46.






 刺すような陽射しが降り注ぐ下、エリクは目を眇めつつ晴天を仰いだ。聖王国の北方へ来たと言っても、やはりこの時期の暑さからは逃れられない。ふと隣を見遣ると、そこには驚くくらい萎んだ表情で俯くカイの姿がある。いつもの元気は何処へ捨てて来たのかと、エリクは頬を引き攣らせて彼の背中を摩った。

「だ、大丈夫? そろそろ中継地点に着くって言ってたよ」
「その前に溶けそう……俺の遺体は鳥葬以外で頼むぜ……」
「何てマイナーな文化を……」

 確か東の沖に浮かぶ「竜の島」ではそのような葬法が根付いていたな、と無意識のうちに歴史を再生してしまう辺り、エリクも少々暑さにやられているのかもしれない。今はカイの体調を気遣わねばならないのに。

 ──数日前、エリクたちはアーネストの計らいによって、無事にリューベク王子の軍に同行させてもらえることになった。皇太子とそっくり、とまでは行かないが、厳しい雰囲気ながらも生真面目な印象を持たせる第一王子は、エリクたちのことを快く迎えてくれた。

 大山脈の地質調査班としてノルドホルンまで同行し、砦に到着次第リューベクとは別れることになる。王子が親切にも「調査にも護衛は付けられるが……」と言いかけたところで、エリクは慌てて首を振った。大山脈を超えるばかりか北イナムスへ入るつもりだということがバレれば、即座に拘束されるだろう──勿論、リューベクに。

『いいか。兄上は用心深い。北イナムスに入るところなんて見られたら、後ろから弓で射抜かれる。そして拘束からの昼夜問わずの尋問だ。くれぐれも、しくじらないように』

 アーネストから口を酸っぱくして注意されたエリクは、連合云々よりもまずはリューベクの広い視野をどうにかしなければならないなと項垂れた。

「何だ、情けないな。もうへばってるのか?」
「うるせぇ、あんたの体力がおかしいだけだ」

 二人の前を歩いていたバルドルが、くつくつと笑いながら振り返る。先生は今もなお重傷患者である筈なのに、その足取りはエリクやカイと比べてよっぽど軽い。しかしよく考えれば、先生は昔から各地を駆け回って巨人族の遺跡を調べていたのだから、体力は並みの学者よりあるのかもしれない。かく言うエリクもこの八年間、右腕が無いからと引きこもっていたわけでは決してなく、セリアの目を盗んで隣町近辺まで歩いては薬草を採取していた。つまり──内向的と思われがちな学者というのは、あちらこちらへ自ら足を運ばなければならないために、意外にも体力が必要になるのだ。

 ただ今回、カイの場合は単純な体力云々の話ではないだろう。どうやら彼は大山脈を超えたアンスル王国で暮らしていたようだし、大陸南方では当たり前の肌を焼くような暑さには慣れていないと見た。

「エリク、お前は大丈夫か?」
「はい。ちょっと暑いですけど」
「……」
「先生?」

 エリクにじっと視線を注いだ先生は、苦笑交じりに「いや」と頭を振る。

「自業自得だが、気を抜くとお前を十歳児扱いしそうになる」
「さ、さすがにそれはちょっと」
「しっかしなぁ……お前、セリアの嬢ちゃんと仲悪いのか?」
「へ……いや、そんなことは、ないはず……?」

 唐突に投げ掛けられた質問に、エリクは呆けた。何故そのようなことを、と聞き返すより先に思い起こされたのは、幼馴染の彼女に北イナムスへ向かうと告げた日。


『北イナムス!? 先生と一緒に!? だ、駄目よそんなの……!』

 予想通りセリアは気絶しそうな形相で反対した。故郷から聖都へ向かうならまだしも、今度は国家間の仲が悪いとされる北イナムスだ。エリクの右腕のことを抜きにしたって、彼女が青褪めるのも無理はない。道中はリューベク王子の軍に同行させてもらう予定であること、無理なら傭兵でも雇って身の安全を確保することなどを伝えつつ、エリクはごく小さな声で彼女に告げた。

『ニコが……もしかしたら、先生の娘さんかもしれなくて』
『え……』
『確証はないけど、もし本当なら会わせてあげたいんだ』

 彼の偽りなき言葉に、セリアは何か言いたげな顔をしつつも閉口する。

『……そう』

 ぽつりと返された声は、衣擦れの音にすら紛れるほど小さくか細い。
 エリクはそんな彼女に対し、暫くは王宮に身を置くように伝えた。青い目の獣がどこに潜んでいるか分からない今、一人で故郷の町へ帰るのは些か危険が過ぎる。幸いセリアはエンフィールド公爵家の縁者となる予定の人間で、婚約者であるフランツは「願ってもない」と笑顔で彼女の身柄を引き受けてくれた。どこか暗い表情の幼馴染を気にしつつも、エリクは穏やかに暫しの別れを告げたのだった。


 ──先日のそんなやり取りを思い返していると、不意に先生の溜息がエリクの思考を中断させる。見れば、先生は何とも複雑そうな顔でこちらを見据えては、エリクの頭をがしっと掴んだ。

「うっ!? な、何ですか?」
「八年経っても鈍感が治らなかったのか、セリアが遠慮しちまったのか……いや、俺が言うことじゃねぇか……」

 無遠慮に頭を揺さぶられながらエリクが疑問符を連発していると、二人の会話を聞いていたカイが突然こちらににじり寄っては囁いた。

「親父さん、こいつ幼馴染ちゃんには冷静な顔してんのに、ニコにはデレデレだったぞ。一緒に夜を明かすぐらいの仲だ」
「は!? 何だと!?」
「ちょ、ちょっと待ったぁ!!」

 先生の指が頭部にめり込み、エリクは悲鳴にも似た声で抗議する。場をややこしくしたカイは「うへへ」と笑い声を上げた後、思い出したかのように顔を青褪めさせては傍らの木に額をぶつけた。具合が悪くても茶々だけは入れに来る無駄な根性なんて見せなくて良かったのに、と白い目を向けたのも束の間、エリクは正面でわなわなと震えている先生にどう話したものかと苦悩する。

「お、おま、どういうことだエリク、まさかお前に限ってそんな手順すっ飛ばすような真似」
「ご、誤解です誤解っ、ニコの夢見が悪い日は一緒にいただけで……!」

 慌てて事情を説明すれば、先生の瞳がふと見開かれた。頭を鷲掴んでいた手がずるりと離れる。

「……魘されてたのか?」
「え……は、はい。でも近くに誰かがいれば、ちゃんと眠れるようでしたけど……どうしたんですか?」

 先生、と呼びかけようとしたとき、エリクたちの前にいた隊列が足を止めた。どうやら軍の中継地点に到着したようだ。日が落ちるにはまだ早いが、今日の行軍はここまでだろう。下手に軍を進めたとして、中途半端な場所で第一王子に野営をさせるわけにも行かないからだ。カイの体力も底を尽きかけていたことだし、ちょうど良い頃合いだろう。

「──バルドル殿、疲れてはいないか」
「!」

 三人の元へ現れたのは、わざわざ隊列の後ろまで来てくれたであろうリューベクだった。その後ろには柔和な笑みを湛えた金髪の青年──近衛騎士ネイサンの姿もある。共鳴者である彼は、蒼穹の騎士団に属する副長のブラッドや団長のトールマンと比べると、随分と物腰の柔らかい人物だ。その糸のような細い目が、いつも優しげに弧を描いているのが印象的である。

「リューベク殿下、お気遣い感謝する。今日の行軍はここまでだろうか?」
「ああ。だが明日も早い、宿でゆっくり休むと良い」

 リューベクは生真面目な表情でそう告げてから立ち去った。しかしその間際、共に行こうとしたネイサンが不意にこちらを振り返る。糸目はどうやらエリクを捉えているらしく、いきなり微笑まれた彼はしどろもどろに会釈をした。

「……?」

 にっこりと笑みを深めた近衛騎士は、軽く頭を下げてから再び踵を返したのだった。

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