65.






 暗い森の中、外套を纏ったネイサンは昔と変わらぬ笑みを浮かべる。フードから覗く糸目は柔和に歪み、口元も同様だ。しかしながら彼の手にある抜身の剣は、確かにアーネストの首を虎視眈々と狙っていた。

「ネイサン、何故ここに……? 兄上はどうした」

 剣を握る手を強め、アーネストは慎重に言葉を紡ぐ。逃げ遅れた第二師団を囲うように、ネイサンの他にも続々と気配が集って来ている。考えたくはないが、恐らく彼らはネイサンの配下──蒼穹の騎士団の第三師団だ。馴染みのある鎧や武器を確認し、混乱を落ち着けるためにもゆっくりと息を吐く。

「答えろ。聖地跡に何の用だ」

 じっとこちらを観察していたネイサンが、刻んだ笑みを深める。彼がおもむろに持ち上げた剣の切っ先を向ければ、周囲からも金属の擦れる音が小さく聞こえた。

「この森は恐ろしいですな、アーネスト様。何でも、巨人族の力が今もなお残っていて……ミグスに呑まれやすいのだとか。私もアーネスト様も副長殿も、ここに長居はしない方が良さそうです」

 語られたのは、先程から感じていた違和感と不安の正体。巨人族に縁ある地は往々にしてそういった現象が起きると言われているものの、こうも身体の内側を探られるような気分になるとは。だが今はそんなことよりも、この理解不能な状況の方が重大かつ迅速に対応しなければならない事項だろう。

「そうですね……アーネスト様は聖地跡に足を踏み入れ、そこに潜んでいた教団と遭遇したが……ミグスの暴走によって皆々を惨殺し、森を血に染めたあなたは臣下を追うようにして命を絶った──という筋書きはいかがでしょうか?」
「……何の話をしている」
「聖都へ送る伝令の内容ですよ、アーネスト様」

 そのとき、ネイサンが何の前触れもなく大きく踏み出し、ブラッドへ斬りかかる。甲高い金属音が鳴り響いたかと思えば、包囲している騎士が一斉に弓を構えたではないか。第三師団全員がこちらの首を狙っている。ネイサンの合図一つで、彼らは躊躇うことなく矢を放つに違いない。下手に動けば後ろにいるフランツたちを危険に晒すことが分かっているからこそ、アーネストはブラッドを助けることも出来ず、苦々しく表情を歪めることしか叶わなかった。

「さっきから何をべらべらと意味の分からんことを喋っている……! 何故殿下に刃を向ける!?」
「まだ分かりませんか副長殿。私はアーネスト様を処分するためにここにいるのですよ──“リューベク殿下を蹴落とした偽の皇太子”をね」
「何だと……!?」

 どくりと心臓が大きく波打つ。

 まさかネイサンは、第三師団は──リューベクの指示でここへ来たのだろうか。いや、そんなはずはない。兄に限ってそのようなことはあり得ない。だが今の状況はどう説明すればいい? 兄の腹心であるネイサンがこの森へ来ている以上、北方軍は聖王の勅令を無視してノルドホルンの守りを放棄している。彼らがリューベクの反対を押し切って行動しているとは考えづらい。つまり。


「──あなたにはここで死んでいただきます。グギン教団を退けるのは、リューベク殿下の“功績”でなければ」


 ネイサンの酷薄な笑みに、アーネストは愕然となる。この襲撃は兄の指示によるもので、北方軍はそれに従っていて──それどころか、今の発言によって彼らが教団と繋がっている可能性まで浮上してしまったのだから。

「兄上が、教団と結託しているとでも言うつもりか……先程の“兵士”をけしかけたのも……!」
「結託? そのような証拠はございません。いえ、私が消して差し上げましょう。あなたが死んで、帝国が南イナムスを支配して……リューベク殿下がそれをお救いになる時には、全て綺麗に」
「ッ……!! ブラッド、退け!!」

 アーネストはすぐにブラッドへ叫んだが、一歩遅かった。ネイサンが飛び退いた直後、無数の矢がブラッド目掛けて放たれる。咄嗟に反応していくつか薙ぎ払えたのも束の間、彼の剣を潜り抜けた鏃が肩や背中に突き刺さる。後続の騎士たちも矢を受けてしまい、苦しげな呻き声がもたらされた。

「ブラッド……!」
「……っ殿下、お怪我は」
「ない、喋るな!」

 アーネストを庇った彼は、誰よりも多くの矢を受けていた。苦悶の表情で歯を食い縛ると、彼は大きく息を吐き出して剣を地面に突き刺す。ぼたぼたと血がしたたり落ち、地面を黒く汚していく。彼の体を支えながら、アーネストは苛立ちを隠すことなく舌を打った。

「ブラッド、悪いが皆を頼むぞ」
「殿下っ?」

 第三師団が次の矢をつがえるのを待たずに、アーネストはすぐ側にあった大木に剣を叩きつける。一切の手加減をせずに振り払った剣は幹を容易く貫通し、嘘のように半分に折れた。めきめきと大きな音を立てて傾いた大木を見上げ、第三師団の者たちが焦りを浮かべる。

「た……退避!!」

 大量の枝葉が絶え間なく落下する中、アーネストは後続の騎士にブラッドを預ける。彼は苦しげな表情に困惑を浮かべ、息も絶え絶えにこちらを見遣った。そんな彼を一瞥し、アーネストは第二師団に指示を出す。

「いいか、急いで森を抜けろ。私を捜そうなどと思うなよ」
「で、殿下!? どうされるおつもりですか」
「満足に動けるのは私だけだ。奴らを出来る限りここで食い止める」
「な……! それなら我らも」

 彼らの頼もしい言葉に微笑みつつ、頭を振った。第二師団の要であるブラッドが負傷したのは、自分の責任であり過失だ。ここでみすみす彼を死なせるつもりも、彼の部下を無駄死にさせるつもりもない。それに相手はただの騎士ではなく、共鳴者であるネイサンなのだ。同じ共鳴者でなければまず太刀打ちが出来ない。ゆえに第二師団の者たちには一足先に森を抜け、やってもらわなければならないことがあった。

「動けぬ者を守りながらでは戦えない。……陛下とトールマン将軍に連絡してくれ。ネイサン、及び第三師団がグギン教団に寝返ったと」

 実際に言葉にして告げると、やはり信じられない気分だ。よもや聖王国に忠誠を捧げている兄の第三師団が、アーネストの命を──否、次代の聖王を巡ってグギン教団に手引きをするなど。ネイサンの口振りから察するに、彼らが聖都を落とすことに変わりはない。陥落後、リューベクが新たな聖王として玉座に座ることで、グギン帝国の属国として復活するといったところか。その計画のために、邪魔な皇太子と共鳴者をこの聖地跡で潰すつもりだったのだろう。

「……リューベク殿下のお名前は……出さないのですか」

 ふと、騎士の一人が遠慮がちに口を開く。怯えと怒りをないまぜにした彼の声は、他の者たちにも伝播したようだった。悔しげに唇を嚙む者、未だ現状を受け入れられない者、傷を押さえて俯く者。彼らの気持ちはよく分かる。裏切りに遭ったばかりか、急襲によって自分たちは動けなくなり、主君を守る役目も果たせないのだ。騎士として耐えがたい状況であることは間違いない。

 だからこそアーネストは毅然とした態度で、静かに断言した。


「出すな。私は兄上を信じている。あの人は──決して祖国を、陛下を裏切ることはない」


 皇太子の言葉に、彼らは耐えるように口を噤んだのだった。

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