26.


「片腕のあなたがエリク、綺麗な目のあなたがカイ、それでこの可愛いお耳のお嬢さんがニコね! ふふっ覚えたわ」

 一人ずつ指差して確認した後、紫水晶の瞳を和ませたジャクリーンは上機嫌に両手を叩いた。くるりと踵を返せばドレスの裾が翻り、どこからともなく花の香りを運ぶ。食堂から伸びる広い廊下で、まるで舞うようにスキップをする美女。その周りの空気は春の陽気を纏っているようだ。

 後方でエリクたち三人が戸惑い気味に突っ立っていれば、くすくすと笑いながらフランツがその背中をそっと押す。

「ジャクリーン嬢、王宮にいらっしゃるとは珍しいですね」

「お父様と一緒にコーネリアス陛下にご挨拶をしに来たの。それでついさっきまで王立図書館で時間を潰していて……ね? エリク」

「え……あ、そう……だったんですね?」

 エリクが王立図書館でジャクリーンと出会ったとき、彼女は本をばらばらと落として狼狽えていたように思う。あのときは単なる親切心で片付けを手伝ったが、よもや彼女が──フランツと同等の爵位を持つ名家、バーゼル公爵家の令嬢だったとは。気の抜けるような柔らかな雰囲気は勿論、妙麗な容姿とは裏腹に幼めな言動は、言われてみれば確かに深窓の令嬢というものを彷彿とさせた。

「お父様がまた陛下と話し込んでしまって、長くなりそうだったから退席させていただいたの」

 そうして城の散歩がてら、食堂に客人が来ているという話を聞きつけ、戯れに足を運んでみたのだとジャクリーンは言う。

「あっ、私ったらついぺらぺらと……早くニコのお着替えをしなきゃ。ねぇニコ、あなたはどんな色がお好き? よければ可愛いドレスを着てみない?」

「?」

 目線を合わせるように背を屈めたジャクリーンの笑顔を、ニコは不思議そうに見つめる。汚れた両手を浮かせたまま、大きな瑠璃色の瞳をエリクの方へ寄越した。何一つとして言葉が分からなかったのだろう。

「ああ、えっと……レイヴォ……じゃないな。ルークォ・カラル?

 ニコの好きな色、という意味を込めて彼女を手のひらで指し示す。

「カラル? カラル……」

 意味は伝わったようだが、珍しく反応が鈍い。ゆっくりと周囲に視線を巡らせ、最終的にエリクに戻ってくる。そんなに迷う質問だっただろうかと、エリクが適当な色をいくつか挙げてみようとしたときだった。

ロッズ

……赤色?」

 エリクが彼女の手に付着している赤色を指差そうとすると、それよりも先にニコが動く。彼女はエリクの紅緋の瞳を指差し、もう一度「ロッズ」と告げた。

 ──古くから、相手の瞳への好感というのは、異性への口説き文句として用いられることがある。いわば「私をその瞳に映して欲しい」とか、そういう類の。色恋沙汰に疎いエリクでもそれは知っていたので、深い意味はなくとも少しばかりの気まずさと羞恥を覚えてしまった。

「思いがけぬ熱烈な告白だな」

「カイ」

 当然、エリクとニコのやり取りを何となく把握したであろうカイは、すかさず茶々を入れてくる。察したフランツまでもが温い笑顔を浮かべる中、彼らの表情を各々眺めていたジャクリーンは首を傾げた。

「え? エリク、ニコの好きな色は分かった?」

「あ、え、ええ。赤色だそうです」

 エリクが口元を覆いつつ取り繕うように答えれば、彼の様子を訝しむ様子もなく、ジャクリーンは素直に喜び、

「赤色! 素敵ね、エリクの瞳の色なんて」

「ぶふッ」

 カイとフランツをそれぞれ噴き出させた。隠し切れるはずだった頬の熱が上がり、エリクは「いやその」と口ごもる。

「た、例えるものがなかっただけかと……」

「そう? あそこのお花も赤色よ?」

 ジャクリーンの指差した方向を見遣れば、廊下の外側にある庭園に鮮やかな赤い花が植えられていた。それもニコからばっちり見える場所に沢山。令嬢から無邪気に羞恥を煽られ、エリクはついに陥落した。

…………そ、そうですね……」

「そうでしょう? ニコはきっとあなたの優しい目が好きなのね」

「ジャクリーン嬢、そろそろエリク殿が蒸発しそうなのでそこまででお願いしますね」

「蒸発!? やだわエリク、失踪なんてしないで! このお城はいいところよ!」

「そういう意味ではなく」

 そんな彼らの珍妙な会話が分からないニコは、未だに両手を持ち上げたまま庭を見詰めるばかりだった。

 

 ▽▽▽

 

 ジャクリーンがうきうきとニコを衣装部屋に連れ込む姿を見送り、エリクたちは王宮の一室へと通された。

 先程いた食堂より狭いと言えど、やはりここも豪華な装飾品に溢れている。エリクは些か落ち着かない気分で、ふかふかな椅子に腰を下ろした。対するカイはどこでも通常運転なのか、少年のごとくソファに飛び込んでいた。フランツはそんな二人をにこやかに眺めつつ、適当な会話を振ってくれていたのだが。

──ジャクリーン嬢ですか? 彼女はああ見えて蒼穹の騎士団の一員ですよ」

「どええ!? あんな、のほほんとした美女が!?」

「まあ、本人は“補欠要員”と仰っていますが」

 エリクとカイはつい顔を見合わせてしまった。そもそも騎士団という組織に女性が所属すること自体が珍しい、いや異例と言ってよいほどだ。更にそれはミグスの恩恵を授かった特殊な者らを擁する蒼穹の騎士団。皇太子アーネスト、それから食堂で早々に席を外してしまったオールゼン侯爵ブラッドなど、実力者揃いの軍団だ。どう考えてもジャクリーンが場違いのような気がしてならず、エリクは恐る恐る尋ねてみた。

「ジャクリーン様も共鳴者なんですか?」

「ええ、まぁそれが……彼女は数年前から大神殿で務めていましてね。初めて儀式の準備に加わった際、うっかりミグスと共鳴したそうで」

「うっかり!?」

「学者に伺ったところ、ミグス本体ではなく、その周囲に浮遊する微粒子が反応したのではないか、と」

 ジャクリーンはミグスが安置されている広間にほんのちょっと足を踏み入れただけで、本体には指一本触れていないという。ゆえにうっかり共鳴はしたが、発現した力は皇太子などに比べるとごく微弱なものだそうだ。

「微弱……? そういえば、ミグスの力っていうのはどういったものが……」

「ああ、基本は身体能力の飛躍的な向上ですね。皇太子殿下は細身ながら怪力ですし、たまに私も襟首を掴まれて放り投げられるほどですし」

「大丈夫ですかフランツさん」

「ご心配なく。それと、そうですね。単純な筋力だけでなく、ごく稀に──“不思議な現象”を引き起こすこともあります」

 フランツが言うには、ジャクリーンに発現したのはその「不思議な現象を起こす力」だそうだ。彼女は本を数冊抱えるだけでも疲れてしまうぐらいにはひ弱である、という前提の下、フランツは実に興味深い話を始めた。

「ジャクリーン嬢は念じるだけで、他者の傷を癒すのですよ。厳密には、傷の治りを通常の倍に早める、という具合でしょうか」

 ジャクリーンが怪我人の元で力を行使すれば、どんなにひどい裂傷も骨折も快調に向かいやすくなるのだ。さすがに一瞬で完治させるわけではないが、その場で痛みを取り払う程度は造作もない。

 祈りで傷を癒す──まるで神の如き御業から、ジャクリーンは蒼穹の騎士団内だけでなく、様々な場所で“聖女”と讃えられている。

「へー……すげぇな。魔法使いでもそんなこと出来る奴、滅多にいないぞ」

「おや、そうなのですか? 精霊術は万能なのかと」

「んなわけあるかよ。やるとしても魔法陣描いて患者並べて、手間が掛かり放題だ」

「ほう……カイ殿、やはりお詳しいですね。ここに連れて来て正解でした」

「やっべ出しゃばった、エリク助けて」

 ハッと乙女のように口を両手で塞ぎ、カイは慌ててエリクの後ろに逃げ込む。正直なところエリクも彼の話に興味津々だったので、出来れば続きを話して欲しかったところだが。笑いながらカイを宥めつつ、ふと疑問が浮かび上がる。

 先程はすんなりと聞き流してしまったが、ミグスの共鳴者は「身体能力が飛躍的に向上する」という。皇太子は細身ながらも怪力で、成人男性も軽々と投げてしまえる、と。

 

……それって、ニコも……?)

 

 エリクがちらりと瞳を持ち上げると、フランツと視線がぶつかる。彼はにこりと笑い、既にこちらの“気付き”を知っているかのようだった。

「っ……フランツさん、もしかして僕らを……ニコを王宮に呼んだのは──」

 喉元まで出かかったエリクの問いは、直後に飛び込んできた赤色によって遮られたのだった。

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