61.






 焼き菓子の店を後にするや、リーゼロッテは「用事がある」と言って立ち去ってしまった。またすぐに自警団の拠点に戻ると付け加えた彼女を見送り、エリクは勧められるがままに来た道を戻っていた。

 とっぷりと暮れた雪景色を眺めながら、ぼんやりと揺らめく街灯を仰ぐ。橙色の炎はやはり消えることなく、寒々しい町の景観を暖かに彩った。白い息を吐いたエリクは、今日教えられた事柄について静かに思考を巡らせる。

(アンスルの情勢に、連合と教団の関係、リーゼロッテ様の計画……あといろいろ聞いたけど何だっけ)

 如何せん情報量が多かったため、エリクは後頭部を掻きつつ唸った。

 とにかくリーゼロッテはアンスル王国の立て直しと、教団の目論見──すなわちグギン帝国の復活を阻止するために動いている、これは間違いないだろう。厳密に言えば、施設を破壊したのちティール聖王国に助力を乞い、アンスル王国とダエグ王国を順に攻略するといった形か。

 王女は詳しく語らなかったが、ソーン王国は連合の中でも随分と大人しいらしく、例え戦争が起きても傍観の姿勢を取るだろうとのこと。しかし連合として団結していながら、それはもはや大人しいという控えめな言葉ではなく、冷酷とか薄情と評した方が良いような気もするけれど。いや下手をすれば外交問題だろうが、そこはエリクの心配するところではない。

 そしてリーゼロッテは施設の解放に併せ、ニコやエーベルハルトについても逃がそうとしているようだ。あの二人は教団にとって戦力の要であり、ティール聖王国攻略において欠かせない人材だろう。幸いエーベルハルトはニコと同様、基本的に気性の穏やかな人物だという。施設に見知らぬ人間が出入りしていても、それを真っ先に始末するような忠実さもない。しかし──。

(それならどうして、皇帝は施設にずっといるんだろうか)

 洗脳されているわけでもなし、教団の意向に賛同しているわけでもなし。だがミラージュの視た「未来」では、エーベルハルトが先陣を切ってティール聖王国を滅ぼした。それだけの実力があれば、彼が施設の人間を蹴散らすことなんて朝飯前だろう。もしかしたら、敢えてそうしない理由があるのかもしれない。

「……もし会うことがあったら……話した方がいいかな」

 エリクはぽつりと呟いた。こちらはリーゼロッテと違い、古代語もある程度話せる。王女の知らない事情を聞き出すことが出来れば、そうしたいが。

 それはそうとして、気がかりなのはダエグ国王セヴェリだ。リーゼロッテやカイの話から察するに、かの精霊王とやらはニコがいくら遠くにいようと簡単に呼び戻せてしまう。もしもエリクたちが上手く施設から逃げおおせたとしても、ニコには常に監視の目が付きまとうのだ。

『アレは少々、ニコに妙な執着を見せています』

 王女のどこか不気味がるような言葉が脳裏を過る。

 施設の一室で一人寂しく過ごしてきたニコと顔を合わせていたのは、エーベルハルトとリーゼロッテ、それから教団の幹部ら数名と──“つがい”として選ばれたセヴェリだけだ。国王としての務めを果たす傍ら、セヴェリは意外にも少女の元へ足を運んでいたそうな。それが愛しい婚約者に対する誠実さから来るものなのか、巨人族の力を宿す少女への単純な興味なのかは分からない。

 いずれにせよセヴェリが少女に執着しているのは確かで、施設が壊された暁には──自分の手元に置こうとする可能性は十分に考えられた。

「お前……すげぇ顔してんぞ」
「あ、カイ。……顔?」
「とても優男とは言えない顔だわ」

 顔を上げると、そこに外套を着込んだカイがいた。どうやら迎えに来てくれたようだ。彼は「どこの蛮族だよ」とよく分からないことを呟きながら辺りを見回す。

「あれ? リーゼロッテ様は?」
「用事があるって仰って、また町の方に」
「何だ。自警団の奴ら、もう飯作ってんのにな」
「……。先生、どんな様子だった?」

 躊躇いがちに尋ねてみると、カイは手を額に添えて大袈裟に溜息をついた。真っ白な息がふわりと上空へ消えていくのに併せ、彼は嘆くように告げたのだった。

「ニコが結婚させられるって聞いて暫く動揺しててよ。静かになったと思ったら鬼の形相で毒薬を作り始めた」
「うわ、殺意が……」
「聞いてもねぇのに使い方まで伝授してくるし、こりゃ盛大な花婿いびりが見られそうだな」

 一国の王に毒を盛ろうとする姿を「花婿いびり」で済まそうとしないで欲しい。どうやらエリク以上に先生がご乱心であることはよく分かったので、今から宥めに行かなければ。と、エリクは再び自警団の拠点へ向かうべく歩を進め、ふと思い出した。

 ちらりと横を盗み見れば、赤くなった鼻を啜るカイの姿。エリクは少々躊躇ったものの、周囲に誰もいないことを確認してから恐る恐る口を開いた。

「カイ」
「何だ?」
「……さっき、リーゼロッテ様からいろいろと話を聞いたんだ。施設に行くようになった経緯とか……アンスル王家のこと、とか」

 腕を摩るカイの動きが止まる。翠玉色の瞳が暗い空から外され、エリクを捉えた。いつもの陽気な色はそこになく、何の感情も読み取ることが叶わない。彼らしくない表情と言えばそうだが──不思議と、あの話を聞いたせいか怯むことはなかった。

「……リーゼロッテ様の御父上が、現アンスル国王ハインツ陛下の息子を殺害した。それって……」

「──俺じゃないか、って?」

 食い気味に被せられ、エリクは思わず閉口した。だが、それが彼の言いたかったことである。以前からカイの瞳の色は珍しい部類に入ると思っていた上に、リーゼロッテの瞳とそっくりなのだ。王女は何かとカイに世話を焼いており、魔法の使い方も指導しているような間柄を匂わせる。アンスルの姫が歳の近い男を傍に置き、己の手足として使っているのは、つまり。

「死亡したと見せかけて、王子は秘密裏に生き延びていた。僕の目の前にいるのが、そうじゃないのかと」
「……」
「ただの平民が王女の近くで仕事をするなんて、普通じゃ考えられないし……リーゼロッテ様が君を匿っているとしたら、辻褄は合いそうだ」

 その辺りの事情は詳しく知らないため、少しばかり声の調子を抑えつつ言い切る。再び隣を見ると、カイは既に前に向き直っていた。何処か遠い目をした彼は、やがて苦笑をこぼしては大きく伸びをする。

「大体正解だな」
「!」
「けど俺はそんな大層なご身分じゃねーぞ。あの腐れ親父の血は流れてるが、王位なんか……それこそ死んでもお断りだ」

 現国王ハインツはきっと、長男であるカイを王位に就ける気でいたのだろう。しかしそれはリーゼロッテの父によって阻まれ、当の息子すら奪われた。傍目から見れば憎まれるべきは先王だが、カイはどうやらそうでもないらしい。何故だろうかとエリクが首を傾げた直後、彼の口から何とも複雑な事情が告げられる。

「俺の母親ってのが伯父上の元恋人でな?」
「う……ん?」
「先王がむかーし付き合ってた平民の女さ。相思相愛だったらしいけど身を引いて、田舎でのんびり暮らしてたら俺の親父に拉致られたんだとよ」

 何でもカイの母は紺碧の髪を持つ絶世の美女、だったらしい。先王と身分違いの恋に苦しみ、自ら身を引いた先でハインツに捕まり、無理やり子を成すこととなった。そうして生まれたのがカイだという。ハインツは先王の元恋人を強引にも側女にした挙句、心を病んだ彼女を死なせてしまったのだ。

 それを知った先王は怒り、庶子であるカイを王家の正統な血筋ではないとし、ハインツの手から取り上げ──殺害したということになっている。

「伯父上の恩情を与えられた俺は、下町の家に預けられてぬくぬくと育ったわけ。十二歳の誕生日にリーゼロッテ様が訪ねてきたときは失神したな」
「だ、だろうね……じゃあカイにとってリーゼロッテ様は従姉になるんだ」
「そうだな。そこからちょくちょくリーゼロッテ様と会うようになって──今に至るってところか。まっ、俺は根っからの平民だから身構えなくていいぞ」

 平然とそう言ってのけたカイに笑いつつ、エリクはようやく腑に落ちたと頬を掻く。普段から軽い調子のカイが妙に義理堅いのは、きっと真面目なリーゼロッテの影響なのだろう、と。もしかして身なりを整えれば王子らしさが出てきたりするのだろうか、と戯れに考えたところで頭を振る。カイは実父の行いを改めさせるために、リーゼロッテに仕えることを決めたのだ。今更そんな無粋な言葉を掛けるべきではないだろう。

「……王族ってやっぱりいろんな事情を抱えてるものなんだね」
「ティールは平和だもんなぁ。上手いこと聖王様がいなしてるのかね」
「え?」
「ほら、リューベク王子だよ。共鳴さえ出来てたらあの王子が立太子するはずだったって聞くだろ?」

 確かに、とエリクは宙を仰ぐ。ティール聖王国の皇太子アーネストは絶大な人気を誇っており、その兄リューベクも非常に人気が高い。だからと言って表立った対立などは聞いたことがなく、ごく穏やかに二人の王子が国を守っているような状況だ。それほどミグスの共鳴者というものが重要視されているのか、はたまた──誰かが水面下で動いているのかは、エリクには分からない。
 
「って、そういう話はどうでもいい。今はお前の初恋相手をどーやって陰湿魔法使いから救い出すかだな!」
「は……ッ」

 真面目に物事を考えていた最中、突然横っ面を叩かれたような衝撃が走る。思わず口をはくはくと動かし、エリクは勢いよく振り返った。隣ではそんな彼の反応を面白がるように、カイがにやにやと笑みを浮かべている。

「あれ? いつもの冗談だったんだけど図星か? 前はすました顔してたのにな」
「カイ」
「あーっ悪かった悪かった!! 拗ねんなよエリク! おーい!」

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