28.


 蒼天宮。それは王宮とはまた別の、次期聖王となる者が住まう立派な離宮の名だ。アーネスト皇太子も成人の儀を終えると同時に、しきたり通りこの蒼天宮に居を移したという。王宮の白を基調とした造りは同様で、蒼天宮は更にその名に相応しい深い青色の装飾が随所に拵えてある。天井の灯をそのまま映し返すほど磨かれた床も、海のような青色で統一されていた。

 そのような場所に自分が足を踏み入れているという現状に、エリクは今更ながら信じられない気分になる。況してや皇太子との謁見など、本来ならば一生訪れない機会だったことだろう。それもこれも──ニコと出逢ったことが全てのきっかけなのだろうか。

「なあ公子様、ちょっと聞きたかったんだけどさ」

「何でしょう?」

 ぐるりと廊下を見渡したカイが、おもむろに口を開く。翠玉色の瞳がフランツの背中に留まれば、すぐさま質問が為された。

「あのブラッドっていう騎士さんも共鳴者か?」

 フランツが意外そうに、けれど面白そうに振り返る。無言で続きを促されたカイは、隣できょろきょろとしているニコを指差した。

「ニコに投げられて顔面打撲したって聞いたぜ。にも関わらずぴんぴんしてるから、それもミグスとやらの影響かと」

「キタナイ」

「え、何で今呼んだの? 最近お前それが悪口って分かって言ってない?」

「?」

 ニコはカイのことを呼ぶだけ呼んで、早々に興味を失ったようだった。二人のやり取りを眺めていたフランツがくすくすと笑う。

「カイ殿の仰る通り、オールゼン卿も共鳴者ですよ。ただ……闘技場でニコ嬢の相手をする際は、力を使わぬようにとお願いしました」

「へ……」

 その回答にエリクは驚いた。無論、ブラッドが共鳴者であることもそうなのだが──フランツはニコの力が他と比較して強力であることを知りながら、ブラッドに手を抜けと言ったのだ。下手をすれば打撲どころではなかったかもしれないのに、何故そんなお願いをしたのかと。

 エリクと同様、カイも訝しげ且つ鬼畜な所業を咎めるかのような顔をしていた。二人の責める視線を受け、フランツは苦笑する。

「ふふ、ニコ嬢は基本的にのんびりとしていますし、卿が全力を出すとつい驚いて──それこそ反射的に一捻りされてしまいそうだったので」

「え」

「というのは冗談で。保護者のエリク殿がいる手前、あまり過激なことはしないようにと釘を刺しただけですよ」

 ……恐らく、どちらも本音なのだろうとエリクは思う。ブラッドの命を守るため、また必要以上にニコを刺激しないためにも、彼はくれぐれも慎重に見定めを行うようにと指示をしたに違いない。案外、この人も優しい一面を持っているのだなとエリクがほっこりしたのも束の間。

「しかしね、卿はちょっと頑固者というかバ……純粋なんですよね。危ないから防具はちゃんと着けなさいと言ったのに、ニコ嬢が革のベスト一枚ならそれに合わせるべきだとか何とか抜かして結局は出血多量でしたからね」

「怖い怖い、エリクこの人怖い口悪い」

 カイが真っ青な顔で怯える傍ら、エリクも頬を引き攣らせてしまった。

 しかし言い方はともかく、彼がブラッドのことを心配していたのは事実なのだろう。もしかすると先程ジャクリーンを宛がいからかったのは、その叱責代わりだったのかもしれない。至極残念なことに、フランツは面と向かって「心配した」と素直に言えなさそうな性格をしているから。

 やっぱり面倒臭い人かも、と印象が即座に逆戻りしたところで、フランツが足を止める。

「まあ、卿が殿下の信頼する素晴らしい騎士であることに変わりはありませんよ。さて、ご対面と行きましょうか──」

 

 

──ようやく来たか」

 

 

 バァン、と勢いよく応接間の扉が開かれた。突如として現れた麗しい青年に、フランツを含めた四人が固まる。

 銀色にも見える青白磁の髪は艶やかで、首元までやわらかに流れている。萌黄色の瞳は春の陽気を感じさせながらも、目尻に掛けて縁取られた睫毛のせいか、色気すら覚えるほど美しい。もしや、これが──。

「皇太子殿下、どうなさったのです。今朝まで魔女殿のことで傷心中だったではありませんか。随分と元気になってしまわれて」

「うるさい、誰が傷心中だ。あと残念そうにするな。ミラージュ殿に追い返されたのは別に嫌われたわけじゃないし私が粗相をしたわけでもないしただちょっと彼女の体調が悪かっただけだ、そうに決まっている」

「必死に前向きになろうとしているわけですね。お労しい殿下」

 これが……アーネスト皇太子、なのだろうか?

 エリクが思わず首を傾げそうになっていると、アーネストがこちらに視線を寄越す。エリク、カイ、ニコの順に顔を確認しては、今しがた見せた態度とは一転、洗練された所作で一礼したのだ。

「よく来てくれた。貴殿らのことは既に聞き及んでいる。道中での非礼、臣下に代わってお詫び申し上げよう」

「えっ、いや、そんな」

「特にフランツの畜生っぷりには辟易しただろうが、大目に見てやって欲しい。これでも一応は優秀な人材なのでな」

 「心外ですね殿下」というフランツの言葉をしれっと聞き流し、アーネストはふと思案げに顎を摩りながらニコを見据える。

 

「で。そこの一見して無害そうなお嬢さんが、“共鳴者疑惑”のニコか」

 

 “共鳴者疑惑”──エリクは先程から薄々と感じていた「王宮がニコを呼び出した理由」が、ここで明確になったことに動揺した。

 やはり皇太子やフランツ、そして直に刃を交えたブラッドも、ニコの身体能力に疑問を抱いていたのだろう。暗殺者と同様の尖った耳を持ち、ミグスの共鳴者と酷似した力を有する存在というのは、そう簡単に無視できないものだから。

「安心してくれ、別に取って食おうというわけではないさ、エリク」

「!」

 親しげに名を呼ばれ、エリクはつい肩を揺らした。緊張気味の表情を見てか、アーネストは故意に笑顔を浮かべて語る。

「彼女が如何にして共鳴者と同等の力を得たのか、出自はどこか、何故そのような耳をしているか……。その辺りを少し調べておきたいのは本音だが、彼女から正確な聴取が可能かどうかは疑わしい」

 皇太子は既に、ニコが古代語しか話せないことを知っているようだった。彼女に全てを尋ねることが難しいとした上で、アーネストは「そこで」と心なしか声の調子を上げる。

 

「ミラージュ殿──“先見の魔女”に、ニコのことを聞いてみよう」

 

 話が上手く呑み込めず、エリクは瞬きを繰り返す。

 先見の魔女ミラージュとは……皇太子が振られてしまったとかいう、森に住まう魔女のことだろう。その魔女を訪ねれば、ニコの素性が分かるのだろうか?

……。ああ、ニコ嬢をダシに魔女殿を再度訪問できそうだから、元気だったのですね」

「さあエリク、早速で悪いが明日にでも王宮を発つ。今夜はしっかりと休むように」

 フランツの言葉を半ば遮るように、アーネストは有無を言わさない笑顔で告げた。ずいと詰め寄られたエリクが仰け反りつつも頷けば、皇太子は「よし」と気合いを入れる。

「それと、そちらはカイだったかな? 再びニコが魔法で狙われるかもしれない。君の協力も当てにしているよ」

「う、うぃっす」

「フランツ、護衛団はブラッドを中心に組んでくれ。それでお前は──今度こそ休暇を取れ、働きすぎだ」

 てきぱきと、最後はちょっと申し訳なさそうに指示を出したアーネストは、颯爽と部屋の中へと引っ込む。が、何かを思い出したように廊下へと顔を戻しては、薔薇でも咲きそうな麗しい笑みをニコへと向けた。

「そのドレスとネックレス、とても似合っていると伝えておいてくれ。では」

…………はい……」

 この短時間で今後の予定を組み、部下に指示を出し、女性への称賛も忘れない──まるで嵐のような人だと、エリクとカイは唖然としてしまった。

 

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