22.


『ほう、フィルフィリと言うのか』

 黄金に輝く羽。金箔を散らしながら舞う蝶を、瑠璃色の瞳が虚ろに追いかける。踵を返せば頬に指が這い、やんわりとそこに押し留められた。

 視界を縁取る金糸を掻き分け、その手は愛しげに目許を撫ぜる。爪先が耳を掠めた瞬間、彼女は大きく首を振った。

『ああ、その耳は嫌いか』

 紡がれる言葉は、彼女には分からない。ただ、ひどく脳裏に焦げ付く音を孕んでいた。烙印のごとく、深く、永久に刻まれる傷跡と同じ。頭を炙られるかのような酩酊を覚えるのに、おいでと誘う声に抗うことは許されない。

『私の可愛い妖精よ。傍から離れようなどと、ゆめゆめ思うでない』

 囁く言葉は甘く、毒にも等しい戒めをもたらした。

 

 

 ◇◇◇

 

 

……おい、起きろっ」

 眠ったまま身動ぎ一つしないニコをしばらく観察し、カイは項垂れた。

 王立図書館前で薬を嗅がされ、気絶している間に連れて来られた場所は、ひどく暗かった。分かることと言えば、床や壁が石造りで、すぐ近くにニコが転がされていることぐらい。あとは──。

……牢屋だよなぁ、ここ」

 さすがに投獄は経験がないぞと、カイはやけっぱちに溜息をついては仰向けになる。大の字になりたかったが、手足をまとめられているせいでそれは叶わなかった。じめじめとした居心地の悪い牢屋では、ネズミでもいるのではないかと不貞寝も憚られてしまう。不自由極まりない空間で、カイは愚痴をこぼしながらごろごろと転がる。

「はー、旅に出てから縛られてばっかりだ。俺にそんな趣味はねーよ全く。ってか何なんだよ容疑者ってぇ! 生まれてこの方犯罪に手を染めたことなんて一度もねぇ! あ、でも山賊から首飾りは盗んだか……いやそれは善行だろ! とにかく説明し」

「うるさい男だな」

「ぎゃあー!?」

 突如として暗闇に光が射し込み、カイは絶叫と共にニコの傍まで転がった。四角い光の中から現れたのは、外套を身に纏った人物。声や身長からして男だろう。

 鉄格子の向こうに立った男は、カイとその後ろで寝ているニコを一瞥しては、忌々しげに舌を打つ。

……若造め、謀ったか……」

「お、おーい、お兄さん、ぶつぶつ言ってないで解放してくれないかなー……?」

 俺は無害だという風な笑顔を浮かべてみたものの、飛んできたのは薄闇でも分かるほど鋭い眼光だった。カイは瞬時に口を閉ざし、硬直したままだらだらと冷や汗をかく。

「貴様らの素性がどうだろうが、ここで処分してもらうことに変わりはない。大人しくしておけ」

「しょ……処分!?」

 思わず声が裏返ってしまった。カイが顔面蒼白で後ずさるも、四角い光から次々と人影が入ってきては、無情にも鉄格子が開かれる。その間に、外套の男はそそくさと立ち去ってしまった。

「う、うわ、何だよあんたら、いたいけな好青年と寝坊娘に何するつもりだっ?」

「すまんな、俺らも事情は知らんが……取り敢えず、そっちの嬢ちゃんは預かるからな」

「ああーッじゃあ一つだけ教えてくれよ! ここは何処だ!? 処分って!?」

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てながら問えば、彼らはどこか戸惑い気味に顔を見合わせる。そこに先程の男のような剣呑さはなく、彼らが「命令されて」ニコを連行しようとしている様子が窺えた。となると──あの男が多少なりとも身分ある人間であることは確かだろう。

(え? もしかしてエンフィールドの変態紳士が絡んでるんじゃ……?)

 フランツは充分に位が高いし、何となく胡散臭い。失礼は承知だがやはり疑いたくなってしまう。カイがげんなりとしたのも束の間、ニコを肩に担いでしまった大男が不意に口を開いた。

「まあ……処分つっても、処分されないこともあるし」

「は? どういう意味だよ」

「頑張れば死なずに済むって話だ。こんな細い嬢ちゃんじゃ、どうなるか分かんねぇがな」

「いや寧ろそいつと比べると虚弱なのは俺なんだけど……」 

 哀れむように目尻を下げた眼帯の大男に、カイは物申したい気持ちで一杯になる。確かにその少女は見た目が細くて如何にも可憐だが、男だろうが何だろうが蹴飛ばせるほどの力はある。筋力で言えば乙女なのはカイやエリクの方だ、としょうもないことを考えているうちに、ニコが牢屋の外に運び出されてしまった。

「嬢ちゃんの次はお前さんだ、心積もりしとけ」

「何を!? あ、ちょっと待てって!」

 重厚な音と共に扉が閉まり、再び暗闇が訪れた。複数の足音が遠ざかり、湿った匂いが鼻腔を突いた。

 暫しの沈黙の末、カイは盛大な溜息をつく。ぐいと体を起こし、あぐらをかいた彼は眉間に皺を寄せつつ瞑目した。

 

 

──“雷よ”!!」

 

 

 刹那、彼の両手首が閃光を放ち、縄が焼き切れる。カイは弾かれるように両手を挙げ、遅れてやって来た痛みに悶えて蹲った。

「あぁ~……ッ死ぬ、痛い、こんな使い方するもんじゃねぇよ……」

 自由になった手を持ち上げ、そっと袖口を捲る。皮膚に直接刻まれた円形の模様──小さな魔法陣が、微かに煙を上げていた。赤くなってしまったそこを衣服で擦りながら、カイは急いで立ち上がる。

「よっしゃ、やっぱり掛け忘れてる……!」

 先程うるさく騒ぎ立てたおかげか、ニコを連れて行った者たちは鉄格子の鍵をかけ忘れていった。人間というのは会話に気を取られると注意力が散漫になるのだと、昔カイの尊敬する人が言っていた。まさにその通りだが、これほど上手く行くものだろうかと自分で恐ろしくなってしまう。

「いやまあ俺、天才だしな……」

 しみじみと自分を褒めたカイは、鉄格子の扉をそうっと開ける。さすがにその外側にある木製の扉については施錠されていたため、仕方なしにカイは再び両手を翳した。

“雷よ”──何だっけ、“とりあえずこの扉壊して欲しいです”」

 威厳もクソもない言葉を“祝詞”として用いた直後、手首に刻まれた魔法陣が鋭く発光した。すると白い雷が周囲を走り抜け、目の前の扉を轟音と共に貫く。凄まじい威力に内心ひやりとしつつ、恐る恐る扉の向こうを窺った。

 丸く刳り貫かれた大きな穴から、外の光が注ぐ。人の気配がないことを確認し、さっさとそこを潜り抜けたカイは、明るい視界に思わず目を眇めた。

「何だここ……向こうは騒がしいな……?」

 思いのほか立派な大理石で造られた建物に、カイは少々呆けながらも歩を進める。騒音──否、歓声が聞こえる方へ向かうべく、石柱の間を通り抜けてみると、テラスのような場所に迷い出た。怪訝な表情で胸壁に手を掛け、下を覗き込み──ようやくここがどういった場所であるのかを理解した。

……待てよ、もしかしてニコを……!?」

 サッと顔を青褪めさせたカイは、急いでニコの元へ走ったのだった。

 

 

 

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