55.






 鞭打ちを逃れた母子は、何度も礼を述べながら家へと帰っていった。聞けば彼女の幼い息子が誤って道へ飛び出し、運悪く領主の進路を塞いでしまったそうな。あの男に限らず、アンスル王国において町を治める人間はどれも気性が激しいという。エリクが割って入らなければ、あのまま母子ともども酷い怪我を負っていたことだろう。

 と言ってもエリクは本当に割って入っただけで、彼女らを守るには至らなかった。下手をすれば自分も鞭で打たれていたのだし、礼なら眼帯の男とその仲間らしき人たちに──と、笑顔で告げたことまでは覚えている。

(何で僕、この人たちの家に招かれてるんだ……?)

 こじんまりとした空き家は見た目に反して暖かく、外套を脱いでも差し障りないほどだ。加えて十人ほど体格のいい男が部屋に詰め込まれているので、もはや暑苦しさすら覚える。エリクは強引に勧められた硬めのソファに座り、それを囲うようにして彼らは床に腰を下ろした。

「……あ、あの──」
「いやー、旅人さん、あんた凄い度胸だな!!」
「え」

 眼帯の──ゴールズと名乗った男は感涙に咽び泣く。彼に続いて他の巨漢もおいおいと泣き始め、エリクは思わず青褪めた顔で動揺する。

「今日はあの鞭打ち大好き野郎が来るってことをすっかり忘れててな。危うく町民が犠牲になるところだった、ありがとうよ」
「……ええと……あなたたちは一体どういう……団体で?」

 ゴールズはまた人懐こい笑みを浮かべると、エリクの問いに答えてくれた。

 彼らはこの小さな田舎町を守る自警団のような存在らしい。あの領主は税を徴収するため定期的にやって来るのだが、その行いがあまりに酷いことから有志によって発足したそうだ。賊への対抗手段ではなく、領主の行いを制限するために創設された団体とは世も末である。しかしながら彼らの存在が意外にも効力を発揮しているのは、ひとえにその腕っぷしが理由なのだろう。町民からの信頼も厚く、敵に回すと面倒なことになるのは容易に想像が付く。

「アンスルの隅っこ、それも国境の町からちょいと外れてるばっかりに扱いが雑でな。国王の目が届かないのを良いことに好き勝手しやがる」
「え……でも辺境伯って、優秀な人が就くはずじゃ……?」

 ティール聖王国で言えば、南北の境目である大山脈手前を監視している第一王子リューベク。彼は聖王の信頼が非常に厚く、だからこそ国境であるノルドホルンを任されているのだ。無論、そんなリューベクが要塞に暮らす人々を虐げることなど有り得ない。戦の際に最前線となる危険性はあれど、それなりに秩序ある生活が保証されるはずなのだが、この町はそうでもないらしい。

「ああ、十五年ほど前までは良い将軍がいたんだがな……国王の代替わりに併せて、あの鞭野郎が寄越されたんだ」
「王も酷いもんさ。毎日のように豪遊しては税の引き上げの繰り返し」
「いっそのことティールに攻め込んでもらって、支配者を変えて欲しいくらいだよ」

 次々と上がる彼らの嘆きにエリクは驚いた。確かアンスル王国の先王は病で崩御し、数年前に親類が即位したはずだ。その情報だけは知っていたものの、そこまで情勢が悪化していたとは夢にも思わなかった。しかも国民がティールに侵攻されることまで望んでしまうほど、事態は深刻なものらしい。

「他の王族は誰も異を唱えないんですか? このままだと暴動でも起きそうですけど……」

 戸惑い気味に尋ねてみると、彼らがふと口を閉ざす。顔を見合わせた後、何やら熱のこもった表情でエリクを見遣った。

「いらっしゃるぞ!!」
「国のことを想い、亡き御父上の意思を継ぐ崇高なお方がっ!!」
「そ、そうなんですかっ」

 勢いに釣られてエリクも声を張り上げて相槌を打つ。満足げに頷いた彼らと同様、ゴールズも感慨深い様子で腕を組んだ。そして、その孤軍奮闘している王族の名を口にする。

「──リーゼロッテ様だ」
「……王女様ですか……?」
「女性と侮ることなかれっ、リーゼロッテ様はそれはもう大っっっ変に麗しいが、それだけではない。魔法の腕は北イナムスで一、二を争う実力者! あのダエグの“精霊王”も認めるほどなのだぞ」
「!」

 ダエグの精霊王──それが大精霊の加護を戴いた国王であり、ニコを狙っていた人物であることはすぐに気が付いた。しかしゴールズらはそこに興味は無いようで、愛しの王女について熱く語っていく。

 リーゼロッテは先王の一人娘で、本来ならば彼女が王位を継ぐ予定だったそうだ。しかし予想よりも早く先王が逝去し、これ幸いと異母弟のハインツが次期国王に名乗りを上げる。「若き姫が王の器として成長するまでの繋ぎを」と、尤もらしいようで強引な主張をして。実際問題、リーゼロッテは当時五歳ほどで婚約者もいなかった。国王として立てるには些か頼りないのは事実で、残っている王族で唯一の男であったハインツを、宮廷は渋々だが即位させたという。

 しかしハインツは即位するや否や、先王を支持していた者たちを一斉に城から追い出し、正統な後継者であるリーゼロッテをも離宮に追いやってしまった。そこからは国王のやりたい放題だ。自分の娘を王宮に住まわせ、親子三人で豪遊の限りを尽くしている。況してや政治など全く興味を示さない。それと時を同じくしてダエグ王国との繋がりが以前よりも強固なものとなり、最近ではかの国の兵士をアンスル領内で頻繁に見かけるようになった──。

「……ひでぇもんだ、あいつは最初からリーゼロッテ様に王位を譲る気なんてなかったんだよ」

 その話はアンスル王国ではすっかり有名で、既に「リーゼロッテ王女を国王にしろ」と暴動を起こしている地域もあるそうだ。事態は悪化の一途を辿っているというのに、国王は相変わらず私欲に溺れる日々を続けている。

「……それで、さっきみたいなことがよく起きるんですね」
「そういうことだ。リーゼロッテ様は各地を回って、税の取り締まりやら何やらやってくださっているが……国王に目を付けられないか心配でたまらんよ」

 まるで親のような口調でそう語ったゴールズは、深い溜息と共に項垂れた。彼らがリーゼロッテを慕っていることは十分に伝わって来たのだが、それにしては些か入れ込み過ぎているような気がしないでもない。もしや王女と面識があるのだろうか、とエリクが不思議に思っていると。


「──お前ら!! ここに片腕の優男は来なかったか!?」


 外に通じる扉が勢いよく開かれ、真っ青な顔をした青年──カイが飛び込んできた。

「あっ、カイ──」
「おお、何だあんたの知り合いだったのか!!」
「久しぶりだな、カイ!!」

 応じようとしたエリクよりも先に、何やら歓声を上げたゴールズたちが立ち上がる。やんややんやとカイを引き入れては胴上げまで始めてしまい、彼の「やめろぉ!! 暑苦しい!!」という壮絶な悲鳴が響き渡った。

「エリク! 無事だったか、良かった……!」
「先生」

 謎の光景に呆気に取られていると、カイに続いて先生もやって来た。鼻を赤くした先生は走る勢いのままにエリクを抱き寄せ、安堵の溜息をつく。そういえば大山脈で崖から落ちたのだった、と今さら思い出したエリクは、先生の背中をそっと摩ったのだった。

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