17.


『オドレイお嬢様、その首飾りの“呪い”、俺が解いてやりましょうか』

 誰もが寝静まった涼やかな月夜に、彼は現れた。

 

 母の形見である柘榴の首飾り。伯爵家に代々受け継がれている宝とも言える品に、ここ最近、不穏な噂が纏わりついていた。

 この首飾りを持つ者には、小さな不幸が絶え間なく降りかかるという。実際、オドレイもこの首飾りを身に着けている日に限り、よく躓いたり靴のヒールが折れたり、酷いときは病に掛かったりもした。

 ──大変申し上げにくいのですが、お嬢様。その首飾りは身に着けない方がよろしいのでは……。

 侍女から心配そうに言われるたび、オドレイは落ち込んだ。たかが噂で母の形見を手放さなければならないのかと。しかし、降りかかる不幸は日ごと規模を大きくしているのも事実で、領民にまで被害が及ぶような事態は何としても避けたかった。泣く泣く形見を処分しようと決意した夜、紺碧の髪を靡かせた青年が来てくれたのだ。

“呪い”? お母さまの首飾りに“呪い”が掛けられていると仰るの?』

『ええ。恐らくね。ここで解けそうなら解くけど』

 何とも軽い調子で申し出た青年を、最初は訝しんだ。まず屋敷の敷地内どころか私室の窓から忍び込んできた時点で、怪しさが限界を突破している。しかし青年が安心させるように笑顔を浮かべたところで、オドレイはいつの間にか首飾りを差し出していた。

──ほい、解けたぞ』

『え?』

 不覚にもオドレイは、青年の真剣なまなざしに見惚れてしまい、彼が何をしていたのかすっかり見ていなかった。慌てて首飾りを受け取ってみれば、柘榴の輝きが以前よりも増している。いや、ついさっきまで宝石の輝きとしては不十分で、青年の手によってそれが取り戻されたかのような──。

『じゃ、俺はこれで』

『お待ちになって!!』

『ぐえッ』

 オドレイは立ち去ろうとした青年を窓から引き摺り下ろし、高揚した胸に戸惑いつつも口を開いた。

『ぜひお礼をさせてください! 私の形見を元に戻してくださるなんて!』

『え……いや、まだあんたは何も実感してないのに礼って』

『いいえ、きっと“呪い”は解けていますわ! だからお願い、私にお礼をさせて! 何が良いかしら、殿方は何が喜ぶのでしたっけ? この前、恋愛小説で読んだのは──ああ、淑女からの初々しい口付け!!』

『!?』

 オドレイはぽっと恥じらうように頬を染め、押し倒した青年の唇をなぞる。どこにも初々しさを見出せない艶めかしい動きで指先を這わせ、制止する声も無視して顔を近づけた。

 くぐもった悲鳴は、屋敷に木霊することなく。

 

 ◇◇◇

 

(貴族ってこんな人ばっかりなのかな……)

 事の顛末を聞かされてしまったエリクは、何の反応も出来ぬまま目を伏せる。カイともオドレイとも視線を合わせないように、手持無沙汰にも紅茶を啜った。刺激の強い話でも理解が出来なければ無問題で、彼女の語りを子守歌替わりにしたニコは眠りの中だ。

──その数日後、“呪い”が消えたことを知った山賊に、首飾りを奪われてしまって。大変でしたの」

「大変でしたの、じゃねぇよ。俺を数日も監禁したことについて触れろや」

「監禁? 同棲しましょうって言ったじゃない」

「俺が一言も同意してないからあれは監禁だろうが!」

 フランツより何倍も過激な距離の詰め方をしているオドレイだが、やはり自覚は一切無いらしい。「酷いわ」と傷付いた様子で肩を竦めつつ、彼女は今しがた返却された首飾りを見詰めた。

「だって盗賊さん、屋敷を“お出かけして”、山賊から首飾りを取り返してくれたのでしょう? 私のことを思って」

「お出かけじゃなくて脱出だけどな」

 曰く、カイが山賊から首飾りを盗み返したのは事実のようだ。自身が首飾りに掛かっていた“呪い”──魔法を解いたことがきっかけで、山賊に目を付けられてしまったから、と。カイの義理堅さに少しばかり面食らうのと同時に、エリクは“呪い”の正体にも驚きを覚える。

「あ……魔法が掛かっていたのかい?」

「ああ。最近、北から密輸された“呪具”って代物がティールに出回ってんだよ。宝石やら武器にまじないを掛けて、持ち主に悪戯するっていう」

「それを知っていたから盗賊さんは私を救ってくださったのね! ああ、何て素敵なの」

「言っとくがあんたの為じゃないからな。“呪具”を悪用する奴がいるから、見掛けたら解いてくれって頼まれてんだ」

「まあ、どなたに?」

「雇用契約に反するので言いませングッ」

 キュウッと縄を締められ、カイは鶏のような呻き声を上げた。再び地に伏した彼に跨り、オドレイは血の気の引いた顔で尋問を開始する。

「雇用主は男ですの、それとも女ですの? 答えてください盗賊さん」

「ぐえぇッ、い、言えねぇって言ってんだろっていうか突っ込むのそこかよ助けてエリク!」

 昼間の町中で見るような光景ではなかったので、それまで傍観を決め込んでいたエリクはやんわりとオドレイを宥めた。さすがに侍従たちも行き過ぎた主人に冷や冷やしていたのか、引き止めるついでにようやくカイのことも解放してくれる。

 それにしても今の話を聞いて、カイが拘束される理由がひとつもなかったことに気付き、エリクは今更ながら怖くなってしまった。

 

 ▽▽▽

 

──はあ……これが今朝の一件について記した書簡です。エンフィールド卿にお渡ししてくださいね」

「わ、分かりました。ありがとうございます……」

 盛大な溜息と共に渡された書簡を、エリクは苦笑いを浮かべつつ受け取った。

 オドレイは、先程話した北方諸国連合に関する憶測は他言無用とした。聖都に報告するのは領内で魔法が確認されたこと、そしてエリクとニコがその被害に遭ったことのみ。全ての処断は聖都、アーネスト皇太子に委ねるとのことだ。

「エリクさま、盗賊さんを置いて行ってはくださらないの……?」

「う……本人が一緒に行くと言ってるので、僕にはどうにも」

 オドレイが恨みがましく見詰めた先には、噴水の広場で寛いでいるニコとカイの姿がある。彼女の視線を察知してか、彼はすぐさまニコの後ろに隠れていた。

「そう……致し方ございません。ニコさまの疑いが晴れたら、お迎えに行こうかしら」

「え」

 意外な言葉を受け、エリクは呆ける。皇太子暗殺未遂事件など、疑わしきは罰せよの精神で調査に当たるべきだろう。だと言うのに、オドレイはニコの嫌疑が晴れるようにと口にしたのだ。フランツとは少々異なる姿勢に戸惑えば、オドレイが眉を下げて微笑む。

「ふふ、だってニコさまが疑いの通りなら、言葉が分からずとも大人しく聖都へは向かわないでしょう?」

……そう、ですけど」

……ごめんなさいね、エリクさま。私が北方のことを口にしたから、不安になってしまわれたのね」

 でも、と彼女は申し訳なさそうに言葉を続ける。

「きっと何かの間違いですわ。でなければ、ニコさまは私の出したお菓子を躊躇いなく召し上がったりしませんもの」

……え!? さ、さっきの」

「ああ、毒など入れておりませんからご安心を。ですがこの先、殿下やエンフィールド卿以外の貴族と話すことがあったら、十分に注意なさい」

 ──「手柄のため」と、何をしでかすか分かりません。

 オドレイの真剣な瞳に、エリクは思わず気圧された。

 彼女曰く、フランツが今回の召喚にエリクを同行させた理由には、如何せん無防備なニコを守る役目も入っているのではないかと言う。

 聖都は既に皇太子暗殺未遂事件で騒々しくなっており、犯人の特徴も貴族の間では周知されている。そんな中にニコを一人で放り込めば、真実など関係なしに彼女は牢獄へ入れられるだろう。例え今、確固たる証拠がなくとも、目先の褒美に囚われた貴族は捏造も朝飯前だとオドレイは吐き捨てた。

「どうかお気を付けて、エリクさま。ニコさまに公平な判決が下されるためには、あなたの力が必要不可欠ですわ」

 彼女の忠告に、エリクは唇を引き結んで頷いたのだった。

 

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