93.






「り、リーゼロッテ様……!?」

 エリクが驚愕して声を上げると、アンスル王国軍の先頭に立っていた女性──リーゼロッテがこちらに気が付いた。翠玉色の瞳を微かに細めて笑った彼女は、すぐに兵士に指示を出して広場へ雪崩れ込んだ。

「“新女王”に大声で宣言されると我々が霞むな」
「っえ」

 呆気に取られていたエリクの背後から、あまり聞きたくなかった声がもたらされる。恐る恐る後ろを振り返ってみると、そこには真珠の髪を億劫そうに掻き上げる長身の男がいた。

「せ、セヴェリ、陛下……? “新女王”って」
「生きていたか、隻腕の男」

 口元だけで笑った“精霊王”セヴェリは、おもむろに片手を持ち上げる。彼が広場に向かってその手を払った直後、上空に現れた魔法陣から無数の氷の礫が鋭く降り注いだ。教団の人間を容赦なく攻撃する様にエリクが唖然としていると、今度はダエグ王国の鎧を身に纏った兵士たちが広場の西側からやって来たではないか。

 まるでアンスル王国軍と示し合わせたかのような急襲に、エリクはまさかとセヴェリを見遣る。真珠の双眸で逃げ惑う教団の者たちを愉快げに眺めながら、彼は誰に向けるでもなく静かに語った。

「……遥か昔から蛆のように北方に棲み付き、国を腐敗させてきた連中だ。そろそろ根こそぎ洗い落とさねばと思っていただけよ」
「え……」
「ついでに蛆を食らう輩も炙り出せれば上々などと思っていたが、予想以上で何よりだ」

 その言葉にエリクは暫し呆け、危うく脱力しそうになった。

 ──ああ、最初からこのつもりだったのか、この王は。

 セヴェリは教団を保護するように見せかけ、その動向を逐一監視してダエグ王国に被害が及ばぬよう立ち回っていたのだ。聖王国に攻め入る計画を一先ず看過したのは、ダエグ王国やアンスル王国にもそれに賛同する者が一定数存在したがゆえ。教団と癒着している輩が国内にいては、いつ寝首を掻かれるか分からない。彼らを完全に排除するために表面上は賛同を示し、じわじわと長い年月をかけてダエグ王国から膿を出していったのだ。

 そして教団がいよいよ聖王国への進軍を開始したと同時に、セヴェリは迅速にアンスル王国を陥落させた。つまり、アンスル王国を治めていたリーゼロッテの叔父を王位から引き摺り下ろし、彼女を“新女王”として据えたのだ。二人は共同戦線を約束し、ティール聖王国の窮地へと駆け付ける──これは今後の南北関係をも見据えた「援軍」なのだろう。

「……敵を欺くにはまず味方から……ですか……」
「くく、教団は南北共通の敵だ。関係修復のためとあらば、使わん手はなかろう? ──まあ、到着が予定よりも少し遅れたことは聖王に詫びねばな」

 詫びる。激しく似合わない言葉が飛び出たなとエリクが驚いていると、いきなり背中に何かが激突してきた。呻き声を上げて振り返れば、ひょこっと顔を上げたニコと目が合う。

「ニコ! ありがとう、無茶なお願いだったのに」
「ん──ん!?」

 ふわりと微笑みかけたニコだったが、セヴェリを二度見しては露骨に嫌そうな顔をした。見るからに物凄く嫌がられているのに、セヴェリは遠慮なく彼女の顔を覗き込んでは笑う。

「ほう、存外愛らしい顔をするな。私には見せなかったというのに」
「ナーァ!!!!」

 この男の顔を平手で押しのけるのは、絶対にニコしかいないだろう。渾身の拒絶にセヴェリはやはり笑っていたが、これ以上興奮されても困るので慌ててエリクは宥めに入る。

「に、ニコ、落ち着いて」
「うー……」

 じとりとセヴェリを睨んでいたニコは、やがてそっぽを向いてエリクにしがみついた。彼女の背を摩ってやりながら後ろを窺ってみると、意外にもセヴェリと視線がかち合う。自分で見ておいてたじろぐのもどうかと思うが、彼の冷ややかな眼差しは何度浴びても慣れないものだ。

「隻腕の……いや、大精霊は“アステリオス”と言っていたな」
「……!?」
「貴様は殺してはならんそうだ。理由を問えば──……“友だ”と」

 またもや固まってしまったエリクは、次第に硬直を解いていく。

 実験施設でセヴェリが一思いにエリクを殺さなかったのは、彼と共に在る大精霊の言葉があったからなのだろう。エリクが“始祖”の力を受け継いだ人間であると、大精霊も気が付いていたのだ。信じられない気分だが、そのおかげで今こうして生きているのだから、何と表現したものか。

「リーゼロッテ様!」

 思考の海に沈みかけた時、ここが未だ戦場であることを思い出す。切羽詰まった声に顔を上げれば、教団の兵士がリーゼロッテに向けて矢を放ったところだった。

 咄嗟に魔法を発動させようとしたリーゼロッテの眼前に、人混みを掻き分けたオスカーが立ち塞がる。彼は素手で矢を叩き落すや否や、持っていた剣を射手に向かって投げ飛ばした。ニコと同様、見事な操縦で剣を命中させたオスカーは、どこか怒りを滲ませた表情で振り返る。

「あ……エーベルハルト様──」
「リーゼ」

 咎めるような声音で名を呼ぶと、今度はひどく苦しげに顔を歪めてしまう。様々な感情がないまぜになった彼の顔を見上げ、リーゼロッテも目尻に涙を浮かべて微笑んだ。

「……申し訳ありません、エーベ……いいえ、オスカー様。あなたの苦悩も知らずに、今まで散々、勝手なことばかり……あなたを助けたかっただけなのに、私は結局あなたを苦しめていた」
「っ……」

 オスカーは頭を振り、血で汚れた手を固く握り締める。その手をリーゼロッテが優しく包んだ途端、糸が切れたように彼は気を失ってしまった。

「オスカー様!」

 咄嗟に彼を抱き止めたリーゼロッテの元に、アンスル兵を押しのけて再び教団の者が複数襲い掛かる。もはやこの状況下で教団が勝利する道は途絶えたと言っても過言ではないが、それで諦めるほど彼らは潔くはない。一人でも多く敵を──巨人族の仇を討つために、死に物狂いで武器を振るう。邪教徒は狂乱の叫びと共にオスカーともども女王を剣で貫こうとしたが、颯爽と割り込んできた影によって急襲は失敗に終わった。



「──地上に出たらこの騒ぎだ。私の出番がなかったらどうしようかと思ったぞ」


 残像が見えるほどの淀みない太刀筋。風によって靡いていた青白磁の髪がふわりと額に掛かったところで、かの人物は構えを解く。一撃で邪教徒を斬り伏せ、冗談交じりに言葉を紡いだのは、既にイナムス全土に訃報が広まっていたはずの皇太子だった。

 ティール聖王国の面々は唖然と皇太子の姿を見詰め、やがて地鳴りのような声を漏らす。そして。

「アーネスト殿下だ!!」
「殿下が生きておられたぁぁぁ!!」

 先ほどのグギン教団の喚声とは比にならぬほどの雄叫びが、聖都全体に響き轟く。皇太子アーネストの傍らには、同じく派兵以降行方不明とされていたブラッド、ジャクリーン、それからフランツの姿もある。彼らの生還に聖王国軍は一斉に沸き立ち、一方の教団は愕然とした面持ちで武器を取り落とす。

 ティール、アンスル、ダエグの王族が一堂に会したこの瞬間、「破滅の未来」をもたらすグギン帝国の復活は阻止されたのだった。

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