19.


「これが北西のノルドホルンで仕入れた絨毯で、それはオアーズの特産品の黄玉だ」

「オアーズって、大山脈の近くじゃないですか。そんなところまで行くんですね」

「はっは、駐屯軍に怪しまれて大変だったよ」

 徒歩ならば一週間ほど掛かったであろう聖都までの道のりも、予定より三日ほど短縮され、残すところあと一日といった頃。

 馬に休息を取らせている間、エリクは馬車の持ち主である商人の男から、彼が聖都で売る予定だという商品を見せてもらっていた。やはり商人というだけあって質が良いことは勿論、エリクが見たことのない珍しい代物も沢山ある。眺めているだけで目を楽しませてくれる色鮮やかな衣装、おどろおどろしい蛇が表面に描かれた壺──その中でもエリクの注意を惹いたのは、一枚の絵画だった。

「これは……聖都の絵、ですか?」

「ああ、“大神殿”の内部から見た城下の景色らしい。元宮廷画家が手掛けた遺作さ。運よく手に入ってね」

 大神殿──それは二千年前、原初の巨人である“始祖”と大精霊によって創られた「ミグス」が祀られている場所だ。一つの山を丸ごと改造したという逸話も残るほど、かの神殿は非常に巨大かつ複雑な構造をしていると聞く。

 残念ながら大神殿の周囲には二重の隔壁が聳え立っているため、聖王の許可を得た者しかその全貌を拝むことは叶わない。つまりこの絵画は、多くの民が一生見ることのできない景色を描いた、貴重なものなのだ。

……でも、大神殿の中じゃなくて、外の景色を描いたんですね」

「大神殿の内部は国家機密だからなぁ。中を見れるのは、王様と皇太子殿下と──“蒼穹の騎士団”ぐらいか」

「蒼穹の……? あ、それって“黎明の使徒”と同じ……」

 二千年前、ミグスと共鳴して強大な力を得、巨人族を退けることに成功した十二人の若者、“黎明の使徒”。現在でも聖都ではミグスの力を賜ることの出来る、優秀な人材を各地で発掘しては呼び集めているという。王家唯一の共鳴者であるアーネスト皇太子を筆頭に、幸運にもミグスと共鳴できた者たちで構成される特別な集団──それが蒼穹の騎士団だ。

 商人曰く、蒼穹の騎士団に所属している者全てが、一度は大聖堂に足を踏み入れ、ミグスの加護を賜る儀式に臨むのだという。

「けど噂じゃあ、蒼穹の騎士団全員が共鳴者ってわけじゃあないらしいな」

「えっ、そうなんですか」

「儀式に臨んで無事に共鳴できたのは皇太子殿下と、あと数名ばかりって話さ。まぁ、幼少期から特殊な教育を受けたエリート集団に違いはないがね」

 どちらにせよ雲の上の存在だよ、と商人は笑う。

 エリクが考えている以上に、ミグスの共鳴とやらは簡単ではないらしい。どれだけ優れた騎士であっても力を賜れる保証など得られないし、況してや二千年前のように十二人も一斉に共鳴できたことの方が奇跡に近いのだろう。

 そうなると、アーネスト皇太子が如何に恵まれていて、次期聖王に相応しい人物であるかがよく分かる。「ミグスの奇跡に触れた王」という名目だけでも、聖王国の未来を明るく照らしてくれるような──人々に希望を与える存在になるのだから。

──そうだ、これ要るかい?」

「え?」

 ぼうっと思考に耽っていると、目の前にずいと何かが差し出される。反射的に受け取ってしまってから、エリクは手のひら大の箱を凝視した。

「これは?」

「売れ残りなんだ。ちょいと年季が入ってて、貴族のお嬢さん方にゃ受けんかった。どうだい、安くしとくよ」

 ということは商品か。馬車に同乗させてもらった身だし、一つくらい買い物もした方が良いかと、エリクは首を傾げつつ箱を開け──「あ」と声を洩らした。

 

 

 ──商人との話を切り上げ、エリクは馬車の後方へと向かう。荷台ではカイが眠りこけていたが、その隣でパンをかじっていたはずのニコの姿はなかった。どこへ行ってしまったのだろう、とエリクが周囲の林に視線を巡らせてみれば、すぐに金髪を見付けることが出来る。

 木々の間で特に何をするわけでもなく、じっと立ち尽くす後ろ姿に疑問を抱きつつ、エリクはそっと近づいた。

「ニコ?」

……エリク」

 ぱっちりとした瑠璃色の瞳が寄越される。何度かまばたきを繰り返してから、ニコは何も言わずに顔を前に戻した。彼女の視線を追えば、そこに二羽の蝶が漂っていた。どちらも真っ白な羽を持っていて、ふわふわとこちらに気を留めることなく宙を舞う。

 先日、魔法によって大量の蝶に襲われてからというものの、ニコはすっかり蝶に怯えてしまったようだった。以前と同様に熱心に見詰めることはするが、その最中、ふと自分の方に少しでも蝶が寄ってくると、凄まじい速さで後退するようになったのだ。 

『めちゃくちゃビビってんな』

 そんな彼女の様子をカイが無神経にも大笑いし、またもや頬を刳り貫く勢いで拳を押し付けられたのは言うまでもない。

「!」

 そのとき、蝶が戯れにニコの方へ寄ってきた。彼女はぎょっとしたように眉を上げるや否や、外套のフードを被っては顎まで下げてしまう。稀に見る過剰防衛にエリクは苦笑しつつ、すぐに他所へ飛んで行った蝶を見送った。

「ニコ、大丈夫だよ」

……ダイ、ジョブ」

「うん」

 蝶を見かけるたびに宥めていたせいか、ニコは「大丈夫」という言葉を覚えつつある。それが「イール・ラハト」と同義であることはもう分かっているようで、エリクの後に続いて復唱するようになったのは、ほんの二日前のこと。

「ニコ、顔上げて」

 とんとん、と頭を軽く叩けば、フードが持ち上がる。乱れた長い前髪が、はらりと目許を覆った。そして注意深く周囲を見渡しては、乏しい表情の中に安堵と落胆を同時に宿す。そんな彼女の様子を見詰め、エリクは先程買い取ったものをそっと差し出してみた。

「? ──フィルフィリ?」

 それは華奢なネックレスだった。すぐ絡まってしまいそうなほど細いチェーン、蝶の片翼を模した銀細工。羽の表面には赤と青の小さな硝子玉が一粒ずつあしらわれ、確かに派手なものを好む貴族には、あまり受けないであろうデザインだった。

「あげるよ。これなら襲ってこないから」

 言いつつニコの手にそれを乗せてやれば、瑠璃色の瞳がすぐさま釘付けになる。

……やっぱり好きなんだろうな、蝶──フィルフィリが)

 正直な話、ニコの好みに関しては毛布と食べ物全般と蝶くらいしか分からない。その中でも蝶は非常に分かりやすいというか、睡眠や食事といった生物的な本能とは関係のない、ニコの唯一の個人的な好み、とでも表現すべきか。

 だからこそあの悪趣味な魔法のせいで、彼女の好きなものが一転して苦手なものになってしまうのは、あまりにも不憫に思えてしまったのだ。ゆえに商人から、この細身のネックレスを買ってしまったわけだが。

(いや待てよ、まずい。よく考えなくても僕のセンスは決して良くなかったな)

 今更ながら自身の欠乏した美的センスを思い出し、エリクはしまったと彼女を窺い──硬直する。

「ちょ……っと!?」

「? ナーァ」

 ニコは何故かおもむろにブラウスの襟元を寛げる。ぎょっとして彼女の手を止めるも、「邪魔するな」と言わんばかりに一歩後退されてしまった。その間にもニコは鎖骨辺りまでブラウスを開き、焦るエリクなどお構いなしに、意外にも慣れた手つきでネックレスを首に着け始めたのだ。

 やがて真っ白なデコルテで、銀細工の赤と青が控えめに煌めいた。

 

 そのとき、ほんの一瞬だけ、ニコの唇が綻ぶ。

 

「あ……?」

 瞬き程度の、幻と見紛うくらいの些細な変化。既にニコはいそいそとブラウスの襟を閉めており、平素のけろりとした顔で告げる。

「アリガト」

……う、うん。どう、いたしまして」

 間の抜けた返事をして、ニコがいつもより大股に馬車の方へ戻った後。またしても彼女の行動にどぎまぎしてしまったエリクは、己の情けなさに暫し呆れてから踵を返したのだった。

 

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