94.






 分厚い雷雲から一筋の光が射し込み、荒れた聖都を浄化するが如く照らす。雨は町を燃やしていた炎を鎮めると、役目を終えたと言わんばかりにその勢いを失くしていく。

 広場では一向に興奮が冷めないままではあったが、アーネストの指示によってグギン教徒は順次捕縛されていった。既に聖都は皇太子の第二師団が包囲しており、人が出入りできそうな門も全て封鎖されている。勢いを盛り返した聖王国軍にアンスルとダエグの戦力も加わった今、敗北を喫した教団側からは降伏する者も続出しているという。

「……終わった……のかな」

 妙に静かな気分を持て余し、エリクは広場の片隅でぽつりと呟いた。先程ニコが眠そうに目を擦り始めたので、慌てて人通りの少ない場所へ移動したのだ。彼女は植え込みに座って舟を漕いでいる最中である。

「……いや」

 まだ安心するには早い。教団はこのまま行けば全て捕縛することが出来るだろうが──肝心の教祖が見当たらないではないか。一体どこに消えてしまったのだろう、と逸る気持ちで辺りを見回したときだ。


「──エリク!?」


「え」

 人混みから飛び出してきたのは、紺の髪の青年。彼は珍しく心の底から驚いたような顔をしたかと思えば、全速力でこちらへ駆け寄ってはエリクとニコをまとめて抱き締めてしまった。

「おま、おまおまお前ら今までどこ行ってたんだよぉお!? ダエグではぐれてから捜しても捜しても見つからねぇから死んじまったのかと!!」
「うわっ、か、カイ!」
「うー」
「いっった」

 ニコに脛を蹴られて転げ回るカイを見下ろし、エリクは苦笑いを浮かべる。一方、暫くしてそれが見知った人物であることに気付いたニコは、一転して明るい笑顔を浮かべて彼を引っ張り起こしていた。

「キタナイ!」
「おうおう、起き抜けに蹴るばかりか罵倒も忘れませんってか。いい加減こいつに俺の名前教えてやってくれよ……って」

 カイは嘆きを漏らしながら少女の笑顔を凝視した後、多大な動揺と驚愕を露わにしてエリクを見遣る。彼の分かりやすい反応に自然と笑みをこぼしつつ、エリクはこれまでの経緯を簡潔に伝えたのだった。

 ──と言っても、自身の素性についてはまだ上手く語ることが出来ない。カイにはイナムスの南端にある漁村で少しの間滞在したこと、聖都の襲撃を知って急いでここまでやって来たことを告げた。無論、それに要した日数が短すぎるのでとても怪訝な顔をされたが、大体の事情は把握してくれたようだ。

「なるほどな……? お前の昔の恩人が、また絶妙なタイミングで助けてくれたと」
「うん……カイは今までどうしていたんだ?」
「俺か?」

 何故かそこで微妙な顔つきになったカイを見て、エリクは目を瞬かせる。ところで彼がここに来ているのなら、先生も一緒なのだろうかと視線を巡らせようとすると。

「お前らの親父さんを引き摺ってアンスル王国まで引き返して、施設から連れて来た“兵士”の子どもを取り敢えず辺鄙な教会に預けて、リーゼロッテ様をどう取り戻そうか考えてたらあの変態王……間違えた、ダエグ王が俺のとこに来てだな? 王女はぴんぴんしてるからアンスルを攻め落とすの手伝えって言われて」
「わあ……」

 想像以上に大変だったようだ。それからカイは半信半疑のままセヴェリに付いて行き、リーゼロッテと無事再会を果たした流れでアンスル王国──そこを治めている実の父親と対面したという。だが……。

「俺のこと見ても誰だか分かってなかったみたいだ。……教団の奴らから薬を盛られて、意識も混濁してたしな」
「……そんな」
「ま、俺もあんな国ほったらかしの薬漬けに息子とは呼ばれたかねーよ。リーゼロッテ様が恙なく王位に就けたんだから、それで良い」

 いつもの笑みに若干の晴れやかさを加えたカイを見詰め、エリクも控えめに微笑んで頷く。既にカイは父と決別し、この現状を受け入れているのだ。彼はこれからも決して自身の素性を公に明かすことはせずに、リーゼロッテの下で働くつもりなのだろう。先王の遺児として妙な輩に目を付けられることもあるだろうが、カイなら上手く切り抜けられそうである。

「そうそう、それで親父さんはちょっと興奮しすぎて傷が開いちまってな」
「え!?」
「いや、お前とニコが同時に消えたもんだから、そりゃもう半狂乱で」

 やはりまだ腹部の傷は完治していなかったらしく、エリクとニコが忽然と消えたことに動揺した先生は突然ばったり倒れてしまったという。それでも二人を捜すと言って聞かない先生に業を煮やし、カイはアンスル王国の町に赴いて先生を施療院にぶち込んできたのだった。

 エリクはそれを聞いて非常に申し訳ない気分になったが、先生が無茶をしないよう取り計らってくれたカイに礼を述べる。

「そうか……ありがとう、カイ。ニコと一緒に迎えに行くよ」
「おう、そうしてくれ。今頃は医者と乱闘でも始めてるぞ」
「冗談に聞こえないのがつらいな──あ」

 そのとき、隣でじっとしていたニコがとうとう眠気に負けてエリクに寄り掛かった。雨の中走ったり戦ったりして疲れてしまったのだろうと、エリクは彼女の頭を優しく撫でておく。ニコが気持ちよさそうに唇を緩めたとき、広場からこちらに駆け寄ってくる足音をいくつか捉えた。

「エリク! 無事だったんだな」
「アーネスト様!」

 青白磁の髪に少し垂れ気味な萌黄の瞳は、最後に見たときと何ら変わらない。皇太子の訃報を聞いたときは正直生きた心地がしなかったものの、こうして再会できたことでエリクはようやく安堵を覚えた。

 一方のアーネストも、北方へ向かったエリクたちが皆無事であることを確認しては、安心した様子で溜息をついていた。

「ニコも助けられたのか、良かった。危うく私の方が“生きて帰れ”という約束を違えるところだったな」
「はっは、殿下ご冗談を」
「お前の策のことを言っているんだがな」

 わざとらしく手を叩いて笑ったフランツに、アーネストが頬を引き攣らせる。その後ろに控えているブラッドも同様に胡散臭げな顔をしており、彼らに一体何があったのか知らないエリクは首を傾げた。

「まあ、エリク。ニコは寝てしまったの? 王宮の中でゆっくり休ませてあげたらどうかしら」
「ジャクリーン様、ええと、じゃあ」

 三人のやり取りを完全に無視して声を掛けてきたのは、相変わらずほんわかとした笑みを携えたジャクリーンだ。彼女も派兵でいろいろと大変だったろうに、表情や仕草からは一つも疲労を感じさせない。エリクが少々後込みしながらも、ニコを休ませてあげられるならと彼女の言葉に応じようとしたときだった。

「──アーネスト殿下! 火急の知らせが!」
「どうした」
「は、教祖とおぼしき男の件で……!」

 エリクはハッとして伝令の兵士を振り返る。そして続けてもたらされた報告に、それまで和やかだった場の空気が凍り付いた。


「教祖がオドレイ様の部隊を下し、ミラージュ殿を人質に取り大神殿へ向かったと……!」

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