25.


 闘技場での一件が落ち着き、言われるがままにしばらく馬車に揺られた後のこと。白亜の宮殿に招かれたエリクたちは、そこに広がる光景に硬直した。

「ふ、フランツさん。やっぱり僕とあなたでは感覚が違うようです」

「ああ、やはりエリク殿には耐えがたかったのですね。ニコ嬢を囮として用いたことについては深く謝罪いたします。お詫びとして」

「いやそのことじゃなくて、目の前の状況について言ってます」

 ティール聖王国各地から取り寄せた新鮮な食材、市場には出回らない高級な美酒、何故かテーブルの傍に控える大勢の踊り子。エリクはげんなりとした表情でそれらを見渡し、思わず顔を覆った。彼の右袖を掴んでいるニコは、特に何の感慨もない様子で欠伸をかます。彼女を挟む形で突っ立っていたカイは、「すげー」と子どものような感想をこぼした。

 そしてその後ろで溜息をついたのは、濡羽色の髪の青年──オールゼン侯爵ブラッドだ。

「エンフィールド。いつも言うが貴様はもっと浪費を抑えろ」

「浪費? エリク殿に不快な思いをさせたのです、これくらいはしなければ」

「謝罪のつもりなのか?」

「ええ」

 溜息再び。どうやらブラッドは侯爵という身分でありながらも、庶民寄りの思考の持ち主らしい。

 テーブルに並んだ料理は確かにどれも美味しそうなものばかりだが、まず量が凄まじいので確実に食べ切れない。もしや「好きな分だけ取る」とかいう贅沢な食事方式なのだろうか。加えて酒はカイぐらいしか飲まないし、露出の多い踊り子に関してはひたすら目のやり場に困る。貴族は皆こういう宴を好むのか、それともフランツの趣向だろうか。……何となくだが、出来れば前者であってほしい。

「ええと……フランツさん、何もここまでしていただかなくても……馬車の中で謝罪と説明は受けたんだし」

……。はっ。もしやお気に召しませんでしたか?」

「え……っ。い、いえ、とても素晴らしいと思いま」

「ああ良かった、なら問題ないですね」

 カイに背中を叩かれる。フランツがあまりに悲しそうな顔をするから、つい反射的にフォローを入れてしまった。完全に対応をしくじったエリクが冷や汗をかいていると、後方から助け舟が出される。

「どうせ余る。余剰分は給仕に回せ、それから女は帰らせろ。いいな」

 ブラッドの静かな説得を受け、フランツは少しばかり不服そうにしながらも承諾したのだった。

 

 

 幾分か簡素になった食堂で、エリクはフランツから今後の予定を聞いた。皇太子との謁見は今日中を予定してはいるが、明朝に持ち越すことになれば宮殿内に宿泊できる部屋を用意してくれるという。暗殺者騒動に加えて、日頃の公務も変わりなくこなしている皇太子の多忙は、エリクには計り知れないものだ。ゆえに彼は素直に謁見の日程について承諾した、のだが。

「皇太子殿下は現在、傷心中でして」

「は? 傷心……?」

 唐突に告げられた皇太子の現状に、エリクはぽかんとした。隣では相変わらず黙々と食事をしていたニコが、見慣れない果物を指す。

「それそのまま食うと腹下すぞ。皮剥け」

「?」

「はーん、おこちゃまは手が掛かるわ。こうやるんだよ」

 カイに教えてもらいながら彼女が果物の皮をむき始めたところで、再びフランツが会話を再開した。優雅にワインを揺らす姿は、まごうことなき貴族だなとエリクはつい感心してしまう。

「私も事情は深く知らないのですが、殿下は事件が起きる前に“ある場所”へ赴いているのですよ」

「それは?」

「南イナムスの果て、聖都の南西に広がる樹海です。そこに住まう“魔女殿”に、どうやら振られたみたいで」

「ん、んん!? 振られたっ?」

 そもそも魔女とは何だろう。ティール聖王国の南西に巨大な森林地帯があることはエリクも知っているが、あそこは庶民が足を踏み入れてよい場所ではない。王家によって厳重に警備されていることは勿論、危険な生物も棲息していると聞く。そんな場所に皇太子が向かった上、魔女という怪しい存在に振られたとはどういうことか。

 エリクの困惑を見て、フランツは肩を揺らして笑った。

「私は魔女殿にお会いしたことはありません。恐らく直接顔を合わせることが可能なのは、陛下と殿下ぐらいでしょう」

……王家にゆかりのある方なんですね?」

「そうです。王家と同等かそれ以上の歴史を持つ、由緒ある血筋の御方と言われています。殿下はその方に会いに行って、何故だか顔も見せてもらえなかったそうです」

 言うなれば門前払いですね、とフランツは愉快げに笑う。主君が袖にされたことがよほど面白いらしい。自身もセリアから同様の対応を受けていることについては、記憶が飛んでいるのだろうか。

 皇太子は魔女から半ば追い返されるように聖都へ戻り、困惑した顔でフランツに言ったそうだ。

『初めて女性から“帰れ”と、しかも扉越しに言われた』

 無論、フランツは柔和な笑みを維持したまま噴き出した。曰く、皇太子はその身分と端正な容姿のおかげで、昔から女性にちやほやされながら生きてきたという。だからこそ本人も衝撃だったのかもしれない、と。

「そ、そうですか……いやフランツさん、笑い過ぎでは……」

「ふふ、失礼。殿下とはそれなりに長い付き合いなので、つい面白くてね」

 エリクはその言葉でふと気付く。そういえばエンフィールド公爵家は、王家の遠縁に当たる家だったはず。その血を継ぐフランツも、皇太子とは親類関係にあるのかもしれない。だからこれほどまでに主君を笑ってしまえるのかと、エリクは苦笑いを浮かべた。

「エリク」

 不意に呼び掛けられ隣を見ようとしたエリクは、取り皿に置かれた果物に目を留める。ところどころ身が潰れているものの、皮は全て剥かれていた。エリクはまばたきを繰り返しつつ、じっとこちらを見上げていたニコに尋ねる。

「ニコ、食べないのかい?」

「ん」

 彼女は果物の乗った皿を引っ張り、エリクの正面に持ってきた。その仕草でようやく意図を理解し、エリクは笑顔を浮かべて果物を一粒だけ摘まむ。どうやら右手の使えないエリクのために、果物の皮を取ってくれたらしい。時々こうして気を配ってくれるニコに感謝しつつ、彼は甘い果肉をかじった。

「ありがとう、──うぅわ」

 しかしエリクは彼女の両手を見てぎょっとした。どれだけ力強く身を掴んだのか、指先は赤い皮の色素がべったりと付着している。ブラウスの袖口も汚れ、まるで生き物を解剖した直後のような状態だ。

「ちょ、ちょっとカイ、何で放置したんだ」

「えぇ~? だって自分で剥きたがってたし。エリクに食べさせたかったんだろうなぁ、健気健気」

「うっ……」

 飄々と答えたカイは、吃る様を一瞥してにやりと笑う。カイが一応ニコの意思を尊重した結果の惨状ということなので、エリクはそれ以上何も言えなかった。取り敢えず、ボウルに張った水にニコの両手を浸けさせておく。

「フランツさん、ニコが着替える部屋を貸してくれませんか?」

「ああ、でしたら侍女に手伝わせましょう。謁見の時間は夕方くらいになりますし、それまでは……おや」

 最中、フランツが目を丸くする。エリクとカイがその視線を何気なく追ってみると、食堂の入り口が微かに開いている。扉の隙間から覗く紫水晶の瞳には、どこか見覚えがあった。

 もしやとエリクが記憶を遡った直後、扉が大きく開かれ、小柄な女性が嬉しそうに飛び込んでくる。

 

「まあ! やっぱり図書館で助けていただいた方ね!」

 

 しかしその服装は以前見たものより数倍は華やかで、どこぞの姫のように美しかった。

……エリクさん、どこであんな美女を口説いてきたの」

「く、口説いてないから」

 カイにぼそりとからかわれ、エリクは慌てて首を振ったのだった。

 

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