84.







 命を生み出した者として、私はその責を負わねばならない。

 神としてこの大地に降り立ったとき、私は過ちを犯した。天上より授かった魔の力は多くの命を創ると同時に、彼らを誘惑し破滅させる。初めから使うべきではなかったのだろう。このような力は──“始祖”と呼ばれるようになった今でも、私の手に余るのだから。

 トリーガン、私は暫しイナムスから離れよう。孤島で我らの罪を贖ったのち、もしも赦されるのならここへ戻ろうと思う。子らもイナムスの大地が好きなのだ。魔の力を捨て、人間と対等な存在になることが出来たなら……どうか受け入れてやってはくれないだろうか。

 ──だが、この大地で魔の力が悪用されるようならば、私は約束を違えてでも戻ってこよう。咎人の長としてではなく、イナムスを守る一柱の神として。



 ◇◇◇



「それがイスの最期の言葉だった。奴は生き残った巨人族と共にプラムゾへ渡り、千の時を掛けて罪を償い……変わり果てた姿で俺の前に現れたのさ」

 巨大な体躯は人間と同等にまで縮み、その気配すらも他の人間に紛れてしまっていた。これがかつて“創造神”と呼ばれた巨人なのかと、トリーガンは己の目を疑ったそうだ。

「命を司る神とはよく言ったもんだ。たった千年ぽっちで巨人族の肉体を縮めたばかりか、自分すらも人間になっちまうんだからな」
「……人間に、なる」
「ま、外見だけだ。アステリオスも、お前も、ただの人間には未だ程遠い」

 しかし、と若者は大きくため息をつく。頭の後ろで両手を組んでは、ぐっと上体を反らせて瞑目した。

「今回は随分と時間が掛かった。お前、何回も死んじまうんだもんな」
「え……?」
「オースターロの夜。お前はあの場で必ず死ぬことになってた」

 その言葉にエリクは目を見開く。若者曰く、エリクは演劇用の舞台に取り残された少年を助けようとして、青い瞳の獣に殺されてしまう運命だったという。だからこそミラージュは「過去」で一度も彼と会えなかったのだと合点が行くと同時に、こうして生きている理由がニコにあることは言われずとも分かることだった。

「多分、このお嬢ちゃんが鍵だと思ったんでね。ちゃんと施設から逃亡できるよう、すこーしだけ手伝ったわけ」
「……! まさか先生も、その……」
「ああ、施設の追手に殺されるはずだった。お嬢ちゃんはお前と会うことなく施設に戻されて、あとは破滅に向かうのみ」

 トリーガンはそこまで説明すると、どこか呆れたように頭を振る。浜辺で遊ぶ子どもたちを眺めながら、若者は潮の香りを吸い込んだ。

「人間になったおかげで、お前は魔女の影響を受けるようになってんだ。時間の繰り返しにも気付かないし、たとえ死んでも皇太子みたいに魔女の転生には作用しない。……本当にただの人間として、このイナムスに認識されてやがる。俺が危惧した通りだ」
「……じゃあ、あなたが魔女の術を受けないのは、人間じゃないからなんですね」
「そうだな」

 あっさりと肯定されたが、エリクは不思議と驚くこともなかった。二千年前の出来事を事細かに話す時点で、トリーガンがただ者ではないと分かっていたから。そして若者が事あるごとに“始祖”の生まれ変わりであるエリクを助け、されど大きな干渉を控える立ち回りは──まるでイナムスの行く末を案じる、それこそ“一柱の神”のようであったから。

(──だからなのか)

 生まれ故郷を焼かれたときも、今こうして再会しても、トリーガンと話しているとどこか懐かしい気持ちになる。はっきりとした記憶はないのに、こうして南海の果てを見詰めて、言葉を交わしたような気がするのだ。孤島に置いてきた同胞たちに思いを馳せる自分に、彼は無責任な慰めを口にして笑っていた。

「けど俺は、お前にまたイスとして生きろなんて言うつもりはねーよ。どうせお前はイナムスが危機に陥れば、こうしてフラッと生まれてくるだろうしな」
「……僕が、エリクでいても良いんですか」
「何せ記憶が無いんだろう? 今の話も胸に秘めとけば、誰にも知られることなく人間として平穏に……──とは行かねぇか」

 ちらりと視線を寄越され、エリクは神妙に頷く。自分の素性は何となく把握した。にわかには信じがたいが、エリクは“始祖”の力の一端を受け継いだ特異な存在で、イナムスの危機に呼応してこの時代に生まれ落ちたのだ。そしてこんな話は「人間ではない」トリーガンしか知り得ないはずだが、エリクはもう一人だけこの事実を知る人物に心当たりがある。

 エリクの生まれ故郷を焼いた、あの紅い瞳の男だ。

 男は確かに「アステリオス」の名を口にした。エリクが“始祖”の力を所有していることに気付いていたのだ。そしてそれは数日前なんてものではなく、恐らく千年以上前からずっと。一体、彼は何者なのだろうか。

「……トリーガンさん」
「何だ?」
「瞳に赤色を宿す人間は、何か特別な意味を持つんですか」

 脳裏を過ったのはあの男と、夢に出てきた少女だった。エリクや男が持つ血のような赤色ではなく、彼女は華やかさのある柔らかな色を宿していたが。

 エリクの問いにトリーガンはふと口を閉ざし、思案げに顎を摩った。

「……。なるほど、あいつ赤目だったんだな?」
「はい」
「イスに連なる血筋は紅い瞳を宿すことがある、ってお前が言ってた。身内なんじゃねーのか」
「は……? 身内っ?」

 予想だにしていなかった返答に声を裏返せば、若者が笑う。だが次の瞬間には真剣な眼差しで仮説を告げたのだった。


「古の巨人と人間の間に生まれた子どもは長寿だからな。もしかすると奴は……プラムゾへ渡るのを拒んだか、あるいは何も知らず大陸に取り残されたのかもしれん」

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