13.


 城郭都市に到着するや否や、高価な首飾りを押し付けようとして見事に失敗した青年──カイは、賑やかな酒場の片隅で、なみなみと注がれた酒を一気に呷る。同じ丸テーブルに着席したエリクとニコは、その思い切りの良い姿をじっと見つめていた。

「ぷはぁーッ!! やっぱ酒は良いなぁ! 嫌なこと全部忘れられそうだ! ほらほら、お前らも遠慮せずに食え!」

 カイは別段、エリクが予想していたような貧困生活を送っていたというわけではなく、先程の詫びだと言って太っ腹にも二人に夕飯を奢ってくれた。エリクとしては正直、こちらは驚かされただけであって、寧ろ身体的被害を受けたのはカイの方だったのだが、「面倒くせぇことを頼もうとしていたから」と彼は言う。

「それで、カイ。面倒臭いことって?」

 エリクは彼の行動の真意を問うついでに、先程から大人しくジュースの匂いを嗅いでいるニコを見遣る。屋内とはいえ酒場は人が多く、彼女にはまだ外套のフードを被せたまま。カイから少々怪訝な目で見られたが、そこは適当に誤魔化しつつ。

 丸テーブルの上には、ぐだぐだになるまで茹でたパスタや野菜たっぷりのスープが食欲を誘う。それらに手を付ける前に、ニコはやはりあの複雑な手の組み方で食前の祈りを捧げていた。

「いやー……これよ、これ」

 ふと視線を前に戻せば、先程の美しい首飾りが置かれる。明るい金色のチェーン、同色の台座に嵌められた宝石は──柘榴だろうか。淡く輝きを帯びた深紅が、周囲の光を取り込んでは湖面のごとく揺らめく。

「簡潔に言うとだな? この首飾りは、この町に住んでるご令嬢の持ち物で」

「え……盗んできたのかい」

 エリクが驚愕を滲ませて問うと、カイは曖昧な笑みで答えを濁す。青みがかった翠玉の瞳にほんの少しの軽薄さが宿ったかと思えば、驚くエリクの方に身を乗り出した。

「エリク、頼む。この首飾りを返してきて欲しいんだ」

「盗んだのに?」

「いや、分かるぞ。善良な一般市民のお前が言いたいことはよく分かる。けど頼むよ! 俺が返しに行ったらすぐ捕まっちまう!!」

 自分で言っておいて恐ろしかったのか、カイの顔色はすこぶる悪い。何とも気弱な盗人だなと呑気に考えつつ、そんな悪人と平然と夕飯を共にしてしまっている自分に若干の呆れを抱いたエリクは、溜息交じりに口を開いた。

「どうして盗んだんだい。そのご令嬢って、きっと由緒ある家の人なんだろう? 大変なことになるって分かってたじゃないか」

「それは、語るも涙な事情があってだな」

「どんな?」

「あっ話そうとしたら泣いちゃう! 話したいのになぁ!」

 話したくないようだ。彼の意図が見えず、エリクは後頭部を掻く。本来ならば盗人と判明した時点で酒場を出て行くべきだったのだが、如何せん、カイの語り口調は極悪人のそれとは思えない。失礼かもしれないが、学び舎の悪戯好きな少年を相手にしているような。軽々しい印象はあれど、言いたくないことはこうして分かりやすく伏せる。意外にも嘘が下手なのか、はたまたこの白々しい仕草自体が演技なのかは、人を見る目のないエリクには判断がつかないのだが。

……まだ協力するわけじゃないけど、そのご令嬢っていうのはどういう身分の?」

「ここの管理をしてる領主様の娘だ。確か伯爵の地位を戴いてたな」

「ふうん……」

 故郷の片田舎とは異なり、城郭都市の管理を担う領主ともなれば、やはりそれ相応の地位に就いていることが多い。セリアの家は確か、数十年前にここの伯爵家から土地の一部を借りては上手く発展させ、実力を認められたことで統治を代々任されていると聞いた。つまり、間接的と言えどエリクも伯爵家の管轄下にあるのだ。そんな畏れ多い相手に盗みを働き、あまつさえ行きずりの者に盗んだ物を返却して欲しいと宣うカイが、途端に残念なものに映る。

「待て待て、何で急にそんなゴミを見るかのような目ぇしてんだ」

「いや……早く返して来たら良いのにと思って」

「うわー!! 分かってる、だから頼むよ、力を貸してくれ! 俺一人じゃ警備兵にちょちょいのちょいなんだよ!」

 その言葉で、エリクはふと気付く。もしかしてカイが「力を貸して欲しい」相手というのは。

「?」

 隣を見遣れば、サンドイッチを口一杯に頬張るニコと目が合う。

 万が一、伯爵家の警備兵に捕まりそうになった際、カイは彼女の身体能力を当てにしているのではないだろうか。ちょうど自分でニコの蹴りを食らったことだし──。あと、エリクの右腕がないことも計算の内のような気がしてきた。盗みを働けないような体の人間が、「頼まれました」と首飾りを返しに来れば、警備兵も即座に捕縛へ動きづらいだろうから。

「汚い……」

「キタナイ」

 ついつい零れた言葉を、ニコが真似してしまった。二人から視線を注がれた上に、面と向かって汚いと罵られたカイは、ぎくりとした表情を浮かべつつも揉み手をする。

「いきなり罵倒された……!? いや頼むよ、俺あのご令嬢と顔合わせたくねぇんだ」

「え?」

 その口ぶりは伯爵令嬢と面識があるような──いや、盗んだ際に鉢合わせたのか。それにしては随分と怯えているカイの不可解な態度に首を傾げていれば、ごくごくとジュースを飲み干したニコが大きな欠伸をする。長く豪快な欠伸を無言で見届けた後、エリクは小さく息をついた。

……何か事情があるのは分かったよ。一応、それは返してこよう」

「本当か!」

「ただし君の名前は出すよ」

「げえ!! そこは黙っといてくれよ!!」

「それともう一つ、聖都へ向かう馬車を捕まえておいてくれるかい。それが条件だ」

 結局、カイはその条件を快諾し、意気揚々と首飾りを預けて立ち去った。明朝に噴水の広場で落ち合うこと、それから馬車については今夜中にでも捕まえておくと言い残して。

 

 酒場を出たエリクは、既に三分の二ほど瞼を閉じているニコを連れ、日中の賑やかさを引き摺った町中を進む。頭上に広がった藍色の空の麓を、滲むような朱色が焼く。真逆の色を一身に宿す夜空を仰ぎ、エリクはふと後ろを振り返った。

「ニコ?」

「フィルフィリ……」

 今にも寝てしまいそうな状態でも、ニコは「それ」に反応する。そっと視線の先を追ってみれば、一羽の蝶が路地裏を飛んでいた。昼間でもなければ寄り付く花もないというのに、その蝶は黄金の鱗粉を散らしながら闇の奥へと向かう。

……珍しい。あんな色の蝶、初めて見たな」

「フィルフィ……」

「わっ、ニコ」

 ふらりと蝶を追いかけようとして、ニコが前のめりになる。慌てて彼女の手を引っ張ると、ハッとした様子で瑠璃色の瞳が開かれた。一体どうしたのだろうか。昼間は熱心に見詰めるばかりだったはずだが、今は少し──心ここにあらず、といった雰囲気だ。眠気を拭い落とすかのように、ごしごしと目を擦るニコに苦笑をこぼし、エリクはその小さな手を引いた。

「歩きっぱなしで疲れたね。今日はもう休もう」

 すぐそこに見える宿屋の看板を指し、暖かな灯の方へとニコを促す。彼女は真っ暗な路地裏を気にする素振りを見せたが、やがて爪先を転換させた。宿屋の扉をくぐる直前、エリクもちらりと暗闇を一瞥する。地面に落ちた黄金の鱗粉は、羽から離れてもなお淡く発光し、点々と足跡を残していた。

 

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