63.







 ティール聖王国北西部に位置するリボー領には、皇太子アーネスト率いる蒼穹の騎士団の第二師団、第四師団が到着していた。付近に暮らす人々は、その物々しい雰囲気にひそひそと顔を見合わせつつも、触らぬが吉と踵を返す。やがて騎士団はリボーの領主と共に館を発ち、人の寄り付かぬ辺境の地へと向かった。

 聖王の勅令によってグギン教団の殲滅へと動き出した蒼穹の騎士団は、皆一様に緊張した面持ちを浮かべて──いるかと思いきや、皇太子の近衛騎士ブラッドが束ねる第二師団は少々騒がしかった。

「ジャクリーン様、お疲れではありませんか!? お水はこちらにご用意しております!」
「まあ、ありがとうございます」
「も、もし体調が悪ければ自分の後ろにどうぞ!」
「うふふ、皆様お優しいのね。でも大丈夫、こう見えても乗馬は得意ですから」

 自身が操る騎馬の手綱を軽く持ち上げ、ジャクリーンはくすくすと肩を揺らした。彼女の近くに群がっていた騎士たちは、その笑みを眩しげに見上げては恍惚としてしまう。派兵に向かっている最中とは思えない弛んだ光景に、後方の第四師団の者たちは微妙な表情を浮かべている。“聖女”とまで称されるジャクリーンがいる限り、この浮かれた雰囲気を拭うことは不可能だと知っているアーネストは、特に気にすることなく騎馬を進めていたのだが。

「……殿下」
「どうした、ブラッド」
「何故ジャクリーン様をご同行させたのです」

 隣を見遣れば、そこには至極不機嫌そうな横顔があった。濡羽色の髪から覗く鋭い瞳は、今にも誰かに斬りかかりそうなほど殺気に満ちている。アーネストはそんな若き近衛騎士を一瞥し、言葉を濁しつつも問いに答えた。

「彼女が自ら申し出てくれたからな。まあ……派兵ともなれば負傷者が出てくるかもしれないだろう。ジャクリーンもその辺りを心配してだな」
「何も我々に同行させる必要はなかったでしょう。より聖都に近い場所ならともかく、聖地跡など」

 聖都を発ってからビシバシと怒気を感じ取ってはいたものの、これは本格的に怒っているようだ。

 派兵に関する配備の割り当てで最も安全なのは聖都付近の守備なのだが、反対に最も危険と推測されるのがこのリボー領──厳密にはグギン教団が高確率で潜んでいるであろう聖地跡である。ジャクリーンもそれを分かっているはずなのに、彼女は父親の反対も押しのけて皇太子の護衛部隊に就いた。

『危険だからこそ、私の力は殿下のお役に立ちますでしょう。ね?』

 彼女が血を見たこともない箱入り娘であることは間違いない。だが他の令嬢と違うのは、彼女がミグスに選ばれた共鳴者であり、それをしっかりと自覚している点だろう。共鳴が偶然の賜物だったとしても、ジャクリーンは蒼穹の騎士団から一歩引いたところで、されど決して他人事にはせずに任務を手伝ってきた。のほほんとした雰囲気とは裏腹に、彼女が真面目で気高い志を有していることを、アーネストは勿論ブラッドも承知しているはずだ。

 だからこそ皇太子がジャクリーンの同行を却下できなかった事実は、ブラッドにやるせなさを植え付けていたのだ。……彼からすれば憧れの女性が戦場に赴くことになったのだから、正気じゃいられないことはよく分かる。今からでも聖都のトールマン将軍の傍に送り返したいぐらいなのではないだろうか。

「大丈夫だ、ジャクリーンは後方支援に徹するように言いつけた。私とお前で片を付ければいい話さ」
「……はい」
「殿下、そろそろ聖地跡に到着いたしますよ」

 ブラッドが硬い声で返事をしたとき、前方から柔らかな声が掛けられる。アーネストはそこにいる、正直なところジャクリーンよりも場違いと言える人物を見遣った。

「……フランツ」
「何でしょうか?」
「本当に前線まで行く気か? ジャクリーンと一緒に待機してくれた方が安心なんだが……」
「おや」

 わざとらしく目を丸くして振り返ったフランツは、「仲間外れですか」と心にもないことを言って笑う。

 彼は“黎明の使徒”の血筋であるエンフィールド公爵家の嫡男であり、将来はアーネストの右腕になると日頃から噂されている優秀な人物だ。その柔和な笑みとは裏腹に淡泊な性格ではあるものの、昔からアーネストのことを第一に考えて行動してくれる。先日の暗殺未遂事件に関しても、アーネストの無茶な要求に文句を垂れるわけでもなく、ニコを囮にしてジョルジュ伯爵を見事に誘き寄せ、自ら闘技場に赴いてはさっさと捕縛してしまった。

 しかしエンフィールド公爵家というのは代々、その頭脳を買われている節があり、勇猛な騎士を輩出するような家柄ではない。フランツも多少は剣術を叩き込まれているが護身の域を出ず、蒼穹の騎士団の面々と比べると非常に心許ない──なんて言うと長期にわたる陰湿な嫌がらせが始まりそうなので決して口には出さないアーネストである。

 フランツが派兵に同行すると知ったのは、何と出発する当日だった。ちゃっかりと準備を終えて平然と朝の挨拶をしてきた彼を見たとき、思わず口をあんぐりと開けてしまった。何故ここにいるのか、ようやく漕ぎつけた婚約者を置いて行く気か等々、アーネストはいろいろと言葉を掛けてみたが意味を為さず。聖王にも父である公爵にも既に許可は取ってあるからと先手を打たれ、渋々とだが口を噤んだのだった。

「……いつもの貴様らしくないな。此度の派兵はただの視察じゃない、教団の殲滅だぞ。聖地跡など特に危険だと分かっているだろう」

 ブラッドが不機嫌さを引き摺ったまま、少しばかり怪訝な声音で問う。仲が良いとは言えない二人だが、長い間こうしてアーネストの傍で仕えているぐらいなので、互いの性格は熟知している。だからこそフランツの行動は不可解だった。彼は自身の至らない部分を明確に把握しており、足を引っ張るような事態を避けるため自ら危険な場所に行くことはしない。

 では何がいつもと異なるのかと言えば──状況だろう。

 グギン教団の存在は以前からちらほらと確認されていたが、今回のように聖王の血筋を積極的に狙ってくるのは初めてだ。加えて“禁忌”を犯して造られた共鳴者までもが出現している以上、蒼穹の騎士団ですら押さえ込まれる可能性もある。いや実際、先見の魔女が視た「過去」で蒼穹の騎士団は壊滅したのだ。そして皇太子であるアーネストも──。

「ええ、だから無理を言って同行しているんです。親愛なる殿下と我が畏友のためとあらば、例え火の中、邪教徒の中!」
「殿下はともかく、誰のことを言っている」

 馴れ馴れしく肩を組まれたブラッドが青筋を立てて腕を振り払う。フランツは大して堪えた様子もなく肩を竦め、雲行きの怪しい空をちらりと見上げた。

「セリアを聖都に置いて来たのは少々、いえ心が抉れるほど苦しいのですがね。ミラージュ殿の仰る未来の回避には、いろいろと手を回す必要があると思いまして」
「だからってお前が危険を冒す必要はない。……それに、その手回しとやらについて何も聞いていないぞ」
「ああっご心配なく、つつがなく進行しておりますので」

 にっこりと笑うフランツから与えられるのは安堵ではなく、不安だ。この顔をあまり信用してはならないと、アーネストとブラッドは知っている。優しい笑顔に幾度となく騙された身としては、何としても今ここで手回しについて聞きたいところだ。

「フランツ、お前は昔からしれっと嘘を付くが、さすがにこの状況で隠し事をされるのは」
「嘘? とんでもない。私が殿下を落とし穴に嵌めたのも、女性からの贈り物と称して珍味を食べさせて悶絶させたのも、語学の授業中に閨房学の図解を紛れ込ませたのも、寝ぼけている殿下の頭に天使の輪を付けて陛下に謁見させたのも、全ては殿下の皇太子としての自覚を育むためです」
「それだけの前科をよく臆面もなく振り返れるな!? お前がただ悪戯好きだっただけだろ!」

 幼い頃にフランツが犯した数々の悪行に、アーネストは思わず頭を抱えつつ叫ぶ。傍ではブラッドが完全に引いてしまっている。それにしても閨房学の図解はやはりフランツの仕業だったのかと、今更ながら消し去りたい過去の出来事の元凶を知って歯噛みした。

 いろいろと暴露されたアーネストが撃沈したところで、フランツは気が済んだのか視線を前に飛ばす。そこには簡易な柵によって囲まれた広大な森──聖地跡が待ち構えていた。

「……大丈夫ですよ。私はいつだって皇太子殿下のことを考えておりますから」

 

>>

back

inserted by FC2 system