72.







 妙に豪華な部屋に魔法具を一つ設置し、エリクは恐る恐る回廊へ出た。出窓の外では相変わらず横殴りの雪が降り続く一方、屋内はしんと静まり返っている。人の気配が全くしないのはありがたいが、返って不気味だ。貴賓室周辺にはダエグ兵の姿がちらほらとあったはずだが、この辺りは近付かないように言われているのだろうか。

 通りがかった扉をそっと開いてみると、簡素な寝台がいくつも並んでいた。やはり見取り図の通り、ここが仮眠室なのだ。何故あの黒いローブの男は、こちらにエリクを通さなかったのだろう。首を傾げつつも中を観察し、誰もいないことを確認してから小さな魔法具を寝台の下に置いておく。魔法具は派手だから目立たない場所に置いてくれ、とリーゼロッテから言われたのだ。

「先に三階に行ってみるか……」

 このまま二階の北半分に魔法具を設置しても良かったが、階段付近で待機しているらしいローブの男に見付かると厄介だ。さっさと三階に上がってニコを見つけてから、脱出ついでに魔法具をばらまいた方が確実だろう。

 なるべく足音を鳴らさずに、けれど急ぎ足で回廊を抜け、上に繋がる階段へ向かう。何度か人影を見掛けては咄嗟に脇の通路へ身を隠したが、鎧などを身に着けていないことからダエグ兵ではなさそうだった。決まってみんな黒い衣装を纏っているため、もしかしたらグギン教団の人間かもしれない。

(……何だろう)

 そのうちの一人が、何かを大事そうに両手で抱えて歩いている。柱の裏からその様を盗み見ていたエリクは、ふと男が慌てだしたことに気付く。

「な、何だ……?」

 男は抱えているものを持ち上げ、もたつく動きで包装を解いていく。やがて現れたのは手のひらほどの小瓶と──その中で燦然と輝く青い粉。あんなに発光するなんて何の植物から採取したのだろう、とエリクは眉を顰めていたのだが、すぐさまそれが見当違いだと気付いて息を呑む。

(もしかして、あれってミグス……!?)

 以前、先生が言っていたではないか。青い瞳の獣や“兵士”の子どもたちは、聖王国にある術式を抜きにして、ミグスを直接食らうことで力を得る。その肝心のミグスが、誰かの手によって国外に持ち出されているという話を。巨石であるミグスをどうやって運んだのかと不思議に思っていたが、きっと表面を削って取れた粉末を持ち出したのだろう。

 ミグスが少量ながらも教団の手に渡っていることを改めて確認し、エリクはついつい顔が強張った。大神殿で厳重に管理されているミグスが外に運ばれている、すなわちそれは聖王国内に裏切り者がいるということだ。皇太子を暗殺しようとしたジョルジュ伯爵のように、教団側に肩入れしている一派がいるのだろう。

「おい、早くしろ」
「見てくれ、ミグスが光ってるんだ」
「気のせいだろ、行くぞ」

 ぼそぼそと喋り声が遠ざかり、エリクは小さく息をつく。そっと走り出しては彼らと反対方向へ向かい、ようやく見つけた階段を上った。踊り場には細長い窓硝子──北イナムスの特産品であるステンドグラスが張られている。立派な細工は暗い石畳を色鮮やかに照らし、吹雪によって微かに波打たせた。段差を上がるごとに、床に映った美しい蝶も上へ上へと舞い上がる。

 そんな幻想的な模様を見ながら階段を上り切れば、二階と同じ質素な廊下が左右に伸びた。ここから西回廊に向かえばニコのいる部屋だ。扉が真新しいからすぐに分かる、とリーゼロッテが言っていたがどういうことだろう──そんなことを思い出していたときだ。

 がちゃ、と右手にあった扉が突然開いた。ぎょっとして振り返れば、そこに黒いローブを纏った二人の男がいる。いずれも帯剣している上に、今までに見た教団の人間と違って体格も良い。エリクが青褪めると同時に、彼らも怪訝な表情でこちらを窺う。

「何者だ。この階は立ち入ってはならん」
「あ……えっと、すみません。迷っていたら綺麗な硝子細工を見つけて……ちょっと見惚れていました」

 無理やり笑顔を引っ張ってきたエリクは、苦し紛れに後方を指差す。そこにある美しいステンドグラスを見て、彼らは何故か不満げに鼻を鳴らした。

「……ふん、ダエグの技術なんぞ、これ以上増やされては堪らんのだがな」
「え?」
「それより早く立ち去れ。お前、リーゼロッテ様の護衛だろう。勝手にうろついて──……」

 視線をこちらに戻した彼らだったが、次第に言葉を失くしていく。彼らはエリクの瞳を見詰めた後、何やら慌ただしい動きで右肩を見遣る。不躾な視線を向けられてたじろいでいると、二人が急に詰め寄って来た。

「そ、その右腕、無いのか?」
「いや待て、それより出身はどこだ。南か?」
「へ、え、な、何ですかいきなり!?」

 先程までの訝しむ態度とはまた違う、今度はいくらかの期待が入り混じった声音だった。よく分からないが気味が悪い。町中でこんなナンパをされている女性がいたな、などとどうでもいいことを考えながら、エリクはじりじりと西回廊の方へ体をずらしていく。

「腕はその、事故で失くして」
「無いのだな」
「出身は、ええと、南イナムスですね」
「おお、やはり!! 南東の沿岸部ではないのか?」

 背筋がひやりとする。何故そんなにも的確な質問をするのだろう。第一、エリクが今暮らしているのは聖都の南街道沿いにある町で、生まれ故郷の存在などティール国民であっても忘れられているに等しい。いよいよ気分が悪くなってきたエリクは、もはや後ずさるなんてものではなく、大股に後ろ歩きしながら彼らの追及をしどろもどろに躱していた。

「そう逃げなくてもよい。名前は何と」
「今までどこで暮らしていたのだ?」
「だ、だから何なんですか、僕もうリーゼロッテ様のところに戻りたいんですけど!」

 正直それは本音に近かった。誰かこの二人を止めて欲しい。幸いなことにエリクを害そうという気配はないが、彼らの瞳はどこか虚ろで遠くを見ているような気がする。まだ敵意を向けられる方がマシだと思えるほど、不気味な熱をそこに宿していた。

「ああ、こんなところで話している場合ではなかった。おい、早く教祖様に──」

 一人がそんなことを言いかけたとき、エリクの真横にあった扉が勢いよく開かれる。真新しい扉が視界の端から端へ吹っ飛ぶ。壁に衝突しては激しい音が鳴り響き、次第に小さくなる残響と共に視線を右へと移した。


「エリク?」


 そこにいたのは、瑠璃色の瞳を真ん丸に見開く少女──ニコだったのだ。

 自分から出て来てくれた彼女にエリクが呆けたのも束の間、すぐそこにいた二人の男が「ひっ」と引き攣った声を漏らす。

「か、カサンドラ!?」
「部屋に戻れ! ナーァ・ローィヴォ!」

 エリクに詰め寄っていたときとは打って変わって、剣まで引き抜いた彼らが厳しい口調で叫ぶ。何て言い方をするんだと、エリクが怒りを覚えたのも一瞬のこと。

 ぴくりと尖った耳が動き、ニコが二人を振り返る。

「ナーァ・チッタ」
「!!」

 ──“喋るな”

 抑揚の乏しい声で告げた直後、彼女は目にも止まらぬ速さで二人の胸倉を掴み、両手を交差させるようにして互いの額を思い切りぶつけさせる。鈍い音が鳴ると同時に男らは白目を剥き、その場に崩れ落ちたのだった。

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