34.


──ははーん。さてはお前、追い出されたな?」

 一人で薔薇園に降りてきたニコに対し、カイは面白がるように表情を歪めた。エリクからは「ちょっと一緒にいてくれ」とだけ頼まれたものの、魔女とやらがニコを拒絶したことは容易に想像がつく。

 ところが本人はよく分かっていないようで、「キタナイ」と呼びかけながら魔女の家を指差していた。

「ガッタ・ヘイゾ」

「あーこらこら、お前はここで待機!」

「?」

「これでも持ってろ」

 じっとしていられないニコに、ついさっき見付けた如雨露を持たせる。予想通り興味を示した彼女にニヤリとしつつ、カイは如雨露の先をそこかしこに咲いている薔薇に向けた。錐で開けられた小さな穴から、中の水が柔らかく降り注ぐ。

「俺は優しいからなぁ~、井戸で水まで入れてやったぞ。感謝しろ」

……!」

 押しつけがましいカイの言葉をもちろん無視したニコは瞠目し、如雨露を自分で傾けては戻しを繰り返した。薔薇がびしょ濡れになってしまったところで、ようやくニコは乾いた土にも水をやり始める。どうやら意外にも「水やり」の概念はあるらしい。

「お前はあの娘の言葉が分かるのか?」

「へ?」

 そこへ声を掛けてきたのは、護衛団と共に見張りをしていたブラッドだ。彼は相変わらず鋭い眼差しでニコを一瞥すると、答えを催促するようにこちらを見遣る。カイは「いや?」とあっけらかんと首を振った。

「全く分かんないけど? エリクみてぇに古代語を覚えられる頭はねーし」

 かと言って現代語で一方的に話すことに、罪悪感などはこれっぽちもなく。何せニコは言葉は知らずとも、エリクや身近にいる誰かの真似をしたがる。恐らくカイの言葉も、語調やニュアンスで意味の推測ぐらいはしているのではないだろうか。カイはそれも一種の「対話」であると捉え、エリクとは少々異なるものの彼女と正面から接しているのは確かだった。

「副長さんも適当に話しかけてみれば良いじゃん。闘技場のことならもうすっかり忘れてそうだぞ、あいつ」

……それは薄々気付いている」

 闘技場で下手をすれば殺し合いに発展していた二人だが、ニコは再びブラッドと顔を合わせても無反応だった。エリクから「ブラッドさんだよ」と教えられても、名前を復唱しただけで終了。当のブラッドも少しばかり拍子抜けしたのか、王宮では適当に挨拶をして仕事に戻った次第である。

「キタナイ!」

「あ?」

 ふとニコがこちらに呼び掛け──もはやその呼び方で何も怒らなくなった自分に虚しくなりつつ、カイは薔薇園の中を覗き込む。そこでニコが不思議そうに如雨露を振っていた。どうやら水がなくなったのだろうが、彼女はあろうことか注ぎ口から中を確認しようとしては、落ちてきた水滴に驚いて尻餅をつく。

「何やってんだお前……」

「ブリンク?」

「水がなくなったんだよ」

 如雨露の蓋を開けてやれば、中を覗いたニコがすぐに立ち上がる。そして空になった容器を指差して「ヴィトール!」と訴えられれば、その行動が何を示すのかはすぐに分かった。大方、また水を入れたいのだろう。

「はいはい、お姫様のご要望通りに」

 カイがふざけた口調で如雨露を受け取ろうとした瞬間、ニコが「キタナイ」と呟く。今度は何だと首を傾げたところで、彼女の視線が自分から少しだけ横に逸れていることに気付き、ハッとした。

 

 

──何でこんなところにいるんだよ、“お姫さん”」

 

 

 奇しくもカイの表現を真似たような言葉は、カイのすぐ後ろから囁かれる。おまけに冷たい刃まで首筋に宛がわれてしまえば、つい最近こんな目に遭ったばかりのカイの顔色が急激に悪くなった。

「キャアーーーー!? また!? 俺また危ない感じ!? ニコさんもう少し危機感のある声で呼んでくれない!?」

「うるさい!! 女みたいに叫ぶな!!」

 そう凄む声はカイのそれよりも数段高ければ、視界の端に見える腕も細く頼りない。しかしカイの動きを封じることが可能なくらいには力が強く、そう簡単に振りほどけるものではなかった。

 背後にいる──恐らくニコとそう変わらぬ体格の女は、喧しいカイを押さえつけたまま口を開く。

「驚いたな、本当にお姫さんがティールの中にいたなんて。さっさと帰らないと叱られるぞ」

「?」

……チッ、そうか。あたしらなんかの顔は知らないわけだ」

 忌々しいと言わんばかりの嘲笑が、カイの耳を掠める。それと相まって刃物を掴む手まで力んでしまい、カイは内心で悲鳴を上げた。この女が誰かは知らないが、取り敢えず自分を挟んだまま喧嘩をしないでくれと。そもそもニコに現代語で話しかけている時点で喧嘩にはなり得ないのだが、このままでは女が勝手に逆上してしまいそうだった。

「おい、何かあったのか!」

「!!」

 そのとき、薔薇園の外からブラッドの声が聞こえてくる。そうだ、ここには蒼穹の騎士団の副長がいたのだった。カイによる乙女も顔負けな悲鳴に気付いたに違いない。

「副長さァーん!! 明らかな不審者が侵入してまッ」

「黙れっ」

 げしっと背中を蹴飛ばされ、カイは薔薇の生垣に突っ込んだ。何たる仕打ちだと泣きそうになったのも束の間、視界に映った光景に思わず硬直する。

 

 ──そこにはいつの間にか、女の首を掴んで組み伏せるニコの姿があったのだ。

 

「ぐッ……放せ、このッ」

……」

 外套を被った女は激しく暴れるが、ニコは物ともせずに馬乗りになってはフードに手を掛ける。その表情は特に険しくもなく、どこか興味津々といった雰囲気だ。まさかの通常運転な様子の彼女にカイは頬を引き攣らせたが、露わになった女の顔を見ては「え!?」と声を上げる。

「と、“尖った耳”!!」

 紫色の髪を結い上げた女は、ニコのように白い肌と尖った耳を有していたのだ。まさかこの女は件の暗殺者ではいのかと、カイは更に青褪める。尖った耳と小柄な体格、それから──あとは何だったか。

「放せって、言ってんだろ!!」

 女がニコの腕を掴み、勢いよく投げ飛ばす。ごろごろと転がったニコを片手で引き上げたのは、カイの悲鳴で駆け付けてくれたブラッドだった。加えて護衛団の騎士も数名付いており、彼らは不審な女を見るなり即座に抜剣した。

「その声。貴様、殿下を殺しに来た暗殺者か」

「ああクソ、やっぱりテメェまでいたか。だから嫌だって言ったのに」

 咳き込みながら立ち上がった女は、ブラッドを睨み悪態をつく。しかし今は何よりもニコに対して苛ついているのか、呑気に欠伸をかます彼女を見ては、足元にあった如雨露を容赦なく踏み潰した。

「そいつを匿おうってんなら相応の覚悟しとけよ、ティールの馬鹿共。今頃、“奴”が血眼になって捜してるぜ」

……。よく知っていそうだな。詳しく聞かせてもらおうか」

 そう告げるなり、ブラッドの姿が忽然と消える。次の瞬間には、女の背後に回った彼が剣を振りかぶっていた。カイの目では追い切れなかったその動きに、寸でのところで反応した女が素早く跳躍する。薙いだ剣が空振るついでに薔薇の花を揺らせば、ブラッドは間髪を入れずに更なる追撃を繰り出した。剣を拾った女がそれに応戦すると、激しい剣戟の音が庭園に響き渡る。

「うわわわ……よくこんな狭いところで剣振り回せんな……って」

 危うく首を斬り飛ばされそうな状況下、カイは半ば這うようにして通路の外側へと出た。そこで見たものは、ぼうっとしているニコの背後に忍び寄る“黄金の蝶”。自ら発光する不自然な蝶を認めた直後、カイは咄嗟に駆け出す。

「ニコ、後ろだ!!」

「?」

 彼女がカイの指差した方向を追うように振り返る。

 刹那、その足元に展開されたのは巨大な魔法陣だった。

 

 

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