44.





「──アーネスト皇太子殿下がご到着いたしました!」

 謁見の間は、大勢の大臣たちで埋め尽くされていた。老齢の文官は勿論、“黎明の使徒”の血を継ぐエンフィールド公爵、バーゼル公爵などの姿も見られ、随分と仰々しい面々が揃っている。その中を堂々と突き進んだ先で、自身と同じ青白磁の髪を持つ青年──兄リューベクが悠然と振り返った。短く切り揃えた髪と鋭い萌黄色の眼差しは、柔和な顔立ちのアーネストよりも数倍は厳しい雰囲気を醸し出している。

「陛下、兄上。遅れて申し訳ありません」
「よい。火急の知らせでな」

 錫杖を携えて玉座に腰掛けるは老齢の父、旧ティール王国時代から正統なる王家の血を継ぐコーネリアス十三世だ。その傍らには近衛騎士トールマンの姿もある。幼い頃から見慣れた光景だが、アーネストが皇太子という立場になってからは、その裏に潜む多大な重責までもが見えるようになった。ミグスの共鳴者となったばかりに、自分が優秀な兄を差し置いて玉座に座ることになろうとは──未だに信じられない気持ちであることもやはり事実で。ふ、と息を吐いたアーネストは、切り替えるようにして聖王を仰ぎ見た。

「早速ですが、お話とは?」
「ノルドホルンの砦から帰還したリューベクが、不審な情報を掴んでな。……リューベク、皆に話せ」
「は」

 聖王の許しを得たリューベクは、玉座に向けて一礼してから静かに口を開く。

「先日、ノルドホルンにて“耳の尖った”少年を捕縛いたしました」
「!!」
「我が弟を狙った暗殺者と同じ特徴を持つ少年です。……あの者も同様に、私の首を狙っていたようでして」

 謁見の間が俄かにざわつく。皇太子だけでなく北の砦を守るリューベクにも暗殺者が差し向けられ、危うく命を落としかけていたこと──それを事後に知ることになった臣下たちは一様に青褪めた。彼らの動揺を背に、アーネストも信じがたい表情で兄を見詰める。

 しかしリューベクは暗殺者の少年を逃がすことなく、捕縛して尋問に掛けたという。さすがに抜け目がないなとアーネストが感心したのも束の間、兄はその仏頂面に少しの皺を刻んだ。

「尋問の結果、少年はグギン教団の保護下にある人間であるということが判明いたしました。彼らは千年前、我が国を脅かした教団の末裔だと」
「何ですと……!?」

 周囲に更なる戦慄が走った。それもそのはず、ここにいる人間は皆、グギン教団が今もなお生きていることなど知らなかったのだ。しかして皇太子暗殺に続いて第一王子までも手に掛けようとした過激な行動は、昔からの教団の性質を如実に表していると言えよう。もしかすると次は聖王の首を狙いに来ることだって考えられる。王族にはそれぞれ共鳴者である近衛騎士が付いているとは言っても、警戒は怠れないだろう。

「グギン教団は既に聖王国領内に潜んでいる可能性が高い。──陛下、奴らが活発化する前に、各地の守りを強化することを進言いたします。そして……」

 ──教団の殲滅を。

 兄の淀みない横顔を一瞥し、アーネストはおもむろに視線を落とす。滲んだ汗を拭い落とすように、握り締めた指先を強く擦り合わせたのだった。



 □□□



「……聖王様が……招集を?」

 人払いをした医務室の寝台で、ミラージュは身を起こすや否や眉根を寄せた。顔色は大分良くなったようだが、表情や仕草には気怠さが残っている。フランツはにこりと微笑みながら頷き、彼女に水の入ったグラスを差し出した。

「ええ、どうやら私の父も呼び出されているようで……ティール全体に関わる重要な会議であることは確かです。ミラージュ殿、このようなことは過去にも?」

 部屋の外では、エリクとセリアの話し声が微かに聞こえてくる。彼女の声が少々荒いことから、恐らく彼らが北イナムスへ行くことに反対しているのだろう。愛しい婚約者は怒っていても可愛いのだが、それは今は置いておくとして。意識を目の前へ戻すと、黄昏の瞳がぐっと細められた。

「……いえ……この時期では、なかったはずです」

 ミラージュの表情は硬い。自らが経験した数多の「過去」と、己の記憶を片端から遡っているようだ。

 ──初めて魔女の力というものの実態を知ったときは、フランツも驚いたものだ。“先見の魔女”とは単純な未来視を指すのではなく、彼女自身の選択によって枝分かれした「破滅の未来」を記憶し、それを回避するために試行錯誤を繰り返すという途方もないものだった。

 そしてその鍵が聖王国の次期聖王であるアーネストの生死であることは、明言されずとも分かることだ。

「……フランツ様」
「何でしょう?」
「アーネスト様は……伯爵から暗殺者を差し向けられることの他に、いくつか命を落とされる場面があります」

 極力抑えた声で告げられたのは、皇太子本人にはあまり聞かせられない話だった。ミラージュはこの先アーネストが命を落とす可能性として、主だった二つの大きな出来事を挙げる。

「一つは聖王国の陥落時、復活したグギン帝国の皇帝に殺害される未来です」
「……なるほど。まさに聖王国の滅亡を表す出来事ですね」
「はい……私は、聖王国の未来が潰えると同時に時間を遡ります。伯爵の計画が成功したときも、すぐに……」

 「過去」ではアーネストの暗殺が成功し、ミラージュは何度もその時間を繰り返すことでようやく犯人を掴んだのだとか。そうして安心したのも束の間、暗殺以降も次々とやって来る皇太子を狙う刃の多さに彼女は愕然とした。その大半は何とか潜り抜けることが出来るようになったものの、未だ真相を掴みきれていない事件も当然あるという。

「そして陥落とは別に、どうしてもアーネスト様をお救いできないことがあるのです」
「それは?」

「──ティール聖王国各地への派兵が実行されたときです」

 数多の「過去」の中で、北のノルドホルンを中心に兵力を集中させる機会がたまに訪れるとミラージュは語る。未来の変容によって派兵自体がなかったり、時期がずれたりすることが多々あるそうだが、彼女曰くこの派兵が行われると──アーネストが必ず命を落とすというのだ。

「な……必ず?」
「必ず。アーネスト様も領地の一部に赴くことになって、そこで……」
「ミラージュ殿、その派兵の目的は? 連合の動きを警戒してのことでしょうか」
「い、いいえ、グギン教団の生き残りを殲滅するためです。リューベク様の北方軍も窮地に追い込まれてしまいます」
「ちなみに派兵が起きたのは何度目です?」
「まだ四度目か、それぐらい……」

 フランツは難しげに唸ると、溜息を抑え込むように口元を覆った。

 ──何ということだ。

 この話が本当なら、いや、もしこの「未来」で起きるのならば大変なことになる。魔女とは言え一般人と変わらぬミラージュは派兵に同行することが叶わず、そこで起きる事件の真相など確かめようがなかったのだろう。考えられるものとしては、聖王国内にあるグギン教団の拠点にニコのような“兵士”がいたか、連合から増援が送られたか──あるいは……。

「……ミラージュ殿、その件については殿下に伏せておいてください」
「え……で、ですが」
「他でもない貴女から“そろそろ死ぬぞ”なんて言われたら、さすがの殿下も精神を病みそうですのでね」

 それも不確かな予言ではなく、アーネストが各地へ赴けば最期、三度全て死を迎えた派兵だ。せっかくミラージュが経験していない新たな未来が進行しているというのに、ここで終わりにするわけには行くまい。

 フランツは静寂を湛えた橙の瞳を、組んだ己の指先へと落としたのだった。

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