33.


 王宮と同じ白亜で統一された柵が開かれ、光射す緑の景色が奥へと伸びる。道は石畳を敷き詰めることで整備され、傍らには色とりどりの花が風に揺られていた。予想していたよりも整然とした樹海の様相に、エリクはつい感嘆の声を洩らす。

「綺麗な場所なんですね」

「魔女の住まう森は神域と呼んでもいいからな。聖都から定期的に庭師を派遣しているのさ」

 アーネストはそう語りながら、柵の内側にぽつんと備え付けられた鐘へと近付く。垂れた鎖をぐっと引けば、鐘が軽やかな音を響かせた。それを樹海全体に運ぶかのように、木々が一斉に揺れる。一陣の風が遠くへと吹き抜けた後、アーネストは鎖から手を離した。

……今のは……?」

「樹海に入ったことを知らせるための、呼び鈴のようなものだな。ここは言わばミラージュ殿の庭だからね──さて、行こうか。迷子にならないよう気を付けたまえ諸君」

 勇んで歩き出したのは良いが、皇太子の手足は同時に出ていた。エリクとカイが心配そうに顔を見合わせる傍ら、護衛団の者たちまでもが額を覆う。平然とその後を付いて行ったのはブラッドとニコぐらいであった。

 魔女の家へと向かう間、アーネストは退屈凌ぎにと口を開く。曰く、この樹海は整然としているように見えるが、石畳から一歩でも外れてしまえば即座に迷子になるとか。初っ端から不穏な話だなと、エリクは右手の景色を見遣った。……確かに、一行が歩いている石畳の道は神聖な雰囲気すら醸し出しているのに対し、その外側では木々が視界を覆いつくす勢いで生い茂っている。足場も悪ければ視界も狭く、鬱蒼とした景色がそこにあった。

「この石畳の道は歴代の魔女によって敷かれた、私たちのための“しるべ”ということだ」

……これがないと、魔女の元まで行けないということですか」

「ああ。樹海そのものが“始祖”の力によって歪められている、とも噂されているよ」

 魔女以外の人間が安易に足を踏み入れてはならない理由は、恐らくそこにあるのだろう。石畳の道を必ず歩かねばならないという決まりを知らず、遭難の末に命を落とした冒険家も多く存在したとのこと。彼らの遺体は魔女によって森の外へと運ばれ、聖都の騎士団に引き渡される。それを無責任だ冷酷だと非難する声も勿論あったが、そもそもは王家が「魔女の森に入るな」とお触れを出していることを知った上での行動であり、魔女が咎められる謂れはひとつもないだろう。

「この樹海は本来、魔女だけに与えられた祝福されし庭なんだ。我ら王家の人間は、特別に進入を許されているだけ

「なのに皇太子様はお引き取り願われてしまったと」

「言うな」

 カイの呟きを素早く押さえつけ、アーネストは一つ咳払いをした。

「着いたぞ」

 指差した先に、これまた美しい白亜の庭園が現れる。至る所に赤い薔薇が立派に咲き誇り、青々とした葉が陽光と水滴を弾く。

(水やりをした後だ)

 エリクは目を瞬かせ、ちらりと庭園を一瞥する。皇太子は気付いていないようだが、通路脇に鉄製の如雨露が打ち捨てられていた。中からは水がこぽこぽと吐き出され、石畳を黒く湿らせている。

…………」

「んぁ、どうした? エリク」

「あ……いや、何でも」

 もしや、つい先程まで魔女はこの庭で水やりをしていて、鐘の音を聞いては大慌てで屋敷に引っ込んだのではなかろうか──そんな推測をサッと打ち消し、エリクは笑みを浮かべる。……仮にその考えが合っていたとしたら、あまりにも皇太子が不憫だったからだ。

「レイゾ」

 ぽつりと聞こえた呟きに振り返れば、ニコが薔薇をじっと見つめている。フードの奥から覗く瑠璃色の瞳は、どこか興味津々だ。恐る恐る花を触ろうとする彼女に気付き、エリクはやんわりとその手を掴む。

「ニコ、棘があるから危ないよ」

「?」

「ほら。棘……えっと、ザーンか」

 赤い花弁をそっと持ち上げ、茎の尖った部分をニコに見せてやると、瑠璃色の瞳が少し見開かれた。そそくさと両手を引っ込めた素直な彼女に、エリクは思わず笑ってしまう。

「エリク、ニコ! 来てくれるか」

 そこへ、魔女の家の入り口まで移動したアーネストから呼び掛けられた。その表情はやはり硬い。いや緊張しすぎでは、とエリクだけでなく皆が思ったに違いない。とにかくエリクはニコを連れ、玄関前の階段を上がったのだった。

 一見して魔女の家は素朴そのもので、平民が暮らす家屋と大差ない。年季の入った木材や色鮮やかな植物は郷愁すら抱かせる。窓辺に並んだ鉢植えには、年頃の女性が好むような可愛らしい花が育っていた。

 それにしても。

「アーネスト様、大丈夫ですか? 顔色が悪いです……」

「大丈夫だ、また帰れと言われそうで腹痛を起こしかけているが」

「全く大丈夫じゃないですよ」

 何をもって大丈夫と答えたのだろうか。ベルを鳴らす前から顔が引きつっているアーネストを横目に、エリクは頬を掻く。暫く待ってみたが、皇太子の動作は亀も驚くほど鈍い。このままだと日が暮れてしまいそうだ。

 仕方なしにエリクは扉を叩き、ぎょっとする皇太子の代わりに挨拶を述べた。

「!?」

「ごめんください。アーネスト皇太子殿下と共に参りました、エリクと申します。少しお尋ねしたいことがありまして」

 アーネストの動きが完全に止まり、ニコが後ろで薔薇園を眺め始めたおかげで、周囲は水を打ったように静まり返る。そのまま何の音沙汰もない扉を見詰めること暫くして、エリクはとうとう首を傾げた。

 留守、とは考えにくいのだ。如雨露は庭に落ちていたし、二階の窓も開いている。外出した可能性は低く、ならばと浮かび上がる事実は──。

…………。あの、アーネスト様」

「何だい」

「居留守を使われているかもしれません」

 麗しい顔立ちがピシッと硬直する。慌ててエリクは何度か呼び掛けたが、石化したのか全く反応がなくなってしまった。魔女から追い返されることは想定のうちとは言え、「帰れ」の一言すら貰えなくなった皇太子の心中が今は少し分かる。それが普段から女性にちやほやされている立場なら尚更。

「あ、あー……アーネスト様、ほ、ほら、今日こそ体調が悪いのかも……」

 

 

「ど、どなたですか……?」

 

 

「!!」

 消え入りそうな、弱弱しい声。ハッとして扉を確認すれば、いつの間にか小指程度の隙間が開いているではないか。そっとそこを覗き込むと、薄闇の中に小さな光──瞳がちらつく。

「あ、ええと、急に訪ねてすみません。エリクと言います。僕は王家の人間じゃないんですけど、お話しても大丈夫ですか……?」

……はい」

 声が小さいことは勿論、随分と気弱な印象を抱かせる女性だった。彼女が「先見の魔女」と呼ばれる存在であり、百戦錬磨(フランツ談)のアーネストを袖にしたミラージュという人なのだろうかと、エリクは意外に思ってしまう。

 それはさておき、今は話をしてもらわなければ。何から話せば良いのかとアーネストを窺ってみるも、未だ不安げに扉を注視している様を見ると恐らく当てにならない。平素の毅然とした態度は何処へ行ったのだ。

「今日はその……そうだ。ジョルジュ伯爵が捕縛されましたよ」

「!」

「暗殺未遂は起きましたけど、アーネスト様もご無事です」

……。それは……良かった」

 ほんの僅かだが声が和らぎ、彼女の纏う物静かな空気に安堵が滲む。これは、エリクが想像していたよりも遥かに穏やかな人物なのではないだろうか。何かしらの都合で皇太子を追い返しはしたが、その身を案じていることに違いは無さそうだ。

「あと、それとは別件で貴女の力をお借りしたいとアーネスト様が」

……別件?」

「ティール領内で出没している凶暴な獣と、一緒に来ている少女の身元について教えてもらいたいんです」

……獣……青い、瞳の?」

 エリクが頷けば、考え込むような沈黙が返ってくる。ほっそりとした指先が扉に掛けられ、隙間の幅が広がった。光の粒にしか見えなかった瞳が、やがて鮮やかな黄昏時の色へと染まる。黄と藍を宿す不思議な色合いの瞳にエリクが呆けたのも束の間、それはたっぷりとした黒髪に遮られてしまった。俯いた彼女は、ぼそぼそと口を動かして告げる。

……どうぞ、中へ。獣についてお聞かせください」

「! あ、ありがとうございます。えっと……アーネスト様も同席しても……?」

…………。はい」

 長い間があったのは気に掛かるが、今回はアーネストと言葉を交わしてくれるようだ。ほっとして隣を見れば、あからさまに喜ぶ皇太子の姿がある。まるで想いが通じた少年のような──まだ互いに顔も見てないのでそれは過剰表現か。

 すると、扉の隙間から控えめに周囲を見渡していた魔女が、小さく尋ねてくる。

……それと、少女というのは……? 私は、あまりお力になれないと思うのですが」

「それなら、ここに──ニコ、おいで」

 エリクが後ろを振り返ると、いつの間にか庭に降りていたニコが反応した。拍子に、彼女のフードが風によってふわりと外れる。短い金髪と尖った耳が露わになった瞬間、扉の奥から悲鳴が漏れた。

「ひ……!?」

「え──ミラージュさん!?」

 そうして勢いよく扉が閉まり、エリクは唖然とした面持ちでアーネストと顔を見合わせたのだった。

 

 

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