29.


 先見の魔女。それは現在の王家と深い繋がりを持つ血筋を指す。

 今より二千年前、巨人族との戦争に勝利した十二人の“黎明の使徒”は、ティール聖王国の前身である旧ティール王国を建国。使徒の一人であった初代国王コーネリアス一世の下、人々はゆっくりと繁栄を再開した。

 ミグス、またの名を「青き力」との共鳴に成功した“黎明の使徒”は、国家形成の際にも当然特別視されることとなる。コーネリアス一世を除いた十人の使徒は、現在で言うところの公爵家に値する地位を授けられ、その末裔は今も官職に就いていることが多い。北イナムスとの度々の戦争で途絶えてしまった家もあるが、国家の礎となった彼らの名は歴史書に必ず記録されている。

 しかしそんな中で、使徒の残る一人は国の地盤が固まると同時に、南イナムスの果て──南西部に広がる樹海へと早々に姿を消した。コーネリアス一世は大変残念がったそうだが、“彼女”がある使命を負っていることを知り、無理に引き留めることはしなかったという。

 

 

「その使徒というのが、先見の魔女と呼ばれるミラージュ殿の祖先だ」

 随分と大きな馬車の中、アーネストはそこで言葉を区切り、懐からメダルのようなものを引き抜く。差し出されたそれは、ティール聖王国の紋章が刻まれた薄い円形の銀細工。王族の衣装に着ける徽章だった。

「エリク、この紋章の形の意味を知っているか?」

「ええと……確か、中央の丸がミグスを示していて、四方から伸びる十本の手が等しく距離を空けていることから、“不可侵の力”を表す、と」

 エリクの回答に、皇太子は満足げに頷いた。

 ティール聖王国の国章は、一見して太陽を図式化したような形だ。壁画や王侯貴族の所持品に彫られるものは単色で描かれることが殆どで、歴史を嗜んでいない限りはそれを太陽と見なしている者も多いことだろう。

 対して王宮にある国章は、中心の円が青色に塗られたり、代わりに宝石が埋め込まれていたりと、必ず中央が青で統一されている。つまり、それがミグス──「青き力」を示すことを裏付けているのだ。

 皇太子の住まう蒼天宮が青色で彩られているのも、その辺りが所以なのだろうとエリクは納得を得る。しかし……。

「国章と、先見の魔女との間に何か関係が……?」

「魔女の一族は、この国章の由来でもあるのさ。彼女らはミグスを悪用されないよう、巨人族の“始祖”から監視の役目を頂いている」

「!」

「加えて、この南イナムスの平和を見守る役目もな」

 それは、歴史を一通り学んだエリクですら初めて耳にする話だった。

 原初の巨人、すなわち“始祖”は自らが創り出したミグスという強大な力を、大陸を去る自分の代わりに魔女の一族へ託したのだ。彼女らがどういった知識を継承したのかは王家にも分からないが、少なくとも魔女が「重大な存在」となったことに変わりはないという。

「呼び名の通り、魔女はイナムスに迫る危機を事前に察知する力を与えられたんだ」

「え……み、未来予知ですか!?」

「そんなところだ。これはあまり口外しないでくれ」

 エリクは頷きつつも驚きを禁じ得ない。ミグスや魔法といった不思議なものが存在するイナムス大陸で生きているとは言っても、我々が決して操れないはずの時間を超える力が在るとは思いもしなかったのだ。

 ──しかし未来を視ることが出来るのなら、どうしてその力を国のため積極的に使用しないのだろうか。それによって避けられる戦もあっただろうに。エリクがふと疑問を抱けば、それを見透かしたであろうアーネストが苦笑した。

「言ったろう? 魔女の未来視も“不可侵の力”のひとつさ。おいそれと王家に未来を伝えてしまえば、このティール聖王国が北イナムスを一方的に滅ぼしていたかもしれない」

「あ……だから“始祖”が戒めたんですね。危機に陥ったときにのみ、魔女の力を使うように」

「ああ。……巨人族のように、力を無暗に行使してはならないとね」

 

 ──その先にあるのは破滅だと、“始祖”は魔女に言った。

 

 アーネストに言わせれば、“始祖”と大精霊によって創られたミグスは、大いに人の手に余る代物だという。今は王家も正しい扱い方を心得てはいるが、昔はその強大な力に惑わされ、己を見失った王もいたそうだ。

「ミグスの力と魔女があれば、ティールはもっと大きな国となるだろう。海を越えて、他の大陸にだって侵攻できてしまう。……血腥い、大帝国の完成だ。勿論それは我々王家の力ではなく、ミグスという神の遺物がもたらした産物だよ」

 その空虚な支配には何の意味もない、と皇太子は嗤う。

 もしも共鳴者が生まれなくなり、魔女の未来視も使えなくなれば、その支配も一瞬で終わる。ミグスは兵器にもなり得る存在だが、不確かであるがゆえにあまりにも頼りない。過去の愚王はその事実に気付かず、いたずらに共鳴者を増やそうとしては失敗し、北イナムスにその動きを悟られ戦になっていたとか。

 

──で、だ。そのミラージュ殿が少し前、私に未来を告げた」

 

「え?」

“ジョルジュ伯爵に警戒を”とな」

 アーネストが魔女を訪ねた際、門前払いを食らって止む無く帰ろうとしたときに、それは小さく告げられたのだという。ジョルジュ伯爵とは言わずもがな、暗殺者を王宮に送り込んだ張本人の名前。

 エリクは思わずぞっとした。もしや、否、やはり魔女は本当に未来を知っているのだと。

「だからアーネスト様は、フランツさんに伯爵の調査を……」

「そういうことだ。事情を言わずにいたから、あいつには怪しまれたよ。それに君たちも不安にさせてしまって申し訳なかった」

「いえ……結果的に伯爵は捕縛されましたし、良かっ」

「た、とも言い切れないのが現状だがね。伯爵の尋問は遅引しているし、肝心の暗殺者も行方が掴めない。……まあ、それは追々詰めていくよ」

 ちらりと萌黄色の瞳が、エリクの隣に移される。皇太子と二人で長々と話している間に、ニコはエリクに寄り掛かったまますやすやと眠っていた。そして彼女を挟んだ向こうでは、同様に馬車の窓に凭れて眠るカイの姿。

 実を言うと王宮を発ったのは今朝、日も昇りきらぬ内から三人は皇太子の馬車に詰め込まれた。寝不足が基本のエリクは例外で、ニコとカイは瞼が半開きの状態で揺られ、アーネストの話を聞いているうちにとうとう寝堕ちてしまったようだ。しかしいくら緊張感のない二人といえど、次期聖王となる人物の前でも熟睡できるとは恐れ入る。

……。す、すみません。二人ともよく寝るんです」

「構わないさ、寧ろ全く眠そうじゃない君の方が心配だ」

「え? いえ、僕はいつも通りなので……」

……そうか」

 更に心配されていることなど露知らず、エリクは背凭れにしっかりと体をつけ、ニコの体勢が安定するように調整する。あどけない寝顔を一瞥すれば、向かいから苦笑が漏れた。

「フランツからも聞いていたが、まるで兄妹のようだな。知り合ってまだひと月も経っていないのだろう?」

「そう……ですね。そういえば」

 確かにニコは殊更エリクに心を開いている。元から素直かつ極度の人見知りをしない性格ではあるが、眠りながら抱き枕にするのはエリクだけだろう。そして彼自身、学び舎の教師という立場上、ニコのような右も左も分かっていない子どもと接する機会は多かった。彼らより年齢はいくつか上と言えど、彼女の要望には何とか応えようとする節があるのかもしれない。それに。

……命を、救われたこともあるかもしれません」

 オースターロの夜、青い瞳の獣から襲われかけたとき。あの出来事があったからと言って、ニコの見方が変わったわけではない。ただ、先生の言いつけを守るということ以外に、自らの意思で彼女に関わろうとしたことは確かだった。

 すやすやと寝息を立てる彼女の指先を、エリクは控えめに握る。眠ったままでも手を握り返してくる様には、思わず苦笑した。

「そうだ。アーネスト様、僕の町に出没した獣については何か──」

 

──殿下!!」

 

 外から聞こえた緊迫感のある声に、エリクは反射的に口を閉ざしたのだった。

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