20.


 大理石で造られた堅牢な城壁。アーチ状の門をくぐる過程で頭上を仰げば、そこに六つの鐘が揃えて鎮座している。あれは王族の誕生祭や騎士団の凱旋などの際、各々の城門で盛大に鳴らされる、と先生から聞いたことがあった。あの鐘が鳴った瞬間は未だ見たことがないが、さぞ遠くまで澄んだ音色が響き渡ることだろう。

 影から一歩踏み出せば、眩しい光があっという間に人々の声を運んでくる。白い鳩が快晴に飛び立ち、人や家屋の群集を軽々と超えて行く。それらを優に見下ろす純白の宮殿へ至る大通りには、ティール聖王国の旗が高々と掲げられていた。

「はー、やっと着いたな。相変わらず賑やかなことで」

「聖都はよく来るのかい?」

「よく、ってほどでもないな。数年は来てなかった」

 馬車から勢いよく飛び降りたカイに続き、エリクも聖都の景色を見遣る。ここがティール聖王国で最も大きな都市であることは勿論、立派な王宮を一目拝みたいと田舎からやって来る者は後を絶たない。みいはあな女性ではない幼馴染のセリアでも、「あそこはきらきらしてるのよ! いつか“せーと”でだんなさんとね……」とか──いや、いくら何でも記憶が古すぎる。彼女の現状を顧みては頭を振りつつ、エリクはきょろきょろと忙しない様子のニコに視線を移した。

……」

 瑠璃色の瞳は真ん丸に見開かれ、口は半開きになっている。あまりの人の多さに圧倒されたのか、はたまた美しい白の街並みに魅入られたのかは分からない。……こんな様子を見るとますます、彼女が皇太子の暗殺になんて、と否定を口にしたくなる。今のニコは、聖都に初めて足を踏み入れ、目新しいものに惹かれる子供そのものだったから。

「さて、じゃあここでお別れだな」

「! ありがとうございました、聖都まで乗せてくれて」

「いやいや、やっぱり話し相手がいると退屈しないな。君には買い物もしてもらったしね」

 馬車での数日間に渡る旅路で、商人の男性は終始親切だった。時には彼の荷物をカイとニコが運んだり、ティールの歴史に詳しいエリクが旅人に商品の説明をしたりと、同乗の礼に手伝いをさせてもらったが──思いのほか楽しく過ごすことが出来たのは、彼の人柄のおかげだろう。

「じゃあ元気でな」

 聖都の大市場へ向かう彼を三人で見送る中、エリクはふと後ろを振り返った。

 

「約一週間ぶりですね、エリク殿」

 

「うわ!?」

 すぐ目の前にフランツの陰った顔が映し出され、思わず化物と遭遇したかのような声を上げてしまった。そのせいでニコまでもが警戒姿勢に入り、すかさずエリクの前に割り込んでくる。

「ご、ごめんニコ、びっくりさせて。ほら、フランツさんだ」

……? フランッツ」

「おや、名前を覚えてくださっていたのですね。随分と器用な発音ですが」

 一連のどたばたとした動きに、フランツはくすくすと肩を揺らして笑う。そこでようやく彼は、傍らで疑問符を浮かべているカイの存在に気付いたようだった。

「失礼、そちらは?」

「あ、オドレイ様に監き……ええと、ど、同棲してたんだっけ?」

「監禁だよ監禁」

「ああ、そうですか」

 すんなりと納得したフランツに、エリクとカイがぎょっとして振り返る。が、当の彼は何ひとつおかしな点はないと言わんばかりの、爽やかな笑顔を浮かべた。

「オドレイ嬢は恋に恋する純情な乙女ですから、少々盛り上がってしまいがちなのですよ」

「少々?」

「いやしかし、監禁までとは。私もそこまではなかなか踏み切れないですね。相手の気持ちを無視して愛を囁いても意味がないでしょう? いえ、そうしたいのは山々なのですが」

 ふぅと溜息をつく彼の言葉に引っ掛かりを覚えつつも、エリクは何も言わずにいた。隣ではカイが青褪めた顔で「お、コイツも同類か?」と鋭い独り言を洩らす。

「それで、どのような経緯でエリク殿に同行を?」

「あ、はい。ちょっと騒ぎが起きて、一応オドレイ様から報告の書簡を……」

 

 

 ──エリクが渡した書簡にサッと目を通したフランツは、表情ひとつ変えずに「なるほど」と呟いた。上着の内側に書簡をしまい、いつも通りの笑みでエリクに視線を戻す。

「分かりました。カイ殿には後ほどこちらの事情をお話ししておきましょうか」

「は? いや、俺はあんまり首突っ込みたくないなー……なんて」

 カイが申し訳なさそうに笑ったのも束の間、その頬は瞬時に引き攣る。何せ目の前には、有無を言わせない威圧感のある笑顔があるのだから。

「こちらの都合上、ニコ嬢の身に何かあると困るのです。ぜひとも、貴殿のお力を暫し拝借したいのですよ、カイ殿」

「え……いや、え、あんたさっき言ったじゃん、俺の気持ち無視しないで」

「ふふ、愛を囁く相手はセリアという可愛い人しかいませんので」

「ひえ……一つも慮ってくれない……」

 がくがくと小鹿のように震えながら、カイはエリクの後ろに隠れてしまう。彼と言いニコと言い、フランツは他人から警戒されやすい雰囲気があるようだ。かく言うエリクもまた、フランツにやや黒いものを感じてはいるのだが。

「さて早速、王宮に……と言いたいところなのですが。実はまだ用事が残っていましてね」

「あ、偶然ここで会えただけだったんですね」

「ええ。もちろん今日あたりに到着するだろうとは予想していましたが……エリク殿、少々お待ちいただいても? 護衛の兵を置いて行きますので」

 フランツが見遣った先には、数人の騎士がいた。甲冑に身を包んだ物々しい雰囲気に、エリクは少しばかり気圧される。しかし意外にも礼儀正しく頭を下げた彼らに、緊張はすぐに和らいだ。

「道案内ぐらいは出来ましょう。私が戻るまで、好きに町を見て回っていただいても構いませんし」

……。あ、それじゃあ……先に王立図書館に寄って行きます」

「ああ、お仕事でしたね。分かりました。どうぞ、お気を付けて」

 ──概ね好青年なんだけどなぁ。

 エリクとカイが全く同じことを考えている傍ら、既に興味を失っていたニコはぼうっと聖都の景色を眺めていた。

 

 

 ▽▽▽

 

 

 王宮南方に広がる市街地の五番通り、そこは王立図書館の他にも学者が集うような研究施設が並ぶ区域だ。王宮に召された優秀な学者は皆、この近辺に自身の研究室を構えている。医学や考古学に始まり、地学や鉱石学など彼らの研究分野は多岐に渡る。

 かつては先生もこの学者の街で研究に没頭していた、と聞いたことがあるが──。

『奥さんと娘さんが亡くなったのは、バルドルが聖都に行っている間だったんだよ』

 セリアの父である町長は、やりきれない表情でそう語っていた。

 

──お! ここが王立図書館か! 初めて来たな」

 カイの明るい声で我に返り、エリクも視線を持ち上げる。図書館と言われなければ、どこぞの立派なお屋敷と見まがうほどの豪華な建造物。エリクが初めてここを訪れたときは、先生に案内をしてもらった。無数の本が天井まで隙間なく敷き詰められた空間を、先生の手に引かれるがまま歩き回った。思えば、エリクが歴史に興味を持ち始めたのは、あの心躍る探検がきっかけだったのかもしれない。

「司書に話をしてくるから、ちょっと待っててくれ。中にいても大丈夫だと思うけど……あ」

 エリクはふと、カイとニコの後ろに控えている騎士たちを見遣る。彼らも同じことを考えていたのか、少々苦い表情で頭を振った。

……我々は、こちらでお待ちしております」

「え? 何でだ?」

「館長殿は、武装した者が踏み入ることを好みませんゆえ」

 騎士の一人が簡潔に答えた通り、この王立図書館を管理している館長は気難しい人間だ。──いや、貴族出身の学者は皆そうなのかもしれない。

 彼らは武器を振るって戦う騎士を、「野蛮で低俗」と毛嫌いする傾向がある。それは単純に、内向的な性格をした学者の多くが、騎士の外向的かつ物騒な雰囲気を苦手としているがゆえだろう。そこに「自らが馬車馬のごとく働くなんて」という貴族特有の怠けも添加されてしまえば、不思議な対立構造の出来上がりである。誰かの護衛でもなければ、騎士はこの学問の街においそれと足を踏み入れてはならないらしい。

 つまり──ここの館長はよく言うのだ。「知恵なき猿が学び舎を荒らすことは許さない」と。

 あんまりな言い方だが、それに賛同する学者が多いのも事実。現に、かのエンフィールド公爵家に仕えている騎士でさえ、先程から誰かとすれ違うたびに、邪険にするような視線を浴びているのだから。

……すみません、すぐ終わらせてきます。カイ、ニコと一緒にここで待ってて」

「ん、おう」

 仕事とはいえ、同行してくれている騎士たちに嫌な思いをさせるわけにもいかない。エリクは足早に王立図書館の中へと向かったのだった。

 

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