27.


 扉が開くなり勢いよく胸に飛び込んできたのは、赤色のドレスを身に纏った少女だった。エリクはその長い金髪を見下ろしては、混乱を露わに硬直する。無論、すぐ傍にいたカイもぽかんとした顔で動かない。これは一体誰だろう、と二人が沈黙していると、廊下から「待って~」とのんびりとした声が近付いてくる。

 ひょこっと部屋を覗き込んだのはジャクリーンと数人の侍女たちだ。

「ああ! ニコ、良かった。迷子にならないか心配だったのよ」

「え、ニコっ?」

 驚いて名を呼べば、少女が顔を上げる。瑠璃色の瞳を確認しては、確かにそれがニコであることを知った。だが髪の毛は随分と伸びて──と首を傾げ、エリクはようやく理解する。

「これ、ウィッグ? うわっ」

 尖った耳を覆い隠すように被せられた金髪のウィッグ。一束掬い上げれば、ニコが慌ただしくエリクの背後に回ってしまう。何故だかジャクリーンたちから逃げるように。訳も分からず盾にされたエリクは、腹部にしがみつく少女の腕に触れつつ口を開いた。

「あの、ジャクリーン様、何かあったんですか?」

「何だか埃っぽかったから、着替えついでに湯浴みもしておいでって言ったの。そしたら」

 恐らく闘技場の砂埃が全身に纏わりついていたのだろうが──数人の侍女に服を剥かれ、湯船に沈められたニコは相当びっくりしたそうだ。ジャクリーンが優しく宥めながら着替えまでは終わらせたものの、ウィッグを装着するや否やニコは一目散に部屋を飛び出し、安全基地と見なしているエリクの元へすっ飛んできた次第だ。

「ごめんなさいね、ニコ。驚かせてしまって……でもよく似合っているわっ、ね、お人形さんみたいで──」

「騒がしい、何をして……」

 と、そのとき。ジャクリーンの後ろから長身の男性──ブラッドが現れた。彼は皇太子の謁見が可能かどうか、エリクたちが食堂で話している間に確認をしに行ってくれていたのだ。

 ブラッドはつと視線を下ろし、紫水晶の髪を捉える。するとどうしたことか、常に仏頂面な彼の表情がにわかに強張った。唇の端がひくっと痙攣すれば、妙な沈黙に気付いたジャクリーンがくるりと振り返る。

「まあ! ブラッド! あなたも帰還していたのね!」

……ジャクリーン、様」

 

(声ちっさ!!)

 

 エリクとカイが心の中で同じ突っ込みを入れる一方、部屋の入り口では何ともぎこちないやり取りが続行される。いつもの堂々とした態度はどこへやら、濡羽色の切れ長な瞳は忙しなく泳いでいた。

「久しぶりね、怪我はしていない? あなたはいつも無茶ばかりすると、団長も心配なさっているわ」

……い、え。お……私のことなどお構いなく」

「ふふ、あなたは私の上官なんだから、敬語は要らないって前にも……あら? ブラッド、口が切れているわ! よく見たら顔もちょっと腫れて」

 彼女が言っているのはきっと、闘技場でブラッドがニコにぶん投げられた時の怪我だろう。エリクからしてみれば首が折れたのではないかと冷や冷やしたほどで、ブラッドが鼻血と打撲程度で済んでいることの方が驚きだった。

 しかしジャクリーンの口振りから察するに、どうも彼はその頑丈さゆえに頻繁に怪我をしているようだ。

「ほら見せて、ブラッド。綺麗なお顔に跡が残ってはいけないわ」

「!! 平気です、ジャクリーン様のお手を煩わせるわけには」

「傷の残った醜男のままではジャクリーン嬢の傍には立てませんよ、オールゼン卿」

「黙れエンフィールド!!」

 フランツの心底愉快げな顔と口調を受け、エリクは何となく察してしまった。ブラッドの委縮──否、異常な緊張っぷりはジャクリーンへの好意から来るものだろう。冷静で大人びた印象が強かっただけに、この分かりやすさには何だか気が抜けたというか、親近感が湧いたというか。

「あ、それで皇太子殿下の謁見は如何でした?」

……今すぐにでもお目通りできる」

「そうですか。ではジャクリーン嬢、卿の手当てをお願いしても?」

「!?」

 ところでこの愉快犯はどうにかならないものだろうか。ブラッドが大袈裟に狼狽える姿を見て楽しんでいたフランツは、エリクとカイの「やめてやれ」という視線を物ともせずに部屋の外へと向かう。

「さ、我々は殿下の元へ行きましょうかね。オールゼン卿、また後で」

「待て、エン……っ」

「ブラッドはこっちでしょうっ、ほら、医務室へ行きますよ!」

 ジャクリーンに腕を引っ張られ、ブラッドは悲鳴でも上げそうな顔で固まった。か弱い手を引き剥がすことも畏れ多いようで、彼は言葉にならない声を発しながら引き摺られていった。……失礼ながら、普段が無愛想なだけにあれほど動揺する様が見られるなら、揶揄いたくなるフランツの気持ちも分からなくはない。

「いやー……面白いもんが見れたな」

「カイ、君な……それは思ってても言っちゃいけない」

「思ってたんだな。ま、俺らも行こうぜ。ニコももう落ち着いたしよ」

 カイの言葉に、エリクははたと思い出して後ろを振り返った。ニコは未だ背中にしがみついたままだったが、周囲を警戒するような気配は消えている。エリクの視線に気付いては、瑠璃色の瞳をこちらへ寄越した。

(髪が長いと別人みたいだな)

 その尖った耳を除いても、彼女が元から人目を惹く容姿をしていることは分かっていたが、この姿ならばジャクリーンの隣にしれっと立たせても何ら違和感がないのではなかろうか。異性の装いに関して疎いエリクがそんなことを考えてしまうほどには、ニコの今の格好は不思議と馴染んでいた。

……。ラーク・ヌースォ」

「!」

 ぽつりと呟けば、ニコのまばたきが多くなる。どうやら伝わったようだと、エリクは彼女の手を握って笑った。

 するとそんな二人のやり取りを見かねてか、カイが感心したような声で告げる。

……最近すげぇ思うんだけど、お前よくそんなぽんぽん古代語が出るよな。しかも単語じゃねーし」

「ん? 暇があれば辞書めくってるからかな、段々と覚えてきたよ」

「は!? そんなことしてたか!?」

 エリクは平然と頷く。聖都に着くまでの間、特に商人の馬車で移動をしていた数日間は手持ち無沙汰になることが多かった。ゆえにニコとカイが眠りこけている傍ら、エリクは念のためと持参した古代語の辞書を捲っていたのだ。単語の暗記など、先生から文字の読み書きを教えてもらったとき以来だったが、なかなかに楽しいものである。おかげでニコに伝えられる言葉が以前よりも増えてきたところだ。

「まあ、まだ知らない言葉も沢山あるけど、熟語の構成と発音の法則は大体掴めて……」

……うん、何か、お前やっぱり学者気質なんだな。改めて分かった」

……褒められてる気がしないのは何でだ」

「褒めてる褒めてる。ちなみに今のは何て言ったんだ?」

「ああ、“似合うね”って」

 途端、カイが物凄く衝撃を受けたような顔をした。ちら、とニコを見遣っては「なるほど」と呟く。

…………変な貴族ばっかり見てたせいかな、エリクがデキる男に見える……」

「え?」

「何でもない。皇太子様のとこ行こうぜ」

 そそくさとカイが部屋を出て行った後、エリクとニコはきょとんと顔を見合わせたのだった。

 

 

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