62.





 暑苦しさが更に増した自警団のゴールズたちは、見た目にそぐわぬ素晴らしい料理の腕を披露し、リーゼロッテからお褒めの言葉を頂いたことで満足げに後片付けに勤しんでいた。彼らが狭い厨房で肩を寄せ合っている一方、エリクたちは王女と共に二階へと向かう。そうして王女が冷静に、かつ意気込んだ様子で床に広げた代物の数々に、思わずひくりと喉が引き攣った。

「さて。今一度確認しますが、施設潜入の覚悟は出来ていますね?」
「出来ていますが、それは一体……」

 リーゼロッテの前に並んでいるのは、赤や紫の宝石が嵌め込まれた怪しげな金属器だ。貴族が好むような装飾品とよく似ているが、ごつい見た目からして洒落で身に着けるものではないことが分かる。それに加えて所々が錆びていたり破損していたりと、どこか年季を感じさせるものばかりだ。

 カイがそのうちの一つ、ぎらぎらと輝く大きな宝石を摘まみ上げる。

「“呪具”の抜け殻を加工した“魔法具”だ。こういうのは魔法の媒介としてよく機能するんだぜ」
「媒介……?」

 “呪具”はカイが回収していた、持ち主に悪戯を仕掛ける厄介な道具のことだ。彼曰く、どうやら一度でも“呪具”として使用された装飾品、とりわけ美しい宝石は精霊に好まれやすいという。それを魔法使いがわざわざ買い取り、再利用することも多いのだ。

「ええ。遠隔魔法を使用するときに便利なのです。施設に潜入する際に、あなたがたにはこれらの魔法具をそれぞれ持って行っていただきたい」
「わ、分かりました。これで何かするんですか?」
「施設の各所に魔法具を置いて来てください。出来れば満遍なく」

 ずしりと重いアンクレットを手に、意図を汲みかねたエリクは首を傾げたが、続いて王女からもたらされた説明には少々度肝を抜かれてしまった。

「これらは全て私の魔法陣が刻んであります。施設各所に魔法具を仕掛けたのち、一斉に爆破魔法を発動させれば跡形もなく崩壊させられる」
「爆破魔法!?」
「ご安心を。“兵士”の少年らが狩りの時間に出掛けた隙を狙いますので、無駄な犠牲は最小限に留めます」

 あくまで標的はグギン教団であることを念頭に、リーゼロッテは今まで計画を練っていたようだ。“兵士”の若者らが獣を狩る時間に王女として施設へ赴き、密かに同行したエリクたちが魔法具を仕掛ける。かなりの速さが求められる作戦だが、施設には当然ながら複数の魔法使いが常駐しているばかりに、リーゼロッテ一人が単独で爆破魔法を行使しても食い止められる恐れがあるほか、そもそも監視の目が厳しく動きを制限されてしまう。ゆえに多くの魔法具を一斉に爆破させ、対処する暇を与えずに片を付けなければならないのだ。

「魔法具は陣と違って置くだけですから、そう手間は掛かりません。ただ私一人では身動きが取れない」
「だから俺らの出番ってわけだな」
「はい。信頼の置ける方々が来てくれて幸運でしたよ」

 淡々と説明をしていく王女の手前、じっと耳を傾けていた先生がふと顔を上げた。

「姫君、施設に近付くときは馬車を使うのか」
「その予定ですが」
「あの周辺には獣がうじゃうじゃいただろう。エリクをあまり近づけたくないんだが……」
「……どういうことです?」
「あ!! そうだ、こいつ獣に狙われてるんだったな!?」

 先生の懸念を汲み取ったカイが、思い出したように手のひらを打つ。その流れで勢いよく肩を組まれたエリクも、そういえばと自分のことながら気が付いた。教団の施設には“兵士”の訓練相手として青い瞳の獣──ミグスを喰らって凶暴化した狼が放し飼いにされている。彼らはどうもエリクの匂いを嗅ぎ分けて襲っている様子なので、不用意に近付けば大変なことになるだろう。

「狙われている……? エリク殿が?」
「ええと、はい。近頃、南にも何度か出没して……僕は彼らの好物みたいで」

 失った右腕を指差しつつ応えれば、リーゼロッテの表情が更に怪訝な色を濃くした。

「……あの獣は確かに凶暴で、人や動物を襲いますが……ミグスを宿した“兵士”を優先的に襲うはず。ニコが傍にいたなら、彼女を狙っていたのでは?」
「え……」
「いーや、あれはエリクを狙ってたぜ。寧ろニコは獣にビビられてたんじゃねーの?」

 動揺するエリクを置いて、カイは自信ありげに断言する。彼も以前、魔女の樹海へ向かうときに襲撃を受けた身だ。すぐそこにいた騎士を無視して、一目散にエリクへ飛び掛かる獣の姿を目にしている。オースターロの夜と同様、あのときも間一髪のところでニコが助けてくれたわけだが──。

(獣はミグスに反応している、ということか……?)

 それはそうとして、獣があれほどまでにエリクを狙う理由が分からない。“兵士”と獣の中にあるミグス同士が惹かれ合うという話なら理解できるが、エリクはその関係に当てはまらないはずだ。

(それとも僕が知らないだけで……)

 左手を開き、エリクは今しがた浮かんだ仮説を苦い表情で否定した。生まれてこの方、聖都でミグスの共鳴に臨んだ経験もなければ、怪しげな施設で実験体にされた記憶もない。「青き力」をこの目に映す機会など、断じて有り得なかった。ミグスを持つ“兵士”であるニコを差し置いてエリクを狙ったのは、彼女が強者であることを肌で感じ取ったのだろう。

 ふと、生まれ故郷を焼かれたときの記憶が脳裏を過ったが、それが何を懸念した結果なのか、エリクには分からなかった。

「……ならば……少々危険ですが、狩りの時間に施設へ近付きましょうか」
「どういうことだ?」
「あの時間ならば“兵士”が外にいます。彼らも私が客人であることは知っているはず。もしもエリク殿に反応して獣が襲ってきても、上手く行けば守ってくれるかもしれません」
「……その分、魔法具を仕掛ける時間は更に短くなる、か」

 リーゼロッテの提案に、先生は少々渋い表情で相槌を打つ。先生としてはきっと、そもそもエリクを施設に行かせたくないのだろう。だがそれを勧めてこないのはひとえに、エリクの意思を尊重したいがため。そんな先生の心中を察しながらも、エリクはすぐに口を切った。

「リーゼロッテ様、それで構いません。時間が短くても魔法具は必ず仕掛けます」
「分かりました。では今から施設の見取り図を頭に叩き込んでいただきます。……カイ、出来ますか」
「俺にだけ確認するな!! 出来るわ! 多分!」



 □□□



 騒々しい音が近づく。薄闇の中で目を覚ました少女は、冷たくなった毛布を手探りに引き寄せ、きつく顔を埋める。瞼を閉じる瞬間、微かに光が射した。だがそれを確かめる気分には到底なれず、身体を丸めたまま胸元を押さえつける。衣服の下に潜ませた小さな感触を指先でなぞれば、また重い微睡が少女を深い底へ沈めていく。

「起きているのか」

 ふ、と意識がまた浮上した。すぐ背後から聞こえた声は低く、続いた椅子の軋みが唐突に止み、また小さく鳴る。併せて気配が近付けば、短い金髪に骨ばった指が触れた。弄ぶ手を追うようにゆっくりと振り返れば、そこに男はいた。

「ひと月ぶりだな。カサンドラ」

 月明かりを淡く帯びた真珠の髪。陰った瞳は弧を描くことなく、ただ冷たくこちらを見据えていた。何を答えるわけでもなく見つめ返した少女は、ふいと顔を逸らして丸まった。男は短く息を吐き出し、構わず少女の金髪を梳く。

 暫しの間、男はそうしていた。切り落とされた髪の行方を惜しむように、指先がゆっくりとうなじへ下りていき、止まる。

「……獣を皆殺しにしたのは、隻腕の男が理由か」

 呟きつつ少女の首にある細いチェーンに指を掛け、軽く引っ張った。喉をやわく締め付けられた少女は呻き、忙しない動きで男の手を払っては起き上がる。

「ナーァ!」
「ほう、意外と元気だな」
「ローィヴォっ」

 少女は枕をむんずと掴み、力加減などせずに男へ投げつけた。目の前まで迫った枕は突如として現れた黄金の蝶が受け止め、花びらの如く散りながらも軌道を捻じ曲げる。その途端、少女は目を見開いて寝台の奥へと後ずさった。

 怯えるような反応に眉を持ち上げた男は、緩慢な動きで寝台に片膝をついて笑う。

「どうした。フィルフィリはもう嫌いか」

 手の甲に止まった黄金の蝶が、男の言葉に応じて羽をはためかせる。少女は唇を引き結ぶついでに毛布を頭から被り、男の手を素足でぐいと押しのけた。そして話しかけるなと言わんばかりに背を向け、壁際で小さく縮こまる。そんな少女の無礼極まりない行為にも、男はただ愉快げな笑い声を漏らすのみ。


「……私の愛しい“フィアラ”。お前はまだ、私が知らない顔を持っていそうだな」

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