87.






「──オドレイ様が共鳴者だったなんて、初めて聞きましたよ、私」
「ふふ、わざと隠していましたもの。そのおかげで今、奴らに目を付けられることなく聖都へ来られているでしょう?」

 くすりと微笑んだオドレイは、自身の他にも数人ばかり世間に公表されていない共鳴者が存在すると語った。北方諸国連合やグギン教団などの外敵が急襲を仕掛ける場合、彼らは必ず共鳴者をあらかじめ潰そうとするだろう。そうなったとき、共鳴者全員の所在が知られていると備えが敷きづらい。ゆえに田舎のベルクート領主代理といったような取るに足らない地位に共鳴者を潜ませることで、敵の目を逸らし重要戦力の被害を最小限に抑えるのだ。

 初めて聞く聖王国のそのような事情に、ミラージュは呆けてしまう。この体制は恐らく昔から密かに続いているものだろうが、「過去」では上手く機能せずグギン帝国の蹂躙を許した。つまり──彼らがすぐに動けるよう、今の状況をオドレイに前もって伝えた者がいることは確実だろう。

「それにしても、本当に王宮内に侵入されているとは思いませんでしたわ。癪ですけれど、卿の読み通りということですか……」
「卿……って、誰のことです?」
「あら、貴女の婚約者のことですわ、セリア」

 ミラージュの肩を支えていたセリアが、苦虫を噛みつぶしたような顔をする。彼女の婚約者──フランツのことだと気付き、ミラージュは更なる驚愕を覚えた。

「ふ、フランツ様は何と仰っていたのですか」
「ミグスの一部を教団に売り渡した輩が王宮内にいる以上、官職に就いている者も入れ替わっている可能性が高い、ですって。少し前に書簡が寄越されたときは目を疑いましたけど、どうやら事実のようですわ」

 先ほど捕縛した者たちが近衛兵に扮していたように、大神殿の衛兵や神官もいつの間にか見知らぬ人間にすり替わっていたという。フランツからの書簡には教団が狙うであろう箇所が複数挙げられており、それに従ってオドレイの精鋭部隊が不審人物を順調に捕えている最中だ。

 かの公子が切れ者であることはミラージュもよく知っているが、この状況を予測して既に手を回していたとは。いや、そもそもフランツが断固として派兵に付いて行くと主張した時点で「過去」とは流れが異なっていたのだ。恐らくオドレイたちの他にも、何か手を打っているのかもしれない。ならば──。

「コーネリアス聖王陛下! ベルクート伯爵令嬢オドレイ様がいらしております!」

 謁見の間に続く大扉が開き、オドレイが堂々たる足取りで前へ進む。一方のセリアは公爵家の騎士たちと共に扉付近で待機するようだ。彼女はミラージュに視線を送ると、「頑張って」と控えめに笑った。



 ▽▽▽



「──……アーネストは、生きておるのだな」

 オドレイとミラージュの話を聞き終え、コーネリアスは安堵を露わにして息を吐く。それは一国の王としてではなく、一人の父親としての言葉に聞こえた。皇太子の訃報がティール全体に広まっている中、最も辛かったのは他でもないコーネリアスだろう。「過去」と同様、すっかり痩せてしまった頬からその心労が窺い知れる。

「ミラージュ殿の予言を受け、エンフィールド卿が何らかの策を講じたかと」
「フランツか。他に何か連絡はあったか?」
「“三日ほど耐えて欲しい”だそうで。それから……」

 オドレイは書簡を広げ、さっと目を通す。

「第三師団がグギン教団側に寝返りました。首謀者はネイサン=ボードウィン」
「!」
「彼は教団にミグスの一部を売り渡し、“禁忌”による共鳴者の増員に加担していたのではないかと卿は睨んでいるようです」

 彼女の報告に聖王が渋い表情を浮かべる一方、集まっていた公爵家の面々も騒然となった。

 ネイサン──その名はミラージュも聞いたことがある。確か蒼穹の騎士団に所属し、リューベク第一王子の近衛騎士を務める優秀な男だ。直接言葉を交わしたことはないが、ノルドホルンから帰還した際に何度か見掛ける機会もあった。ということはつまり、派兵先でアーネストが必ず命を落としてしまう原因はネイサンの裏切りだったのだろう。通りでアーネストが対応できなかったはずだと、ミラージュは密かに歯噛みする。

「して、フランツはどこに? アーネストと共におるのか」
「それが」

 コーネリアスにとってはフランツも親類に当たる。アーネストと同じように可愛がってきた、息子のようなものだ。なればこそ心配を露わに彼の所在を尋ねたのだろうが、オドレイの反応は少々鈍い。

「──どうやら一人でネイサンの元に潜り込み、聖都の急襲や王宮への侵入者などの情報を掴んだようでして。今、どうなっているかは……」

 ──『ミラージュ殿、その件については殿下に伏せておいてください。他でもない貴女から“そろそろ死ぬぞ”なんて言われたら、さすがの殿下も精神を病みそうですのでね』

 フランツの柔和な笑みがミラージュの脳裏を過る。まさかあの時すでに、彼は裏切り者の見当を付けていたのだろうか。あの言葉は単なる皇太子への気遣いなどではなく、派兵先に刺客を潜伏させることが充分に可能である人物──リューベクの画策であるということも視野に入れていたがゆえ。

「そんな……だからって、お一人でなんて……」

 ぽつりと呟きを落とし、青褪めたミラージュは胸元で手を握り締めた。平素から胡散臭いだの似非紳士だの散々言われているフランツなら、教団側に潜り込むことも可能と言えば可能だろう。だが彼が王宮側に情報を流していることが露見すれば最期、教団は迷うことなく彼を始末する。いや、王宮に侵入させた伏兵がオドレイたちによって尽く捕縛されている状況下、失態の原因として真っ先に疑われるのはフランツなのだ。

 全ては主君を救い、祖国の「未来」を繋ぐため。彼は分かっているのだ。例え自分が消えてしまっても、魔女の輪廻に影響を与えないということを。最後にアーネストさえ生きていれば、ティール聖王国の運命が変わるということを。

(フランツ様、どうか逃げて……! 自分を犠牲に「未来」を勝ち取ろうなどと、考えてはいけません……!)

 苦しげに祈る魔女の後方、動揺するエンフィールド公爵家の騎士たちの中でただ一人、静かに立ち尽くすのはセリアだった。彼女は婚約者の危険かつ無謀な綱渡りを聞いて、ふと視線を落とす。その手にある小瓶の中には、真っ赤な一輪の花が入れられていた。

「……馬鹿ね、あの人」

 騒々しい空間に、苦笑交じりの声が小さく溶けたのだった。

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