を狭めるようにして歩き始めたのだった。

 ──早足に森を進みながら、エリクは足元に視線を巡らせていく。教祖とミラージュが入り口から真っ直ぐに進んだなら、二人の足跡が残っていないかと思ったのだが、如何せん雑草の背が高くそれらしいものが見当たらない。

 いや、そもそも大神殿には神官やシスターが務めているのだし、この道ももう少し踏み慣らされていても良いはずだ。もしや早々に道を間違えたのだろうか、とエリクはこっそりと焦りを浮かべた。

「……なぁエリク」
「え!? な、何?」

 そこへ唐突に声を掛けられたので、思わず吃りながら振り返る。カイは特に気にした様子もなく、奇妙な森を観察しながら言葉を続けた。

「さっきの、“始祖”の力っていうやつか」
「あ……うん」
「力を使ったら右腕が痛むのか?」

 その問いにエリクは呆けた。言われてみて気付いたが、エリクは失った右腕の痛みと“始祖”の力を不思議と結び付けていなかった。ダエグの実験施設でも痛みを覚えたはずなのに、それが力の発動によって生じたものだとは露にも思っていなかったのだ。

 しかし普通に考えれば──否、今までのことを思い返してみると、単なる後遺症とは異なる痛みが何度も起こっていたように思う。オースターロの夜に、魔女の樹海へ赴く途上、それから実験施設で力を発現させたとき。いずれも獣に襲われた場合が多いが、決まってエリクの右腕は痛みを訴えていた。

 何故かと原因を探っていけば、自ずと答えは出てきた。

「……僕のご先祖様なのか、同一人物なのか知らないけど……千年前に現れたアステリオスも、僕と同じように右腕がなかったらしいんだ」

 トリーガンはその理由について語らなかったが、恐らく何か意味があったのだろう。前世という言葉が適切かどうかは不明だが、アステリオスはかつて創造神の一柱として存在していた男だ。遥か南海の果て、プラムゾという孤島から一人で舞い戻れるくらいには常人離れした力を有していたはず。そんな彼が右腕を失い、その運命を辿るかのようにエリクも腕を失った。

 ──まるで咎人に枷を嵌めるように。

「この力は巨人族のミグスに働く。つまり……そうだな。これは同族を殺し得る力でもあるから……戒めなのかもしれない」

 “始祖”の魂を持つ者が憎しみに溺れぬよう、腕を捥ぎ、強烈な痛みを与え自我を保つ。現にエリクはこの痛みのおかげで、力を必要以上に暴走させずに済んだ場面がいくつか思い当たる。かなりの荒療治だが、アステリオスはこれぐらいしなければ人間と同じ目線になれないと考えたのだろう。

「なるほどね……力を無理やり抑えつけるために腕を、ね」
「……」
「で、その顔はきっとアレだ。──親父さんのところに帰りづらいな、って顔だ」
「!」

 不覚にも肩を揺らして振り返ると、カイが「やっぱりな」と大袈裟に頭を振る。それを真似してやれやれと顔を振ったニコと肩を組み、彼は何とも呆れた眼差しを向けてきた。

「そのアス何たら、自己犠牲が激しくてお前とそっくりだ。自分のことは二の次っていうか、なぁニコ!」
「? キタナイ」
「だよなぁ? ──お前はどうせ、変な力に目覚めちまったから親父さんに面倒かけるわけにいかねーって思ってんだろ? 親父さんにゃ実の娘が戻ってきたことだし、とか」

 トリーガンと話して以降ずっと考えていたことを次々と言い当てられてしまい、エリクは閉口した。ちらりと視線を移した先には、じっとこちらを見返すニコがいる。

 そう、彼女は先生の娘だ。確かな証拠は無くとも、亡くなった母親と瓜二つで年齢も相応だと言うのだから、殆ど確定したと言って良い。

 本来なら今までの十数年、あの暖かな学び舎で育つべきだったのはニコだ。そしてダエグの施設に連れて行かれるのは、エリクだった。言うなれば数奇な運命によって、不幸にも立場が入れ替わってしまった相手。決してそんなことはないと分かっていても、彼女の居場所を知らずのうちに奪ってしまったような感覚は拭えないまま。

 加えて自身の肉体に“始祖”の力が宿っているという事実を知った今、この場を無事切り抜けることが出来たなら、ニコと共に先生の元へ向かい、そして──側を離れた方が良いのではないかと。

「エリク。俺のどうしようもねぇ父親ならまだしも、子どものためなら必死になれる親父さんと縁切るのは至難の業だぞ」
「……それは」
「あのおっさん、お前とニコのために八年も走り回ってたんだろ? 昔からお前の中に妙な力があったとしても、絶対に同じように動いたはずだ。その点はこいつが証明してる」

 ニコの頭をぐしゃぐしゃに撫でたカイは、案の定機嫌を損ねた彼女から頬を抓られていた。カイの悲痛な叫びを聞きながら、エリクは視線を落とす。

 確かに先生は、ニコが常人とは異なる並外れた力を有していても「娘」として接した。血を分けた家族を助けるために国境を越え、昏睡状態に陥るほどの重傷を負ってもなお守ろうとした。先生にとっては、他人との違いなど些事なのかもしれない。

「──エリク」

 知らずのうちに強く握り締めていた左手を、細い指先がぐいと開かせる。見れば、いつの間にか左側へ回っていたニコが眉を曇らせ、自分の手を滑り込ませて繋いだ。食い込んだ爪の痕を癒すように。

「ナーァ。ハルド・マィ・ヒント」

 エリクは彼女の言葉に瞠目する。出会ったときよりも澄んだ色を宿す瑠璃の双眸は、彼の情けない表情を見上げて笑ってくれた。──まだ決断を急ぐなと、カイだけでなくニコからも言われたような気分だった。

「……カイ、ありがとう。ニコも」
「ん」
「いや俺より先に返事するな寝坊娘! 良いこと言ったの俺だから! ったく、とにかくお前は一人で抱え込むから嫌な方向に──って」

 エリクとカイが前に向き直ったとき、生い茂る緑に紛れて何かが倒れていることに気が付く。三人で顔を見合わせるなり、急いで傍へ駆け寄ってみると。

「……ミラージュさん!?」

 それは真っ青な顔で蹲る先見の魔女──ミラージュだった。

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