83.








 ──今より千年ほど前、旧ティール王国はグギン帝国の侵攻によって滅亡した。

 青き力を解放し、孤島へ追放された巨人族を呼び戻さんとする帝国の猛襲に、王国は成す術もなく崩れ去る。かの戦で“黎明の使徒”の末裔が次々と命を落としたとも言われ、イナムス史上最も凄惨な戦争だったと今も語り継がれている。

 ジウ=トリーガンは言う。

 当時、「ティビー・ヘミン」と呼ばれた人間兵器が猛威を振るい、グギン帝国は瞬く間に蒼穹の騎士団を下した。彼らは古の巨人族と同等の力を顕現させ、理性を焼き切り、イナムスの大地を血に染め上げた。圧倒的な戦力を誇る帝国は、旧ティール王国の王子と先見の魔女が力を合わせてもなお、打ち倒すことが出来なかったのだ。

 魔女の「再生の術」が切れる頃──すなわち彼女に宿るミグスがとうとう尽きかけた時、南の海より暁光が射し込む。

 王子と魔女の前に現れたのは、一人の青年だった。紅緋の瞳を持ち、右腕を失った若者は、自らをアステリオスと名乗ったそうだ。彼は驚くべきことに、凶暴なティビー・ヘミンを無力化してしまう力を有していた。しかし何も特別なことはしない。ただ声を掛けるのだ。

 ──争いを止めよと、悲しげに。

 命が尽きるまで戦うことしか出来なかったティビー・ヘミンは、不思議と彼の言葉を聞き入れ、武器を捨てた。そうしてアステリオスはあっという間に帝国側の戦力を削ぎ、王子と魔女は好機を逃さずに蒼穹の騎士団を率いて王都へ攻め入ったのだった。





「──それが、“お前”だよ。坊主」

 波の音が遠くさざめく。にこりと笑う若者を凝視したまま、暫しの沈黙が流れた。くしゅ、とニコが寝ながらくしゃみをしたところで、エリクはようやく我に返る。

「……え、と。生きた時間が合わないんですけど」
「はっはっは! だよなぁ!」
「だよなぁじゃないですよ」

 被せ気味に突っ込みつつも、少々の焦りと困惑を露わにしたエリクは前髪を掻き上げた。

 トリーガンの話では、その──プラムゾという場所からやって来た青年の容姿は、確かに自分と一致する。あまり一般的ではない紅緋の瞳に、失った右腕。しかしだからと言って、千年も昔から自分が生きているはずがないわけで。十八年前、しっかり両親の間に赤子として生まれ落ちたエリクが、その青年と同一人物ということはあり得ない。

「でも実際、お前はティビー・ヘミンを無力化できるし、共鳴者すら黙らせちまう力を持ってるはずだ」
「……ティビー・ヘミンって、教団が造った“兵士”のこと、ですよね」
「ご名答。またの名を“禁忌を犯せし者”だそうで」

 ニコを指して告げられた言葉に、エリクは思わず眉を顰める。若者曰く、どうやらミグスの欠片を直接食らった人間のことを、禁忌を犯した者としてティビー・ヘミンと呼ぶらしい。ニコやオスカー、それから多くの子どもたちは自ら進んで食べたわけでもないが……どちらにせよ禁忌に触れた人間として見なされるのだ。

「ティビー・ヘミンは生来の種を捻じ曲げられた存在で、イナムスの“歪み”でもある。そんな“歪み”を正す力が、坊主には宿ってるのさ」
「正す……? ……僕は……」

 結晶化した獣の姿や、ニコの両手が脳裏を過った。あれは果たして「正す」などという表現で納まるものだろうか。結晶で全身を覆い、息の根を止めるばかりか肉体ごと砕け散らせる力は、誰が見ても恐怖を煽る光景だ。今は落ち着いているようだが、いつまたあの力が発動するのかと思うと、エリクの顔は自然と強張っていく。

「安心しな。目覚めたばかりの力を急に制御できるわけがない。加減の仕方さえ分かれば、悪戯に相手をぶっ壊すこともなくなる。……それに、ミグスを宿した人間なんてそう多くねぇんだ。大抵の人間は触れても問題ねぇよ」
「……あ」
「何だ、今さら気付いたのか?」

 若者はくつくつと笑った。彼の言う通りミグスを体内に宿した存在は、イナムス全土に暮らす人間の一割程度にも満たないだろう。蒼穹の騎士団に属する共鳴者、教団によって造られたティビー・ヘミン、それから──“始祖”から監視の役目を戴いた魔女ぐらいだ。エリクの力はとりわけ、ティビー・ヘミンに対して強い効力を発揮するだろうと若者は告げた。

「何度も言うが、お前は“歪み”を祓う存在だ。このお嬢ちゃんや獣が“大きな歪み”だとすれば、共鳴者や魔女は“小さな歪み”ってとこか」
「共鳴者も“歪み”なんですか……?」
「人間にミグスなんて物騒なもん入れた時点で、十分“歪み”だ。青き力と術式のおかげで、人の理から外れずにいられるがな」

 そこでトリーガンは話を一旦区切り、いくらか表情を引き締める。青く煌めく水面の向こう、白む水平線を見据えた彼は静かに切り出した。


「──良いか坊主。この前みたいになりたくなかったら、決して怒りに支配されるな。憎しみに溺れるな。……お前は今、このイナムスを救える存在であると同時に、破滅をもたらす存在でもあるんだよ」


 エリクの意思一つで、イナムスの未来が左右される。そんな大それた、突拍子もない言葉を到底受け入れることなど出来ず、エリクは動揺を露わに黙り込んだ。冗談だと笑ってくれることを願ってみたが、トリーガンは至極真面目な表情で話を続ける。

「お前はアステリオスの姿と力を、確かに受け継いでいる。その気になりゃあ、聖都のミグスと共鳴して大陸を“創り直す”ことだって出来ちまうかもな」
「……創り、直す……?」
「ああ、人々がミグスに惑わされない平和な世界にな。……ま、そうなると文明ごとやり直す羽目になるんだが」
「嘘だ。それは……そんなことは、」


 ──“神”にしか出来ないことだ。


 消え入りそうな声で紡いだ言葉に、若者は笑う。それは決してエリクに安堵をもたらすものではなく。同情と、哀れみを孕んだ横顔だった。

「……っアステリオスとは何なんですか。それにプラムゾって」
「学者ならみんな知ってるだろ。二千年前、巨人族が追放された孤島……彼らはそこをプラムゾと呼ぶのさ」
「!!」
「そしてアステリオスは千年前、イナムスに迫る危機を察知して大陸へ戻った。もう二度と、同胞に会えないことを承知でな」

 握り締めた手が白く染まる。脳が理解を拒む。あれほど知りたかった真実を前に体が震えている。そんなエリクを一瞥した若者は、ついにその言葉を吐いたのだ。


「アステリオスは“始祖”イスが人間として生まれ変わった姿。お前はそのまた生まれ変わり、ってところだな」


 

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